まんがの図書館 ガリレオ

上関久美子さん

最寄り駅
三軒茶屋

三軒茶屋、世田谷通りを挟んだキャロットタワーの向かいで地味に存在感を放つ黄色い看板に見覚えはないだろうか。「まんが読み放題」「持ち込み自由」といったフレーズと店名の「まんがの図書館 ガリレオ」のロゴが掲げられた店はその名が示す通り、約40,000冊と都内屈指の蔵書数を誇るマンガ喫茶だ。じつはこのガリレオ、一昨年辺りから何度かメディアで話題に上っている。「赤字が高じて閉店が決まった店をアルバイトの女性が引き継ぎ、孤軍奮闘しつつ再建!」……なんてマンガのようなリアルストーリーが注目されてのことだ。主役である元アルバイトで現オーナー兼店長の上関久美子さんにうかがったお話には、マンガ以上のわくわくが詰まっていた。

文章・構成:粟田佳織 写真:松永光希

水のスペシャリストからひきこもりへ

三茶の中心地、店舗の入れ替わりが激しい世田谷通り沿いにあって1998年から営業を続けている「まんが図書館 ガリレオ」。上関さんがオーナーになったのは2017年だ。子どもの頃からマンガが大好きで、「大切なことはすべてマンガが教えてくれた」という上関さんだが、オーナーになった経緯はまったく別ルートだった。

「ふつうに大学を卒業し、工業用ボイラーのメーカーに就職しました。水処理機械の担当になって水にハマり、3年間ほどみっちり勉強をしたんです。そのうち世の中にはかなり怪しい水というのがあることに気づき、そうなると仕事としてやっていくことに支障が生まれて……」

社内のしがらみを経て退職。その後別の会社に再就職したものの、やはり水への思いを断ち切れず、「水質コンサルタント」として独立し、フリーランスで活動を始めた。日本で唯一の軟水の専門家というニッチな領域で名を馳せ、ついには水の書籍を出版。さらにセミナーを行ったり、エコロジーにもかかわっていたことから雑誌に載ったりNHKの番組に出演したりと精力的に活動を続けた。でも――。

「女性の起業家として突き進むうちに世の中のディープな部分に浸かってしまって。社会というサバンナには羊タイプと狼タイプがいて、私は食べられる側の羊なのだと自覚せざるを得なくなってしまいました。うまく立ち回れない自分にもがっかりして……だんだん疲弊していったんです。それで『うん、もう辞めよう!』と」

ストレスは重くのしかかり、輝かしい実績や傍目には順風満帆に見える生活を自ら手放すこととなる。ちょうどその頃、三軒茶屋で空き家になった親戚の家に格安で住めることになったこともあり、上関さんは新たな道を歩むことに。

「『よし、小説家になろう!』と、書いては投稿する日々でした。お金がさほど要らない生活になったので貯金を切りくずしていけば働かなくてもとりあえず生きていけるし。一緒に暮らしている猫だけは飢えさせないようにしつつ、自分は納豆ご飯。それとバナナ。人に会わないから服も要らないし。まあ、ひらたく言うとひきこもりですね(笑)。貧乏でしたけれど心を休めるにはよかったですよ」

究極の節約生活なのでマンガや本もそうは買えず、自分の萌えは自分で小説にして楽しむという生活を続ける。投稿も続けていたが、小説家になるのは簡単ではなかった。

「そりゃそうですよね(笑)。そのうち小説の箸休めというか気分転換として回文づくりを始めたんです。『たけやぶやけた』みたいなやつですね。どんどんハマっていって日本一長い回文なんてしばりを入れたり。1日1つずつ作ってツイッターに上げていって1年ほど経った頃、ある編集者の目に留まり、回文短歌の書籍を出版することになりまして。で、次は短歌に興味が湧いてしまって、結社などに行くようになったんです。でもそうやって動き出すとお金が必要になるんですよね」

ひきこもり生活も5〜6年になっていた。節約を続けても貯金は目減りしていき、そろそろ収入を得ることを考えなければならない。回文作家としてやっていく気概もない。そんなとき、贅沢をする場としてたまに訪れていた「ガリレオ」でアルバイト募集の張り紙を見つけ、応募。週3日の勤務が始まった。


「週に3日とはいえ、行かなればならない場所ができると人間ってちゃんとするものなんですね。それまでは昼夜逆転、眠くなったら寝て、目が醒めた時間が朝という生活。でも決まった時間に起きて、お風呂もちゃんと入って身支度を整えていると必然的に生活のリズムが整ってきて。ああ、自分、社会復帰したって感覚でした(笑)」

できることはまだあるはず! 再建をかけて本部に直談判

週3日の勤務で多少なりとも安定収入を得た生活は上関さんに安寧をもたらした。勤務中は大好きなマンガに触れることができ、残りの4日で小説を書いたり短歌を詠んだり、社会性も少なからず保ちながらの充実した日々だった。その一方で一抹の不安も拭えずにいた。

「このお店(ガリレオ)、よくやっていけてるなと。もともとLEDや医療機器を扱う大きな会社が税金対策的にやっているお店で、採算のことなどあまり考えていない感じ。私も含めてスタッフもバイトだけなので意識もそう高くないし。本部に改善案を出す機会もなくはなかったんですが、あまり取り合ってもらえない感じでした。いつなくなってもおかしくないなという思いはあったものの、当時はいちバイトだったのでどこか他人事で」

だが2017年2月、ついに本社から「来月で閉店する」という報せが届く。赤字続きでさすがに採算的にどうにもならないということでの決定事項として告げられたのだ。

「ショックは大きかったけれど予測していたことでもあるし、決定事項というのもあったので仕方ないなというのが最初の思いでした。みんなで次の仕事のことを考えたり、好きに持っていっていいと言ってくれたコミックを物色したり。でも、そのうち『なんかちがう』っていう思いがふつふつと生まれてきたんです」

売り上げは少なく採算が合わないのは確かだが、マンガ喫茶としては決して悪い物件ではない。蔵書数も高く、マニア垂涎のお宝本も有する。これ以上ないくらいの好立地で広さも十分だ。少ないけれど常連客だっている。
「もっとやりようがあるんじゃないか。というよりまだ何もやっていないじゃないか、という思いですよね。それで調べてみたら赤字のほとんどは人件費だっていうのがわかって。当時20人以上いましたから。それをワンオペとかにして、ほかにもいくつか改善すればなんとかなりそう。なんならちょっとプラスにできるという試算ができたんです」


一介のアルバイトが口を出す問題ではないのかもしれない。でも可能性があるのにみすみす捨てて、何もせず終わらせてしまうのはもったいない。ガリレオを続けたい……そんな思いが膨れ上がってきて、とうとう本部の人に直談判。すると、じゃあ詳細をプレゼンしてみてという、思いがけない返事をいただいた。

「すぐにパワポでプレゼン資料を作りました。〈地域で愛されるマンガの聖地 まんがの図書館ガリレオ 再建案〉のタイトルで、収支の詳細や来客数などを分析したデータやグラフ、コンセプトの見直しやリニューアル案、利用者の声など16ページに及ぶ資料です。これを本社に持っていって『アルバイトの上関です』と。『アルバイトが何?』みたいな空気のなか、プレゼンを行ったら部長さんが感心してくださった様子で「なんでもっと早くこういうのくれないの?」と。そして、ガリレオを立ち上げた会長(当時は社長)のところに連れていっていただいて……」

ガリレオはマンガ好きな社長の肝いりで始まった店だった。だから採算がとれなくてもここまでひっぱってこられたし、危機感のない運営のなかでは大きな成長など起こり得なかった。時がきて閉店というのは既定路線だっただろう。だから上関さんの本気の訴えは会長の心を動かした。「やってみるといい」と会長は言い、閉店は撤回。本社は完全に手を引き、事業承継という形でガリレオは上関さんの手に委ねられることになった。

「当初、会長は協力を申し出てくださったのですが、それだときっとまた同じことの繰り返しになってしまうと考え辞退しました。自分の力でやっていこうと思ったのです。大変な道だというのはわかっていたのであえて退路を断ち、背水の陣で臨みました」

世田谷区と連携して新たなマーケットを開拓

まずは上関さんが代表となる法人を立ち上げなければならない。世田谷区の相談窓口を訪ね、対応してくれたコンサルタントからのさまざまなアドバイスのもと事業計画書などを用意。公的制度を活用し融資を受ける。

「本来数か月かかるといわれる会社の立ち上げを1週間ほどでやりました。とにかく無我夢中で……保証金のためにとてつもない借金をしたのですが、そのプレッシャーがよい意味でエネルギーになったんだと思います。お店の改造も、なるべくコストをかけず自分でやろうと思って頑張りました。新しい本棚はフリマサイトで地元の方から安く譲っていただき、台車を担いで電車に乗って一人で運びました。だから電車に乗せていい荷物のサイズについて詳しくなりましたよ(笑)」

こうした発想力や行動力は、かつて「水質コンサルタント」として自分自身をマネジメントしていた日々に身についたスキルだ。敗者で終わったと思っていたが、一生懸命向き合った日々は豊かな財産を育んでいたのだ。

新たなスタートにあたり、上関さんはいくつかの改革を行った。まずは赤字の根本理由となっていた人件費だ。一人ひとりと面談を行い、今後ワンオペになることや勤務時間の変更などが必要になることも伝えながら意志確認をしたところ、人員は1/3くらいになった。その時点でとりあえず赤字が解消することは見込めたが、上関さんはさらなる改革を進めた。これまでの、利用者を待つだけだった形態から積極的に呼びこむ方向にシフトした。時代に合わせた改革だ。


「まずは分煙化です(現在は完全禁煙)。そして店内の電源を解放し、充電器の貸し出しを始めました。これは予想より反響がありましたね。コワーキングスペースとして活用してもらえるようになり、毎日ノートパソコンを持って3時間だけ作業をしに来る方などがいらっしゃいます。それからお店の知名度を上げることが大切だと考え、世田谷区との連携を考えたのです」

社会福祉協議会に出向き、さまざまな可能性を探っていった。たとえば失業者の社会復帰支援活動「ぷらっとカフェ」の方に、月に一度、思いのままにマンガを楽しめるよう無料で席を解放するなど、マンガだからできる社会貢献を次々と提案し、実行していった。

「私がそうだったように、ここがひきこもりがちな人の社会復帰のはじめの一歩になるといいなと思ったんです。ほかにも『学習に役立つ漫画講座(コケコッコの会)』では、今までガリレオとはご縁の無かった地域の方がたくさん参加してくださいました。もともとマンガ好きというわけではない方たちにもいろいろなマンガを紹介して、興味を持って楽しんでもらえたという経験は自分の中の宝物です。また、『三軒茶屋にじいろ子ども食堂ボードゲーム部』を立ち上げて子どもたちが遊んでくれたことも、純粋に楽しんでくれただけでなく、知育という面でも微力ながら貢献できたと思います。」

周囲の人たちが支えてくださり乗り越えたコロナ禍

ほかにも店内レイアウトの変更やラインナップの工夫など、小さな改良をコツコツ積み上げていった結果、経営はわずかに黒字転換。1年目はゼロ設定した上関さんのお給料も翌年には出るようになり、借金も半分ほど返済が終わった。やっていけるかもしれない——そんな希望が芽生え始めたころ、新型コロナウイルスが騒がれ始めた。

「コロナの情報はかなり初期から危機感を持ってリサーチしていました。海外の動きなどを見て、もしロックダウンになったらガリレオは廃業しなければならないだろうと覚悟を決めていました。そもそもガリレオは薄利多売、お店を継続していくことが目的で、大きな利益が出るような商売をしていなかったので、少しでも休めばあっという間に運営資金がなくなってしまいます」

状況が悪化していく中、知人に相談すると寄付の募集を提案された。苦渋の決断で現状を伝えるブログ記事を書いたところ、大きな反響があり、テレビのニュースなどでも取り上げられた。

「常連さんや地元の方、そしてニュースを見たというマンガ好きの方、漫画家先生などからも応援の声やご支援をいただき、なんとか目途がついたところです。特に去年の台風の際『愛猫を連れてお店に避難しようか』と考えたついでに地域の方にもどうぞとツイートしたところ、かなり拡散していただき、そのときのことを覚えていてくれた方から、温かいお手紙をいただいたことはとても嬉しかったです。今後も予断を許さない状況ですが、苦しい時に支えていただいた方への恩返しの意味も込めて、限界まで営業を続けていければと思っています」

はじめてハマったマンガは小学校低学年のころに読んだ「ハイスクール奇面組」だそう。以来、学生時代も、バリバリとキャリアを磨いていた時期もまったりなひきこもり時代も、上関さんの傍らにはつねにマンガがあった。

「マンガの魅力は自分の日常とはちがう場所、時代に行けること。そして考えたり想像したりするきっかけに出会えること。ここにはそんな宝箱のようなマンガがいっぱいあります。なかなか遠くへ遊びに行けない中、非日常の世界を楽しみにいらしてください」

インタビューを終えたとき、一編のおもしろいマンガを読み終えたような満足感に包まれた。頑張って向き合ったことは決して無駄にならない、人生は自分のペースで歩めばいい、自分の大切なものがわかっている人は強い……そんなメッセージが伝わってくる珠玉作。上関さんが紡ぐ続編を楽しみに待ちたい。

まんがの図書館 ガリレオ
住所:東京都世田谷区三軒茶屋2-14-10-2F
営業時間:12:00〜22:00
定休日:なし

ウェブサイト:http://galileo-sancha.net/
Twitter:@galileo_sancha
Instagram:@mangagalileo
Facebook:@mangagalileo

(2020/08/25)

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