kitchen and CURRY

阿部由希奈さん

最寄り駅
新代田

新代田駅を出て環七を渡り、線路の脇道を入っていく。京王井の頭線の上にかかる橋を渡って、奥へ、奥へ。すると、あるところから高原のような雰囲気に変わる。あちらこちらに大きな木が育ち、自然と暮らしが共にある場所、羽根木の一角に、小さなカレー屋さん「kitchen and CURRY」はある。店主の阿部由希奈さんがつくるカレーは、ホッとするようなやさしい味わい。食べているうちに余計な力が抜け、思考や感情を元の場所に戻してくれるような感覚があった。阿部さんにカレーのこと、このお店のことをお訊きするうちに、その心地よさの理由がわかった気がした。

文章:内海織加  写真:阿部高之  構成:鈴石真紀子

葉が揺れる音に鳥の声。店内はまるで公園にいるかのよう

お店にお邪魔すると、なんともいえないニュートラルな心地よさに包まれた。はじめて訪れた時からはじめてな感じはなく、オープンな空気感はどこか自然たっぷりの公園を訪れた時の感覚に近い。それは、窓越しに羽根木の木々が風に揺れるのが見えるからかもしれないし、鳥の澄んださえずりがBGMの音楽に混じって聞こえてくるからかもしれない。すぐそこに車の往来の激しい環状七号線が通っているなんて信じられないほど、ここには、ゆったりとした優雅な時間が流れていた。

ふと、視線をカウンターの上にやると、棚にはそれぞれに個性的で愛嬌のある猫の置物が調味料の瓶に混じって鎮座して、人々がカレーをおいしそうに頬張る姿をそっと見守っている。「旅先で見つけると、つい買ってしまうんです」店主の阿部さんは、ニコッとかわいらしく笑って、そう言った。

よく見れば、店内の黒板やメニュー、カレンダーにも猫のイラスト。阿部さんが一緒に暮らす愛猫、「晋作」と「ももこ」をモデルにしたこのキャラクターは、常連さんにはもうすっかりお馴染みだそう。

店内の興味深いものに視線を奪われているうちに、オーダーした3種盛りのひと皿がテーブルに運ばれてきた。仕切りなく3種のカレーがよそわれて、ご飯の上にはヨーグルトソースのかかった副菜が盛られている。そんなレイアウトから、「一緒に食べるとおいしいよ」というメッセージが聞こえた気がした。

「一つひとつでも楽しんでいただけますが、混ざってもおいしいように、3種類のバランスを決めています。なので、単品で味わっていただいたら、2種類を一緒に食べて、最後は全部混ぜちゃうのもおすすめ。混ぜることで、新しい発見を楽しんでいただけると思うんです」

素材の味わいを引き立てる、味噌汁のようなやさしいカレー

この日のカレーのラインナップは、「黒酢のポークビンダル」「えびと葉玉ねぎのカレー」「若竹煮風ヴィーガンカレー」の3種。おすすめ通り、まずは1種類ずついただくと、刺激よりも先にそれぞれに異なるやさしい風味が口の中に広がった。そして、ゆっくりとスパイスのやわらかな辛さが追っかけてくる。それは、まさにメニューの1ページ目にお店の紹介として綴られている文章の一節、『毎日でも食べられるお味噌汁のようなカレー』そのもの。そのやさしい味わいは、じんわりとあたたかく体と心に沁みた。

「カレーってスパイスをたくさん入れたくなってしまいますが、心がけているのは、スパイスが主役というよりも素材を味わうための構成。今日だったら、甘い葉玉ねぎを主役にしたかったので、華やかな種類はあえて使わず、スタンダードなターメリックやコリアンダーを使って、玉ねぎを邪魔しないようにしています。繰り返し作っているメニューもたくさんありますが、組み合わせや量はちょこちょこ変えているので、常に進化。家族でご飯を作っているときに、これはカレーになるかなって閃いて試作してみることもあります。メモしないので、毎回思いついた時にすぐ形にしてみるんです。」

一口、また一口と食べ進めると、野菜の甘さやほどよい苦味、お肉の旨味やそれを引き立てる黒酢、それぞれのカレーごとに異なるスパイスの香りが、味覚を通じて見えてくる。暗いところで目が慣れてくる感じにも似て、少しずついろいろな味を見つけられる感覚があった。

3冊の著書本も出版している阿部さんに、レシピのこだわりをお聞きすると、「旬のお野菜を使うことですね」と即答だった。

「今うちのお店のメニューは、週替わりではなく、水曜木曜・金曜土曜でメニューが入れ替わります。それは、農家さんにその時々で一番おいしいものを送っていただいて、メニューを組み立ているからです。野菜は、多品種小ロットで作られているものが多いので、一度の入荷量で仕込むのは2日分くらいがちょうどよくて。いくつかの農家さんから旬のものを送っていただいたり、魅力的なセレクトしている青果ミコト屋さんから仕入れたりしています。中でも中里自然農園さんのお野菜はお店をはじめる前に出会ったのですが、そのおいしさに感動して、直接連絡をさせていただいたのがお取り引きのはじまりです。今は、年に1回は農園におじゃましていますが、栽培している様子を拝見するとお野菜に愛情を込めて作っているのがわかって、だからこの味になるのか! と知れば知るほどに納得しました」

ひと皿のカレーが、食にまつわることを意識するきっかけに

中里自然農園とは、野菜を仕入れるという関係性だけでなく『野菜とカレー』と題した無料配布のZINEを一緒に制作している。その冊子には、中里自然農園ご夫妻の高知での暮らしぶりやどんなふうに野菜作りをしているかを綴ったもの、また阿部さんが中里さんの作る旬の野菜について書いているエッセイなどが掲載されているのだが、そのどれもが「あのね」と話しかけられているようなトーン。友人からの手紙を読んでいるみたいで、言葉がスッと心に届く。

「and CURRYのカレーは野菜があってこそなので、中里農園さんと一緒に野菜をひとつのテーマにしたZINEが作れたら、とスタートしました。使っている野菜がこんな景色のところで育ったものだよとか、この野菜はこう食べるとおいしいよとか、スーパーマーケットで見るだけではわからない野菜の背景を知ってもらうことで、食べていただくカレーや食への興味が深くなったり、食にまつわる社会問題について考えてもらうきっかけになったりしたらいいなと思って。ただ楽しい話題を並べるだけでなく、わたしたちだからできる問題定義もしていきたいですね。お店の発信はSNSが主だったので、あえてアナログな手法で作ってみたくなってZINEの形態になりました。結果的にどんな世代の方にも手に取っていただけて、あらためて紙媒体の良さを感じています」

阿部さんはそう言って、やさしくにっこりと微笑んだ。

ところで、「kitchen and CURRY」という名前の由来はなんだろう。気になって聞いてみると、「カレーって、どんなものとでも一緒になれるものだから」と阿部さん。それは、食材の組み合わせだけの話ではないと言う。

「カレーを頻繁に食べる中で、カレーという料理の大きな可能性を感じていたんです。いろいろな食材と組み合わせるおいしさはもちろんですが、このひと皿をきっかけにコミュニケーションが生まれたり、使われている食材に興味を持ったり、そこから食品ロスなどの社会問題や環境問題を考えはじめることができたり。楽しくなにかを知ることに繋がっていけるような気がして。このお店では、野菜も調味料も安全性にこだわり、誰が作ったかわかるもの、そしておいしいと私が思うものを選んで使っています。そういうことも食べていただく方に知ってもらうことで、興味関心が広がっていったら嬉しいですね」

店名の「and」に込められているのは、阿部さんの深く熱い想い。そのアプローチのひとつとして、このZINEがあるのだと合点がいった。カレーを食べることで終わらずに、何かのアクションに繋がる起点としてkitchen and CURRYは在るのだろう。

羽根木という土地も店のはじまりも、導かれるように辿り着いた

このお店がオープンしたのは2018年のこと。阿部さんにとっては、この場所がはじめての出店だ。しかし、物件を借りようと決めた当初は、お店にするつもりではなかったと聞いて驚いた。

「もともとはただのカレー好き。好きが高じて作るようになって、2015年くらいからは月に1回、声をかけていただいたお店で間借りのカレー屋さんをやったりイベントに出店したり。自分で働きかけたというよりも、知り合いの方に声をかけていただいて活動が広がっていった感じだったのですが、この頃はあくまで趣味の延長。カレーで生きていくなんて、全然思っていなかったんです。ありがたいことにカレーの仕事が少しずつ増えるにつれて、仕込みをするキッチンが持てたらいいなと思うようなって物件を探しはじめました。たまたま、ここで前にお店をやっていた方と知り合いで、相談をしたらちょうど出ようと思っているとのことで紹介していただけたので、とんとん拍子で決まってしまって」

特に羽根木周辺と決めて物件を探してわけではないのに、偶然決まったこの土地は、阿部さんが昔住んでいたこともあるという馴染み深い場所。そして、自宅からも自転車なら数十分という便利な立地だった。他の物件を見ることなく、候補1軒目で図ったかのようにここに辿り着いたというのだから、強い縁を感じずにはいられない。

「場を持った当初は、研究するためのアトリエにしようと思っていました。流しの活動を続けていくつもりだったので、お店としてやっていこうという気持ちになったのは、実はここ最近のことなんです。カレーを占める割合が少しずつ増えて、気づいたらカレー屋さんになっていた感じで。オープンしたばかりの頃は、遠方の方8割ご近所の方2割だったのが、今はすっかり逆転しています。ご近所のお店の方も来てくださいますし、やさしい味付けなのでご年配の方にも気に入っていただけて嬉しいです」

会いに行くスタイルから、会いに来てもらうスタイルへ。そのシフトチェンジには、コロナ禍による制限と同時に、阿部さんご本人のライフステージの変化もあったと言う。

「2016年からはフリーランスで人事の仕事をしていたので、お店をオープンした頃はパラレルキャリアでした。それが、妊娠したら体調の変化もあって、両立はなかなか難しくなってしまって。結果的に、カレーの仕事に絞ることができて、今はカレー100%で生きてます! 好きなカレーのことだけを考えていていいので、ストレスからも解放されました……と言っても、経理はまだ苦手なんですけどね(笑)」

「カレーが好き」というシンプルなところから導かれるようにして活動が広がり、吹いてきた心地よい風に帆を押されるようにして、この場所に辿り着くべくして辿り着いた、と言ったら大袈裟だろうか。しかし、その自然体な在り方がお店にも流れているから、なんとも言えない心地よさがあるような気がする。

最後に、阿部さんに聞きたくなった。カレーの魅力ってなんですか、と。

「スパイスを使って作るという制約がある中に、自由があるからでしょうか。ほら、制約がないと自由になれないっていうところもあるじゃないですか。カレーって、混沌としているけれど、自由で、深くて……。それが魅力だと思います。カレーとは何か、なんて考えはじめたら、死ぬまでかかってしまいそうですけど、生きているうちに少しでもその真髄に近づけたらいいなと思います」

カレーも、お店も、阿部さん自身も、導かれながら常に進化し続けている。そして、食べる人の中に気づきや好奇心の種を蒔き、さまざまな世界へと誘ってくれる。「kitchen and CURRY」はこれからもきっと、食べる人たちをおいしく楽しく巻き込みながら、止まることなく明日への一歩を軽やかに踏み出していくにちがいない。

kitchen and CURRY
住所:東京都世田谷区羽根木1-21-24 亀甲新い 1F
定休日:日曜、月曜、火曜

営業時間:水曜 11:30~15:00/木曜、金曜 11:30~15:00 18:00〜21:00/土曜11:30~17:00

ウェブサイト:https://www.andcurry.com/
Instagram:@andcurry.official@yukinaa.m

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