刺繍作家

atsumiさん

最寄り駅
駒沢大学

atsumiさんの作る刺繍は、どこまでも自由だ。まるでお絵描きするみたいに、糸を使って表現する。刺繍で“描く”という表現がぴったりだ。モチーフも、atsumiさんの手にかかれば、どんなものだって刺繍になってしまう。虫もアルマジロも裸の女性も、カール・ラガーフェルドやナスカの地上絵だって。そんなatsumiさんの、見ている人の心にチクリとつき刺さる不思議な刺繍が生まれるアトリエにお邪魔した。

文章:薮下佳代 写真:砂原文 構成:加藤将太

慣れ親しんだ世田谷での暮らし

大きな窓から入ってくる優しい春の光を浴びながら、atsumiさんが迎えてくれた。窓の外には、平屋建ての家。新緑の木々がそよぐ、その借景がなんとも美しい。1LDKのメゾネット。1階は打ち合わせや大きな作業をするスペースとして使用するリビング、2階のアトリエからは、糸くずが風に乗ってひらひらと落ちてきた。時々、手を休めては、窓に目を向ける。まぶしい緑が窓いっぱいに広がり、何とも心が安らぐ。東京なのに、どこかゆったりと違う時間が流れているような空間だ。

東京に来てからはずっと世田谷区民というatsumiさん。多摩美術大学に在学中からしばらくは二子玉川に住み、つづいて駒沢大学に9年ほど。この場所には、2017年1月に引っ越してきたばかりだ。

「大きい川か大きい公園が近くにあるところがやっぱりいいなと思っていて、駒沢大学にしました。ここは神社も公園も近くて静かだし、まわりには素敵なおうちがいっぱいあるから見ているだけで楽しいんです。1日中、家にこもって仕事をしているので、本当に出不精で(笑)。そんな私でも、バスに乗ればどこにでも行ける便利さもあって。公園の近くにあるバッティングセンターにも時々行きます。バットを振るとすごく気持ちがいいんですよ!」

やわらかな雰囲気をまとうatsumiさんが、バッティングセンター?! とは意外かもしれないが、刺繍をしていると、肩や背中がどうしても凝ってしまう。そんな時のお気に入りのストレス発散方法なのだという。

「刺繍って、本当に肩が疲れるので、いい肘掛けイスを探してるんですが、このイスもかわいいからお気に入りのもの」。そう言って座った場所が、atsumiさんの仕事場。針と糸と布。それがあれば、どこでもできてしまうから、とてもコンパクト。刺繍をする時は、この肘掛けイスに座って作業する。あとは、スケッチや下絵を描いたりといった作業は、窓に向かったデスクで。窓からは、気持ちのいい風が入ってきた。

刺繍だけは続けてこられた

多摩美大では、デジタルコミュニケーションデザイン学科に在籍。刺繍という手仕事の世界とは対極のようにも思える経歴だが、atsumiさんにとっては何の違和感もなく同居している。

「グラフィックはもちろん、ウェブサイトや動画、インタラクティブなデザインなど、パソコンでできるさまざまなことを勉強しました。刺繍は、趣味のようなもので、身近にありました。母が洋裁をしていたので、小さな頃、入学の時にはコップ入れやバッグ、シューズ入れを作って、そこに刺繍を入れたりしてくれて、すごく嬉しくて。でも、刺繍のやり方は、母から教えてもらったことはなくて、あくまでも独学なんです」

多摩美術大学卒業後は、アパレルメーカーに就職。その後は、多摩美大に戻り、大学職員として働いた。時々は、友人と作品展をしながら、作品を発表。作品のなかに刺繍という技法を使うことはあっても、刺繍作家になるなんて思ってもみなかった。卒業制作となる最後の作品展で、作品よりも刺繍の方がいいねと褒められたことがあり、ただ、刺繍の作品をつくることが楽しかったのだ。

「すごく飽きっぽい性格なんですが、刺繍だけは、不思議と続けられる気がしたんです。時間の感覚が自分のペースに合っているというか。刺繍ってどんなに急いでも、できることは決まっているし、早ければいいってものでもなくて。せっかちなのに、刺繍に対しては、きちんと時間を使えるし、ストレスがなかった。アーティストの友人が多く、次第に、私もアーティストでやっていきたい。自分の名前で仕事をしたい。それならば、刺繍はちょうどいいなって思えるようになったんです」

初めてのヨーロッパで体験したこと

多摩美での仕事を辞めて、しばらく独りでヨーロッパ旅行に出かけることにした。その旅が、この後のatsumiさんを決定的に変える旅になるとは知らずに。

「初めての独り旅でした。もともと、工芸や民藝に興味を持っていたから、古いものや手仕事が根づいているヨーロッパに行ってみたくて。イギリスで、大きなクラフトフェアがあって、それに行くのも大きな目的のひとつでした。3カ月くらいかけて、チェコ、オーストリア、イタリア、フランス、イギリス、それぞれ2都市ずつぐらいを周りました」

旅の最終地、イギリスでは、イギリス在住の友人とともにグループ展に出展するという機会を得た。刺繍の作品をはじめ、コラージュなどを出品。そこでの反応が、atsumiさんの自信につながった。

「今ほど刺繍をやっていたわけではないので、すごく下手だったと思うのですが(笑)、日本人があまりいなかったこともあって、『丁寧でかわいいね』という反応だったんです。イギリス在住の日本人の方には、『イギリスにはない感性ね』と言ってもらえて、すごくうれしかった。そこでやっと、刺繍でやっていけるかもしれない、もしやっていけたなら幸せだなと思えたんです」

ヨーロッパから帰国後、お金を貯めるために一度は派遣で働きながらも、刺繍作家として活動を始めた。人に見せられるものを作ろうと、とにかくたくさん作品を作る刺繍だけの日々。

「遠回りしましたね。10年早ければって思うこともあります(笑)。今は刺繍作家ってたくさんいらっしゃるんですが、今から7〜8年前は、まだ全然いなくて。もちろん大御所の方はいたんですけど、若手の方はあまりいなかった。いたらきっと比べてしまったと思います。だからタイミングがよかった。気楽に『刺繍作家です』と名乗り始めることができたんです」

迷って、遠回りしながらも、ずっと刺繍を続けて来たからこそ、辿り着いた道のり。それはまるで刺繍するみたいに、自分なりのペースで、少しずつ進めてきたatsumi さんだけの時間。少し時間はかかってしまったかもしれないけれど、その道中で見てきた景色は、今のatsumiさんの刺繍にも反映されている。

「洋服の勉強や刺繍を勉強された方とは、発想の方法が違うんだと思います。それを面白いと思ってもらえて、お仕事をいただけているのかもしれません。刺繍をずっとやってきた人とは、生地の使い方や素材の使い方が違うらしくて。もともと裁縫が下手なので、私でもどうやったらできるかなと考えた結果、今までにないものができあがるというか。最初に出した本のテーマは『エンブレム』だったんですが、こんなふうに端を切りっぱなしのまま置いておくなんて、洋裁ができる人からしたらあり得ないことで。でも私にはできないし、古ぼけてほしかったから、このままの良さがいいなと思ったんですけど、このまま堂々と本に載せてしまった(笑)。今までの刺繍とは違う、私にしかできない刺繍のやり方が受け入れられたことがうれしかったですね」

atsumiさんが選ぶモチーフも、ユニークだ。イラストのように多種多様な世界がある。刺繍で似顔絵も描く。文字が好きで、フォントをつくる人になるのが夢だったということもあって、特徴的なアルファベットもすべてオリジナル。atsumiさんがやろうとしているのは、書きたいモチーフを刺繍でどう表現するか。それは、イラストを描くみたいに、自由で軽やかに刺繍の世界をどんどん広げていくことだった。

「絵が下手で、それがずっとコンプレックスだったんです。それが刺繍になると、許せちゃう。刺繍でなら、自分が認められるものを作ることができた。きっと普通に絵を描いたら、全然違うものになっていたと思います。刺繍という技術を使って、絵を描く。そのほうが風合いも変わるし、糸やステッチの組み合わせも無限にあるので、お料理みたいで楽しいんです。刺繍の楽しみってステッチや糸の組み合わせで、絵が描けない人にもできてしまうこと。それをみんなにも知ってほしいなって思っています」

atsumiさんにとって刺繍とは「絵を描く」「色を塗る」手段のひとつであり、絵の具か、色鉛筆か、プリンターか、糸か、という選択肢のひとつだった。下絵を描き、その上に糸で色をのせていく。色もステッチも、頭のなかにあるから、完成図を知っているのは自分だけ。色の組み合わせ、モチーフの選び方、ステッチの種類によって、atsumiさんならではの独特な世界観が、針と糸だけで作られていく。

「外国の石畳とか、カラフルなタイル、模様がすてきな壁紙など、たくさんスケッチしてきました。今でも映画を見ていると、セットのほうに目がいっちゃうことが多くて(笑)。民族柄も国問わず好きで、アジアやヨーロッパなど伝統的なものに惹かれます。昔の古い家にあったスリガラスの模様とか、町を歩いて見つけたりするのも楽しい。文字と模様は自分の中の引き出しにいつもストックしておいて、自分なりに組み合わせて、オリジナルのモチーフに仕上げていくんです」

刺繍の世界へようこそ

2011年から毎年、作品集を出版し、一年に一度は必ず個展を開催。今年は6月に京都・メリーゴーランド、7月に東京・森岡書店で開催予定だ。

「年に1回は自分でテーマを決めて、個展をやっています。個展はお客さんの生の反応が見られる唯一の機会。写真ではなく、実物を見てもらいたいんです。本物じゃなきゃ伝わらないものがあると思うので」

ワークショップやレッスンも時々開催し、直接教えることもある。レッスンで作るという「サンプラー」を見せてもらった。いろんなステッチを練習しながら、自分だけのステッチの見本帳を作っていく。外国ではその昔、家庭科のような授業でサンプラーを作っており、それが今も残って美術館などに収蔵されているのだという。それを見て、atsumiさんもレッスンに取り入れている。

「ほぼ独学なので、人に教えるのって抵抗があったんです。けれど、刺繍のいいところは、世界中でやられていて、それぞれ違うところ。同じステッチでも呼び方が違ったり、やり方が違ったりするし、流派があるわけでもないんです。私はとにかく数は作ってきたという自負はあるので、自分がわかる範囲で教えられたらと思っています」

atsumiさんの刺繍を見ていると、自分の手を動かしたくなってくる。刺繍は時間の経過そのものだ。atsumiさんがひと針ひと針刺した時間がまるごと、そこには詰まっている。私たちは完成したものしか見たことがない。その過程はatsumiさんしか知らないものだ。その時間に、思わず嫉妬さえしてしまう。「忙しい」が口癖の私たちが過ごすのとは、違う時間がそこには流れているように思えるからだ。

atsumi

刺繍作家

多摩美術大学卒業後、アパレルメーカー、同大学に勤務ののち刺繍作家としての活動を始める。刺繍をベースとした作品づくりで個展を開催するほか、異素材を扱う作家・企業とのコラボレーションワークや、アニメーションへの素材提供・装画制作・ワークショップなどの活動をしている。著書は『刺繡のエンブレム』(2011年、文化出版局)、『ことばと刺繡』(2013年、文化出版局)、『刺繍のいろ』(2014年、BNN新社)、『刺繡のエンブレム AtoZ』(2016年、文化出版局)など。

 

atsumi ウェブサイト

https://www.itosigoto.com/

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