レストランけやき

小島一義さん

最寄り駅
松陰神社前

松陰神社前駅と世田谷駅のほぼ間に位置する世田谷区役所。世田谷区民ならば一度は訪れたことがあるかもしれない。なかでも、世田谷区民会館の地下にある「レストランけやき」は、知る人ぞ知る穴場スポット。まるでタイムスリップしたかのような昔ながらの食堂で、本格的な洋食や中華が味わえる。区役所で働く人だけでなく、区民や近隣の学生も訪れ、昼時ともなれば長蛇の列に。その愛されるゆえんを確かめるべく、支配人の小島一義さんを訪ねた。

構成・文章:薮下佳代 写真:衛藤キヨコ

老舗料亭が手がける、区の食堂

ル・コルビュジエの弟子といわれる建築家・前川國男氏が設計した重厚感のあるコンクリート造り。当時の最先端のモダニズム建築として、いまだ多くの人を惹きつけている世田谷区役所(第一庁舎、第二庁舎)と、世田谷区民会館。それらを取り囲むように、区の樹として知られるけやきの大木がどっしりと根を張っている。葉を落とし始めたけやきは秋の空にくっきりと存在感を増し、通り過ぎる人々を見下ろしている。

世田谷区民会館のほうが一足早く1959年に竣工。音楽や演劇が行なわれる大ホールだけでなく、当時は結婚式場や図書館もあり、区民に親しまれていたという。1985年から「レストランけやき」で働く、支配人の小島一義さんによれば、区民会館ができた当初は、いまの場所とは異なり、1階で営業していたそうだ。


「世田谷区民会館ができた時、地下1階のここは図書館だったんです。うちは1階に入りました。さらに上には貴賓室もあったんですよ。上階ですからもちろん景色がいいお部屋だと思うんですけれども、やはりこの場所から滝を見るロケーションが一番いいと思いますね。当時はね、まだ滝はなくて1988年に後からできたんです。この近辺にお住まいの人たちは、この図書館ですごく勉強したらしいですよ。勉強熱心な方が多い地域ですからね、いまだによくおっしゃいます。『中学、高校とここで受験勉強したんだよ』と」

当時、人気だったという2階にあった結婚式場は、1日に4〜5組も入っていたそうで、松陰神社や世田谷八幡宮で式を終えた後、披露宴は世田谷区民会館で行なっていたのだそうだ。

「結婚式場が少なかったですからね。昔は各家庭でやっていましたでしょう。近くの神社で式を挙げて、区民会館で披露宴をやって。うちが料理を提供していました。近くには、和服の着付けをするお店もありましたし、引き出物は経堂の『亀屋』さんが手がけてらっしゃいましたね」

いまでも「レストランけやき」は、宴会場として借りることができ、同窓会などの集まりやパーティの予約がたびたび入るのだという。区民のための施設としていまも多くの人に活用されている。

実は、「レストランけやき」の前身は、上町にあった老舗料亭「一艸亭(いっそうてい)」だったということはあまり知られていない。先代が世田谷で生まれ育った縁で、区民会館ができる際、出店することになったのだそうだ。

「うちは、上町で庭園割烹をやっていたんです。500坪くらいありましてね。庭には築山があって、滝が流れる池には鯉が泳いでいて太鼓橋がかかっていました。いわゆる昔の料亭ですね。時代劇の撮影でよく使われていたんですよ。世田谷では一番大きかったですからね、大臣なんかもよく訪れたりしていました。いまじゃ造れない、それはそれは立派な庭でしたね」

しかし、バブルがはじけ、1991年に「一艸亭」は閉店。その支店として区民会館で営業していた「一艸亭」は、1985年に地下のいまの場所へと移動した際、「レストランけやき」に変更になった。

区の食堂とは思えない、本格的な中華と洋食メニュー

「レストランけやき」のメニューがなぜか洋食と中華なのか不思議に思っていたが、本店である「一艸亭」が和食だったから、と言われて納得した。中華は有名店で腕をふるっていたというシェフが担当するだけあって、味は本格派。洋食も専門のシェフが手をかけて作っており、洋食店に負けない味にファンが多い。宴会用に、舟盛りやオードブルの盛り合わせなどの華やかなパーティ料理ももちろん手がける。しかも、そのシェフが、普段のランチを作っているというのだから驚きだ。


リーズナブルでいて、本格的な料理が楽しめるのが「レストランけやき」の一番の人気の理由だろう。特に、「麻婆豆腐」は花椒がピリっとよく効いた高級中華料理店のようなクオリティ。タンメンも味わい深いコクのあるスープで飲み干したくなる。

「公共の施設ですけれども、なるべくおいしいものをという思いでやっております。長年ここで私どもも商売していますもんでね、58年もやってこれたというのは、おかげさまでまじめに商売をしてきたから受け入れていただいたんだと思っています。シェフもね、料理に情熱を持っている人ですから、手を抜くのが嫌いなんです」

社員食堂などの大きな施設であれば、短時間でいかに人をさばくか、という効率第一主義になりがちだが、「レストランけやき」はお客様へのサービス第一で昔も今も変わらずにやってきた。プラスチックのお皿は一切使わず、陶器の食器に、丁寧に置かれたテーブルセット、ナプキンに描かれたレトロな「けやき」の文字。コーヒー豆は豆から引くため、いい香りがしてくる。スタッフの制服も男性は蝶ネクタイに女性の真っ白いエプロンがまぶしい。まるで昔のデパートの食堂のような趣で、懐かしさに心をくすぐられるだろう。



「お店も企業ですから、利益を追求しないといけないんですけれども、やはり区の施設という場所柄、そういうふうにはならなかった。先代は、この土地で商売をやらせてもらっているんだから、みんなに喜んでもらえることに主眼をおこうと。この場所は特にそういう思いでやっていましたね。地元を愛すると言ったらオーバーですが、地元を大事にしたいという思いが原点なんでしょう」

物事はすべて成り行き。2年後には建て替えへ

小島さんは山梨県出身だが、大学進学を機に、世田谷に住んでいた親戚のもとへやってきた。叔父が都内各地で飲食店を手がけていたこともあり、大学を卒業後はそこで働きながら、飲食のノウハウを学んだ。

「世田谷に住んでもう50年になりますね。東京に住んでからは世田谷を出たことはないんですよ。社会人になってからは、和食も洋食も中華も一通りいろんなことを経験しましたね」

「一艸亭」の先代の娘と結婚し、家業を継いだ。30歳を過ぎた頃、「レストランけやき」の支配人に抜擢される。とまどいながらも、なんとかお店を切り盛りしてきた32年間。「いろいろありましたね」とぽつり。そして「物事はね、成り行きなんですよ」と言った言葉がずしりと響いた。

「区の施設ですから、いままでやってきたことと違いましたね。商売はこうやるものだといろいろ教わってきたけれど、ぜんぜん違った。こんなにも長くいるとは思いませんでした。ここで32年もの間、変わらずやってこられたのも、みなさんのお力添えが根底にあったからなんでしょうね」

この30年近くで、環境はがらりと変わった。近くに国士舘大学ができたことも大きかった。当初は、大学に食堂がなかったそうで、区の施設でありながら、学食になっていた頃もあったという。朝、店を開けると待ちかねた学生たちが入ってきてはラーメンとチャーハンなど2食をたいらげていったそうだ。メニューも昔と変わらないが、少しずつマイナーチェンジしてきた。区の主導のもとにやっているので、なかなか変えようにも変えられないのだという。

「いろいろなことをするにも、おおごとになってしまうのでね。変えようと思っても変えられないんです。だからこそ、昔のまま変わらないでいられるのかもしれないですね」

先代が大切にしていた「掃除」を徹底しているからか、32年間一度も変えたことのないテーブルとイスは古さはあっても清潔に保たれている。レジで渡される食券は、昔は主流だった半券をもぎるタイプのもの。券売機が普及する前は、このスタイルが普通だった。



「お客様がお見えになるのが、昼休みが始まる12時から一気に集中するんです。その15分ほどで1日の5割のお客さんが入ってしまう。そうすると、テーブルにオーダーをうかがいにいくのは無理なんですね。ツーオーダーで料理を出すにはどうしたらいいのか。作り置きをしたくないのが私どものポリシーですので、必ずツーオーダーで出す。区の食堂ですけれども普通のレストランと同じなんです。ですから、いかに早くオーダーを通すかがカギなわけです。ここができた当初は券売機なんてものはないですから、それが当時、たくさん人がお見えになった時にできる最善の方法だったんですね」

オープン当初から変わらず、いまもこの食券のまま。しかし、都内ではどこも印刷してくれるところがなくなってしまい、唯一、千葉にある会社がいまも作っているのだという。

「昔の職人が千葉にいると聞いて、それでいまもお願いしているんですよ。新しいメニューができた場合も、もちろん印刷してもらいます。長年のつきあいですからね、FAXを入れればすぐに届きます。在庫がなくなりそうになったら発注します。どれが人気メニューかもうわかっていますから、長年の勘で減りもわかります」

一番人気は、日替わりランチ。オススメは中華のメニューでシュウマイも人気だとか。女性には、手ごねのハンバーグとコロッケが人気だそうで、昔ながらのオムライスも定番だ。

「昔のメニューしかやっていないんですよ。(保坂展人)区長もしょっちゅうお見えになりますが、麺類がお好きですね。区の職員と相席で一緒に食べてらっしゃいます。昼時は、テラスを入れて130席くらいが一気に埋まってしまうんですが、スタッフ6人でなんとか回しています」

一度食べたお客さんは、そのおいしさにすぐさまリピーターとなるが、特に宣伝するでもなく、看板もひっそりとしているため、ここに食堂があることを知らない人も多いかもしれない。

実は、世田谷区役所は老朽化に伴い、2020年から建て替えが始まる。世田谷区民会館は保存・再生という方針で今年9月に決まったが、バリアフリーの問題や老朽化に際し、おそらく内部にまで手が入ることだろう。

「それまではもちろん営業します。ここでずっと商売させていただいてきましたからね。どういうかたちになるかはまだ未定で、基本設計はまだこれから。区役所全部が完成するのに5〜8年くらいかかるんじゃないでしょうか。立派なけやきは保存してくださるそうだし、本庁舎にあるレリーフも移築するそうですから、いいかたちで引き継いでいってほしいですね」

「レストランけやき」がいまのかたちのまま営業できるのは、あと2年ほど。まだ2年、あと2年。変わってしまう前に、ぜひ訪れてみてほしい。

レストランけやき
住所:東京都世田谷区世田谷4-21-27 世田谷区民会館B1F
電話番号:03-3412-1230
営業時間:9:30〜17:30
定休日:土曜、または日曜(月によって変動あり)
 
※世田谷区役所の建て替えにより、2020年3月末に閉店。

(2017/11/28)

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