fleuriste PETIT à PETIT
新井順子さん
その日はこまかい雨が降っていた。屋根の一角を覆う木香薔薇からぽたりぽたりと雨粒が落ちるさまに、思わず足を止める。格子のついたアンティークな扉を開けると、見上げるほど高くまでさまざまな花が咲き誇っていた。花は不思議だ。お祝いごとやうれしいときにもほしくなるし、かなしみにも寄り添ってくれる。ただそこにあるだけで誰かを癒すことができる、強い力を持っている。新井さんは今日もそんな「誰か」のために花を選び、束ねていた。
文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子
移り変わっていく花のありかた
取材に伺った5月のはじめは、お花屋さんにとっていちばん忙しい時期のひとつだ。母の日を控え、棚にはこれから全国に贈られていくリースがぎっしりと並んでいる。店の奥にはアレンジメント用のかごや、花器の入った段ボール箱が高く積まれていた。スペイン料理店「ランブロア」(用賀)とコラボレーションしたワインと花束のセットも、毎年販売している「OYATSUYA SAN」(桜新町)の焼き菓子とのセットもあっという間に売れ切れ、できる限りの数を羽ばたかせるのだという。
「こんなご時世ですから特に感じるのは、送り主の気持ちがちゃんと届くよう心をこめて作りたいということです。お母さんに長らく会っていない方も、きっとたくさんいらっしゃるし。母の日に贈る花は芍薬や薔薇や、いろいろあるんですけど、個人的にはカーネーションをもっと普及させたいんです。花持ちのいい種類で、今はほら、こんなふうにアンティークな色のかわいいものもたくさんあるんですよ」
教えてもらった先に見えたカーネーションは、たしかに想像していたものと違った。今風に言えばくすみカラー、それゆえ薔薇のようにも見える。
「花は毎年すごく進化しているんです。たとえば、日本ではお墓参り用のイメージが強い菊も、今いろんな形や色のものがあります。うちでも必ず2~3種類は置いていますし、結婚式に菊を飾ってもよい時代なんですよ。ラナンキュラスも、今はオレンジやグラデーションカラーなどもあって本当に華やか。くすんだ色の花だって昔では考えられなかったけど、そうやって時代とともにお花のあり方も変わっていくんですよね」
そう言いながら、新井さんはテキパキと花を選んで手の中で合わせていく。初節句に飾るため、というオーダーのアレンジメントには、柔らかい色合いのガーベラとフリルが美しい薔薇、鮮やかなグリーンのスノーボールがちょうどよくおさまった。その隙間にちょこんと顔を出した釣鐘型のベルテッセンは、初節句という場を思ってチョイスしたのだと教えてくれた。
「男の子の初節句だから菖蒲を入れたいけど、アレンジメントには向かないので…。菖蒲の花のイメージを、紫色のベルテッセンに託したんです」
受け取った人がそれに気づくかはわからない。でも、そんな繊細な花選びをしてくれるからこそ、大切なときに添えるのは新井さんの花がいいと思わせるのだろう。
「お花屋さん」それぞれのかたち
新井さんがこの店を構えたのは今から9年前。ここに至るまでに紆余曲折を経て、やっと腰を下ろしたのがこの街だった。
「はじめてお花屋さんの道に入ったのは、大学生のときです。そこはいわゆる街のお花屋さんで、年末のアルバイトをしたのがはじまりですね。クリスマスリースやお正月飾りを作ったりしていたんですけど、単純に自分が作ったものや勧めたものが売れるのが嬉しくて。でも、そのころはお花屋さんになりたいとは思っていませんでした。旅行が好きだったので、旅行記事を書く仕事がしたいなあ、なんて」
けれどその後アルバイトした編集プロダクションで、「椅子に座って仕事をするのがきつくて向いていない」と気づいたという。以来、さまざまなかたちで花に関わる仕事を続けた。
「スーパーの脇で売るお花屋さんもやりましたし、街のお花屋さんにも二軒行きました。2年間必死に働いて旅行して、また帰ってきてどこかで働いて…って、2年に一度転職する感じだったんですけど、とにかく旅行と花が好きだったのでそれが心地よくて。そうしているうちにパートナーがフランスに留学することになったので、一緒に渡仏してフランスのフラワーアーティストについて仕事することにしたんです」
フランスで受けた刺激や文化の違いは大きかった。日本と違ってフランスでは、「お花屋さん」にランクが存在するのだ。たとえば日常使いするデイリーな花は、マルシェやキオスクで買う。フランスでは自宅に花を飾るのが文化として根づいているので、そういう場所ではどんな人でも買えるような安価なものが手に入るのだ。一方、プレゼントに持っていくようなものや豪邸に飾るようなものを買う店には、さまざまなレベルがある。メゾンという最高峰クラスのお花屋さんともなれば、花代の他にデザイン料がかかり、それはアート作品を買う感覚として捉えられているという。
「メゾンで働いてみて、これがお花屋さんとしての最高のかたちなんだと思いましたね。日本では花代の他にデザイン料がかかることなんてまずあり得ませんが、自分の作品であるという付加価値をつけることがもっともよいのだと思ったんです。あれを日本でも目指さなければって。それでそういうスキルを磨くために、帰国後はホテルでイベントの装花を作る仕事に入りました」
自分ひとりではできないような大きな案件を務めたときの達成感や、花嫁の願いを叶える花を作ることなど、それなりにやりがいはあった。ところが、働いているうちにだんだんと苦しくなってきてしまったという。それは、自然を愛しているが故の悩みだった。
「イベントの花って、季節のものじゃない花を使うことも多々あるんです。たとえば真冬の結婚式なのに、向日葵を飾りたいというオーダーがあれば、なんとか向日葵をきれいに装飾する方法を考えます。でも、やっぱり花にも旬があって…。その季節にある花がいちばんきれいなんです。そういうジレンマだったり、イベント用のアレンジメントを、自然光の入らない部屋で延々と花だけを見て作らなくてはならない環境だったり。本来あるべき花の姿から遠ざかった場所にいるうちに、なんか自分も不健康になっていって。ああ、やりたいのはこれじゃなかったなって思いました」
活気ある桜新町にできたパリ
自分はどういうふうに花と関わりたいんだろう。
それを改めて考えたとき、新井さんの頭の中に浮かんだのは、普通の、街にあるお花屋さんの姿だった。
「買いにいらした人と会話したり、自然光の中でいきいきとしている季節の花を束ねたり。自分はそういうお花屋さんになりたいんだって、めぐりめぐってそこに戻ったんです」
小雨がやみ、窓から差し込む光が花を照らすのを見ていると、たしかにそれは美しい。新井さんも同じことを思ったのか、「こうして太陽に当たってる花がいちばんきれいでしょう?」と言った。
そうして、40歳になったら店を持とうという目標を持ちながら、新井さんは九品仏にアトリエを構えてスクールを開き、その傍ら移動販売というかたちで蚤の市やマーケットで花を売った。世田谷観音の朝市や二子玉川のカフェ前にも定期的に出向くうち、ファンが少しずつついた。スクールはリピーターだけで満員になってしまうことが多くなり、移動販売で会った人にはお店はないのかと日々問い合わせがあった。
40歳が目前となったころ、いよいよ店舗を探しはじめたが、実は桜新町は候補ではなかったという。
「はじめは二子玉川や自由が丘で探しはじめました。住んでいるのが二子玉川なので土地勘もあったし、お客さまもいて。でも、あるとき『ねぶた祭り』にきたらすごく賑わっていて、あれ? 桜新町って意外といいな、ってピンときたんです。そしたらちょうどこの物件が空いて。ここって前は不動産屋さんだったんです。不動産屋さんって物件のチラシを貼る必要があるから、窓がすごく大きいんですよね。これならお店の中にたっぷり光が入るし、ラッキーな物件だなって思ってすぐに決めました」
こうして、新しいPETIT à PETITがはじまった。
まるで昔からパリにある建物をひょいと持ってきたような風貌だが、パートナーや当時スクールに来ていた生徒、友だちなどと内装をDIYし、今も少しずつ手を加えている。お花屋さんというよりもお花のおうちといったほうがしっくりくるような、花のためにしつらえられている部屋。そんなふうに感じる風景だ。
花のある暮らしが与えてくれるもの
取材をそろそろ終えようとしていたお昼前、お店には少しずつ人が入りはじめた。通りかかってなんとなく眺めていく女性、結婚記念日のための花束を求めにきた男性、オーダーしていたものを受け取りにきた人。その都度新井さんが一人ひとりと丁寧に向き合って話しているのが印象的だった。
花を買うのはむずかしいのだ。花には値札がないことが多いし、どう選べばいいかわからない。だからこそ、新井さんのように相談できるお花屋さんの存在は貴重だ。
「やっぱり、納得いくものを選んでほしいなって思うんです。たとえ予算が少なくても、芍薬みたいな大ぶりで存在感のあるお花なら、一輪飾るだけでもぐっとお部屋の印象が変わります。なにもたくさん買わなくても、お花を楽しめる方法はいろいろあるんです。うちは定休日に入る前に花を全部売り切るので、仕入れからちょっと時間がたってしまったものは、お求めやすいブーケにして置いています。それもちゃんと毎日お水を替えて、そのたび茎をちょっと切って、花瓶を洗剤で洗って……って、丁寧にしてあげたら、それなりに楽しむことができるんですよ」
そんなふうにさばさばと提案してくれる気さくさゆえか、男性客が多いというのもうなずける。
「ここにお店を出してみて、たしかに男性のお客さまが多いことにはびっくりしました。桜新町というエリアの特徴もあると思いますが、プレゼントだけでなく、ご自宅に飾る花をお求めになる男性もたくさんいらっしゃいます。おうち時間が増えたことで、家に花を飾ろうと思ってくださった方も多くなって、特に去年の春はお店前に行列ができてしまったくらいでした。もともと興味がなかった方でも、花を飾るって気持ちいいなとか、癒されるなって知ってもらえるきっかけになったんだとしたら、やっぱり嬉しいです」
コロナ禍になり、開店時間を替えたり入店制限を設けたりと、通常とは違う営業の仕方をせざるを得なくなったが、新井さん自身の暮らし方にも変化があったそうだ。
「以前は店がすべてになりすぎていたので、自分のことは二の次になっていました。でもちょっと時間ができて、生き方やなりたい自分の姿について深く考えるきっかけができたんですよね。それに、いろいろつらいご時世にあっても、花を買ってくださる方がいるということ、花を通して癒しの時間やしあわせな気持ちをお渡しできることが、自分にとってかけがえないことなんだってしみじみ感じています」
たった一輪の花があるだけで見える景色は変わり、気持ちが変わる。ここにあるたくさんの花も、週末までにはぜんぶ誰かにもとへ行き、誰かを癒すんだろう。新井さんがラフィアを結ぶと、またひとつ、お祝いの花束ができあがった。
fleuriste PETIT à PETIT
住所:東京都世田谷区駒沢3-27-2
営業時間:11:00~18:00、土日祝 11:00~17:00
定休日:月曜、火曜、第3・5日曜日、不定休あり
ウェブサイト:https://petit-fleuriste.com/
Instagram:@fleuriste_petitapetit
Facebook:@fleuristepetitapetit
(2021/05/25)