鹿港

小林貞郎さん

最寄り駅
世田谷駅

世田谷線の世田谷駅と上町駅のちょうど間にお店を構えて13年という「鹿港(ルーガン)」。あつあつの肉まんや名物のまん頭を求めて、毎日たくさんの人が行列を作る風景は、もはやこの町のシンボル的存在だ。なぜあの場所に突然肉まん屋さんを開店することになったのか。名店誕生のルーツについて、店主 小林貞郎さんに聞いてみた。

文章:内海織加 構成:加藤将太 写真:植本一子

じわじわと広がった「まん頭」の美味しさ

朝10時。開店を待ってましたとばかりに集まってくる、というより吸い寄せられてくるような人、人、人。真っ赤な看板の下には、あっという間に列ができてしまう。カウンターの奥では、数名のスタッフがせっせと肉まんやあんまんを仕込み、定期的に蒸し上がった湯気が勢いよく小さな店中に舞い広がる。それもまた、この店の日常的な風景のひとつ。そして、黙々と作業をしながらも、常連客がやってくると目元を綻ばせてニコッと挨拶する、その人がここ「鹿港」(ルーガン)の店主、小林貞郎さんだ。

常連客が並んでまで買いにやってくる、その一番のお目当ては、「鹿港」の名物、まん頭。白くてふかふかとして、ほんのり甘いその蒸しパンは、食感といいやさしい素朴な味わいといい、まさに夢のような食べものだ。

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「まん頭は、私が修行した台湾だとそこらじゅうで売ってる当たり前のもので、日本で言う“白飯”みたいな存在。今でこそ、みなさんに親しんでいただけるようになって、夕方までには大抵売り切れちゃいますけど、開店当初は、中身が入ってないっていうだけで全く興味を示してもらえなかったんです。でも、諦めずに地道に宣伝し続けていたら、じわじわ買ってくださる方が増えてきて、今では10個、20個ってまとめて買ってくださる方も少なくありません。まん頭目当ての人は、まん頭がないと帰っちゃいますね」

まん頭の食べ方は人それぞれだが、美味しい食べ方は常連さんの方が知っている、と小林さん。そのアイデアは、小林さんも考えつかないユニークなものもあったりして、驚かされることもしばしばなのだとか。

「まん頭を食べるためにチャーシューを作ったっていう人がいたり、中華料理屋に持っていって揚げてもらったなんていう人がいたり、聞いてみると食べ方は人それぞれ。カレーにつけたり、スープに浸したりしてもいいですしね。今までお客さんに聞いた食べ方で一番びっくりしたのは、わさび醤油。実際やってみたら、美味しかったんですよ、これが! ちなみに、私が好きなのは、ゴボウサラダとか生野菜をサンドイッチみたいにはさんで食べる方法。フワフワとシャキシャキの食感がいいんです」

おじいちゃんに導かれた人情に厚い街

オープン当初から変わらないお店の場所は、世田谷通り沿い。世田谷駅と上町駅のちょうど間とあって、「世田谷ボロ市」の時には肉まんを買いに立ち寄る人も多い。しかし、人通りの多い賑やかな商店街とは少し違うこの一角を選んだ理由は、どんなところにあったのだろう。

「もともと世田谷の出身なので、馴染みのある狛江から三軒茶屋あたりを歩いて、しっくりくる街を探していたんです。でも、肉まん屋をやりたいという若造を相手にしてくれる不動産屋さんなんてほとんどいなくて。唯一、今の場所を紹介してくれた不動産屋さんだけが応援してくれたんです。今の店の場所も、本当は飲食NGだったんですけど、不動産屋さんがなんとか大家さんを説得してくれて、やっと決まりました。実は、祖父のお墓が松陰神社にあるので、この辺りは子どもの頃から度々訪れていた馴染みのある場所。それが決めた理由ではないのですが、なんとなく祖父に導かれたような気がしています。今ではスタッフも増えて、少し狭く感じることもありますけど、まだまだここでやっていきたいと思っています。出て行けって言われるまではね(笑)」

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世田谷・上町界隈では知らない人はいないというほど、すっかり街に馴染んでいる「鹿港」だが、店の内側から地域はどう写っているのだろう。改めて感じる上町の魅力について、お話をうかがった。

「この辺りって、自転車で移動している人が多いですよね。自転車が行き交う街って、昔からなんだか好きでね。あと、人がやさしい町だなぁって。下町っぽいっていうか。商店街の人なんかも、冗談ぽく『いいなぁ、お前んとこは』なんて声かけてくれたり、『身体気をつけろよ』なんて気づかってくれたりして。お客さんも、おかげさまで常連さんが多くて、作業してると視線を感じることがあります。誰だろうと思って見てみると、いつも買いに来てくれる人だったり、久しぶりに買いに来てくれた人だったり。言葉はほとんど交わさないんですけど、ニコっと笑顔を交わしたりして。お客さんもちょっと照れくさそうですけど、そういう瞬間が店に立っているときの一番の喜びなんです」

あの美味しさが忘れられなくて

今では大人気の「鹿港」だが、そもそも日本人の小林さんが、なぜ台湾仕込みの肉まん屋さんをはじめることになったのか。その出会いとルーツに見えてきたのは、見事な縁の数珠つなぎ。一見、ばらばらなパーツが、自然な流れの中で結びついていくのだから、人生というのはつくづくおもしろい。

「20代の頃、台湾で日本語教師をしていたんです。ある日、生徒の一人に『肉まんを食べに行こう』と誘われたんですが、行き先までは車で2時間。全く乗り気がしていなくて。でも、せっかくだからと渋々誘いに乗ったんです。で、いざその目的の肉まんを食べたら、これが美味しくて。帰国した後もことあるごとに思い出して、横浜や神戸の中華街に行ってみたり取り寄せたり。でも、あの味に再び出会うことはありませんでした。そんなことを繰り返していたら、次第に“食べたい”という欲求が、“作りたい”に変わりはじめて。この頃は、地ビールを作る仕事をしていましたから、同じ食という分野で肉まん作りに興味を持ったのは自然なことだったのかもしれません」

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心が決まったら、すぐ行動に移すのが小林さんのすごいところ。まずは、一緒にお店を切り盛りする奥さんと台湾へ向かった。行き先は、もちろん、かつて訪れたあの店、台湾で八代続く老舗「振味珍」。そして、「振味珍」がある町こそ、店名にもなっている鹿港(ルーガン)だ。生徒と訪れたあの店に、ひとつの志を抱いて再び訪れることになるなんて、小林さんも含めて、一体誰が想像しただろう。

「1回目は妻と、2回目は兄と訪れて、修行のお願いをしたんですけど、あっさり断られました。というのも、その店は、支店を出すことも暖簾分けもしていない門外不出の店。断られるのは当然でした。でも、諦めきれなかった私は、覚悟を決めて妻と3回目の訪問。2人で土下座をして頼み込んで、やっと修行の了承を得ることができたんです。後から聞いた話ですが、先代の社長は、昔、日本で料理人をしていたことがあって、そのときの日本への恩返しのつもりで了承してくれたそうです。それから約2年間、『振味珍』の方たちは、まるで家族のように私を受け入れてくれて、なるべく早く習得できるようにと熱心に指導してくれたり、『お腹は空いてないか』と常に気にしてくれたり。とにかく愛情深かったですね」

肉まん屋になろうと決意してから修行が決まるまで約2年。断られても諦めなかった小林さんの情熱には感服してしまう。そして、先代のエピソードを聞けば、これも何かのご縁と思わざるを得ない。こうして紐解くと、「鹿港」誕生までの全てのプロセスは、ごくごく自然な流れの中にある。

「日本語教師をやっていたときに覚えた中国語が修行には役に立ちましたし、地ビールと肉まんの生地は発酵という共通のプロセスを踏みます。それに、食べることも作ることも大好きでしたし、レシピがあるものを忠実に作ることは得意だったんですね。ですから、ここまでの道のりを振り返ると、少しずつ組み立てられて最終的にここに落ちついた、という感覚なんです」

変わらないあの味への探求はまだ続く

「鹿港」は昨年の11月で丸13年。14年目を歩みはじめた。長いこと同じものを作っていても、「仕上がり平均は90点、100点のものはなかなか作れない」と小林さん。作るほどに完璧を求めるのは職人の性なのかもしれないが、それは「感動の味に再び出会いたい」という最初の想いが、今でも小林さんの指針になっている、という証ではないだろうか。

「急に寒くなったり雨が降ったりしただけでも影響を受けてしまうので、今でも生地づくりは難しいと感じます。シンプルなだけに誤摩化しがきかないんです。だから、今でも全然余裕はなくて、気づくといつも眉間にシワが寄っちゃって(笑)。台湾で修行していたとき、『肉まん屋をやるのは、お前が想像するよりも何十倍も大変だぞ。覚悟はあるのか?』って何度も聞かれたんです。そのときは、やりたい一心で、『大丈夫!』としか答えなかったけど、今はその言葉の意味が痛いほどによくわかります」

店の入れ替わりが激しい昨今、同じ場所で変わらず店を営み、行列ができるほどに愛されている店は、そう多くはない。だからこそ、いつまでも変わらずにそこに在るということは、穏やかに強く、そして美しいことのように思える。

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「店の内装をしてくれた方から、オープン時にこう言われたんですよ。『10年やったら褒めてやる』って。今でこそ季節問わずお客さんが増えましたけど、オープン当初は夏場に買いにくる人はごくわずか。そんなときでも、諦めずにやってみよう、10年はやってやろうって、この言葉に随分と支えてもらいました。そして、続けてきた今、やっと作っているものに対しては、誰も真似できないっていう自信を持てるようになりました。だから、ドシっとしていられる。近くにどんなお店ができようと気にすることなく、粛々と美味しい肉まんやまん頭を作り続けるだけ。そして、お客様を大事にしていくことです」

「変わらない」ことには、覚悟がいる。そして、その正解を目指して作り続けることには、プレッシャーも伴うだろう。それでも、終わりのない探求を続けるのは、きっと、あの感動した味を作りたいという熱い想いが、今でも小林さんの中に溢れているから。ハフハフとまん頭を頬張ると心がほっとあたたかくなり、なぜだか懐かしく幸せな気分に包まれるのは、小林さんの感動の欠片が入り込んでいるからだろうか。お腹だけでなく心まで満たされてしまうその味に魅せられて、きっと、みんな行列に並んでしまうのだ。そう、書いているそばから、「鹿港」のまん頭が食べたくて食べたくて仕方がない。

鹿港

住所:世田谷区世田谷3-1-12

TEL:03-5799-3031

営業時間:10:00~売り切れ次第終了

定休日:毎週木曜、第2・4水曜日

鹿港ウェブサイト(http://www.lu-gang.com

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