宍戸園 12代目

宍戸健晃さん

最寄り駅
成城学園前

成城通りを祖師谷の方に歩いていくと、突然華やかな風を感じた。低い柵の向こうで、やさしいピンク色の花がこぼれんばかりに咲いている。ダマスクローズという名の薔薇が、いっせいに満開を迎えているのだ。しばらくすると、その隙間を縫うようにしながら花びらを摘んで歩く宍戸さんが見えた。ブルーベリーにネロリ、ライム、マーロウ、カモミール。そこかしこで花が咲き、実がなり、蜂がせわしなく飛びまわっている。600坪もある自然栽培の農園は、この蜂たちの命の循環によって支えられていた。

文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

蜜蜂がつくってくれる豊かな土のこと

たとえばフランスの、郊外へ車を走らせて行くと見えてくる農園のような雰囲気だ、と思った。そう感じるいちばんの理由はたぶん、植物が管理されていないように見えること。オレンジがたわわに実り、ホワイトセージは見たことがないくらい大きく成長している。皮ごと食べられる湘南ゴールドという手のひらサイズの柑橘をホイと渡してくれ、宍戸さんはその合間をちょっと申し訳なさそうに肩をすぼめて歩いた。もっとも実際は、細やかな気配りをしているからこそ、植物は根をおろしたその地で自由気ままにのびのびしていられるのだ。宍戸さんが選択している自然循環農法とは、化学的な力に頼ったり人間が不要な手出しをしたりせず、植物が本来持つ生きる力を発揮できるような環境づくりをすることで成り立っている。


その根底を担っているのが、軽く20万匹以上はいる蜂たちだ。一日に何千匹と産まれる蜜蜂は、一方で一日に何千匹と死に、この農園に還っていく。その養分が土を豊かにし、植物が育つのを支えているのだ。

宍戸さんがはじめて蜂を飼ったのは、まだここがブルーベリー農園だったころのこと。ブルーベリーの受粉率をあげようと購入したのがはじまりだった。
「なんとなくやってみようかなって思ってはじめたんだけど、なんと一気に増えちゃって。巣箱を買って置いておくと、どんどん増えちゃうの。気軽な気持ちではじめちゃったから、もうこっちはパニックですよ。そこからネットであれこれ勉強して。でも、溜まっていたはちみつを舐めたら、それがあまりにおいしくてびっくりしたんです。それで、翌年からきちんと瓶詰めして売ることにしました」



蜂たちにお裾分けしてもらったはちみつは、非加熱処理をして「成城ハニー」という名で宍戸園カフェに並んでいる。世田谷のお祭りや収穫祭などにもときおり出店しているので、見たことがある人もいるだろう。また、カフェでははちみつレモンとして、かき氷やジュースで楽しめる。

「自然栽培で育った花の実を食べて育ち、その蜜を集めたはちみつなので、味がとても濃厚です。一般的にはちみつの糖度は70〜80度くらいなんですが、うちのものは81度以上ある。採ろうと思えばもっとたくさん採れるんですけど、はちみつが採れる時期と薔薇の収穫期が重なっていて、なかなかはちみつにまで気がまわらなくて。でも彼らがよりよく生きられるよう、果樹を育てたりしながら共存しています」


宍戸園カフェを担うのは、息子の優仁さん。バリスタの修行をしたあと、ヴィンテージのトレーラーハウスをリフォームして、2年前にオープンさせた。カフェには宍戸園オリジナルのブレンドコーヒーや焼き菓子などが並んでいる。
薔薇園の脇にも、この景色を眺めながら贅沢な時間を過ごせるようにテーブルと椅子がある。頭上にある大きな桜の木は、すでに樹の中が空洞で体力が落ちているそうだが、今年も見事な花をつけて咲いたそうだ。

ブルーベリーからダマスクローズへ

300年も続く宍戸園はむかし、お米や野菜をつくる農家だった。古くは鶏を飼ったり養豚をしたりしていたが、家畜についてはまちづくりが進むにつれて近隣からの苦情が多くなり、諦めざるを得なかった。12代目として宍戸さんが継いでからは、ブルーベリーを中心にして、収穫体験ができる農園づくりをはじめた。

「農業の知識なんてまったくなかったけれど、漠然と無農薬がいいな、という感覚はずっとありました。なんとなく自然なものの方がいいんじゃないかな、って。そこから自然農法の勉強をはじめ、農業の学校に短期間通ったり本を読み漁ったりしながら、少しずつ進んでいった感じです」

そんにふうにできるだけ自然に育てたブルーベリーは瞬く間に評判になり、遠方からも収穫に訪れる人が絶えなかった。

「当時は柵も立てず、いろんな方が自由に農園を見てまわれて、収穫体験ができるような場所にしていました。ブルーベリーが育っていく過程を知ってもらえたり、農業に興味を持ってもらえたら嬉しいなと思って。でも、リスクが大きかったというのが本当のところなんです。だいじに育てたブルーベリーを木ごと盗まれちゃったり、勝手に収穫されてしまったり。オンライン販売も先駆けてはじめたけど、植物の成長に左右されるうちのような農法では、収穫期が読めないんです。それをご理解いただけずに発送トラブルも絶えなくて、対応に追われて眠れない日々が続いて……。妻とふたり、そういうことに向かうのに疲れてしまったんですね。結局、ブルーベリー農園を縮小することにしたんです」

植えていたブルーベリーを減らし、次はなにをしようかと考えていたとき、妻の瑛奈さんから提案されたのが薔薇の栽培だった。

「調べてみると、食用のダマスクローズを自然栽培しているところって日本にはなかったんです。世界最大のローズオイル生産地であるブルガリアに視察に行ったときも、純粋なオーガニック農園はとても少なくて、認証されているところもごく僅かでした。また、働き手が高齢化していて、担い手がいないという問題もあった。フランスの香料メーカーからは、ダマスクローズはいつも足りていないから、商品に農薬が残留しないものはオーガニックとして販売している業者もいる、という話を聞いて、うちの農園なら自然農法でしっかり栽培できるのではないか、と思いました。すでに蜂たちとの土作りができていて、環境は整っていましたから」

薔薇がもたらす穏やかな収穫の時間

ダマスクローズを育てるにあたり、考えたことはこれをどのように仕事にしていくか、だった。ローズオイルは人気がある商品だが、普通ローズからオイルを取ろうとすると、なんと1リットルのオイルを抽出するのに4トンもの花びらが必要になってしまう。そこで商品にしたのが、花びらをそのままクール便で直送することだった。

「フレッシュな花びらは6〜8分咲きくらいで摘み取ると、中に閉じこもっている香り成分をじゅうぶん味わうことができます。満開になってしまうと香りは薄まってしまうし、蕾んでいては香りが弱い。いちばんいい頃合いのものだけを摘み取り、その日のうちにクール便で発送しているので、最適な状態で楽しんでいただけています。500gで送料を含めると1万円と高価ですが、本当に薔薇が好きな方に届けられるのが嬉しくて。妻が考案した薔薇ジャムのレシピも添付しているので、作ってくださっている方も多いんですよ」

瑛奈さんは、フランスのパティシエで“ジャムの妖精”と呼ばれるクリスティーヌ・フェルベールのもとで働いていたシェフにジャム作りを習い、ダマスクローズを使ったジャムを発表した。もともとつくっていたブルーベリージャムにも、隠し味に農園のベルガモットを入れるなど細やかなアレンジが人気で、毎年楽しみにしてくれているファンがいる。カフェで販売している焼き菓子も瑛奈さんのお手製だ。それ以外にもドライフラワーやローズウォーターを商品化したり、薔薇の摘み取り体験や蒸留体験などのイベントも顧客限定でひらくなど、薔薇栽培をはじめて今年で10年、さまざまな取り組みが形になった。

生産物が薔薇に変わってみてどうですかと尋ねると、宍戸さんは、「何よりも心が穏やかになって、毎日摘み取るのが楽しいんだよ」と言う。ダマスクローズをはじめとする薔薇には、古くから精神状態を安定させたり沈静化させたりする作用があるといわれ、女性ホルモンの調整にも役立つのだという。

「1日6時間も農園の中をぐるぐるして収穫しているんだけど、全然飽きないの。農園に入ると、自分の心の中が穏やかになっていくのがわかるんですよね。パソコンに向かって働いていたときと労働時間は変わらないのに、気持ちが全然疲れないんです」

ロボットと農園、不思議なふたつの関係

宍戸さんが“パソコンに向かって働いていたとき”は、およそ20年前に遡る。機械工学を専攻し、産業ロボットの設計をするという、今とは真逆の世界で働いていた経験があるのだ。

「ものづくりという面では一緒だけど、その頃は無機質なものばかりと向き合っていました。原子力発電所の内部で動くロボットの設計とか、レコードをデジタル音源に変えるための音響機械とか、ひたすらパソコンや機械と時間をともにしていたんです」

設計した通りに動くロボットとは違い、農園での仕事は“やってみないとわからない”の連続だったという。
「たとえば、うちの薔薇は返り咲きといって秋にも咲くんです。普通は一年に一度しか咲かないはずなのに、秋の薔薇も色が濃くて品質がとてもいい。やってみないとわからないことばっかりですよ」と、宍戸さんは笑う。

「でも、できなかったことがどうやったらできるようになるのか、なんでこんなことが起こるのかって考えるのは、機械工学と同じこと。考えながら実験を繰り返して形にしていく、そういうことが好きなんだと思います。それに、ただ座ってじっと働いていた頃よりも、農園で作業している方が全然疲れない。体力は使いますが、気持ちよく働けるんですよね」

宍戸さんがいま考えているのは、ロボットやAIを使って農業をもっと省力化できないか、ということ。ロボットの技術を持つ宍戸さんだからこそのアイデアだ。

「農業は楽しいけれど、自然栽培では特に手をかけなくてはならない部分が多く、肉体的にはとても大変。何か大がかりなことをしたいと思うと人件費もかかります。機械ができることは任せて、人がもっと効率よく農業に関われるといいなと思っています」

自然を守りながら、機械といっしょに働いていく。そのふたつはあまりにも両極端にありすぎて、もしかすると普通では考えられないことなのかもしれない。でも、そうなったらって想像するのは容易だ。それはきっと、人にも環境にもやさしい農業になる。人ができることを人がやり、機械に頼りたいところは機械に頼る。そして、自然がありのままでいられるよう尽くすことが、宍戸園ならきっといつか、できそうだ。

宍戸園
住所:東京都世田谷区上祖師谷4-7-1
電話:03-3307-5154
 
宍戸園カフェ
営業時間:10:00〜18:00
定休日:水曜・第2、第4土曜
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