
古民家mamas
吉原佐紀子さん
窓越しに漏れてくる子どもたちの声。笑ったり怒ったり、遊んだりケンカしたり、子ども特有の自由で伸びやかな声と、それを包み込む大人たちの声が柔らかく調和する。家よりも賑やかで、園や公園よりは日常的なその響きはなにやら胸がしめつけられそうな懐かしさを伴う。住宅地の一角、玄関前に複数のバギーが並ぶ一軒家は、世田谷区が支援する親子のためのおでかけ広場のひとつ「古民家mamas」だ。運営するのは吉原佐紀子さん、この家の主にしてNPO法人「ここよみ」代表、さらには編集者という肩書きももつ。「区のおでかけひろばにはそれぞれ多彩な特徴があって、私たちの古民家mamasは“実家型”を打ち出しているの」と、穏やかに笑う吉原さんの鷹揚なたたずまいは、たしかに実家にいるような安心感をもたらす。実家型の施設にはどんな光景が広がるのか、お邪魔してみることにした。
文章・構成:粟田佳織 写真:松永光希
おじいちゃんの家のような包容力に満ちた空間
松陰神社前の信号から世田谷通りを少し下ると小さな看板が目に入る。その路地を曲がってしばらく歩いたところにかわいいイラストの描かれた外壁の家があり、入り口に「古民家mamas(以下、mamas)」とある。平日の午後2時過ぎにうかがうと、「はーい」と声がして年中さんくらいの女の子が迎えてくれた。
招き入れられたのは10畳ほどの開放的な空間。モビールやガーランドで飾られ、絵本やおもちゃが並ぶ。壁に描かれた絵は絵本作家の丸山誠司さんによるものだそう。
その日は0歳児から年長さんまで7、8人の子どもとそのママたちが残っていた。そのほかに「ママスタッフ」と呼ばれる数人の大人もいて、お茶を出してくれたり、ゲストをサポートしたり。子どもたちは異年齢混ざり合って自由に遊び、ママはママで三々五々、育児情報やお料理などの話題で盛り上がる。だれがどの子のママかわからない。膝の上に抱いているのはよその子というのもめずらしくないらしい。
そうか。この感覚、最初に感じた懐かしさの正体は、子どものころに訪れたおじいちゃんの家の思い出かも。夏休みやお正月、いとこたちが一堂に会して自由に伸びやかに過ごした、圧倒的な包容力で満たされていたあの空間だ。家族の形やライフスタイルが変わった今の時代の子どもたちはおそらく経験しないであろう、古きよきおじいちゃんの家の空気感が“実家型”のmamasには溢れていた。
「いらっしゃい」と奥から登場した吉原さんは、さしずめ実家のおばあちゃんか……などと考えていたらなんと、御歳98歳という吉原さんのお母様まで登場し、子どもたちと自然に触れ合い出した。
古民家のオーナーさんと区からもらった可能性
“おでかけひろば”は、親子でいつでも好きなときに訪れて、遊んだりゆっくり過ごしたり、子育て情報の交換をしたりする集いの場として区が支援する施設。吉原さんが「古民家mamas」を立ち上げ、認定されたのは2009年だ。
「その少し前に、取材で世田谷区役所近くの古民家を訪れる機会があったのです。築180年の重厚な造りで、庭があり、縁側があり、畳の部屋、障子といった典型的な古民家ですね。その頃はちょうど、スローライフとかロハスとかエコロジーな意識が高まっているときで、外国人向けのシェアハウスの先駆けとして注目されていたお宅だったのですが、ちょうど空いていて。私がママサークルの仕事などをしていることを話したら、じゃあ、ここを使って何かやってみないかとオーナーさんにご提案いただいたのが始まりです」
吉原さん自身はすでに子育てを終えていたものの、フリーの編集者として育児書や赤ちゃん学に携わるなか、現代のママたちをとりまくシビアな環境・社会については問題を感じていたところだった。
「何かできることはないかとつねに考えていて、そんなところに古民家のお話をいただいたので、それならと。漠然とですがママたちの孤立を防ぎたくて、『赤ちゃんを産んだママが外に出る最初の一歩の場所をつくろう』と」
まずは社会福祉協議会の子育てサロンを訪ね、さらに世田谷区のおでかけひろばのリーダー会議などに参加するようになった。
「さまざまな意見や議論の機会をいただき、育児や子育ての課題が見えてきたんですよね。そして区の支援をいただけることになったのです。とても幸運でした」
とはいえ、すべては手探りの状態。妹さんや友人、知人と有志が集まったものの、子育ての専門家がいるわけではない。
「専門家でなければいけないとは考えなかったんです。大切にしたかったのはやさしさや安心感です。ママたちに共感し、寄り添い、思いやりをもって接すること。困ったり悩んだりしているときに安心を与える場所にしたいと考えました」
まずは、知ってもらわなければならないと、小さなカードを作り、近隣のママたちが好むお店に置いてもらうことから始めた。
「仕事柄デザイナーさんやイラストレーターさんの知り合いが多かったので協力してもらい、ママたちに刺さるような可愛いカードを作ったの。そしてお店を一軒ずつまわり、置かせてもらったのです。小児科のある病院などにも行きましたよ。若いころに広告代理店に勤務していたこともあり、企画をしたりPRをしたりといったことが得意なんです」
当初はゲストゼロという日もあったがカードの効果や口コミが広がり、次第に一人、二人と子どもを連れたママが訪れるようになった。特になにかをするわけでもなく、古民家という贅沢な空間でゆったりと過ごしてもらうことを心がけていた。
「十帖の畳のお部屋が3間続いていて、縁側があってそこからお庭が見えるのね。庭にはバギーが何台も並んでね。いまどきのマンションとはまったくちがう環境でしょう? 照明もちょっと暗いの。少し明るくしようかとママたちに聞いても、このままがいいっていうの。ここに来ると子どもたちがよく寝るし、よくうんちをするって(笑)」
ママたちに、やさしい時間を提供したい
利用者の表情や言葉に手応えを感じてきたなかで、忘れられないできごとがあったという。
「育児に悩みを抱えているママがいて、つらいことがあったらしいのだけど、ちょうどmamasが休みの日だったのね。でもお休みだってわかっていたけれどここに来たらしいの。もちろんだれもいないわよね。でもお庭に入って、縁側を見ているうちに、『mamasがここにある』っていう安心感が生まれて、気持ちが落ち着いていったというの。そして頭を下げて帰ったっていうんだけど、その話を聞いて……涙が出てきたのね。悩みを抱えているママたちへの気持ちと、mamasが役にたっているという喜びが一緒になって」
その頃から、mamasの方向性が明確になっていった。
“やさしい時間”の提供だ。
「とくにマニュアルは定めていないのだけれど、共有しているのはスタッフは専門性を出さないこと。相談や質問に答えを出そうとせずに、ただ話を聞くことに徹する。答えは、そこにいる先輩ママたちとの会話のなかで見つかることが多いの。私たちは安らげる場所づくりをするだけね」
積極的に働きかけるほうが楽な場合もある。本当にできているのか、吉原さん自身考えたこともあったが、その答えをくれたのもママたちだった。
「ある日の昼下がり、7〜8人のママたちが立って赤ちゃんを抱っこして、ゆらゆら揺れていたの。午睡の時間の寝かしつけですね。だれも言葉を発さず、静かにときが流れ、安心して眠る赤ちゃんとママ、スタッフ、そしてmamasの空間が一体となった光景を目にしたときに、『ああ、間違っていない』と思えたんです」
自分たちの町で安心して暮らしてほしい
世田谷区に生まれた吉原さんは、高度経済成長に日本が湧き立つなか、地元の小学校に通った。
「当時は日本中から東京に人が集まっているときで、学校にもさまざまな出身地の子がいました。それぞれにちがう生活様式や価値観が溢れていたので学ぶことは多かったですね」
当時の感覚は今、多様なバックグラウンドをもつママたちとの付き合いにとても役立っているという。
大学を卒業後、広告代理店、製薬会社などに勤務するも妊娠・出産を機に退職。その後はフリーのコピーライター、編集者として子育てと仕事の両立をはかる日々が続いた。
「当時は父親の育児参加なんていう考えはない時代でしょう? 母親や妹に協力してもらいながら走り回って仕事をしていました。原稿は家で書くんですが、当時はアナログだから書き上がったら机の上で紙をトントンと揃えるんですよ。それがサインになって息子が『終わった?』って来るのがいたいけでしたね。たまに途中でトントンしちゃうこともあって可哀想な思いをさせちゃったな(笑)」
仕事と子育ての両立で得た課題は、今の子育て支援の重要なファクターでもある「復職支援」にも通じる。経験で学んだことを少しでも還元してママの復職を応援している。
2015年、古民家の使用期限がきたため、新たな場所を探す必要があった。いくつかの会場を試し、最終的に自宅を開放することにした。数年前に建て替えたばかりでまだ新しいものの、利用者に慣れ親しんだ「古民家」の名前は引き継いだ。
「場所は圧倒的に狭くなったんですけど、不満の声はないですね。狭いスペースは狭いなりの楽しみ方や距離感が生まれるものです」
世田谷区は今も変わらず全国から人が集まる。mamasの利用者の半分が転入して3年未満の人たちだという。
「当然、地域とのかかわりも頼れる知人も少ないわけです。実家も遠い。だから私たちは変わらずやさしい時間を提供する実家型の施設であり続けようと考えています。自分たちが住む町であり、子どもたちが成長していく町だと感じて、安心して暮らせるように」
一方で吉原さんの頭には次のビジョンもあるそうだ。
「子育て食堂を作りたいと思っているんです。夕方からパパが帰るまでは、ママにとって魔の時間。座ってご飯を食べられないという人も多いの。だから親子のための食堂を作って、週に一度でも座って落ち着いて晩御飯を食べる場と時間を提供できればいいなと。洗い物も必要ないでしょ。パパとそこで待ち合わせて一緒に帰るのもいいわよね。食にまつわる規制はなにかと面倒なんだけど、またひとつずつクリアしていければいいなと思って」
吉原さんの口から何度も発せられる“やさしい時間”という言葉。簡単なようだが相当意識しないとつくれない時間かもしれない。シンプルでいて難しい。それを吉原さんとスタッフの方は10年以上続けている。きっとこれからも変わらずにあり続け、いつでも優しく受け入れてくれるのだろう。実家のように。