沖縄居酒屋ゆいゆい

難波良さん

最寄り駅
世田谷

1月と12月の15、16日の年に2回、多くの人で賑わう「世田谷ボロ市」。普段はどちらかというと閑散としているこの通りに、なんと700店もの露店が立ち並び、あらゆるものが売り買いされる。この通称「ボロ市通り」に店を構えて11年目になる「沖縄居酒屋ゆいゆい」の店主・難波良さんは店を切り盛りしながら、トレモノというバンドでギターを弾いている。今年7月には、長年の夢だったメジャーデビューが決まったが、その日もいつもと変わらず店を開けていた。

文章:薮下佳代 写真:山川哲矢(バンド・ライブ写真を除く) 構成:加藤将太

バンドマン兼沖縄料理店の店主

世田谷区世田谷一丁目にある世田谷代官屋敷の前を走るボロ市通り。ちょうど東急世田谷線世田谷駅から上町駅の間ほどの距離だ。この界隈に住む人には「ボロ市通り」と言えばすぐにわかるのだけれど、この通りの場所を人に伝えるのはなかなか難しい。世田谷通りと平行して走るこの「ボロ市通り」は昔ながらの商店街で、飲食店などが建ち並ぶ。「沖縄居酒屋ゆいゆい」も2006年から営業をスタート。しかし当時は、店主の難波さんの母が西表島から上京し、勢いで始めたお店だった。

「もともと母は西表島でお店をやっていたんですけど、ある時、父とケンカをして、もう島にいたくないからと東京に逃げてきました(笑)。僕は当時、若林にある6畳一間のアパートに住んでいて、そこに母が上がり込んで来たんです。当時23歳の僕と母ちゃんで6畳一間で生活するのは結構つらかったですね。母ちゃんもイヤだったのか『お店やるわ』と言って、住居付きのこの物件を見つけてきました。その2カ月後にお店をオープンしたんです」

お母さんの行動力にはただただあっぱれだが、難波さんもいつしかその台風のような母の勢いに次第に巻き込まれることになる。お店をオープンして2年ほどして、無事仲直りしたお母さんは西表島に帰って行ったが、店は難波さんが跡を継いで続けることになった。


どこかで修行して、お金を貯めて必死になってお店を始めたわけじゃないし、そもそも自分で始めようと思ったわけでもない。ただその境遇に抗おうとせず、流れ流れて、いつのまにか沖縄料理店の店主になっていたというべきか。

「沖縄料理だからできるラフさというか、沖縄好きな人ってそういう“いい加減”なところを喜んでくれたりして、いいバランスでできているのかなと思っています。僕がトレモノというバンドをやっているので、ミュージシャンのお客さんも結構来てくれるんですよ。そういうつながりもあって11年、なんとかやってこれたのかなって」

4年前に結婚して子どもが生まれてからは、子連れの方も食べに来てくれるようになった。早い時間帯には保育園みたいに子どもたちでいっぱいの時もあるという。常連だらけの入りづらい居酒屋だったはずが、いつのまにか家族連れで賑わうお店になり、地元で愛されるお店になっていた。

お店があるから音楽を続けられる

18歳で上京し、音楽学校に通いながら、三軒茶屋にある学生寮に住んでいた。いずれミュージシャンになりたいという夢を抱き、バンド活動も中学生の頃から続けてきた。西表島でバンドを初めて組んだ頃から20年が経ち、いよいよ今月、トレモノとしてメジャーデビューの夢が叶った。

「東京には夢がありますよね。音楽で一発当てたいみたいな。それはずっとありました。中学の頃にバンドを始めた時からずっと。とにかくデカい会場で、たくさんの人の前で演奏したいと思ってきました。遠回りし続けたけれど、こうやってお店もやりながら、ちゃんとできるんだなって」

もしバンドがうまくいったら、お店は誰かに任せようと考えていた頃もある。けれど今は、お店もやりながら、音楽を続けていきたいと思っている。待ってくれているお客さんがいるからだ。

「自分のお店だという自覚と責任もあるし、ありがたいことに僕に会いに来てくれるお客さんも多くなってきていて。平日はお店に立ってライブに行く時はお任せして、っていうのが理想かなと思っています。昔お客さんによく言われたんですよ。『どっちかにしなさいよ』と。店も音楽も中途半端なんじゃないかって。でも、音楽やりながらお店もできるっていうのを見せてやりたいというか、意地になってる部分もあるかもしれないですけど(笑)。やっぱりお客さんの存在が一番ですね。今も両方、完璧にできてるかといえば違うと思う。でも音楽がうまくいってるからこそ、お店に還元できることもあると思うんで」

実は、トレモノを結成する前、8年間やっていたバンドを解散し音楽を辞めて、お店を本腰入れてやろうかと思ったことがあったという。けれど、店を3カ月やってうまくいかなくなって体調を壊した。そんな時に、以前のバンドでドラムだった木田龍良さん(トレモノ / ボーカル)が新しくバンドを始めるから一緒にやらないかと誘ってくれた。もうやらないだろうと思い、ガムテープでぐるぐる巻きにして押し入れの奥の方にしまっていたギターを取り出すことになった。

こうして2009年にトレモノを結成。2013年にはタワーレコード主催のオーディションに出場しグランプリを獲得。その後はライブと全国各地のフェス出演をコンスタントに続け、いよいよ今年7月、ワーナーミュージック・ジャパンよりメジャーデビュー作となるフルアルバム『island island』をリリースした。

「南国を彷彿とさせるサウンドで、とにかくハッピーで楽しい音楽というのは初めから自然と意識していました。タワレコのオーディションの前ぐらいに『これだよね』と。今回のフルアルバムでは、“アイランドポップ”っていうキーワードが出てきて、さらに方向性が固まってきたように思います」

みんなすぐに踊り出せるハッピーな音楽を

メンバーはみな石垣島出身。難波さんだけが西表島出身だが、石垣島や西表島などの島々は「八重山諸島」と呼ばれ、八重山は歌の島、芸能の島といわれるほど盛んなところだ。その八重山で生まれ育った4人が奏でるメロディに“沖縄らしさ”がにじみでるのは当然だろう。しかしながら、彼らの音楽に「三線」は入らない。難波さんをはじめ、メンバーの沖縄への思いはとても強いからこそ、安易に“沖縄らしさ”を入れることをためらってきた。簡単にそれを売り物にしたくないからだ。

「八重山に住んでる友だちにいっぱいいるんですよね、若いのにすごい歌を歌う人が。80歳くらいのじいさんが歌うような、そのなんとも言えない深みに、じわっと涙が出てきたりする唄者(うたしゃ)がいたりする。僕の3〜4つ下の白保出身の三線奏者がBEGINでベースを弾いてるんですけど、彼から三線を聞かせてもらったりしてると俺もやりたいなと思うこともありました。でも、彼は小さい頃からずっとやってきて、歌う曲も言葉の意味もちゃんと調べて、その曲が作られた現地に足を運んでルーツをたどる。そこまでしないと歌えないんだなって」


そうした八重山の音楽の歴史やその厚みのなかで、小さい頃から当たり前にあった沖縄の音楽がトレモノのルーツにある。

「僕は沖縄の血は入ってなくて、父も母も石川県からの移住者。西表島で生まれ育っていくなかで、誰かが三線を弾いたり歌っているのをいつも耳にしていました。西表にも上手な人がいっぱいいて、普通の酔っ払いのおじさんに三線持たせたらぐっとくる歌を歌う人がいっぱいいたんです。みんなすぐに踊り出すし、すごくハッピーなんですよね。そういう音楽をやりたいなって」

沖縄の音楽の楽しさ、人を踊り出させるメロディ、みんなをハッピーにさせる力がそこにはある。それらを自然と受け継いでいるのがトレモノなのだ。

「曲を作ってるのは、僕と木田がほとんどでしたが、このアルバムはみんなで作りました。今回は、試験的に沖縄の言葉を入れてみようと思って『ハイサイ』って入れてみたり(笑)。今まで沖縄の言葉も入れたことがなくて。歌詞も沖縄を思って、東京でがんばっている人の歌詞になっていたり、今までになかった試みですね」

メジャーデビューはひとつの区切り

島から生まれる音楽がきっとある。それは、そこに住んでいたからこそ生まれるもの。だとしたら、東京にいるからこそ生まれるものもあるんじゃないか。遠くにある故郷を思いながら、東京で沖縄の風を吹かせる。そんな歌。

「いつか絶対に沖縄に帰りたいってみんな思っているし、僕も今すぐにでも戻りたい気持ちもある。でも今は東京で頑張る時なんだと思っています。具志堅用高さんはあんな小さい島から世界チャンピオンになったじゃないですか。そのことにどれだけの人が勇気をもらったり、元気づけられたか。僕たちもそれを目指したい。八重山のミュージシャンとして離島出身でも東京でやっていけるんだぞっていうのを示したいですね」



いよいよメジャーデビューを果たしたが、店舗へのあいさつまわりやラジオへの出演、音楽イベントへの出演やリリースライブもあって、7月、8月はさらに忙しくなることだろう。

「もちろん今までどおり店に立ちます。ラジオに午前中出て、帰って来て仕込みして、ちょっと働いてアルバイトさんが来たら、夜のラジオに出かけるみたいな(笑)。その夜は朝までスタジオに入って音合わせ。そういう生活が始まるのは楽しみです」

あくまでもお店が大事なのは、今までもこれからも変わらない。お店での出会いがきっかけでso many tearsと対バンすることが決まったり、ASA-CHANGがメンバーに加わったり。この場所で沖縄料理をやっているからこその出会いがあった。

「茂木欣一さん(東京スカパラダイスオーケストラ / so many tears / フィッシュマンズ、ドラム)が食べに来てくれたことがあるんですよ。でも俺、まったく気がつかなくて(苦笑)。だって来るわけないと思うじゃないですか。それがきっかけで対バンを申し込みました。石垣のフェスでASA-CHANGさんにご挨拶した時にも『世田谷で沖縄料理やってます』って言ったら、『え、ゆいゆいって10回くらい行ってるわ!』って。その後、店にまた来てくれて仲良くなって。関東のライブにはほとんど入ってくれる予定です」


難波さんは今年で34歳。世田谷に住んで今年で16年目になる。中学卒業と同時に出た西表島よりも長くなった。松陰神社前も上町も若い人が増えて、少しずつ町が盛り上がってきたのを感じている。相変わらずボロ市通りはのんびりしているけれど、少しずつ若い人のお店も増えて賑わってきた。

「お店としては地道に、地域に根ざした感じでやっていきます。目標は、15年、20年とやり続けること。他のお店は30年以上この場所で営業してますからね。老舗までいかずとも、自分もここでそれくらい続けられるんじゃないかって。これからも長くやっていきたいですね」

音楽と同じくらい、お店への愛を感じる。地元の人に愛される「ゆいゆい」はこれからも変わらず、ここにある。トレモノの音楽と同じように、沖縄を感じたくなったら「ゆいゆい」を訪れるといい。東京のなかの“リトルオキナワ”がここにあるから。



沖縄居酒屋ゆいゆい
住所:東京都世田谷区世田谷1-17-4
営業時間:17:00~24:00、土日16:00~24:00
定休日:月曜
Facebook:@yuiyuiboroichi
Instagram:@setagaya_yuiyui
Twitter:@Yuiyuinonanba

ウェブサイト:http://toremono.com(トレモノオフィシャルサイト)

 
(2017/07/28)

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