TRAM yoga studio

鈴木まゆみさん

最寄り駅
松陰神社前

光のように周囲を照らし、温め、潤し、元気を与える。向かい合うとおもわず笑顔になり、溌剌とした声に身体が軽くなった気分になる。ヨガスタジオ「TRAM yoga studio」の主宰者・鈴木まゆみさんに初めて会ったときの印象だ。彼女が放つ光の正体を知りたくて話をうかがった。


文章・構成:粟田佳織 写真:中村治

父が教えてくれた世界の大きさ

高い天井、陽光が降り注ぐ大きな窓。淡いブルーの壁は映画で見た海外のダンススタジオみたい。
「じゃあ、そこで足をあげて。はい、1、2、3…」よく通る声がテンポよく響き、参加している生徒さんたちがどんどんノッていくのが伝わってくる。この日開かれていたのは、65歳以上を対象にしたシニアのクラス。足腰を強化したり柔軟性を高めたりして毎日を豊かに過ごす体づくりを目的としたヨガレッスンが和やかに進んでいた。

まゆみさんが「TRAM yoga studio(以下、トラム)」をオープンしたのは2019年9月。シニアクラスのほかに初心者から中級者、上級者向け、さらには瞑想(メディテーション)など多彩なクラスを展開する本格的なヨガスタジオにはインストラクター経験の長いスペシャリストが揃う。そもそもまゆみさん自身がOMヨガという分野でのアジアの第一人者であり、代々木の老舗ヨガスクールで長きにわたりティーチャートレーニングを務め、ヨガイベントやワークショップでも多くの支持を集めるヨガのエキスパートだ。そんな日本を代表するヨガティーチャーが自身のスタジオの場に選んだのは二子玉でも三茶でもなく、世田谷図書館の向かい。住所でいうと世田谷4丁目、昔ながらの商店街や住宅が連なるまゆみさんが生まれ育った場所だ。

スタジオ名の「トラム」は路面電車を意味する。いうまでもなく慣れ親しんだ街を走る世田谷線をイメージしたネーミングだ。実際にスタジオの窓から外を見ると2両編成の車両が行き来する姿が目にはいる。松陰神社前駅と世田谷駅の中間あたりの地に代々続く旧家の次女として生まれたまゆみさんは、ご両親からたっぷりの愛情を注がれて育った。ただ、その愛情は、お金やモノではなく「経験」という唯一無二のギフトとして示されたという。

「4歳くらいのときに、両親と弟と4人でハワイに引っ越したんです。若い頃、世界を放浪していた父にはハワイに『お父さん・お母さん』と呼ぶファミリーがいて、2年間ほど一緒に暮らしました。」

小さいながらに感じた異国の空気はその後のまゆみさんに大きな影響を与えることとなる。私立高校で英語教師をしていたお父様はこれからの社会に重要なのはグローバルな視野と語学だと考え、学校に外国人講師を招いたり、自宅の敷地内に留学生が住むためのシェアハウスを建てたりとリアルな国際交流の場を作った。物怖じせず、好奇心旺盛だったまゆみさんも積極的に外国人の中に入り、語学力やコミュニケーション力に磨きをかけていった。

「外国人教師もシェアハウスも今でこそめずらしくもないですが、当時はとても画期的、というか異端なこと。出る杭を打たれるようなこともあったみたいで、苦悩する父の姿も目にしていました。でも私は新しいことに挑戦する先駆者のような父が自慢でした。幼少期のハワイ移住も自宅での留学生との交流も、お金では買えない経験の場だったと思います。だから中学生の頃には海外留学、アメリカに戻りたいという気持ちが芽生えていました」

中高一貫教育の女子校生活は息苦しさでいっぱいだった。みんなが右へ倣えの画一的な教育、何のためなのかわからない厳しい校則。早くアメリカに行きたい、その思いで必死に英会話の勉強に励んだ。そして高校を卒業し渡米。留学先はお父様のよく知るオレゴン大学だ。

多様性を肌で学んだオレゴンでの学生生活

大学のあるオレゴン州は西海岸の北西部に位置する自然豊かな地。一方で、既成概念を否定し、自然社会への回帰を提唱するヒッピーと呼ばれる人たちが集まるメッカとしても有名な場所だ。

「もうびっくりですよ。アメリカ本土ってこうなの? ハワイとは全然ちがう! って(笑)。ヒッピー ムーブメントから20年は経っていたものの気配は色濃く残っていましたから。髪を一度も切ったことがない人とか、服ではなく布を着て(?)いる人とか。毎日が新しい概念との出会いでしたが嫌だとはまったく思いませんでした。大学での学び方も多様で、同じクラスに15歳の子や40歳のおじさんがいるんです。1年のブランクで後ろ指差されるような文化にいた私にとっては、衝撃でした。周りに振り回されず自分の思いに責任を持って行動する自由ってかっこいいなと思いました」

オレゴン大学では生物学と環境学を専攻。世界各国から留学生が集まっていたこともあり、海外生活にありがちな差別や孤独を感じることは少なかった。さまざまな国の人たちと交流しながら多様性を肌で学び、大学のマーチングバンドのダンス部で活動したり、校内のカフェテリアでバイトをしたりと留学生活を謳歌していた。

「父と母からは語学や国際経験など、さまざまなギフトをもらいました。でも一番は自己肯定感、私は私らしくあれば大丈夫だという自信だと思います。それはアメリカ生活を通してより高まりました。ただ、卒業が近づいても進路のことはまったく考えていませんでしたね。そもそもアメリカの大学に行く! というのがずっと目標だったのでもうゴールしちゃっていたわけです。卒業後もビザの関係で帰国しないまま、さてどうしようと(笑)」

そんななか、日本にいるお姉さんが結婚することになり、式に参列するために帰国を決意。語学学校を含めると6年半に及ぶアメリカ生活に終わりを告げ、日本に帰ってきた。

体を壊して出会ったヨガ

久しぶりの日本に逆カルチャーショックを受けながらも、そのときの自分にできることをと、英会話学校の講師に。そこではアメリカでの生活経験、文化を肌で知っているのがアドバンテージになった。語学力だけではなくコミュニケーション能力、人間力も必要とされる。そして、研修では人に教えるという新しいスキルを培った。

「英語ができるのはあたり前。英会話スクールでは自分が何を知っているのかを生徒に見せるのではなく、いかに生徒が英語をしゃべれるようになるかが問われるわけです。その視点はおもしろかったし、相手に伝える創意工夫や試行錯誤は後のヨガでも大いに役立ちましたね。やりがいを感じて頑張るうちに関東で1番の講師に選ばれたんです。そうなると自信がついてさらに楽しくなって、超ビギナーから大企業の社長さん、グループレッスンにプライベートレッスンと、たくさんのクラスをもつようになったんです。でもやはり無理があったみたいで、ある日、起き上がれなくなってしまいました。自律神経がおかしくなってしまって……完全に働きすぎでした」

英会話講師の生活は不規則で、運動らしきものは何もしていない状態。少し休んだ後、体力をつけようと出会ったのがヨガだ。当時、日本にはまだ今のようにヨガスタジオが多くはなく、本格的に練習できるところは限られていた。

「初めて行った教室はおじいちゃんやおばあちゃんが多い老舗のスタジオ。絨毯敷きでマットもなく、健康体操みたいな感じ(笑)。体験で行ったもののすごく体が硬かった私はつらくて、もう行かないつもりだったんですが、そのとき知り合った子に『次いつ来る?』と聞かれ、つい『じゃあ、来週』と答えちゃって。この会話がなければ、今はないんですよね」

女子同士の何気ないやりとりから始めたヨガは、その後さまざまな出会いやタイミングを経てまゆみさんのライフワークとなった。代々木にあるヨガ資格の専門スクール「アンダー ザ ライト」に創設から在籍し、インストラクターを育成する講師として精力的に活動を続けた。とりわけ生涯の師と仰ぐOMヨガの考案者でありニューヨークを拠点に活躍する世界的なヨガ/仏教指導者であるシンディ・リーとの出会いは大きく、15年以上にわたり日本とアメリカを何往復もしながら指導を仰いだ。2016年の夏至の日、ニューヨークのタイムズスクエアを封鎖して行う巨大ヨガイベントにおいて、大トリのシンディー・リーのステージに上がる3人のうちのひとりに選ばれたまゆみさんはタイムズスクエアに集った何千人という人たちの前でOMヨガを体現する大役を務めあげ、名実ともにOMヨガの継承者のひとりとして世界的に認知されることとなった。

「シンディからは多くのことを教えてもらいましたが、最も大きかったのは『立ち上がる方法』です。人は誰だって迷うこともあればダメなときもある。苛立つことも不安なことも。それらを否定せずにどう受け入れ、その後どう立ち上がるのかを教えてもらいました。ヨガや仏教の哲学は歳を重ねていけばいくほど日常生活で生きてくる。心を強くしなやかに、前向きにする方法を教えてくれます。だからいくつになってもできるし世界中で行われているのだと思います」

自分を育ててくれた街で新たなスタート

2015年、最愛のお父様が病気で他界。まゆみさんは深い悲しみに襲われた。だが、長い時間をかけながらも立ち上がることができたのもやはりヨガの力だという。お父様の他界はさまざまな変化をもたらした。相続の問題などで住む家が変わるなど物理的なことに加え、ずっと肯定し守ってくれていた大きな存在がなくなったことによる虚無感。でもこの大きな変化の中で自分よりも弱っているお母さんを支えようという意識が原動力になった。そんなある日、契機が訪れた。

「駐車場だった場所に新しくビルが建つことになり、保育園やクリニックが入るなかで4階がまるまる空いている。ここでスタジオをやらない? と声をかけられました。いつかは自分のスタジオを……っていう夢は漠然とは考えていたものの、まさかこのタイミングでとは思っていなかったので突然のことに心の準備もなくとまどいました。しかも、やるかやらないか、答えを早く出さなくてはいけない状況。でもなんだか父がやってみろと言っている気がしてきて」

すべてのタイミングが揃っていた。
ヨガを教え始めて15年目。
お父様の旅立ちによって芽生えたこの先を生きる覚悟。
そして、期せずして目の前に現れた、またとない環境。

「自分の年齢を考えても最後の、千載一遇のチャンスなのかもしれないと。最終的にはパートナーが背中を押してくれて決めました。ここに自分のスタジオを作ろうと」

コンセプトの段階から内装を手掛けてくれたのは、オレゴン大学で知り合った建築家・インテリアデザイナーの親友「KEIKO+MANABU」だ。海外にいるかような雰囲気のスタジオになるのはまちがいなかった。加えて師匠のニューヨークのスタジオを受け継ぐような要素も取り入れたい。ディスカッションを重ね、理想通りのスタジオが完成した。運営に関してもたくさんの友人や頼れる後輩たちが心強いサポートをしてくれた。構想から1年ちょっと、全力疾走で迎えた2019年9月、世田谷発のヨガスタジオ「TRAM」が産声を上げた。

「産声が止まないうちにコロナが始まっちゃいました。軌道に乗る前だったのでダメージの度合いがわからないんですけれど、クローズしていても家賃はかかるし先生たちも抱えているし、給付金などを活用してしのぎ、オンラインクラスを導入するなど試行錯誤を続けているうちにいつの間にか1周年を迎えていました。まだまだ厳しいし先も見えないのですが、絶対につぶしません。トラムは私にとって子どもと同じ。なんとしても守りたい存在ですから」

きっぱりと語るまゆみさんの言葉に、クラスにきていたシニアの生徒さんたちの満ち足りた表情が思い出される。そのとき感じたまぶしさは、最初は豊かな環境で育まれた光かと思ったがちょっとちがうようだ。ご両親が与えてくれた信頼とさまざまな可能性を、自ら一つひとつ掴み取り、歩んできたなかで築き上げた自信なのかもしれない。挫折や苦悩もしっかり混じった人間くさい光だ。

松陰神社の商店街で有名な犬がいる。毎日決まった時間にお父さんたちと散歩で訪れるライムくんというシーズー犬だ。
——ライムだ!
——お、ライム、元気?
お店の人や通りを歩く人がおもわずという感じで声をかける。みんなが笑顔なのはいうまでもない。まゆみさんも同様に、ライムと逢うとついつい座りこみ話しかける。

「ライムみたいにしたいんです、トラムを(笑)。ライムに声をかける人ってたくさんいるけれど、その人たちはお互いに知らない人同士。でもライムを介して笑いあったり会話したりする。なんの利害関係もなく、ただライムを愛しいと思う気持ちがみんなをつないでいるんですよね。トラムもヨガを教えるだけでなく、さまざまな年代や職業の人、国籍や性別も関係ない人たちが自然と集まり、ハッピーが作り出される場でありたいんです。なんて結局、父が生前やっていたことを今また私バージョンでやっているみたいで笑っちゃいますね。歳をとってどんどん父に似てきてる」

トラムのある世田谷の街で、まゆみさんが生まれるずっと前から脈々と育まれてきた人と人とのかかわり。手から手へ受け継がれた温かな営み。大切に守りたい心根。世界を経験したヨガティーチャーは、ここ、世田谷でやることに意味があると語る。自分が受け取ってきたギフトを今度は与える側になりたいのだと。

「いざスタートしてみて、生徒さんのなかにも父を慕ってくれていた方、家を支えてくれた方たちがいっぱいいることを改めて実感しました。ヨガを通じてその方たちに恩返しをしていきたい。それがまた若い世代やほかの地域にもつながっていって、ハッピーが循環していけばいいなと思います」

TRAM yoga studio

住所:東京都世田谷区世田谷4-14-32 EWA GARDEN 4F
定休日:不定期
ウェブサイト:https://tramyogastudio.jp/
Instagram:@tram_yogastudio
Facebook:@tramyogastudio

(2021/03/30)

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