イエローページセタガヤ with プラスヤオヤ

尾辻あやのさん

最寄り駅
世田谷

店ができあがる前から、ざわざわしていた。去年から閉じたままだった「いわ寿司」のシャッターがひさしぶりに開いたのは、2020年6月のこと。新しい店が立ち上がるたび、わたしたちはすぐ前にあったものがなんだったか忘れてしまうけれど、そんな移り変わりの早い街で、思いを受け継ぎながら新しいことをはじめたいと動きだした人がいた。八百屋でありパン屋であり居酒屋であるその場所は、むかしと今をつなぎ、人と人とを結び、都会と地方の橋渡しになるような店として、スタートした。


文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

“勝手に受け継いだ”いわ寿司の思い出と歴史

東急世田谷線の世田谷駅と松陰神社前駅のちょうど中間あたり、「世田谷区役所入り口」のバス停前に、「いわ寿司」と掲げられた看板が見える。ガラガラと音を立ててひらく引き戸と暖簾かけ。世田谷通りを通ったことのある人なら、一度は視界に入った店だろう。尾辻あやのさんがこの物件を見つけたのは、散歩の途中の偶然だった。

大将とオーナーが相次いで亡くなり、「いわ寿司」が閉店したのは去年のこと。片づける人もいないままに閉じたのか、内見したときはまるできのうまで営業していたように、すべてが残されていた状態だったという。

「なにもかもがそのままで、人だけがいない、という空間でした。閉店した日を境に、時間が止まっていた。本当はスケルトンにして借りる契約になっていたけどそれを見たら…、ちょっと壊せないなって思って。ここにある歴史や雰囲気はお金を出して買えるものじゃないから、残せるものはなるべく残して使わせていただくことにしました」

ネタを入れるガラスのショーケースやカウンターはもちろん、寿司桶やポスター、招き猫、自転車までがあり、どれも捨てたくなかったが、現実はそうもいかない。ひとつひとつ丁寧に見て、使える可能性があるものは修理した。カウンターの椅子は張り替えて磨き、照明は木枠を分解してワックスをかけ直し、できるだけ今あるものを活用しながら開店準備を進めていく。宴会用の座敷として使われていた二階からは、大量の湯飲みが見つかった。なにかのときの粗品だったのか、いわ寿司と名前が入っている立派なものだ。

使うにしてもあまりにも量が多い。どうしようかと思っていた矢先、シャッターが開いていることに驚いた常連の方と、話せる機会に恵まれた。
「せっかくだから湯飲みを少し持って帰りませんか、と言ってみたら、すごく喜んでいただけて。ここにあるものは、ある人にとってはとても大切なもの。そういう人たちにちゃんと届けたいなって思って、店の前に貼り紙をすることにしました」

湯飲みがたくさんあるから、ぜひ持って帰ってほしいと書いた貼り紙は、『いわ寿司さんでの思い出なども教えていただけたら嬉しいです』と締めた。それを見た方がぽつりぽつりとやってきて、この店でのできごとを教えてくれた。そのたび、会ったことのないオーナーや大将への思いが膨らんでいく。まだオープンもしていないうちから店への愛着が湧いていき、地域との交流の輪がどんどん広がっていくのを感じた。いわ寿司という場所がもたらした縁だった。

コミュニティーがつくれれば売るものはなんでもいい

尾辻さんが、料理人でパートナーの笠井祐二さんとお店の準備をはじめたのは、2019年のこと。どんなものを売るかよりも先に決まっていたのは、地域の人たちが交流できるコミュニティースペースをつくることだった。店名である「イエローページ」は、「そこに行けば困ったことが解決できるようなところ」にしたいという思いからつけたそうだ。売るものや形態が変わっても継続できる名前であることにもこだわった。

「コンセプトに沿うなら業態はなんでもよかったんですが、八百屋はいいなと思っていました。前にコミュニティーカフェで働いていたとき、軒先で野菜を販売したことがあったんですね。そうしたら、それをきっかけにご近所の方が入ってきてくれるようになって。入口がいつも開いていて、今日は何かあるかなってのぞけるような八百屋だったら、交流が生まれやすいなと思ったんです」

同じくして山梨県北杜市で農業支援をしている「株式会社FARMERS AGENCY」との出会いがあり、野菜の向こう側が見えた。代表である西川幸希さんを通して、農業の現実と向き合わざるを得なくなったのだ。

「八百屋をやるなら農家の支援になるようなことを、と漠然とは思っていましたが、知れば知るほど難しさも見えてきました。農業って、ロスがすごく多いんです。廃棄するなっていっても、収穫するにもパッキングするにもマンパワーが必要なんですよね。災害があったときの保険のために余分に作っているので、たくさん育てても結局採りきれず、棄てるしかなくなってしまう。B品もたくさん出るけれど、農家さんもできるだけA品を売りたいから、B品は棄てざるを得ない。もったいないっていう気持ちだけでは解決できないものがありました」

そこには、地域コミュニティーを作りたい尾辻さんの悩みとの共通点もあった。それは福祉も農業も大変なのに、儲からないから担い手が少なくなっていくということだった。

「福祉も食もなくては生活にならないものなのに、結局一部の誰かが負担しているかたちで成り立っています。今のままでは受け継ぐ人がいなくなっていく。そうじゃない世の中にしたいし、そうじゃない店を作っていきたい」

その思いをともにした西川さんらと一緒に、チームとして八百屋を稼働させていくことが徐々に決まってきた。小売りで売れる量の限界と人件費を考え、八百屋は無人販売にするアイデアも出るなど、新しい小売りのカタチを模索する日々が続いた。

「空想ではいろいろ決まっていきましたが、物件が見つかるまでに時間がかかり、肝心の場所がない、という状態が半年は続きました。笠井の地元である三軒茶屋を中心に物件を探していたけれど、なかなか好みの場所が出てこなくて…。家賃が高すぎたり、飲食がダメだったり」

下北沢や桜新町あたりまで広げたが、一向に出てこない。そうして物件を探しながらふらふらと散歩していたとき、いわ寿司と出会ったのだった。

チラシの代わりにまいた野菜が広告に

こうして、昼間は八百屋とパン屋、夜は居酒屋という形態でプレオープンできたのは、ヤサイの日である8月31日のこと。まずは自分たちのことを知ってほしいと、オープン記念に野菜の詰め放題を開催した。北杜市から直送した無農薬のピカピカに輝いた野菜を詰め放題できるとあって400人もの人が詰めかけ、予想以上の反響があった。

「チラシをまく代わりに野菜をまこう! というのがコンセプトでした。野菜のおいしさはチラシ以上に伝わっていくものがあるし、何よりわたしたちのことを知ってもらえる。赤字でしたが、この宣伝の方法は間違っていなかったと今でも思っています。詰め方や野菜の説明をしつつ、全員と言葉を交わすことができたのもよかったし、SNSや口コミで広がっていったのも嬉しかったです。収量が増える来春からは、また詰め放題をメインにできたらと思って動いています」

誰でも参加できるよう間口を広げたレセプションパーティーでは、金魚すくいならぬ野菜すくいコーナーを設けたり、二階の一面に作った黒板でお絵描き会がはじまったり、子どもたちも楽しめるようにした。もちろんいわ寿司の常連の方たちも呑みにきて、新しい中に懐かしさを見つけて喜んでいたという。
「二階は、今はイベントや貸し切りパーティーなどに使ってもらっていますが、今後はもっと自由に気軽に、地域の方が使えるようにしたいと考えています。どうしたらそうできるか、まだまだ課題は山積みなんですけどね」

また、本格的なオープンの際には、山梨県韮崎市のベーカリー「ド・ドゥ」の「やさいパン」も続々と並んだ。山梨の野菜を使ったベーグルやバゲットは、着色料や保存料などの添加物を一切使用していない。すべて野菜からとったという自然の色の美しさはもちろん、焼きたてを急速冷凍したパンはトースターで温めるだけで食べられ、冷凍庫に常備しておけると評判も上々だ。

そして夜は、笠井さんが中心になって居酒屋を切り盛りしている。地元なだけあって、ヘルプにきてくれるのは笠井さんのお母さんや同級生だ。旬の魚や肉を使った料理やおばんざい、自家製の発酵レモンを使ったレモンサワーなどさまざま取り揃えた中でも、特筆すべきは冬季限定の「草鍋」。鶏とかつおのおだしで葉野菜をさっと湯がいていただく、八百屋ならではのメニューだ。

「夜はまた昼とは違った顔ぶれで、下町のような雰囲気です。地域の方がごはんを食べにきたり、しゃべりにきてくれたり、誰かが誰かを連れてきてくれたりして、少しずつご縁が広がっている。たとえばここで出会って仕事をシェアしたり、ちょっと困ったことを助け合ったりできるような場になったらいいなと思っています」

ダメなときは、人のために何かしてみる

尾辻さんには、思い描いているイメージがある。それは、ロンドンにあるピープルズスーパーマーケットだ。雇用されている人がいないという独特なシステムで運営しているスーパーで、店員はなんと全員ボランティアで組織されている。

「会員制のスーパーマーケットで、月に4時間のボランティアをすると、商品をすべて20%オフで買うことができるんです。仕入れるものや運営についてジャッジする権利も与えられていて、まさに地域の人みんなでスーパーを運営しているという構造。月に4時間のボランティアならそこまで負担にならずにできそうですし、忙しい人は正規の値段で購入して利益に貢献すればいい。しかも、普段接点のない人たちがこの場所を通して知り合いになることで、地域の支援や活性化にもつながっていくんです。こういうことが日本でもできたらいいなと思っています」


八百屋や飲食店というのはただの枠であって、その活動を通して農家支援や地域の人たちの生活を楽しくすることが目的だという尾辻さん。なぜそこまで人のために何かをしたいのかと聞くと、「まさかこうなるなんて思ってもみなかった」と笑った。

もともと尾辻さんは、ファッション業界でも花形であるPRの仕事をしていた。20代のころから洋服やアクセサリーに興味があったことから就職したが、できないことばかりに目が向いてしまい、会社で働くことに難しさを感じたという。痩せて体調を崩しただけでなく、気持ちが折れた。自分になんて何もできないのではないかと鬱々としていたとき、知人から「子どもの相手をするバイトをしにこないか」と持ちかけられたそうだ。

「別に子どもが特別好きだったわけではないし、何ができるわけじゃないんですけど、子どもの相手って、そこにいるだけでもよかったりしますよね。一緒に遊んであげようと働きかけるというより、ただ一緒にいてあげる。でも、それだけでも自分が人の役に立つんだなと思ったら、少し回復して。どうにもならないくらいダメになってしまったときは、人のために何かしてみるといいのかもしれませんね」

結局人は人の中でしか生きられず、ときには誰かの存在がどれほど大きな救いになるか、その大切さがわかっているからこそのアイデアなのだろう。都会での生活は隣人の顔もわからないとはよく言うけれど、地域で過ごすことが多くなった今、それを見直す時期にきているのもしれない。新しい店のはじまりの中に、どこかほっとするような嬉しさを感じた。


イエローページセタガヤ with プラスヤオヤ
住所:東京都世田谷区世田谷4-6-1
営業時間:10:00~16:00(八百屋)、17:00~24:00(居酒屋)
定休日:月曜(八百屋)、木曜(居酒屋)
ウェブサイト:https://www.yp-setagaya.com/
Instagram:@ypsetagaya

 

(2020/12/22)

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