ラ・ブランジェ・ナイーフ

谷上正幸さん・タニカミ フミエさん

最寄り駅
若林

かつて中目黒・代官山エリアに欠かせなかったベーカリーがある。突然の閉店、その後に見舞われたアクシデントを経て、「ラ・ブランジェ・ナイーフ」が9年ぶりに復活した。営業再開の場所は若林。環状7号線と東急世田谷線がクロスする特異なロケーション、住宅街と商店街が織りなす程よい賑やかさ。なぜ復活の舞台を都会の中にある地方のようなこのエリアに決めたのか。シェフの谷上正幸さんと代表のタニカミ フミエさんに聞く。

文章・構成:加藤 将太 写真:阿部 高之

復活した中目黒・代官山の人気ベーカリー

記憶に依るところが大きいかもしれないが、昔はパンといえば、パンメーカーの袋詰めされたパンが当たり前だった気がする。今はそうではない。いつからかお店に厨房を持つ、いわゆるリテールベーカリーが増えてきた。パン屋さんの棚には焼きたてのパンが陳列され、家庭の朝食には食パンだけでなくクロワッサンやデニッシュ、バゲットやカンパーニュなどのハード系のパン、味から形まで個性あふれるパンが当たり前に並ぶようになった。

「昔と比べると、パン好きが増えましたよね。昔はパン好きといえば独特、マニアックという印象だったけど、今は違和感がないというか。こだわりすぎずにラフに楽しむみたいなところが、パンが日常に溶け込んだ感じがします」(史栄さん)

こう話すのは、若林のベーカリー「ラ・ブランジェ・ナイーフ」代表のタニカミフミエさん。夫でありシェフの正幸さんとお店を若林にオープンさせたのは、2015年9月25日(金)だった。

ナイーフという名前を見て、「え、もしかして、あのナイーフ?」と反応した方はかなりのパン好きだ。谷上ご夫妻がオープンさせたこのベーカリーは、以前に同じ名前、別の場所で営業していた。そう、1990年代半ばから2000年代半ばまで中目黒と代官山を賑わせた名店、あのラ・ブランジェ・ナイーフなのだ。閉店から9年のブランクを経てこの度、若林に舞台を改めて、再び時計の針を動かすことになった。

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ナイーフ1号店が中目黒にオープンしたのは今から20年前のこと。1号店のオープン当日に娘さんが生まれた。正幸さんとフミエさんの間にふたつの産声が上がる、この上なく喜ばしい日だった。

「もともとナイーフは中目黒青葉台1丁目でスタートしたんです。中目黒駅から目黒川を越えて、山手通りと旧山手通りの中間あたりの路地裏にお店はありました。今は駐車場になってしまったけど、山手通り沿いに移転した場所が皆さんの記憶に一番残っているかもしれません。代官山店は住所でいえば恵比寿西。ちょうど代官山と恵比寿の中間辺りにあったんです。当時はハード系のパンは認知度が低くて売るのが難しかった。バケットは知っていてもカンパーニュなどは馴染みがなくて。パン屋にスポットライトが当たっていなかった時代ですね。中目黒は今だから賑わっているけど、僕らがお店を始めた頃は桜並木もクローズアップされていませんでした。『なんでこんなところでお店をやるの?』と質問されることも多かったけど、中目黒が盛り上がっていく中でナイーフの存在も大きかったと言っていただけたのは嬉しかったです」(正幸さん)

説明しやすい「赤い扉のパン屋さん」

ナイーフは常にお客さんの絶えない大繁盛店だった。年間10万人の客数を記録した時期もあったという。ところが人気が高い中にもかかわらず、中目黒と代官山のお店を止むなく閉店することに。その後、正幸さんはホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド直営の「ル・パン」や京都八百一本館「ザ・ブレッド」など、いくつかの新店の立ち上げにシェフとして携わり、その後パリで注目を集めるブーランジェの一人、ドミニク・サブロンさんに高く評価される。2014年には「ドミニク・サブロン」の日本国内シェフ・ブーランジェに就任したが、「ドミニク・サブロン」は運営会社の事情で日本撤退。あまりにも突然に不運な状況が訪れてしまった。

「再就職といっても容易ではありませんから。製パンを続けるために9年振りにナイーフの再開を決めました。」(正幸さん)

一時期は東京を離れて生活していた正幸さんとフミエさんが出店を決めたエリアは若林だった。若林といえば注目を集めている東急世田谷線沿線の街。駅前には商店街があり、程よく活気づいている。ファミリー層が密集していて、商業地としても魅力的なエリアだ。三軒茶屋駅から世田谷線に乗り、若林駅に差し掛かる手前で停車することがある。環状7号線が線路と交差する踏切に遮断機がなく、環7が青信号のときに電車が停まるためだ。大きな環状線の道路を二両編成の電車が横切る様は、まるで地方に路面電車がある風景のよう。東京の中のローカル。その光景は誰もが認める若林の風物詩だろう。

「物件を探していたのは世田谷線沿線ですね。ここは去年の12月まで居酒屋さんだったんです。それからずっと空き物件。たまたま前を通ったら募集の張り紙を見つけました」(正幸さん)

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環7沿い、東急バス「若林駅前」バス停目の前という説明しやすいロケーション。真っ白い外壁に真っ赤な扉もわかりやすい目印だ。店前のスペースには利用客用の駐車スペースが確保されている。

「昔は扉の色が緑だったんです。黄色だった時もありましたね。ここを赤い扉にしたのは店舗をデザインしてくれた方のイメージカラーが赤だったから。最初は家内のリクエストで真っ黒にしたかったんですけど、途中からこの赤が良くなって、問い合わせがあった時も『赤い扉のパン屋さん』と伝えればわかりやすいじゃないですか」(正幸さん)

お店ができると地域が変わる

ナイーフ(Naif)はフランス語で「素朴な、飾り気のない」という意味。それはお店で提供するパンにも共通しているコンセプトであることを、正幸さんは以前と今のパンづくりの違いを交えて話してくれた。

「当時と作っているパンのラインナップは日本の惣菜パンや菓子パン、食パン、ハード系のパンまで、ほとんど同じです。変わったのは材料ですね。輸入をやめてほぼ100%国産に切り替えて、それにあわせて製法も変わりました。味は今のほうが美味しいと思いますよ。有り難いことに当時のナイーフを知るお客さんが足を運んでくれますし、私たち個人の宣伝では限界があるからSNSやメディアでの紹介をきっかけに、当時のお客さんにも新しいお客さんにも知ってもらいたいです。ナイーフが知られることは若林自体にお客さんが増えることにもつながるはずですから」(正幸さん)

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若林で再オープンしてからナイーフで作ったことのないパンを販売し始めた。それは地名を付けたパンだ。「若林ブレッド」と名付けられた食パンは、ナイーフの代名詞「パン・ド・ナイーフ」に並ぶ新生ナイーフの看板商品。自家製の酵母を使っているため、100%同じものは二度と作れない。状態はその日の酵母の気分次第で決まり、ときには少し酸味が出れば、甘く仕上がったりする。また、「シリアルブレッド」は外のサクッとした食感と中のもっちりした食感のギャップに驚く、試食後の購入率が100%に使い人気商品だ。その他にも某テレビ番組で紹介されたことで異常な売上を記録した「ミルクフランス」も健在。かつてのナイーフのファンはもちろん、新たな利用客も楽しめるラインナップとなっている。

「地域の方に、環7で分断される前の若林はすごく賑わっていたと教えてもらったんです。すごく大きなお祭りもあったみたいだし、商店街ももっと充実していたそうで。またそういう地域になったらいいなと思いますし、若林に続々とお店ができれば人の流れが生まれるから、なんだか私たちが中目黒にお店を構えた当時と状況が似ているんです。出店の積み重ねで地域が変わるのを見てきましたから」(フミエさん)

賑わっていて、すごくほっとできる街。だから頑張れる

9年のブランクを経てパンづくりの価値観が変わった。お店を構える街が変わり、客層も当然のことのように変わった。フミエさんは代官山・中目黒時代と比較して、周りのパン屋さんの雰囲気も違うと続けてくれた。

「競争というより共存という感じがしますね。『SUDO』さん、『ニコラス精養堂』さんからウチをハシゴするお客さんもいらっしゃいますし、他のパン屋さんの紹介で来られるという方も多いです。隣の『イエローハット』さんに、毎日買いに来てくれるスタッフさんがいらっしゃるんですよ。パンやケーキのマーケティングの中心は女性という認識でしたが、こだわりを求める男性の割合が増えていると強く感じています。」(フミエさん)

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オープンした新生ナイーフを待っていたのは多忙な毎日。正幸さんと史栄さんは休みをとりつつも、まだまだペースを探っているところだというが、若林で貴重なひとときを過ごすこともあるのだとか。

「若林駅目の前の『カフェ ステップス』さんの2階に出来た居酒屋さん『酔処みね』さんは、珍しい青森の地酒や料理を出してくれるんですよ。気に入っているお店ですね」(正幸さん)

「蕎麦屋の『森泉』さんによく行きます。森泉っていう人の名前みたいな看板が気になって入ったのがきっかけですけど、とにかく美味しいんです。若林はマニアックな店が多くて楽しいですし、世田谷線沿線は小さいお店でも日中に結構お客さんが入っていて賑わっている。それでいて、すごくほっとできる。だから、私たちも頑張ろうって思えるんです」(フミエさん)

一度止まってしまった、街に欠かせなかったパン屋さんの時間。9年という時を経て、今度は若林という街を舞台にその時計がもう一度動き出した。店名のようにコツコツとそつなく続けていくことで、どんな若林の風景を描いていくのだろうか。赤い扉が開く度に新しい時間が刻まれていく。新生ナイーフの物語は始まったばかりだ。

ラ・ブランジェ・ナイーフ
住所:世田谷区若林3-33-16第一愛和ビル1F
TEL:03-6320-9870
営業時間:10:00~18:00
定休日:火曜、水曜
ブログ:https://ameblo.jp/madame-naif/

 
(2015/11/17)

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