としひこさん
秋田県出身の27歳。地元の高校を卒業後、弓道の推薦で日本大学に入学。大学時代は、八幡山の寮から水道橋のキャンパスと弓道場のある下高井戸を行き来する生活。現在は、上町に住まいを置き、プロパンガスの営業マンとして働きながら、2年連続で弓道の東京代表として国体にも出場している。今回は、東京に出てきてからの9年間の生活と、彼が東京の原点と語る下高井戸の街について話を伺った。 編集:加藤将太 文章:軽部三重子 写真:仁志しおり
秋田の弓道青年、大都会へ。
2年連続で弓道の東京都代表の国体選手として活躍する、としひこさん。360度を山に囲まれた秋田の山奥に生まれ、その後も高校を卒業するまで秋田で育った彼。高校時代から始めた弓道で実績を認められ、日本大学へ入学したことで、東京生活がスタートすることになる。
「推薦で大学に入ったのは、100%自分の意志というわけではなかったんですよ。最初は、『僕は一生、秋田で生きていきます』って断ったんです。でも先生に止められ、親と三者面談になって、気づいたら東京に行くことになっていた、というか(笑)。」
一生住むはずだった秋田を遠く離れて、大都会へやってきた一人の青年。不安やとまどいが大きかったことは、想像に難くない。
「都心に出ると人酔いしちゃうんですよね。電車も苦手ですし。それまで満員電車に乗ったこともなかったですから」
そう語る彼が、大学時代からずっと生活の中心としてきたのが、下高井戸の街だ。
「日大の弓道場が近くにあったので、下高井戸近辺が生活圏になっていましたね。下高井戸は結構落ち着いているので、地元にも通じるところがあって。もちろん、僕の田舎ほどではないですけど、人酔いすることもないし、落ち着いて過ごせる街です」(としひこさん)
息つく暇のない学生生活に癒しをくれた下高井戸の商店街。
そして、大学時代を振り返ってもらうと、弓道中心の生活を満喫していたのかと思いきや……。
「厳しいから、さっさと辞めちゃおうかなって思っていたんですよ。でもそれも格好悪いなぁと思って、4年間必死でやり切った感じなんです」
在学中は八幡山で寮生活。弓道場とキャンパスを行ったり来たりする生活が続いた。
「寮は平日が6時起床で、寮の掃除をして、朝ご飯を食べたら、道場へ行って準備をしておくのが下級生の仕事で。それから40分、50分かけて法学部のキャンパスがある水道橋へ行き、夕方に帰ってきて、19時から22時半までは弓道の練習。後片付けをして寮に戻ったら、もう12時前。で、すぐ風呂に入ってすぐ寝て、気づいたら朝6時なんですよ。その繰り返し。休日は休日で、朝から晩まで弓道ですしね」
そんな多忙な中でも、ちょっとした楽しみを与えてくれたのが、下高井戸の商店街。
「あちこち行くタイプではなかったんですけどね、南蛮屋さんとか、たい焼き屋さんにはよく行ってましたね。南蛮屋さんの下高井戸のお店は、オープンした当初からずっと通っています。コーヒー好きなんですよ。最初は挽いてもらっていたんですけど、そのうち自分で挽くのも乙だなと思って、コーヒーミルを買って、自分で淹れていました。たい焼きも、親戚がたい焼き屋さんをやっていたので、小さい頃から身近で、本当に好きなのでよく買ってましたね」
世田谷線エリア チャリ生活のワケ。
通い続けた下高井戸の街を、東京の原点と語るとしひこさん。今も、下高井戸の自転車圏内に住まいと職場を置いている。
「寮を出てからは、上北沢、豪徳寺、上町と何度か引っ越しをしているんですけどね。下高井戸は、現実的に家賃がちょっと高いなっていうのがあって、自転車で行ける範囲内に住みたいとは思っていて。職場も、今の会社は世田谷4丁目なんですけど、2年ほど前までは銀座だったんですよ。満員電車に乗って往復2時間。いやな思いをして通勤にあてるより、弓道の練習Yにあてたら充実するのにと思って、世田谷で働くことにしたんです。やっぱり弓道も続けていきたいので」
今の仕事は、プロパンガスの営業。主に世田谷区内の個人宅を、車と自転車で回っている。通勤は自転車で5分。自転車は、学生時代からずっと生活の必須アイテムだ。
「下高井戸に行く時も、自転車で商店街を行き来したり、ぷらぷらっと細い路地に入ってみたり。自転車で動くといろいろ発見がありますよね」
下高井戸の商店街は、京王線の線路を挟んで西側の日大通りと東側の駅前通りを中心に、公園通りにクロスしていたり、路地に入って住宅街になったかと思えばまた店が現れたりと、ゆっくり回ってみると面白い商店街だ。また、昼と夜とでは違う表情も持つ街でもある。そんな魅力も、彼を惹きつける要因の一つなのかもしれない。
下高井戸は、戻ってきたと思える場所。
「下高井戸の魅力に気づいたのは、卒業してからなんですけどね。学生の時は平日も休日も弓道をしていたので、社会人になって1年2年して、日曜日に休みをもらえるようになってから、あらためて商店街をゆっくり歩いてみたら、なんか面白いなって。今住んでいる上町は、帰って寝るだけの場所になっていて。やっぱり、下高井戸の方がにぎやかで好きですね。夜は日大の学生が飲みに来るので、騒がしいくらい(笑)」
と、落ち着いた印象の中にも、体育会系っぽさがチラリ。
「2、3年前まではしょっちゅう来ていて、南蛮屋さんへは週1ペースで来ていた時期もありましたけど、最近は仕事が忙しくなって月1くらいですかね。道場に後輩の練習を見に来たり。たまに後輩を連れて飲みに行ったりもしますよ」
時間の流れとともに、付き合い方は少しずつ変わりつつも、決して離れることのない場所。としひこさんにとって、この街はどんな存在なのだろう。
「日大弓道部のOBとして、死ぬまでつながり続ける場所。今は来るたびに学生時代の思い出が蘇って、戻ってきたというか、初心に帰ってきたというか、毎回そういう気持ちになりますね」
地元を離れて東京に出てきて9年。彼が今も活躍を続ける裏には、ホームと思える場所があるということも大きいのではないだろうか。