カクテルの店 バッカス

飯塚徳治さん

最寄り駅
松陰神社前

世田谷線に乗っていると、松陰神社前駅の近くに「カクテルの店 バッカス」という小さな看板が見えてくる。車窓から見ていて気になっているという人も多いかもしれない。ここは住宅街にある小さなバー。最近ではメディアで取り上げられることも多くなり、毎夜、いろいろな年代の人がお酒を飲みに訪れている。店主は今年で御歳87歳になる飯塚徳治さん。ドアを開けると「いらっしゃいませ」とやさしく迎えてくれた。

文章・構成:薮下佳代 写真:伊藤徹也

住宅街でバーを始めた理由

まずはカクテルを一杯。「ワインリスト」と書かれたメニューを見ながら、何にしようかなと考えていたら、「あたたかいものはいかがですか? ホットウイスキーがおいしいですよ」と提案してくださった。雪が残る寒く冷えた夜にはぴったりな一杯だ。

「長いグラスもかっこいいですよ。ホットにするとレモンの香りがふわりと香ります。砂糖を少々入れるのがおいしさの秘訣。ぐんと飲みやすくなるんです。さあ、どうぞ」

一口飲めば、寒さで縮んでいた体から力が抜けて中からポカポカしてくる。ホッと一息ついたところで、飯塚さんの話に耳を傾けよう。

ギリシャ神話の酒の神の名を冠したこの小さなバーは、今から58年前、1960年(昭和35年)5月にオープンした。以来、飯塚さんは毎日変わらず、この店に立ち、シェイカーを振ってきたのだという。30歳でお店をオープンしたが、その前はサラリーマン。いわゆる“脱サラ”でバーを始めたというわけだ。世田谷区代田に住みながら、墨田区にある自動車修理工場の事務員として働いていた。

「代田から墨田区まで通っていたんです。でも結局通いきれなかった。それで、仕事を辞めたんです。今の六本木ヒルズに森庭園ってありますでしょ? そこにニッカの麻布工場があったんですよ。そこでね、バーテンダーを養成するお酒の講習会を開いていたんです。仕事を辞めてから一年間、そこに通ってカクテルの作り方を覚えて、それでこの商売をはじめたんですよ」

サラリーマンからバーテンダーへ。30歳の飯塚青年は独立開業。サラリーマン時代に貯めていたというお金を軍資金に、この物件に巡り会い、借りることにした。

「その頃、世田谷の繁華街といえば、自由が丘、下北沢、三軒茶屋でしたね。家賃はもちろん高くて手が出なかった。本当はこれらの場所でお店を出すのが理想でしたけどね。たまたま家賃の安かった松陰神社前に決めたというだけなんですよ。駅前ですし、線路沿いですしね。バラックみたいなものでしたから、大工さんと相談しながら、中を造っていきました。設計士の人が入ってやったわけではないんです」

建物の大きさに合わせてカウンターを造った。S字のカーブを描く不思議なカウンターは、狭い空間のなかでいかに多くの人が座れるかを考えてこの形になった。酒瓶が並ぶ棚、少し低い天井にはレトロなシャンデリアがぶら下がる。天井を張り替えたり、イスもスプリングをメンテナンスしてはいるけれど、「あの頃から変わったところはありません」。オープンから約60年近くを経てもなお、変わらない。まさに文化遺産ともいうべきお店なのだ。


いろんな年代に愛される、住宅街のバー

繁華街ではなく住宅街に突然できたバー。オープンしてすぐ、お客さんは来てくれたのだろうか?

「そりゃもうみじめなもんでしたよ。でも我慢するしかないですよね。才能があったら他のことをやったと思います。でも、そんな才能ないもんですから、ここでひたすらがんばるしかなかったんです」

店を開け、お客さんが来るのを待った。でもなかなかお客さんは来ない。けれど、客引きするわけでもなく、ただひたすら待ち続けた。

「その頃はね、この商店街の中にもバーが三軒ほどあったんですよ。ウイスキーといえば有名なのがトリスでしてね、昭和35年くらいかな? トリスバーがブームだったんです。うちはニッカバーでした。けれど、ブームになって、三軒とも辞めてしまった。私は辞めるわけにはいかなかったですから、こうして続いているわけなんです」
バッカスができた昭和35年といえば、当時の池田勇人内閣が「所得倍増計画」を打ち出し、急激に日本全体が豊かになっていく、まさに成長期だった。昭和39年には東京オリンピックが開催され、東京の町は大きな変化を迎える。景気も上がり所得が増え、テレビを買い、マイカーを手に入れ、物質的に豊かになっていく、そんな時代。

「そうしますとね、サラリーマンの給料がだんだん上がり出したんです。初任給が1万円から2万円へ。その頃はね、娯楽というものがないでしょう? そうするとみなさん一杯50円だとかのウイスキーを飲みに来るようになっていったんです」

そんな話をしていた時、一人目のお客さんが入ってきた。

「ギムレットを」
「はい、承知しました」


シェイカーの小気味いい音がする。氷がぶつかるシャカシャカという音。柔和な表情の飯塚さんがシェイカーを振る時だけはキリッとした表情になる。店にはシェイカーの音だけが響いていた。

「カクテルを作る時は、一生懸命作ります。私がカクテルを作る時に話しかけてくる方がいらっしゃるんですが、ごめんなさいといいましてね、黙ってシェイカーを振る。その時は慎重に作りませんとね。召し上がった時においしくなかったら、もう二度といらっしゃいませんからね。私はシェイカーを振るのが短いんですよ。今のバーテンダーの方は少々振り過ぎなんです。振れば振るほど氷が溶けてしまい、水っぽくなってしまいます。シェイカーで振る前に一度氷を水でさっと洗っておくんですよ。角が溶けるのでお酒と合わせても溶けにくくなる。氷をたくさん入れてささっと作るのがカクテルのおいしい作り方だといわれています」

バッカスへ訪れるのは今日で3回目という男性は昭和39年生まれだという。東京オリンピックが開催された歳に生まれたそうで、昔話に話が弾む。

「20年近くこのあたりに住んでいて、電車からはずっと見ていたんですけれどね、なかなか入れなくて(笑)。でも一回入ってみたら、それからは立て続けに来ています」。世田谷のボロ市の近くに住んでいるという男性は、仕事帰りに時々こうして、松陰神社前で途中下車しては、歩いて帰るのだという。

「うちの店は地味ですから、わかりづらいですよね。知っている人しかこない。ドアを開けるのはやっぱり緊張しますよね。中が見えませんのでね。でもね、扉を一度開くと来やすくなったとみなさんおっしゃいます」

一人で来る人が大半で、若い女性や年配の女性もふらりと飲みにやってくる。年齢も幅広く、近所の人だけでなく、途中下車する方やわざわざ遠方から来る人もいる。

「長くやっておりますからね、いろんな方に来ていただいていますよ」と飯塚さん。この日も取材中、3人の男性たちが遊びに来た。20代、30代、50代と年代もバラバラで、みんな一人。インターネットで見て気になっていたという近所に住んでいる20代の若者はソルティドッグを、家に帰る前に一杯マティーニを飲んでいく30代男性など、みな思い思いの時間を過ごして帰っていった。


「ここはバーですから、お客様との出会いと別れがあります。一番最初の頃に来てくれていたお客さんは、もう亡くなってしまったり、歳になって来れなくなったり。新卒で来ていた方はもう80歳ですから。長くやっているとそういう別れがありますね。でもまた若い人が来てくれて、新しい出会いがある。そうやってくり返してきたんです」

バーに立ち寄ってお酒を飲む。1日の終わりの儀式のような、そんな時間をここで過ごす人たちがいる。58年もの間、いろんな出会いと別れを経験してきた飯塚さんにとって、このお店には語り尽くせない思い出が数多くあるのだろう。

長く店に立ち続ける秘訣とは

バッカスは年中無休。基本的には毎日店を開けている。58年もの間ずっと変わらずに、だ。

「毎日毎日を全力投球しないんです。カクテルを作る時はもちろん力を入れますけど、それ以外は力を抜くようにしています。会社にいても、ずっと力を入れているわけじゃないでしょう? 力の配分を考えてやっているんですよ」

実際、お客様もここにリラックスしに来ている。ここは、ピシッと背筋を正さないといけないような緊張するバーではない。飯塚さんの自然体の、少々力の抜けた雰囲気が、仕事帰りにちょうどいいのだろう。

孫のような年齢のお客様でも話に耳を傾け、あいづちを打つ。どんなお客様であっても、謙虚な姿勢を忘れない。

「私のアンテナはお客様そのもの。お客様から話を聞くことで、私が見ているのとは違う世界を教えてくれますから。仕事じゃないと出会えない方、普段だったらお話ししない方にも店でなら会える。ここにいる時は地位とか関係ないじゃないですか。偉い人かもしれませんし、普通の人かもしれません。でもここに来れば普通に話をしていただける。お客様にお名前とお仕事は聞きません」

バーは何者でもない、自分自身になれる場所だ。たわいもないことを話すこともあれば、時には人生相談することもあるかもしれない。会社と家の間で一息つける場所があるというのはとても幸せなことだと思う。

「飲んでおいしいと言われなくなってしまったら、辞めなきゃなりません。いつ辞めるのか、どこで終わりを迎えるのか、というのが難しいところですね。サラリーマンだと定年があるけれど、自営業はありませんからね。求められるまでは仕事したいですし、それが理想でございますね」

働き始めて18年近く経った自分自身のことを思うと、飯塚さんのように58年間、つまりあと40年もの間働き続けられるだろうか、とも思う。

「実はね、70歳で辞めると思っていたんですよ。でもね、70歳になってみたら、『まだできるかな?』『まだできるかな?』と思っているうちに、こんな歳になっていました。いまは、一日一日が楽しい。そうやって一日一日を大切に思えるのはすばらしいこと。仕事というよりも自分の楽しみとしてこの店を開けています。だからだんだんとね、境がわからなくなってきました(笑)。もちろん商売ですから、お客様からお金を頂戴するのが理想なんですけども、お店に立つことの意味が、今までとは違うようになりましたね」

車窓から見えるバッカスのほのかな灯りを見るたびに、今日も飯塚さんは相変わらず店に立っているんだろうなと想像する。そして一杯飲みたくなったなら、そんな時はためらわずドアを開いてみてほしい。お店はたくさんあるけれど、通えるお店となるとそう多くはない。「次のオリンピックも見たいんですけれどね、先のことはわかりません」。そう話す飯塚さんとともに、次のオリンピックが来るのを楽しみに待とうと思う。

カクテルの店 バッカス
住所:東京都世田谷区若林3-19-6
営業時間:17:00~24:00
定休日:日曜
※2020年よりご親族が引き継いで営業中

 
(2018/02/27)

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