F★E★P
小林玲子さん
ここはカフェなのか、教室なのか、はたまたイベントスペースなのか。絵に描いた世田谷の閑静な住宅街にある、カフェ併設の多目的スペース「F★E★P」。「なぜこんな場所に?」「一体何のお店なの?」一見捉えどころのなさそうなこの場所が生まれた背景、そして日々起こる物語を、オーナーの小林玲子さんが語ってくれた。
文章・構成:加藤 将太 写真:安澤 英輝
何もないならば、ここではじめよう
最寄り駅は小田急線梅ヶ丘駅と東急世田谷線世田谷駅。どちらの駅からも徒歩約10分の距離を進むと、絵に描いた閑静な住宅街に一見何のお店かわからない建物が現れる。建物の側面には、閉じっ放しで重厚感のある鉄の扉。FEPと描かれた赤いサイン看板の下には、たくましく育った緑で構成されたファサード。その脇にある立て看板に目をやると、この場所がカフェであることがわかる。ところが入口からフロアに出ると、店内のインテリアに混ざって美術道具が無造作に置かれていたり、壁には絵が飾られていたりする。どうやら、ただのカフェではないようだ。
「ここはカフェ併設の多目的スペースなんです。以前は大家さんが昭和40年の頭くらいから鉄工所をやっていたんですけど、5年前に畳むことになってしまって。そこにお店の物件を探していた私が貸していただけることになったんです。最初は三軒茶屋や若林のエリアを狙っていたけど、偶然足を踏み入れたこの住宅街には、カフェもアートにふれる教室もイベントスペースもなかった。何もないならば、ここではじめようと思ったんです」
そうお店と建物の概要を話してくれたのは「F★E★P」のオーナーである小林玲子さん。「F★E★P」とは「Five Easy Pieces」の略。「簡単で楽しめる初心者から経験者までの曲」という意味にちなみ、「大人と子どもが日常生活の中で自分の中の創造性に思いっきり伸びをさせて、心の冒険と探求にチャレンジするスペース」というコンセプトを軸に運営されている。
アメリカでふれた食の面白さ
小林さんは東京芸術大学油画科を卒業してニューヨークへ留学。現地の大学院でファインアートを学び、卒業後はフリーランスとして働きはじめる。建築イラストレーター、インテリアデザイナーを経て、ロサンゼルスに移住後は2年間の下積み後から12年間、映画、TVなどのアートディレクター、プロダクションデザイナーとして作品のセットの創作を手がけてきた。
「美大生は卒業後に大学院に進学して、社会人になることを足掻こうとするんです。私はそうじゃなくて、日本ではない別の国に移り住もうと思いました。最初は1年で帰国するという約束だったのに、アメリカには20年も住んでいましたね(笑)。向こうでデザインの仕事をしていると映像関係の仕事があふれているので、成り行きでそこに関わるようになったんです」
映画やTVのセットを手がけていると、自然の中に放り込まれることが多かった。たとえば、もっとリアルな緑を作るために山の中で植物とふれる機会が多くなり、植物を扱うデザインに興味が芽生えた。帰国後は、日米の環境の違いから映画やTVの仕事を続けるのは難しいと判断。生涯はじめての会社員になった。オフィスや百貨店のディスプレイに緑化デザインを手がける会社に3年間勤務し、退職後は植物に関わるフリーランスのデザイナーに。それと両立しながら、「F★E★P」の立ち上げを考えたのだという。「F★E★P」にはカフェの一面もあるけれども、小林さんに飲食業のキャリアは一切ない。
「アメリカではパーティーが日常的に行われていて、人が集う場を多く経験しました。プロダクションデザイナー時代に、仕事の合間にプロデューサーからパーティーのアレンジを頼まれたことがあったんですね。そんなことからも人が集うことへのお金の掛け方を学んだりして、アメリカは楽しい時間を過ごすことにエンターテインメント性を盛り込むのが上手だなと感じました。でも私が経験してきた中で、人が集う場所には必ず食の要素があった。食事って、その場ではじめて会った人たちを瞬時に繋げてくれるんですよね」
“教室”という言葉に込めた想い
「F★E★P」のオープン準備に取り掛かった小林さん。ところが友人・知人にその構想を話してもなかなか理解してもらえない。「結局何がしたいの?」自分の中でも漠然と形が定まっていなかった。それでも、これまでの経験と興味関心を凝縮して、人が集う空間を作りたかった。
「漠然とした想いが先走りしてしまったけど、長い目で展開する中で『F★E★P』らしさを見つけられたらいいなと思ったんです。オープン2年間は赤字でした(苦笑)。国士館大学の近くだから学生客を見込んでいたけど、ほとんど来なくて、デザインの仕事でマイナス分を補填していましたね。今思えば、いわゆるカフェを期待してお客さんが来てくださって、ガッカリされたら嫌だなという気持ちが入口に表れていたというか。表看板にカフェと書いてあるにもかかわらず、中に入りにくい雰囲気があったのかもしれない」
飲食業の経験がない故のコンプレックスは抱えたままだったが、料理好きが興じてお米には古代米を使ったり、柿とゴルゴンゾーラを合わせた個性的なサラダを作ったりと、工夫を凝らしたカフェメニューは粘り強く営業していく中で来店客の胃袋を掴んで口コミとして繋がっていった。幼稚園、小学生、大人に分かれた絵画を中心とした、自身が教えるものづくりの教室も、定期的に開催していくことで受講生が増えていった。「カフェなのか教室なのかわからないけど、なんだか面白そうなお店だ」以前から気になっていた地域の人たちも足を運ぶようになった。
「アンチワークショップと言ったら反感を買いそうですけど、個人的にワークショップという言葉は好きじゃないんです。ワークショップが全国で沢山行われている中で、一度きりで終わってしまうものが増えてきているじゃないですか。だから、なるべく“教室”という言葉を使っていて。私は教室を通じて、その人に何かを始めて続けるきっかけが生まれてほしいなと思うんです」
アートクラス(教室)はときにはゲストを呼んでイベント形式に行うことも。たとえば、3月5日には邦楽・和楽器の奏者を招いてトークイベントを行った。継続的に行うイベントのひとつに、三重県の文化を紹介する「みえもん」という地域に特化したものもある。
「『みえもん』は三重県出身の友人がいることがきっかけなんですが、東京で暮らす人が地方と繋がれる手がかりになればいいなと思って企画しました。三重といえば伊勢神宮を連想しますけど、そういったわかりやすいものではなく、東京の世田谷というローカルが三重のローカルと繋がるという意味を込めて、イベントでは三重の答志島という離島から海女さんに来てもらったんですね。海女さんに普段の生活を話していただいて、親睦会も開催して、参加していただいた皆さんで地元の料理やお酒を楽しみました。他にも伊賀の忍者に関するトークイベントを有識者の方を招いて開催したり、地元の木こりの方にも来ていただきました」
ちなみに木こりには、杉茶というお茶を飲む習慣があるそうだが、茶葉ではなくて木の幹を煎じて飲むのだとか。「杉茶は抗菌作用があって体にいいんですけど、美味しいんですよ」と小林さんに勧められて飲んでみると、しっかりと木の味がするものの香ばしい味わい。今の季節に杉は花粉で嫌われものになるが、騙されたと思って一度試していただきたい。
誰かのきっかけになりたい
小林さんが暮らすのは「F★E★P」から徒歩圏内にある世田谷ミッドタウン。最後に、世田谷ミッドタウンでお店を経営しながら暮らす人として、地域の魅力を次のように語ってくれた。
「私がこの地域を気に入った理由は、いろいろなタイプの人がいることが大きいですね。クリエイティブな仕事をしている人から商店街の個人店を経営している人まで、本当に幅広いと思いますよ。たとえばここには、昼間からお酒を飲みに来てくださる地域のおじいさんもいます(笑)。その周りで子どもたちが遊んでいる絵は不思議ですよ。子どもたちにとっては、いろいろな大人を見ることができるのは刺激になるはずですし、子どもの成長はある意味、周りにいる大人の存在も影響すると思います。それと私にとって、このエリアは狭間というか。どこにも属さない自由さを感じるんです。属していないからこそ、好きなことができるのかもしれませんね」
2016年7月にオープン4周年を迎える「F★E★P」。「この場所をつくるのは本当に大変だった」と振り返る小林さんは、「F★E★P」のこれからをどのように考えているのだろうか。
「日本ではひとつのことを突き詰めるのが匠という美徳があって、当然それは素晴らしい価値観だと思います。でも、私が大切にしたいのは、新しいことにチャレンジすることで変化し続けて、この場所から派生して何ができるのかということ。アメリカでのパーティーがそうだったように、ここで出会った人たちが繋がって、新しいことに発展していく場所になれるのが理想ですね」
人との出会い以外にも、仕事や学校が上手くいかずに悩む人が「F★E★P」を訪れたことで、ものづくりの活動をはじめるきっかけになったこともあるという。この場所での誰かと何かとの出会いから、毎日が楽しくなるはずだ。
F★E★P
住所:東京都世田谷区梅丘2-8-13
営業時間:12:00〜19:00
定休日:日曜、月曜
ウェブサイト:http://fep-art.com/
(2016/03/07)