ひとひら東京

相澤北斗さん

最寄り駅
上町

世田谷通りがふたつに分かれる道のそばに、包丁のイラストが描かれた看板がついた。律儀に並んだ「包丁と砥石」の文字は、簡素だがどこか温もりを感じる。今年2月、大雪が降るなかオープンしたこの店に、相澤さんは「ひとひら」と名づけた。包丁を研いで使い続けるというひと欠片の日本文化が、海外でも花を咲かせられるように、という意味が込められている。実は、包丁の研ぎ直しという地域密着型の店は表向きの顔。ひとひらの包丁のほとんどは、海外に向けて輸出されている。ここに至るまでの長い道のりを追った。

文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

小さくなるまで使い続けられる一生もの

店の中のショーケースには、ぴかぴかに研がれた包丁が並んでいる。覗いてみると、包丁にはひとひらの刻印が彫られていた。刻銘はいわば包丁の保証書のようなもの、らしい。ほかにも、日本のさまざまな土地で作られる包丁の中から、店主の相澤北斗さんがこれはと思ったものを置いている。

「包丁店といっても僕たちが包丁を作っているわけではなくて、ひとひらオリジナルのものは、職人さんに依頼して作ってもらっています。そのほかにも、機能的なデザインで鋼(はがね)の質がよいものを選んで置いているんです」

鋼の質と言われてもピンとこないが、簡単に説明すると、質がいいものは切れ味のよさが持続する。今や包丁は100円ショップでも買えるし、安価な包丁も研ぎ直すことはできるけれど、切れ味がすぐ衰えてしまうのだそうだ。

「よく、テレビショッピングで『こんなに切れる!』っていうのやってますよね。まるで包丁そのものがいいものみたいに見えちゃうんですけど、その一瞬だけなら、どんな包丁でも切れ味がいいようにできるんです。問題はそれがどのくらい続くのかということ。使う頻度にもよりますが、質のよい包丁は半年か一年に一度研ぎ直しに出せば、あとは自宅でのメンテナンスだけで、ずっといい切れ味のまま使い続けることができます」


そもそも包丁は、研ぎ直してずっと使い続けるもの。研いでいるうち包丁が小さくなっていってしまうので、現物の遺品はほとんど残っていないが、江戸後期には現在の和包丁の形が一般化し、家庭でも砥石で研いで使っていた。欠けたり先が折れてしまったりしても修理ができるから、少し高価でも一生ものになる。

「切れない包丁で料理している人の手つきは独特なので、わかっちゃうんですよね。あ、この人いつも切れない包丁使ってるんだなって。本来はそんなにギコギコと刃を動かさなくても切れるもの。それにいい包丁を使うと、素材の切り口がきれい。舌触りよく切れるので、ただ切っただけの野菜でもおいしくなるんですよ」

刺身に代表されるように、日本料理には包丁仕事が多い。ただ材料を切るだけでなく、切り込みを入れたり飾り切りをしたりという包丁さばきも、独特の技術だ。そういう食文化を担うためにこの形の包丁が開発されてきた背景がこの国にはあるのに、現代の一般家庭にその文化が根づいているとは言い難い。日本で生まれた包丁は、国内よりも圧倒的に世界で注目されているのだ。

日本を外側から見たときに知ったこと

相澤さんが包丁に出会うまでの紆余曲折は長い。するはずだった就職活動を途中でリタイアし、その後はバックパッカーとしてひとりで世界中を旅した。中国からはじまってアジアを周り、ヨーロッパにも行って世界を半周したのち、たどり着いたのがカナダのトロントだった。

「気がついたら、一年半も旅をしていました。そろそろ日本に帰ることも考えたのですが、このまま日本に帰っても、旅に出る前といったい何が変わったのかな、という気持ちがあって。もっとしっかり仕事がしてみたいと思い、トロントで職を探すことにしました。でも、移民の僕ができるような求人は肉体労働ばかりで…。日本食レストランや居酒屋では働きましたが、何か日本人であることをもっと活かせる仕事がしたかったんです」

そこで見つけたのが、トロントの包丁店だった。たくさんの国を旅するなかで、日本人だと言うとホンダとかジャッキーチェンとか言われるのと並んで、カナダでは「うちにある包丁は日本製だよ」と声をかけられたことが幾度かあり、心に留まっていたと言う。

「はじめて『Tosho Knife arts』という包丁店に行ったときは、本当にびっくりしました。まるで宝石みたいに包丁がずらりと並んでいて、金髪の西洋人が包丁を研いでいるわけです。こんなに格好いい世界があるのかと、すっかり魅了されてしまいました」

相澤さんは早速そこでインターンとして働き、今ある知識のほとんどをこの店で学んだ。日本ではまったく出会わなかった日本文化に、遠く離れたカナダで触れることになるとは思いもしなかったそうだ。

「店には毎日プロの料理人や近所の方など、あらゆる人が包丁を持ってやってきました。ただ、このとき店の責任者がばたばたといなくなってしまい、急に僕がメインで接客することになってしまったんです。トロントには包丁店が二軒しかなかったので、依頼は毎日どんどんやってくる。でも僕は英語も今よりずっと下手で、説明したくても説明できないし、人が大切にしている道具に触るということにもすごく緊張して、失敗もたくさんしました」

電話口に出ると、「昔はいい店だったのに、今はAsian kidsしかいないじゃないか」と、はじめて差別的なことを言われる事態にも遭遇し、とにかく毎日必死に研ぎの勉強をしたという。

「でも、無理してがんばっていたわけじゃなく、おもしろくてハマっていたんですよね。包丁を研いでいるときってちょっと不思議な感覚で…、精神統一できる瞑想の瞬間のような感じがするんです。靴磨きとか、何かをピカピカに磨くことに集中する時間って、リラックスタイムでもあって。すごく楽しく働いていました」

日本の中からできること

そのころ北米では、日本のテレビ番組「料理の鉄人」と、それをリメイクした「アイアンシェフ」が大流行していた。料理人同士がその腕を競う料理番組の中で、包丁や日本食の技術に光が当たり、料理人だけでなくさまざまな人が和包丁を求めて訪れた。

「どんなに偉いシェフも、日本の包丁について教えてくれと低姿勢でやってきて、ものすごく勉強して帰っていくんです。柄の部分だけカスタムするなどの楽しみ方をしている人もいました。そういう人と触れ合うたび、自分の国や文化が受け入れられているようで嬉しかったですね」

もう、このまま定住しよう。
そう決めてビザを申請し、店を担う一員になるはずだった。

「ところが、ビザが下りなかったんです。何度も挑戦したけれどダメでした。移民政策でビザにまつわる制度が変わってしまって、研ぎ師は日本の技術職として認められなかった。寿司職人や和菓子職人ならビザが下りるのに、包丁はまあ、日本人でなくてもできる技術ということなんですよね」

仕方なくいったん帰国して、観光ビザでふたたびトロントに戻ったりしながら2年の間待ち続けたけれど、残念ながらその制度は変わらなかった。相澤さんは気持ちを切り替え、合羽橋にある老舗店「つば屋包丁店」で修行をはじめた。包丁研ぎだけでなく、実際に製作されている現場に行ってみたり、職人たちとの交流を持ったりもした。

「友だちも生活もトロントで土台ができていたのに、というショックはありましたが、日本にいながら自分にはいったい何ができるだろうかと考えました」

そうしてちょうど6年前、ひとひらを創業させた。シェアハウスの6畳一間のなかに包丁の在庫をびっしりと抱え、図書館のパソコンを借りてホームページを作った。日本から海外に向けて包丁を届ける、その使命を見つけた瞬間だった。

誰かと誰かが出会える場所に

さて、包丁にはさまざまな種類がある。一般的に和包丁と言われる片刃包丁は昔ながらのもので、今も日本料理ではこれが使われている。

「野菜を切る菜切り包丁は海外でも『Nakiri』と呼び、魚をおろす出刃包丁も『Deba knife』です。菜切りは刃が薄くて食材を細く切ることができるので、キャベツの千切りなどにとても向いているんですよ」

一方、海外では肉食文化が発展してきたので、「chef’s knife」と呼ばれる両刃包丁を使う。肉の筋などを切るために先端が尖っているのが特徴だ。

「日本ではなぜかこの包丁に牛刀と名づけてしまったので、肉を切る印象がとても強いのですが、海外ではこれ一本で野菜も切るしお肉も切る、いわば日本の三徳包丁のようなものです」

三徳包丁とは日本の両刃包丁で、日本に西洋の文化が入ってきたのちに生まれた。肉も魚も野菜も切ることができ、海外でも「Sankoku」と呼ばれている。

「牛刀も三徳も万能な包丁ですが、三徳は牛刀のように刃先が尖っていません。日本では、先が尖っているものは怖いという声もよく聞くので、この形になったんじゃないかな、と。それに日本のキッチンは狭いので、牛刀よりも三徳の方がコンパクトに作られていますね」


そんなたくさんの包丁に囲まれて生活をしながら、相澤さんはやはりトロントでの生活を思った。

「トロントにいたときは、包丁を通してたくさんの人との関わりがありました。いろんな人がいろんな刃物を持ってきて、その場で出会って井戸端会議のようになっていく、ひとつのコミュニティーのような雰囲気があったんですね。できたら、そういう場所を作りたいと思いました。ひとひらが創業したときからお世話になっている、『森平』という砥石問屋があるのですが、店主の小黒さんが60年以上も前に修行していたころの、むかしの研ぎ屋さんもそんな雰囲気だったと聞いています」


ならば店を持とうと、相澤さんは上町に店舗を借りた。世田谷区にゆかりがあったわけではないが、生活している人がたくさんいる場所で、こういう文化が受け入れられるようなところと探してたどり着いた。知り合いがひとりもいないところからのスタートだったが、まわりのお店の人たちともいい出会いがあり、ひとひらはすでにすっかり街の顔として馴染んでいる。

また、ひとりでの仕事に限界を感じていたころ、いい出会いにも恵まれた。相方の津田さんは、昔から好きだった包丁に関わる仕事がしたくて会社を辞め、包丁の産地である大阪の堺市で職人たちを訪ね歩いていたところ、ひとひらのことを紹介されたという。

津田さんは藝大の彫刻科を卒業して、モニュメント製作の仕事をしていたというから、研ぎ師ではなかったものの、ずっと刃物に関わって生きてきた人だ。

今はインスタグラムを見ると、「相澤と津田ふたりでやっています」とか「津田ひとりで開けています」などと、ふたりの毎日の出勤状況を知ることができるので、なんだかほっこりしてしまう。

店の中の棚はすべてふたりの手作りで、店頭に並んでいる包丁の他にも、海外に発送予定のものや在庫がびっしりと陳列されている。しばらくは事務所として使っていたこの場所をお店としてオープンした日は、驚くほどの大雪だったが、開店記念として研ぎ直し無料のキャンペーンを告知したところ、インスタグラムの投稿が瞬く間に広がり、たくさんの人が訪れた。
みんな自分の包丁の切れ味に不満を持っていながらも、どうしていいかわからなかったのかもしれない。

「海外に向けて日本の包丁を届けつつも、もっと日本の中でも包丁を研いで使い続けるという文化を広めたいなと思っています。そして欲を言うなら、小黒さんが話してくれた研ぎ屋のように、いつかここが人の集う場所になったらいいなって」

ひとひらは、英語で「Hitohira」と書く。海外では最初のHを発音しないことが多いので、「ひとひら」と読ませるこの店名にさえ、ひそやかに日本らしさが込められている。昔から日本人が大切にしてきた文化がここからまた根づいていく日も、きっと近い。

ひとひら東京

住所:東京都世田谷区世田谷1-22-10
営業時間:13:30~18:30
定休日:日曜
電話番号:03-6413-6904
ホームページ:https://hitohira.business.site/
Instagram:@hitohiratokyo

 

(2022/05/26)

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