洋服の並木
並木 田さん
ここ20年くらいの間に、小田急線沿いの駅や駅前の景色は随分変わった。梅ヶ丘駅もそのひとつ。街も人々の暮らしも目まぐるしい変化の中で、昔から変わらずに存在しているお店がある。オーダーメイドでスーツを仕立てることができるテーラー、「洋服の並木」だ。外から見えるユニオンジャックの旗と歴史を感じる店看板。そして、この店を目指してわざわざ足を運ぶ人々の姿。決して広いとは言えないこの店内には、世の中とは少しだけちがう時が流れている気がして、先代の想いを継いだ2代目店主、並木 田さんにお話をお訊きした。
文章:内海織加
写真:阿部高之
構成:鈴石真紀子
空間にぎっしりと詰まった濃厚な歴史と生地の山
引き戸をガラリと開けて、一歩入る前に、圧倒されてしまう。入り口付近から奥の方まで、天井すれすれのところまで積まれた布、布、布。焦点を当てるところがわからなくなってしまうほど、膨大な布の山が出迎えてくれた。いろいろな布や天井に貼られたミュージシャンたちのポスターに視線を奪われ、キョロキョロとしながら店の一番奥までたどり着くと、店主の並木 田さんが迎えてくれた。
「みなさん、最初は恐る恐る入っていらっしゃるんですよ。命取られるわけじゃないのにね(笑)」。朴訥としながらも、並木さんは穏やかに笑った。
「洋服の並木」は、名前こそシンプルだが、知る人ぞ知るモッズスーツの聖地。デビュー当時の「スカパラダイスオーケストラ」や「ミッシェルガンエレファント」、「スクービードゥー」や「在日ファンク」など、細身のスーツをかっこよく着こなすバンドマンたちがこの店でオーダースーツを仕立てたことは、音楽好きやファンの間ではよく知られている。
「ミッシェルガンエレファントなんて、解散してから10年以上が経つのに、いまだにファンの方がいらっしゃいます。90年代にそういう音楽を聴いていた世代が親になって、早い方だとお子さんが成人。だから、最近は親子でいらっしゃる方も多いんですよ。あとは、若い時はお金がなくて作れなかったという方が、少し歳を重ねてやっとオーダーしにいらっしゃるということもあります。ほら、あのサーモンピンクのきれいな生地は、スカパラさんが初期メンバーで作った時のもの。先日は、これで女性がスーツをオーダーしてくださいました」
お客様にも、生地一つひとつにも、印象深いエピソードがある。スーツからいろいろなドラマが見えてきそうで、定点観測をしたくなる。
モッズスーツというと、やはり音楽が密接に結びつくイメージがあるのだが、所々にお笑い芸人のチラシが貼ってあるのが気になった。「最近は、お笑いの方もいらっしゃいます。先輩芸人さんが紹介してくださったり、後輩にスーツを買ってあげたり、そういうシーンも多いです」と並木さん。確かに、オーソドックスな漫才をするようなコンビは、スーツを着ているイメージがある。しかも、お笑いコンビの衣装となると、それがキャラクターのひとつとなってコンビのイメージに直結するものも多いから、彼らにとってスーツ選びはとても重要なことのように思える。では一体、芸人さんはどんなふうに色や柄を選んでいるのだろう。
芸人さんのスーツ作りは、どうなりたいかを聞くところから
「若手の芸人さんの場合は、どんな感じで売り出す予定ですか?ってお聞きするんです」と並木さん。もうこの時点で、普通のテーラーとは少しちがう。どういうコンビなのかを聞いて、色や柄の合わせ方をアドバイスするというのだから、まるでカウンセリングだ。
「昔ながらの漫才のスタイルだったらシックにするのもいいと思いますし、コンビ感を出すためにお揃いとか同じ柄の色違いにするという方法もあります。ボケが元気キャラだったら明るい色にして、ツッコミは対照的にシックな色にするのもありますし、その逆にして観客の意表を突くというのもありますしね。展開の方法はいろいろです。でも、ここに来て悩むかどうかは別にして、こうしたいっていう強いこだわりや情熱、パワーを感じる方は、その後、人気が出ることが多い気がします」
衣装のオーダーでは、ステージなのか映像なのかなど、どんなシチュエーションで着用するものなのかも並木さんは気に掛ける。それは、生地を選ぶ時に目の前で見ているのと遠くから見たのでは印象が異なったり、映像には不向きな色や柄もあるからだ。
「ちょっと派手な印象のストライプでも、ステージで見たらあんまりわからないってことがあるんですよね。それに、テレビに出るなら、千鳥格子とか細かい柄はチカチカしてあまり好まれないからお勧めできません。最近は、合成する時にグリーンバックと呼ばれるスクリーンを背景にするので、緑系もちょっと危険。そのあたりも、気づいたら懸念点としてお伝えしています。そういう知識は、リピーターのお客様からのフィードバックで養われていると思います。派手かなと思ったけどステージでは地味って言われた、とお聞きして、次はもう少しはっきりとした色や柄のものをお勧めしたら好評だったとか。お客様の反応が、私のデータベースなんです」
ミュージシャンも芸人も、人気が出てきてスタイリストが付くと、衣装は用意してもらえるから、お店にはあまり顔を見せなくなる方もいる。そういう時は、「売れたのかな、よかったなって思うんです」と並木さんは優しく微笑む。
「出世していらっしゃらなくなった方に対して、寂しい感情は一切ありません。よかったな、ってそんな感覚です。ここに来た時は生活が厳しくてって話していた芸人さんが、人気になっているのを知ると、ステップアップできてよかったなぁって。でもしばらくして、後輩を連れて来てくださったりすると、やっぱり嬉しいですね」
正しさや似合うかどうかではなく、お客様が着たいものを
モッズスーツと聞いて、ここで仕立てるものは衣装やおしゃれ着としての一着だとばかり思っていたが、実はお客様の層として一番多いのは、仕事着を仕立てる人なのだそう。もちろん、この店でオーダーするのだから、求めるのは“普通”ではなく、仕事着としても大丈夫なラインのモッズスーツや、ちょっと時代を遡ったスタイルのもの。イメージを具体的に決めてくる人もいれば、ノープランでやってくる人もいるそうだが、「どんな感じが似合いますか?」と相談された時には、「どんな感じで着たいですか?」と聞き返すのだとか。並木さんの接客は、芸人さんの衣装選びも一般の方の仕事着選びも、まずはお客様のことを聞くことからはじまる。
「ひとつでもいいので、こうしたい!というものを持って来ていただくのがいいですね。それがなかったり、なんでもよかったりすると、ここで作らなくても安い量販店はありますから、そちらで買ったものをうちで少しお直しすることもできますよ、って提案することもあります。この店には、これだけの布がありますし、どんどん目移りして悩んでしまうと思うんです。でも、悩むってことは、それだけ“なんでもいい”ではなく、その人なりのこだわりがあるっていうこと。一般的に、似合う・似合わないっていうのはあるのでしょうけど、私は、ご本人が着たいものを着るのが一番だと思っています。着こなすのが難しい派手な生地でも、気に入って胸を張って着てくださると、あまりに似合っていて感心してしまうこともあります。着たいという気持ちがありながら、体型のお悩みで踏み出せなかったみたいな方がいらっしゃると、エンジンがかかりますね。頼られたらね、なんとかしてあげたいって思うのが人間の性じゃないですか」
穏やかにゆっくり話す並木さんの奥に、熱いものを見た気がした。
ふと、棚に目を移すと、ファッションに関する本の間に、映画「007」シリーズのビジュアルブックを見つけた。「007のジェームスボンドの写真を持っていらっしゃる方、けっこういらっしゃるんですよ」。そう言って見せてくれたページは、よく参考にしている証拠に開き跡がしっかりとついていた。
「このシーンのこれ、と映画やドラマの映像を見せてくださるお客さまもいらっしゃいます。私はもともと暇さえあれば観ていたいというほど映画が大好きで、スーツの時代考察としても参考にしているので、音楽より映画の方があんな感じだなぁってイメージはつきやすいんです。バンドの誰々が着ていた感じ、と言われたら調べますが、時代的に映画だとこのあたりかな、と脳内変換していることもありますね。モッズスーツというと、『さらば青春の光』の主人公ジミーが着ているスーツは代表的で人気もありますが、人によって茶色と言う人とエンジという人がいて。そんな時は、どれがイメージに近いですか?とお聞きしています。正しいものを押し付けるより、着る人のイメージを実現できたらいいなと思います。うちは、お客様の希望に近づけるにはどうしたらいいかをご提案しているだけなので、ある意味サボってるんですよ(笑)」
これまでもこれからも、並木の一着が一歩踏み出す力になる
「洋服の並木」のはじまりに遡ると、創業は1978年。2代目店主のご祖父さまが新潟の六日町から上京して赤堤通りに縫製工場を立ち上げ、先代が独立してはじめたのがこのお店だそう。そして、2011年に先代が急逝し、現在の店主が後を継いだ。しかし、それまでは継ぐことを考えてもいなかったという。
「父が亡くなってここを続けるかどうかっていう話し合いをした時に、母が『お客様がいらっしゃるから続けられたらいいよね』と言うので、その時に一番暇だった私が、じゃあやりましょうか、ってことで母と一緒に店に立つことからスタートしました。服の知識もなくて、お客さんの方がよく知っているくらい。父についていたお客さんが戻ってきてくれて、フィードバックをいただいたり過去のカルテを読み取ったりしながら、少しずつ仕事を覚えていきました。自分に知識やこだわりがなかったのでタブーがなくて。お客さんがやりたいと言うことに対して、できるんじゃないですかね、やっちゃいましょう!って(笑)。勉強していたらかかるであろうブレーキがないんです。でも、父も同じ感覚だったんじゃないかと思います」
店の中は、天井も壁も、生地の山も、先代が営んでいた頃のまま。奥の壁には毒蝮三太夫さんがラジオ番組で訪れた時に書いた文字が見え、資料や膨大な生地見本が棚にぎっしり。そして、今ではひっそりと先代の写真が額に入れられ、先代が仕立て自ら着用していたジャケットも飾られている。ここに立つ先代を、子どもの頃の並木さんはどう見ていたのか気になった。
「実は、父が仕事をしている姿はそんなに見ていないんです。というのも、共働きだったので学校が終わったら店には来ていて、お客さんがいない時には生地の間に入って遊んだりそのまま寝ちゃったり(笑)。でも、お客さんがいる時は、裏で宿題したり遊んだりして待っていたので、父が働いているところを見てないんです。だから、昔からのお客様にお話をお聞きして、ここでの父を知ることが多いですね」
「職人肌だったので、話し合った上で納得がいかないと次第に物言いが荒くなってくるところはあったみたいで、帰れ!と言われたっていう方もいらっしゃいました。『先代に出禁て言われたんですけど、いいですか?』って久々に来てくださった方もいて、いいですよ、どうぞ、って(笑)。父にとってお客さまとのコミュニケーションは、ある種、戦いみたいなものだったのかもしれません。どちらも本気だったというか。好奇心旺盛で向上心もあったから、要望もできるだけ叶えようと思っていたんでしょうし、若い人とも本気でぶつかれたんだと思います。出禁と言われてもまた来てくださるっていうのは、嫌な思いをしたというより、本気が伝わっていたということかもしれません」
人がスーツを作るタイミングは、よし頑張ろうと気合いを入れたり一歩踏み出したりする節目の時。その背中の押し方は、先代と二代目店主の並木さんでは、少しだけ異なるのかもしれないが、同じ温度の熱を感じずにはいられない。
「スーツって、一人ひとりの戦闘服なんだと思います。着てテンションをあげるものというか。それが、ステージだったり、仕事場だったり、お祝いの席だったり、いろいろだと思いますけど、スーツっていうひとつの枠組みの中で、いかに自己表現をするかなんですよね。裏地とか刺繍とか見えないところにもこだわりを感じますし、人となりを表すものだと思います」
羽根木公園の梅は梅ヶ丘のシンボルとして変わらず、今年も春の訪れを教えてくれたけれど、駅も新しくなり、商店街にもお店が増え、「洋服の並木」がある北口にもおしゃれなコーヒーショップができた。少しずつ緩やかに変わりゆく梅ヶ丘という街の中で、「洋服の並木」は昔のまま時が止まったかのように見えていた。しかし、店内には名残がありながらも、二代目店主が試行錯誤しながら丁寧に積み重ねてきたものがそこにはあって、毎日のように新しい人間ドラマがここから生まれている。
「いつも、お客さまと一緒になってやっている感覚があります。私は突っ立って話を聞いているだけで、この店を作っているのは、お客様なんですよ」
静かに穏やかに、並木さんはそう話す。謙遜しているようでいて、でもこの言葉は心からのものなのだろう。ここで生まれた一着が、きっとこれからも、たくさんの人の背中を押し、力を貸してくれる存在になるにちがいない。
洋服の並木
住所:東京都世田谷区松原6-4-5
定休日:水曜
営業時間:10:00~19:00
ウェブサイト:https://namiki-4129.com/