BOOKSHOP TRAVELLER
和氣正幸さん
祖師ヶ谷大蔵の駅から続く商店街を抜け少し静かな小道を入る。1年前、下北沢からここに引っ越してきたシェア型書店「BOOKSHOP TRAVELLER」のドアを引くと、カウンターの向こうから「こんにちは」という明るい声がした。店主の和氣正幸さんだ。「こんにちは」と返すと、ただそれだけのことなのに不思議と居心地がよくなって、一歩踏み出す。お店のなかに並んでいる本のほとんどは、本好きな誰かが持ち込んだものだ。「シェア型」という新しいかたちの本屋さんを取材した。
文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子
みんなが集う、本屋のかたち
「BOOKSHOP TRAVELLER」には、木箱がいくつも並んでいる。それが連なって棚になっているから、一見どこにでもある本屋のようだが、よく見ると、木箱ひとつひとつに名札がついていることがわかる。
箱のなかにディスプレイされた本の並びもおもしろい。ひとつの箱に小説とノンフィクションが混ざっていたり、子育ての本と画集がとなり合わせになっていたり。シェア型書店とはつまり、「さまざまな人が作ったちいさな木箱の本屋さん」をとりまとめた本屋で、木箱がそれぞれ誰かのお店になっているのだ。
ちいさな箱を運営しているのは、100人もの「ひと箱店主」だ。月に数千円払うと、ひと箱借りられる仕組みになっている。
「個人で借りてくださる方もいれば、作家さんや出版社の方など、いろいろな方がいらっしゃいます。毎週のように本の入れ替えをしに来る方もいますし、ひさしぶりにお見かけするな、という方も。みなさんライフスタイルに合わせて、ひと箱を作っていただいています」
それ以外にも、オーナーの和氣正幸さんが厳選した新刊や古本をはじめ、間借り店主として活動している「みどりのほんや」さんが選んだ絵本が並んでいて、店内はとても賑やかだ。
「新刊は、自分が好きだなと思った本を選んでいる、という感じです。本当はもっといろいろ考えてセレクトしたいところではあるんですけど、そこまでできていなくて。まだここに越してきて1年なので、これからゆっくり作っていけたらと思っています」
2階にも本は置いてあるが、おもにはイベントスペースとして活用している。古民家らしい急な階段をのぼると、片側の部屋では「ココロをマッサージするブックフェア」と題したパネル展が開催されていた。ひと箱店主である「はるから書店」さんが企画した催しだ。
「イベントの内容も本当にいろいろです。だいたい、ひと箱店主さんが考えてくださっています。今月はほかに落語会を企画しています。」
隣の部屋には、本を作りたい人がここで創作できるようにと、編集やデザインができるPCとA3まで出力できるプリンターが置いてある。
「まだあまり稼働させられていませんが、ここはZINEラボといって、ZINEを作ることができるスペースです。衝動的に手書きで作ったZINEを100円で売る、みたいな手軽な感じでもいいので、本作りを体験できたらいいなって。手製本やシルクスクリーンの作家さんもいらっしゃるので、相談することもできますよ」
そんなふうに古い一戸建てのなかには、楽しそうなあれこれがぎゅっと詰まっている。
ブログからはじまった本屋愛
和氣さんが本屋さんで働くことの魅力に気がついたのは、学生時代にアルバイトしていた古本のチェーン店だった。
「まず、買い取りがすごく楽しいんです。現代思想の本とか、電気工学の本とかいろんなジャンルが持ち込まれて。近くに大学があったので、教授がデリダとかドゥルーズの哲学書を持ってきたり、一方で文庫やR18や……多様性があってとてもおもしろかったですね」
しかも、それを棚に並べるときの順番や、並べ方をしっかり考えて行うと、売り上げが変わることがわかったという。
「棚に手を入れると、ちゃんと売れるというリアクションが返ってくるのがおもしろくて。本屋さんで働くのが楽しいな、って思うようになったんです。でもなぜかその後就職したのは、大阪の化学系のメーカーで、総務とか経理の仕事をしていました。それで会社に慣れてきたころにようやく、やっぱり独立したいなと考えるようになったんです。小さい頃から、いつかひとりで何かしたいな、という気持ちはありましたね」
そんなとき、和氣さんの心に残っていたのは、本屋でのアルバイト経験だった。
「本屋と決めていたわけではなかったのですが、本に囲まれて仕事をしたいなと思いました。でも、いったい本屋ってどうやってなったらいいんだろう……って。それで2010年から、調査することにしたんです。大型書店ではなく、個人でひらいている本屋さんを片っ端からめぐりました。どんな本屋さんがどんな品揃えでどんな棚をつくっているのか、どんな感じで経営しているのかを細かく見ていったんです。そしてそれをブログにまとめていったのが、いわばBOOKSHOP TRAVELLERのはじまりですね」
サラリーマンをしながらブログ「本と私の世界」(現「BOOKSHOP LOVER」)を更新し、大阪から東京へ異動してからも、精力的に記事を書き続けた。ちなみにBOOKSHOP LOVERというタイトルは、深沢にあるSNOW SHOVELINGの店主・中村さんからいただいた。そのころから少しずつイベントの企画や登壇、取材申し込みなどの活動が増えていき、2015年に会社を辞めて独立した。
そこから本屋として店を構えるまでは、各地でのイベントの企画や執筆など、本と本屋さんに関する仕事をする日々。2017年に『東京 わざわざ行きたい街の本屋さん』を出版してからは、さらに執筆の仕事が増えていった。
本屋を紹介する本屋、とは
そんな和氣さんの本屋人生のはじまりは、西荻窪だった。知り合いから雑居ビルの2階をシェアしようという話がやってきて、週に一度だけ古本屋をひらくことになったのだ。
「でもこれ、実は失敗しちゃってるんですよね……。友だちと一緒に古本を持ち寄ってはじめたんですが、友だちは別の仕事で忙しくなって、僕は僕でライターの仕事が忙しくなっちゃって。結局全然タッチできなくなって、途中で辞めちゃったんです。その頃ちょうど『日本のちいさな本屋さん』の取材をしていたんですけど、『和氣さん、本屋どうするの?』と聞かれても、『いやいや、もうライター一本で行こうかなー!』なんて答えていたくらいで、求められている仕事をすべきなのかな、と考えていたんです」
自分の本屋を作る、というところからはいったん気持ちが離れていた和氣さんだったが、その本の取材がそろそろ終わるというころ、転機となる話が舞い込んできた。
「下北沢でなかよくしていた方から本屋を作らないか、というオファーをもらったんです。もともとその方のカフェに本棚を置かせてもらっていたんですけど、お店を大きくするから本屋も大きくしないか、って。それがBOOKSHOP TRAVELLERのはじまりでした」
そこからシェア型というかたちの書店をはじめた。ブログでずっと本屋さんを紹介し続けていた和氣さんならではの、「本屋を紹介する本屋」というスタイルだ。
はじまりとなったのは、鎌倉通り沿いのお店。落語やトークイベントなどのイベントをひらいたり、レタリングをする手書き推進部という部活が発足したり、楽しそうで好きなことは積極的にした。
コロナ禍になり、ビルが建て替えることになってからは、北口にあるラーメン屋の3階に移転した。もともとギャラリーだったので、半分はギャラリーのまま残し、半分は本屋として活動をはじめることになった。
そのときに少し変えたのが、新刊のボリュームだ。シェア型書店は、お客さんから見ると一般的な小売店だが、オーナー側からしてみるといわばテナント業となる、変わったかたちなのだ。
「本が補充されていなかったり、棚の整理が行き届いていなかったりすると、お客さんからしてみれば、つまらない店になっちゃいますよね。コロナ禍でなかなかひと箱店主さんたちが補充できなかったりすると、店全体で見たときにおもしろみがなくなってしまうんです。それで新刊を増やしていきました」
本屋のない街から
下北沢をひき払い、祖師ヶ谷大蔵に引っ越してきたのは、自分がオーナーとしてしっかり店を作っていきたい、という思いからだった。
「探したのは、小田急線と京王線沿線です。ひと箱店主のみなさんが来やすい場所となると、下北沢からあまり離れるわけにもいかなくて。千歳烏山、経堂、下高井戸など、いろいろ探しましたね。駅からの距離も大切でした。みなさん補充したり下げたりする本を運ぶので、スーツケースに入れてガラガラ歩いてくるのに、あんまり遠いと大変です。少し下ることになっても、駅から歩く距離は短く、と考えました」
決めていた条件は、路面店であること。できるなら二階建てで、イベントが少しできるようなスペースも作りたい。条件ぴったりの古民家が見つかったのは、祖師ヶ谷大蔵だった。
駅前にあった新刊書店がなくなってから数年経つこともあって、街の人はこの場所に本屋ができたことを喜んだ。開店当初は、本屋ができてよかった、と声をかけてくれる人も多かったという。
下北沢から移転して変わったのは、やはり客層だ。下北沢の店に訪れる客は20代がメイン。わかりづらい場所ではあったが、わざわざ見つけて来てくれるようなカルチャーに敏感な人ばかりなので、エッセイや短歌など、若者を中心に流行している本がよく出ていった。
「祖師谷では20代のお客さんももちろんいますが、幅が広くて、上は60代、70代の方も来てくださる。お孫さんにプレゼントしたい本を選びに来てくれる人もいるんですよ。これは下北時代から変わらないことですが、選書には常に悩んでいて、祖師谷になってからもずっと悩んでいます。どんな本を置いたら楽しんでもらえるか、いろいろ考えたいですね」
店の展示ももっとよくしていきたいし、本のセレクトも考えたい。アートブックのコーナーも充実させたいし、音楽のイベントもしたい。そう話す和氣さんだが、実はそれ以外にも大忙しだ。てっきり本屋のオーナーになってそのことをメインにしているのかと思ったら、実はライター業もずっとしていて、今も本を出す準備をしているという。
「自分のZINEも作りたいと思っていて、頭のなかに構想はあるんですけど、まずその前に本の原稿も書かなきゃいけなくて、ずっとバタバタしています。ZINEを作ったら、みんなでZINEフェスをひらきたくて。わいわいしていておもしろそうじゃないですか」
店番をしながら原稿を書いたり、一日店主がいるときは取材に行ったり。そんな慌ただしい和氣さんの毎日は、すべて本を中心にめぐっている。
毎日200冊以上出版されていく新刊と、これまでに世に出た古本を合わせたら、日本中の本だけでもいったい何冊になるのだろう。そのなかから好きなものだけを丁寧に選び、ひと箱におさめていく。たくさんの人の本愛が詰まったお店へ、ぜひ自分だけの一冊を選びにきてほしい。
BOOKSHOP TRAVELLER
住所:東京都世田谷区祖師谷1-9-14
営業時間:12:00~19:00
定休日 : 火曜、水曜
ウェブサイト:https://traveller.bookshop-lover.com/
インスタグラム:@bookshop_traveller