手作りおでん種 おがわ屋
小川利明さん
昭和50年創業の商店、手作りおでん種 おがわ屋の店主。昨今賑わいを見せる松陰神社商店街の変遷をこの街のベテランはどう受け取っているのか。お店と商店街の歴史とともに地域の魅力を語ってもらった。 編集:加藤将太 文章:軽部三重子 写真:山川哲矢
味、プラスアルファの魅力。
世田谷線・松陰神社前駅の南北に伸びる、松陰神社通り商店街。今も70軒以上が軒を連ねる、古き良き日本の面影を残す商店街だ。その象徴の一つとも言えるお店が、今回取材した「手作りおでん種 おがわ屋」。店先には30種類ほどの色とりどりのさつま揚げやおでん種が並び、そのガラスのディスプレイの向こうには、作業をしながらいつも気さくに話しかけてくれる、店主の小川利明さんの姿がある。通学途中の小学生と挨拶が交わされたり、常連さんと自然と会話が始ったりと、ここはコミュニケーションと笑顔が生まれる場所なのだ。
一番の人気商品は、“松陰ジンジャー”1個50円。紅ショウガや小松菜など、5種類の具材が入っていて、見た目もカラフルでコロコロと可愛らしい。古くからの看板商品なのかと思いきや、売り出したのは7,8年前と意外にも最近のこと。
「単純というか、昔からあるやつはあんまり作りたくなかったんだよ。しかも、最初は別の名前で売り出して、全然売れなくてさ。ある朝、市場に行く途中にこのネーミングを思いついて、変えた途端にマスコミがたくさん来て、売れ出したんだよ」
と、人気商品にもユニークな歴史あり。興味深いので、もう少し掘り下げてみると・・・
「最初のネーミングは、“春のなんとか”とか“夏のなんとか”とか、俺も適当に付けてるから忘れちゃったけどさ。その後、名前を固定させようと思って付けたのが“松陰”で。そしたら、うちの亡くなった親父が『“松陰さん”だろ。ちゃんと“さん”を付けろ』とかうるせーことを言ってさ。それで、たどり着いたのが“松陰ジンジャー”なわけ。勝手に名前つけてテレビに出ちゃったりもしたからさ、松陰神社の宮司の奥さんが来た時に『シャレなんで許してください』って謝ってね(笑)。」
そんなお茶目な一面をのぞかせつつも、商品には徹底したこだわりも。
「最低限のつなぎに使っているのは、ばれいしょでん粉。小麦はアレルギーの人が多いからね。あと、よそでは卵白を使ってツヤを出す店もあるんだけど、うちは卵も使わない。入れる必要がないから。卵アレルギーの人にも食べてほしいしね」
おがわ屋の40年を支えてくれたもの。
松陰ジンジャーの他にも、たこやき風のたこ坊、鶏なんこつ、えだ豆、ひじき揚、ごぼうスティック、チーズ巻、なす天、しいたけなどなど、オーソドックスなものから趣向を凝らしたものまで、ズラリとショーケースに並んでいる。お値段は、だいたい1個50円程度、大きいもので200円ほど。釜で揚げた特製のさつま揚げは、煮ても、そのまま食べても、あぶっても旨い。おでんはもちろん、夏はビールのおつまみにもピッタリなのだ。
「“おでん種”って掲げてはいるけどさ。本当は、さつま揚げ専門店のつもりでやっていて、冬だけじゃなくて一年中食べてもらいたいんだよね」
そんな思いもあって、4月の取材時には、春限定の“菜の花”を販売するなど、季節ごとに楽しめる工夫もしている。それでも、やはり繁忙期となるのは、秋口から冬にかけて。寒い時期になると、並んでいるお客さんの数より、品数の方が少なくなることもあるという。
「昼も食べずに揚げ続けないと全部なくなっちゃうからね。忙しい時は、店を閉めてから翌日の仕込みもしないと間に合わないし。それじゃなくても、毎朝7時から始めて、30種類ごとに仕込みをして揚げていって、揃うのは13時か13時半くらい。そんな生活をもう40年だよ。それでも、珍しい商売だし遠くから来てくれるお客さんも多いからね、ありがたいことだよ」
ここで、おがわ屋の歴史に触れておくと、小川さんのお父さんがこの場所で八百屋を始めたのが、昭和25年のこと。小川さん自身もこの場所で育ち、大学の水産学部を卒業して、今の店を始めたのが、昭和50年。小川さんが25歳の時だった。
「その当時は、八百屋が6、7軒はあってね。ここで八百屋をやっていく自信もなかったから、思い切って始めたけど。家族で素人で始めたようなもんだったよ。それからなんだかんだで、もう40年だからね。自信を持って揚げてきたし、マスコミにも取り上げてもらってね、それはすごく心強いよ。あと妹がね、開店当初からずっと手伝ってくれて。当時は妹が20歳でまだ学生で。もう犠牲の精神だよね(笑)。店でもそうだし、今も俺は帳簿なんか付けられないからさ、妹がパソコンでやってくれてるんだ」
こうやって、おがわ屋を支えてくれる人がいるからこそ、この店はこんなにあたたかいのだろうと、目の前の小川さんの笑顔を見て思う。
松陰神社通り商店街 今昔物語。
この商店街で生まれ育った小川さんは、商店街の歴史の生き証人の一人でもある。64年間、眺め続けたこの商店街の変遷を伺った。
「昔は、生鮮ものが多かったんだよね。魚と肉と野菜が何軒も重なってて。そういう意味で活気があったよ。人も多かったしさ。でもそのうちスーパーの時代になって、そっちの方がいっぺんに用事が済むしね。そこから変わったよね。後継ぎの問題もあって、もうほとんどのお店が入れ替わっちゃって。3代目なんてお店は、本当に少ないよね」
そんな中でも、小川さん自身の思い出の味だというのが、この商店街で一番の老舗であるニコラス精養堂のパン。
「創業100年でしょ、すごいよね。俺も小さい頃コッペパン買いに行ってたよ。まだ今みたいに菓子パンもないしさ。学校でもニコラスのパンが出てたしね」
昭和44年までは、現在の世田谷線が渋谷駅まで走っていたなど、環境の変化もあったという。東京オリンピックで、道を拡張することになり、今の区間が残ったのだと教えてくれた。
「あと、以前はそこの国士舘大学のキャンパスに体育学部があったからね。腹空かした運動部の子がいっぱい歩いてたんだよ。だから、安くて腹いっぱい食べられる食堂なんかは大繁盛だったよ」
そしてまた、この商店街は少しずつ変わってきている。新しい飲食店が増え、若い人の行き来が多くなってきた。この街を最近知った人からは、飲食店街と呼ばれるだろう。
「特徴がなくなってきてるな、と思うところもあってね。ただ、『松陰神社が面白い』って話にもなってるし、俺がそういう目で見なきゃいけないってことなんだよね」
と、複雑な心境をにじませる。ずっとこの街を見つめ続けてきた小川さんに、この商店街の好きなところを尋ねると、「残り少ない昔らしさの残った商店街の部分がまだあるから」と答えてくれた。
変わっていくもの、変わらないもの。
「街が変わって、若い人が興味を持ってくれるようになった、っていうのは間違いないね。若い人たちが歩いてる、活性化してるっていうのは大事なことだよ。今、チャンスのある街だと思うしね。新しい店ができてるし、マスコミにも取り上げられてるし。ただね、しばらくすると、嫌な言い方だけど何軒かは辞めていくかもしれないよね」
これが40年間この商店街を見続けてきたオヤジの本音であり、一緒にこの商店街で汗水ながす者への心からのエールなのだと思う。
「俺も偉そうに言ったって、くたばっちまったらお終いだし。きついんだから、体が。いつまで続けるかわからないけどさ、要望があるなら頑張んなきゃいけない。うちは特殊な商売だからさ、辞めたらお客さんが困ると思うんだよ。ありがたいことに根強いファンがいてくれる。簡単ではないのは、40年も前からわかってることだしさ。持続だよ、持続。継続は力、だね」
元気な商店街であり続けたいという想いは、言うまでもなく人一倍強い。
「おじいちゃんおばあちゃんの世代は通ってくれていたけど、そのお嫁さんの代とかになると、この商店街を使ってない人も多いんだよね。昔はさ、顔を見ればどこの家の誰だかわかることがほとんどだったのに、今は顔を見てもわからない。それは、もうしょうがないんだよね。そんな中でも、残ってくれている人とは、今でもくっちゃべって、『お母さん最近見ないけど元気してるの?』なんて会話をするわけさ。それはそれで、面倒くさくなくていいのかもしれないけどね」
たしかに、部屋を探すときには、コンビニまで何メートル、スーパーまで何メートルと測るのが、今のものさし。ネットで注文して届けてもらうことだってできる。動く時間と手間を省きたい、というのが時代のニーズなのは、まぎれもない事実。ただ、その便利さと引き換えに置き忘れてきた人情味が、ここにはまだ、確かにあって、それがこの街のアイデンティティであり、オリジナリティだと思うのだ。もちろん、それを守っていくのはた易いことではない。それでも、この松陰神社商店街「らしさ」が、今後も続くようにと、願わずにはいられない。
手作りおでん種 おがわ屋
住所:東京都世田谷区若林3-17-10
TEL:03-3414-7914
営業時間:10:00~ 売切れ次第閉店
定休日:日曜、祝日(12月31日~1月6日は休業)
※2019年に閉店
(2015/05/20)