CROWN CYCLE

伊藤寿彦さん

最寄り駅
駒沢大学

チェーンに油をさす。タイヤからはずしたチューブを水につけてパンクを点検。ドライバーでしめこみ具合を見て変速機をチェック。ブレーキはちゃんと絞まるか、適切な遊びはあるか。タイヤの溝は充分か。ゴムは乾燥していないか—— 。シンプルな工程の積み重ねがもたらすのは、安全で快適な走行。それは命を守ることを意味する。「自転車の便利・快適さはすべて安全性が保証されてこそ」と語るのは駒沢の自転車店「CROWN CYCLE(クラウンサイクル)」オーナーの伊藤寿彦さん。こだわりのメンテナンスとサービス、自転車の魅力について話をうかがった。

文章・構成:粟田佳織 写真:中村治

アフターケア万全! 街の自転車屋さん

国道246沿い、駒沢と桜新町の中間あたりに店を構えるCROWN CYCLEは、今年の12月に10周年を迎える。店名とその由来となっているクラウン(王冠)が描かれた赤い看板が目をひく店舗は、間口は3メートルほどだが奥行きは10メートルとかなり細長く、店内はロードバイクやスポーツバイク、電動アシスト自転車、シティサイクル(いわゆるママチャリ)など多種多様な自転車、さらに車椅子までが床から壁からところせましとひしめき合う。スタッフは伊藤さんと妻のまよさんをメインに、臨時のサポートメンバー数人で切り盛りしている。

「都心部の自転車屋さんはスポーツバイク専門、ママチャリ専門、電動アシスト専門と分かれているところが多いのですが、うちはどのジャンルも揃っています。売るだけでなく整備や修理などアフターケアに重きを置いているので長く通ってくださる方が多いんです」
 
便利さを求める人、機能性を求める人、スタイルを求める人。ひとくちに自転車といってもニーズは多彩だ。どのタイプの自転車にも特徴やグレードがあり、求められる知識も必要な技術も変わる。それらすべてに精通し、アフターケアまで行うのは簡単なことではない。実際、店がクローズしてからも組み立て作業などは夜遅くまで続くことがあるという。

「お客さんたちが自転車をどう乗るか想像するんです。お子さんを載せているお母さんとか友達と走る子どもたちとか、休日に遠出をする人とか。僕自身も自転車が大好きだから楽しく快適に乗ってほしい。でもシンプルな乗り物だからこそちょっとした不具合で壊れるし、命を落とす事故だってあり得る。だから安全っていうのは絶対で、メンテナンスが大切なんです」

安いタイプを買い、壊れたら捨ててまた買って……という人も少なくないようだが、ママチャリでもメンテナンスをしながら乗れば何年も乗ることができるので愛着をもって欲しいと、細やかなメンテナンスを施す。
修理・点検以外に、古い自転車の傷を修復したり部品を交換したり、塗装をし直して復元する「レストア」も得意としている。店内の壁に飾られたクラシックな雰囲気の自転車は39年前に製造されたアルプス社のツーリング用自転車をレストアしたものだそう。

「僕と同い歳なんです(笑)。この店をオープンしたときに近所のおじいさんが寄贈してくださいました。その時点でもちゃんと乗れましたが、レストアして見た目を綺麗にしたらイイ感じに渋くなって。お気に入りです」

仕事が仕事を教えてくれた修行時代

話を聞く限りこてこての自転車マニアといった印象だが、うかがった来歴からは別の顔が見えた。

「大学は法学部で、卒業後に法科大学院へ進みました。もともと弁護士を目指していたんです。司法試験を受けるには受けたんですけどダメでした。歯が立たなかった。うちの父が弁護士だったからなんとなく自分も……と思っていたんだけれど、そもそも本当に弁護士になりたかったのかなとか、むいているのかなとか悩み出して、結局あきらめました」

自分で決めたとはいえ、長い間目標にしていたことを断念するのだから挫折感はぬぐい難く、心は折れかかっていた。「どうしよっかな……」と、ぽっかり空いた気持ちをもてあます日々。そんなとき、自転車に乗って遠くまで行ったり、夜、近所を走ったりしていると気持ちが軽くなっていることに気づく。

「何か答えを出してくれるわけではないけれど、『まあ、仕方ないか』というメンタルまではもっていってくれたんです。何よりあちこち行って疲れるからよく眠れるし。1時間も乗っていると景色が変わるところまで行けるのは自転車だからこそですよね」

そしてこれから何をしようと考えたときに会社員の自分が想像できず、自然に自転車に気持ちが向いた。大学院を卒業後、都心で6店舗をチェーン展開する自転車店に就職した。

「父親は、好きにしていいよというスタンスでした。おばあちゃんは『8年間も勉強したのに!』って怒っていましたけど(笑)」

就職したもののこれまで8年間、法律といういわば「理」を探求してきた伊藤さんにとって、自転車業界は理不尽が満載の、環境も人も価値観さえもが大きく異なる別世界。入社直後からそうした社会の洗礼を受けることになる。

「昔から自転車は好きだったので、修理や整備もそこそこできたんですよ。でもそこは趣味とプロでは大きくちがうわけですよね。さらに接客という初めての課題もあって……お客さんと何を話せばいいのかわからず。自己嫌悪です」

学校とちがい、仕事の現場ではできて当たり前。会社が懇切丁寧に従業員に教える必要などない、自分で覚えていくしかない。お金をもらうとはそういうことかと、働き出して初めて気づいたという。

「しかも周囲は『大学院卒』という目で見ていますし。自分はそういうエリート意識なんてなかったのに……いや、正直いうとちょっとあったかも。辞めようかという気が心をよぎるも『ここで辞めたら、自分本当に終わりじゃない?』と、かろうじて踏みとどまったというところです」

未熟なことで怒られるのは仕方がないが、不当なことを言われることも多く、当時はそれが納得できない。でもそれもこれも仕事ができないからだと受け入れ、まずはプロとして通用する力をつけようと、自転車に関係する勉強や資格取得などに取り組み始めた。
毎日帰宅してはその日に生じた課題や改善点などをノートに書き連ねたり、資格取得の勉強で知り合った人たちと交流を始めたりと少しずつ手応えを感じ始めていた頃、東日本大震災が起きた。中目黒店に勤務していたときだ。

「自転車の需要が一気に増え、急に忙しくなったんです。泣きごとを言う暇はなくなりました。忙しさって仕事を覚えるんですよね。否応無しに経験を重ねて、荒療治でスキルが身について、結果的にひとりでもすべての仕事を回せるようになりました。スキルが上がると自信をもってお客さんたちともコミュニケーションがとれるようになって。で、そうなると仕事が楽しくなっていったんです」

妻の後押しで独立、開店

司法試験不合格から約2年間。挫折や苦難をくさることなく乗り越え、自転車の仕事に自信とやりがいを感じられるまでになった。それは伊藤さんの努力があったからだが、もうひとつ大きな支えとなったのが、妻(当時は彼女)のまよさんの存在だ。

「大学のゼミで知り合い、付き合い始めました。弁護士をあきらめて自転車屋さんをやるって言ったときには『20代のうちに独立するなら応援する』と。それが大きな励みになりましたね。さまざまな局面で背中を押して、というか尻を蹴飛ばしてくれるんです(笑)」

まよさんとの約束のリミットである20代が終わりに近づいた頃、いよいよ独立を決意。お客さんの紹介で桜新町の物件をあたるも予算を大きくオーバー。でも街の雰囲気がよかったこともあり、引き続き周辺で予算内に収まる場所を探して今の物件を見つけた。

「僕は岐阜県出身ですが、小さい頃に世田谷に住んでいたこともあって戻ってきたというか、水が合う感じですね。あと、試走ができる環境が欲しかったので駒沢公園が近くにあるのもよかったんです」

業者の見積もりが高かったため内装は自力で行なった。まよさんの親戚の大工さんからレクチャーを受け、道具を借りて壁を塗ったり、トイレや流し台を設置したり。「人生であんなにペンキを買ったのは初めて」だそう。店名にある「クラウン」は、近くの駒沢給水塔の愛称と、王冠という意味から縁起がよさそうということで決めた。そして2012年12月に「CROWN CYCLE」がオープンした。

「この物件、それまでテナントがよく入れ替わっていたらしく、お客さんも最初は慎重でなかなか入ってきてくれませんでした。なんかよくわからないけど若いのが自転車を売ってるぞ、みたいな(笑)。最初は中目黒店のお客さんが来てくれたのでなんとかなりました。その方たちは今もお客さんです。そのうち学生が来てくれるようになって。駒大、農大、日体大とか。やはり学生と自転車って相性いいですよね。自分もそうでしたが、お金もかからず行動範囲が広がって学生生活が格段に楽しくなりますから。そのあたりの遊び方・活用法なんかをアドバイスすることもあります」

次第にラインナップの豊かさ、アフターケアの評判などから地元のお客さんが増え、認知度も上がっていった。家族全員がお客さんというケースも少なくない。

「最初はお母さんがママチャリを買ってくださって、アフターケアなどをちゃんとやっていることを知ると次は子どもの自転車、そしてお父さんのスポーツタイプというように広がっていくことも。自転車屋なんて山のようにあるのに、その中からうちを選んでくださるのはとても有り難いこと。だからこそきちんとサポートすることで感謝の気持ちを示したいと思っています」

みなさんの快適な自転車ライフの役に立ちたい

オープンの約1年前に結婚したまよさんもスタッフとして店に入っていた。ゼロからのスタートだったがめきめきと力をつけ、公私ともに心強いパートナーとして伊藤さんをサポートしている。
もちろん夫婦とも自転車乗りだ。子どもの頃から自転車好きで、簡単なメンテナンスなら自分でしていた伊藤さんに比べ、まよさんの場合は巻き込まれた感も否めないが、今ではすっかり自転車ライフを楽しんでいるようす。

「私、本来は読書が好きなインドア派で、運動なんて苦手だったんです。でも自転車のおかげで運動ゼロ生活が運動イチ生活に無理なく変わり、20代の頃より健康になりました。今では八王子の実家までなら自転車で行くようになりました。ただ、かなりの方向音痴なので家を通り過ぎていたとか。馬事公苑に向かっていたのに着いたら砧公園だったとか(笑)。迷ったら迷ったで楽しめるのも自転車の魅力なんですよね。間違えちゃいけないときはスマホを確認するので大丈夫です」(まよさん)

お客さんと一緒に成田山への輪行も計画中だそう。輪行とは分解した自転車を荷物として交通機関で運び、着いた先で組み立てて走りを楽しむ旅行だ。ほかにもサイクリングや、散歩のように近所を回って楽しむポタリングなど、近年、実用やスポーツ以外にも自転車の楽しみ方が広がっている。「自転車は目的にも手段にもなるんです」と伊藤さん。

「釣りやキャンプ、写真撮影と、自転車を使えば趣味も広がるし、その場に行く道程も楽しめます。走っている途中できれいな景色に出会ったらすぐに停めて鑑賞したり撮影したりできるし、駐車場探しもいらない。移動の道具だけど走らせるだけでも楽しい。車より柔軟で歩くより機動性が高い。人の数だけ、その人だけの楽しみ方ができるのが最大の魅力だと思います。そうやって、自転車を安全にエンジョイしていただくお手伝いができるのが私たちの喜びです」

自転車の整備は基本的にはネジとボルトの調整、メインの工具もドライバーや六角レンチとシンプルだ。だが、ネジやボルトの締め具合、ブレーキの遊び、ワイヤーのバランス、タイヤの溝や硬さなど、手や感覚による繊細な塩梅がものをいう。乗る人のことをつねに考えたサービス精神と、幾多の自転車と真摯に向き合う中で培った技術がクラウンサイクルの強みだ。

チャリがなんだか変……そう思ったときに持っていけばすぐに適切な対応をしてもらえ、お店を出るときにはまた快適になっている。まるで専属のメカニックのよう。スーパーにドラッグストア、コンビニ……近所にあるとうれしいお店はいくつかあるけれど、もうひとつ「自転車屋さん」も加えたくなった。

CROWN CYCLE

住所:東京都世田谷区駒沢4-29-11
営業時間:9:00~20:00
定休日:月曜
ウェブサイト:https://crowncycle.jp/
Instagram:@crowncycle
Facebook:CROWN CYCLE

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