酒の唐木屋

坂本義一さん

最寄り駅
西太子堂

三軒茶屋から世田谷線に乗って、西太子堂駅で降りると、すぐ目の前に「酒 唐木屋」の看板が目に入ってくる。入り口には酒瓶のラベルが貼られ、手書きの文字がびっしり。年季の入ったその佇まいに並々ならぬ雰囲気を感じる。ここは、酒好きたちのワンダーランド。店内にある酒は、ほぼすべて有料で試飲ができるのだという。さらにもっと驚くべきは、店主・坂本義一さんによる、常識はずれの酒の楽しみ方だった。

文章・構成:薮下佳代 写真:加瀬健太郎

お酒の味を、まずは知ってもらうために

おそるおそる店内へと入ると、外の明るさと中の暗さの落差に一瞬たじろぐほど。しかしながら、次第に目が慣れてくるのでご安心を。壁一面に酒を保存する氷温庫と冷蔵庫が並んでいるが、酒のラベルやポップの文字が見えづらいほどにはまだ暗い。よくよく目を凝らすか、常連たちの中には小さな懐中電灯を持参する人もいるのだとか。

店内がここまで暗い理由は「お酒は光が嫌い」だから。紫外線を当ててしまうと、酒はたちまち劣化してしまう。品質を保つため、一切の光を遮断し、必要最低限の光だけをつけているのだという。「本当はもっと暗くしたいんだけど、それだと何も見えなくなるから、これが限界かな」と店主の坂本義一さんは笑う。ここは人間ではなく、酒が主体。すべてはうまい酒のためなのだ。

昭和元年創業で、祖父がこの地で開業した。坂本さんは三代目で、今から15年前ほど前に、有料試飲ができる「唐木屋のなか」を始めた。本業はあくまでも酒屋。ここは、いわゆる「角打ち」といわれる、酒屋の中の飲食スペースではない。坂本さんは「お酒の味を知ってもらうための有料試飲」という立ち位置にこだわっている。

「だいたいの酒のフタは開いているので、買ってみたいと思ったものがあれば、舐めてもらって無料で味見もできるようにしています。味見しないで買うのは勇気がいるような高価な熟成酒もありますから、まずは飲んでもらわないと。
抜栓してあるものはせっかくならば飲んで楽しんでもらおうと、有料試飲ができるこのシステムになったんです」


シュワシュワと発泡したにごり酒に、30年ものの熟成された日本酒、珍しいクラフトビールに、甕入り紹興酒、泡盛の古酒……。ただの町の酒店では見かけない仰天のラインナップがほぼすべて試飲できるのだ。しかも数百円というとても良心的な価格で。

−5℃にもなる氷温庫には生酒がずらり。奥の冷蔵庫には、クラフトビールが18タップもそろう。しかも、このタップは坂本さんがDIYで作成したもの。クラフトビールがブームになるよりもずっと前からここで飲めていたのも驚きだが、18種類ものクラフトビールが飲めるなんて専門店ぐらいのものだろう。火入れした日本酒が常温で並び、その横には熟成酒と呼ばれる、日本酒を長期保存したものも。店内中央にはテーブルとイスがあり、つまみは自由に持ち込んでOK 。セルフでお燗ができるよう「カンドコ」と、気軽に温められるよう電子レンジも完備している。

自由にお酒を楽しめる場所を作りたかった

店内にある酒は冷酒のままでも、燗酒でも好きなように飲んでいい。それがたとえば、氷温庫にある大吟醸の生酒であっても、だ。飲み方は「自分で自由に決めればいいんです」と坂本さんは言う。

「燗にしちゃいけないお酒なんてないんですよ。まず試してほしいのが、ひとつの酒を5℃刻みに温度を上げて飲んでみること。そうすることで、味の変化が楽しめます。日本酒の味わいは、温度にものすごく左右されるんです。温度が5℃変わるだけで、風味はまったく変わってしまいます。正確な温度を計っておけば、自分の好みの温度がわかってくる。自分のなかに“おいしさの基準”を持っておくと、もっと日本酒が楽しめるようになりますよ」

飲食店で出される酒といえば、だいたい冷酒か燗酒と決まっている。何℃で飲むかなんて、ほとんどの人が気にしたことがないだろう。「おいしい」と思って飲んだ温度が、一体何℃だったのか知るすべはないし、温度を正確に計って飲める場所がそもそもない。




「お客さんに『おいしいお酒はどれですか?』とよく聞かれるんだけど、その人の味覚、経験はそれぞれ違うので、勧めようがないんですね。手当たり次第、飲むしかないんですよ」とお答えしています。勉強は頭で覚えられるけれど、味覚は感性の世界だから。好みは自分で作り上げるものなんです。最初にやるべきことは、ひとつのお酒を温度を変えて飲むこと。次に、2〜3種類のお酒を温度を変えて比較して楽しんでみる。味覚は経験の積み重ねですから、そうやってだんだんと自分の好みができ上がっていく。お酒を飲むということ自体、“遊び”なんです。おいしいか、おいしくないかというのは、自分の嗜好なんだから自由でいい。いろいろなことをやってみて、自分はこれが好きなんだと、たどり着ければいいんじゃないかな」

日本には、約1500もの酒蔵があるといわれ、それぞれの蔵が個性あふれる日本酒を造っている。だが、自分の好みもわからないまま、どこかで仕入れた急ごしらえの知識で飲んでしまってはいないだろうか。有名な銘柄だけに集中し、価格が高騰する現実も、自分の好みではなく人がおいしいと言うものを飲んでいることに他ならない。坂本さんの話を聞いていると、もっと自由に楽しんでいいんだということを教えてくれる。

日本酒が好きになったのは30歳を超えてから

坂本さんは東京農業大学の醸造科を卒業し、すぐに唐木屋で働き始めた。最初は、日本酒にまったく興味がなかったという。しかし、学生時代から酒は大好きだった。最初はウイスキーなどのハードリカーに始まり、カクテルへ。バーテンダーたちとのコミュニケーションのおもしろさにハマっていった。

「カクテルって、つくり手のキャラクターがお酒に出るんです。こっちがこういうお酒がほしいと言うと、創意工夫でつくってくれる。そのコミュニケーションが楽しい。バーテンダーと客でキャッチボールをしながら遊べる奥深さがあるんですね。バーに行ったら、自分はいまこういう気分だから、こういうお酒が飲みたいと言ってみるのがオススメです。僕の場合はギムレットを一番最初に頼みます。ギムレットを飲むとカクテルに対するバーテンダーの考え方がわかるんですよ。同じものを飲むとお店の味がわかるようになりますから。日本酒を飲む時も同じで、自分のなかにひとつ、基準があれば比較しやすいですよね」

次にワインにハマり、焼酎は舐めるぐらいで通過し、30歳を過ぎた頃、食べものの嗜好が変わったことをきっかけに、自然と日本酒を飲むようになった。

「何でもかんでも先入観なく、飲んだり食べたりしてきたんです。いろいろなお酒を飲んできたおかげで、日本酒に対してこうだ、というイメージがなかったのがすごくよかった気がしていて。ちょうどその頃、ある本を読んで、小さな酒蔵がまだまだたくさんあるということを知ったんです。酒造りって『酒屋万流』という言葉があるほど、酒造りの基本的なやり方はあっても、蔵元ごとにアレンジが加わって同じものはひとつとしてないんですね。それぞれの蔵が創意工夫を重ねていることを知りました。では、酒屋である自分に何ができるかといえば、その多種多様なお酒との出会いをつくることだなと思ったんです」


造り手が一生懸命造った酒を変化させることなく、お客さんに渡すこと。もし変化してしまったとしても、その変化をいい方向に進ませること。そうして、熟成酒のおもしろさにものめり込んでいく。

「火入れした日本酒を瓶のまま暗いところに置いておくだけで熟成していくんです。口を開けた状態で置いておいても構いません。もともとのお酒がちゃんとした造りをしていれば、生酒でも常温でもいい感じに熟成していく。『生酒』と書いてあると、お肉とかお魚みたいに『生もの』だから冷蔵庫に入れて、早く飲みきらないといけないと思っている人も多いんですが、置いておけば熟成していきます。熟成酒には飲み頃のピークがないので、いつまでも置いておけるんです。おもしろいですよ、熟成酒って。人間の力がまったく及ばないんです。唯一人間ができることは、熟成する環境をつくること。常温にするか、温度を下げた場所に置くのか。たとえば、同じお酒を青森と鹿児島に置いたら、20年後にはまったく別のお酒になりますよ」

この店だからできることをやっていく

唐木屋のオープンは昼の12時。昼から飲みにふらりと訪れる人もいれば、買って来たパンを持ち込み、クリームパンをつまみに飲む人もいる。坂本さんのオススメは、世田谷通りのアーモンド洋菓子店のケーキや生チョコ。品のいい甘さと旨みに変化した熟成酒と合わせると絶品で、驚くほどおいしい。いちごのショートケーキやあんこなど、日本酒には何でも合うという。坂本さんと話をしていると、日本酒に対する固定観念は吹き飛ばされる。酒のつまみは甘いものでもいい。酒の味の変化さえも、まるごと楽しむ。それが坂本さんなりの日本酒とのつき合い方だ。

「人がおいしいと言ったものをそのまま飲んでも楽しくないですよ。自分の好きな味を見つけるほうがきっと楽しい。僕のブログを見ていただくと、つまみは甘いものばっかりなんです。お酒のあてはしょっぱいものじゃなくてもいい。お刺身とか煮物とかと組み合わせるのは普通の飲食店でもできるけれど、ケーキや甘いものといろいろなお酒を組み合わせられるのはここでしかできません。だからここではもっと自由に楽しんでみてほしいですね」

いまは、酒の造り手の世代交代が進み、個性ある酒がどんどんなくなりつつあるそうだ。銘柄は同じでも、昔みたいに強い味わいが少なくなっているのだという。消費者自体、クセのあるものではなく、飲みやすさを重視する傾向にあるのも事実だ。そうした状況では、個性的なお酒はいずれ消えてしまう可能性もある。

「地酒の特徴は、まさに土地の特徴そのものでした。酒造りに一番大切なのは温度管理。麹菌や酵母、乳酸菌などの微生物の働きは温度で変わります。昔は、温度管理が大変だったから、土地の温度変化の影響をもろに受けて、それがそのまま酒の味になっていたんです。でもいまでは、その温度も一年中一定に管理することが可能になりました。毎年、同じ味が造れることを求めるのもひとつの道だけれど、味があっちに行ったり、こっちに行ったりしてもいい。それがおもしろいのに、と思うんですけどね」

人の味覚が変わり、造り手が変わりつつあるいま、これからのお酒の売り方、楽しみ方はどうなっていくのだろうか。町の酒屋がどんどん少なくなっていくなかで、唐木屋は稀有な存在だ。

「酒屋のあり方は、三極化していくでしょうね。ひとつは安いお酒を大量に仕入れて、スーパーなどの大型量販店で売る方法、もうひとつは通販主体で有名地酒を売る方法、最後のひとつは、うちみたいに飲んでもらって、お客さんの感性に直接訴える方法。いまはちょうど過渡期なんだと思います。ネットでは全国の地酒が何でも手に入ります。そんななかで、町の酒屋であるうちがどうやって生き残っていくかといえば、実際に飲んでもらうしかない。そのやり方のほうが僕自身の性格にも合っている気がします。光回線を通ってくる情報としての本や音楽はダウンロードで済んでしまうけれど、光回線のなかを通れないものを売るしかない。その最たるものが飲食業ですよね。体験してもらうことしかないんです」

ワインの世界でも、ぶどうの個性をそのまま活かした、味わい豊かなヴァン・ナチュール(自然派ワイン)が次第に増えてきているように、日本酒文化を本当の意味で残していくためにも、日本酒の個性をまるごと楽しめる場所が必要だ。そのための自由な場所が、ここに残されている。

酒の唐木屋
住所:東京都世田谷区若林1-4-18
営業時間:12:00~23:00、日曜12:00~19:00
定休日:日曜のみ不定休

 
(2018/04/02)

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