特集

あの人のせたがやンソン | 中川正子さん

世田谷ミッドタウンエリアに縁のある人物とその街を歩く、連載『あの人のせたがやンソン』。シンガー・土岐麻子さんに続く第3回は、写真家・中川正子さんです。現在は東京と行き来しながら岡山県で暮らす中川さんですが、はじめて一人暮らしを始めた街は、なんと松陰神社前でした。それから豪徳寺、祖師ヶ谷大蔵と引越しを繰り返し、岡山へ。結婚と出産を迎えた街である、彼女の人生に大きく関わる世田谷ミッドタウンを歩き、自身の写真と文章から当時のあれこれを綴ります。

文章・写真:中川正子 構成:加藤将太

ずっと東京に住むのが夢だった。千葉県船橋市に育ったわたしは、村上春樹さんがいみじくも書かれたように「何かの間違いで千葉県に配属された東京都民」のような自意識で思春期を過ごした。原宿、代官山、渋谷。そんな憧れの街の地図を穴が空いちゃうんじゃないかってくらい、眺めて。

大人になって仕事を始めて、25くらいのとき、念願の原宿の真ん中に住む機会を得た。どこに遊びにいくにも徒歩か原チャリ、またはタクシーでワンメーター。家の真裏には人気のお店がいくつもあって、土日には全国から訪れる人々で長蛇の列。そんなところに暮らすことに得意になっていた。流行のものに囲まれたキラキラした街で、早朝から疾走して仕事して、体力限界まで夜な夜な遊ぶ。そんな日々。家は、寝るためだけの場所。

ある時、松陰神社前を仕事で訪れることになった。三軒茶屋から初めて乗る世田谷線はたった2両しかなくって、かわいいバスみたいだった。車窓からはのんびりした街並みが見渡せる。人々もどことなく、ゆったりしているように思える。松陰神社前駅を降りて商店街に向かう。猫が一匹、いた。茶色の野良猫。そういえば、野良猫ってしばらく見てないな。彼女(たぶん女だと思う)はのんびりと我が物顔で腰を振りつつ、道を歩く。おでんのタネが売ってるお店、八百屋さん、たい焼き屋さん、そんな懐かしいお店でみんな生き生きと仕事をしていて、夕食の準備をする人々は一軒ずつ買い物に回っていた。

「わたしは、これから、こういうところで暮らすべきだ」
その一文が脳の中にゴシック体でばーんと突然掲示された。それは圧倒的なメッセージとも言うべきで、自分でも驚くほどの強さだった。当時、ライブハウス目当ての下北沢以外の世田谷エリアに足を踏み入れたことはあまりなかったし、のんきな暮らしを求めていたとも自分では思えなかった。でも。ここで暮らすイメージが止まらず、ぐんぐんわきだしてきた。そういえば、ここ数年、料理だってろくにしていない。八百屋さんで買い物なんてずっとしていない。そういうことがしたかった気がする。たったいま、気づいたけど。

何事も決めたら速いわたしは、早速、不動産屋さんの門を叩く。予算はちょっとしかない。でも、この街で暮らすには光がないとダメだ。夜中に眠るためだけに帰って夜明けに出て行くような、ここで始めるのはそんな暮らしじゃ、ないから。狭くてもいいから、光がさんさんと入る部屋はありませんか。ほかはもう、なんでもいいです。古くたって、駅から遠くたって。

タイトな予算を提示しながらも、ここに住むという意欲だけは溢れ出るわたしに、不動産屋さんはとても親切にしてくださった。あ、ここどうですか。ちょっと狭いしシャワーだけでバスタブもないけど、光はたくさん入りますよ。内見して、一目で気に入った。照れちゃうくらいおしゃれな、デザイナーズアパートみたいなとこだけど、この光の中に住みたい。そして、あの商店街を歩くのだ。濃いアイラインとか、ぜんぶなしで。

今回、ひさしぶりに世田谷を歩いてみませんか、とオファーをいただいて、15年以上前の世田谷ミッドタウンライフを振り返ってみた。何も思い出せないんじゃないかと思ったけれど、散歩するうちに、玉手箱を開けたみたいに、記憶が噴き出してくる。

松陰神社前のあの部屋でささやかに始まったわたしの、宇多田ヒカルさんが言うところの「人間活動」。慢性の睡眠不足で強めメイクと金髪のわたしは、この街に急速に癒されていくのを感じた。仕事は相変わらず忙しかったけれど、商店街で少し買い物をして、小さなキッチンで料理を始めた。キメた服じゃなくて、ゆるっと街を歩くようになった。

その後、現在の夫である彼と出会い、わたしたちは豪徳寺に小さな部屋を借りる。参道を歩いたり、苔を採取したり、自転車で目的地も決めずに、ただぶらぶらしたりした。スパイスマジックのカレーがすごく好きで、週1くらいで食べに行った。世田谷線を「せたまる」と呼んで、ふたりで乗るのが、好きだった。部屋が手狭になって、祖師ケ谷大蔵に移り、そこで結婚することを決めた。光がきれいな部屋だった。

自転車にたくさん乗って、台所用品をひとつずつ揃えて、わたしたちは、わたしたちの暮らしの始まりを作った。子供が生まれ、彼は11ヶ月になるまで世田谷で、過ごした。息子をかかえて、馬事公苑に馬を見に行ったり、砧公園に歩いて行ったり、した。

かつて暮らした松陰神社前の小さなアパートを、遠くから一枚撮ってみた。ガラスブロック越しに壁に差し込んでいた光のかたちを急に、思い出す。あの小さな部屋で今暮らす誰かも、いつかこうやってセンチメンタルに、世田谷を再訪することがあるかもしれない。

そういえば、あの猫はどこに行ったのだろう。きっと腰をふりつつこの街で、自由なおばあちゃん猫になっているはず。会いたかったけど、またね。バイバイ。あのときは、ありがとうね。

中川正子

1973年横浜生まれ。津田塾大学在学中、カリフォルニアに留学。写真と出会う。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告、アーティスト写真、書籍など多ジャンルで活動中。2011年3月に岡山に拠点を移す。現在、東京と岡山と往復する日々。今春に最新写真集『ダレオド』を刊行予定。台湾を皮切りに、全国及びヨーロッパ及びアメリカで展開する。ほかに写真集『新世界』(PLANCTON刊)、『IMMIGRANTS』(Octavus刊)などがある。

 

instagram @masakonakagawa

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