旬世
平野拓巳さん
「旬世」は、世田谷産の朝採れ野菜を販売する八百屋。2017年4月に上馬店、10月に山下店がオープンするやいなや、連日多くのお客さんでにぎわっている。店を切り盛りしているのは、25歳の平野拓巳さんと、23歳の高階(たかしな)千晴さんだ。開店1年半で、すっかり“街の八百屋さん”として成長した背景には、どんなストーリーがあるのだろう。代表の平野さんにお話しをうかがった。
文章・構成:神武春菜 写真:阪本勇
僕がやりたいのは“ガチの農業”
「今日なら少し時間とれます!」と、元気な声で連絡をくれた平野さん。毎日、野菜の仕入れや陳列、接客、売り上げ金の管理など、とにかく忙しい。「でも、めっちゃ楽しいっす! 僕、楽しいことしかしないんで!」と、笑う。
起業(合同会社KAKUMEI)したのは2年前。まだ学生だったときだ。意外にも、起業した時点では、八百屋を開店する計画はなかったという。現在の道へと導いたのは、大学3年生のときに1年間休学して所属した「農業法人ホウトク」での農業体験の経験が大きい。群馬県高崎市で、農業事業・農援事業・福祉事業を展開する会社だ。
「農業体験っていっても、田舎でのんびり野菜を作るとか、オーガニック野菜でおしゃれな暮らしとか、そういうのじゃなくて、“ガチの農業”です。農業でちゃんと利益を出すビジネスモデルがある。そのことをホウトクで学びました。ビジネスとしての農業っておもしろいなと思って、『僕も何かするぞー!』って、まずは会社を作りました」
一人で会社を立ち上げた平野さん。やるからには大きくやりたいと、友人の千晴さんを誘った。
「千晴ちゃんは絵が上手だったんで(笑)。起業したらポスターとかチラシとかが必要になるじゃないですか。僕、字汚いから…。それに、何かを考えるとき、異性の感性ってすごく大事だと思っているんです。千晴ちゃんに『就活やめようぜ~!』って言ったら、内定先を断って、やってみたいと言ってくれたんです」
世田谷区は、23区の中で練馬区に次いで農地面積が広く農家数が多い。世田谷生まれの平野さんは、農業ビジネスをするなら、世田谷の地でやってみたいという気持ちがあった。
「世田谷は畑もあるし、人口も多いし、商売をするにあたってわるいところがない。世田谷で商売ができたら面白いと思いました」
世田谷産の野菜を、世田谷で売る
店を開店するまでには、いくつかのトライ&エラーがある。
起業してまずはじめたのが、クラウドファンディングで資金を募り、農業法人で作った野菜を乾燥させた「多機能乾燥野菜『OUT DRY』」の販売だった。が、全く売れなかった。世田谷の農家から野菜を仕入れ、マルシェに出店した時期もあったが、一日の売り上げは多くても数千円。出店料もかかるうえ、立地によって売り上げが大きく左右される。10年続くビジネスモデルではなかった。
ならばと、世田谷区内の空きスペースをいくつか見つけ、オーナーに交渉して無人販売の売り場を作り野菜を売った。半年くらい続けたが、たびたび野菜を盗まれたり、運送費がかかったり、品質管理の面でも壁にぶつかった。でも、大きな収穫があった。
「無人販売をしていたら、自然と世田谷区のマーケティングができたんです。烏山、上北沢、松原、山下に設置したところ、松原と山下の売れ行きがいい。どこで、どんな野菜が多く売れるか、顧客層も見えてきました。ただ、だからといって無人販売を続けるには限界があった。売り上げを増やすには設置数を増やさないといけないけれど、資金をつぎ込むほどの売り上げは見込めない…。行きついたのは、いちばんシンプルないまの姿。その地に店舗を構えて、対面販売をすることでした」
さっそく店舗を探して見つけたのが、いまの上馬店がある場所だ。松陰神社前駅から徒歩5分ほどの場所にある。はじめから複数店舗展開を考えていた平野さんは、半年後に山下駅前の店舗も借りた。
店舗を持つとなると、これまでの商品数では足りないと、平野さんは世田谷市場(東京都中央卸売市場)の競りに参加するための買参権を取得した。早朝4時に起床し世田谷市場へ出かけ、千晴さんが世田谷の農家を軽トラでまわって野菜を仕入れる。陳列後は主に、千晴さんが上馬店、平野さんが山下店を担当している。
現在、取りそろえる野菜は約100種類。赤オクラやベビーコーンなど、スーパーにはなかなか並ばない珍しい野菜もある(季節によって変わります)。世田谷で採れた野菜を世田谷で売るのだから、断然鮮度がいい。開店後、すぐにお客さんが増えていった。
若いから、自分が担保になるしかない
ここに訪れるお客さんは、野菜をつぎつぎと籠に入れながら、平野さんとの会話も楽しんでいるのが印象的だ。「昨日、教わったレシピで食べてみたよ」「これおいしかったからまた買うわ」――「いちご、めっちゃ甘いですよ」「茹でるだけでおいしいですよ~」(平野さん)
とにかく、平野さんは、接客中ずっとしゃべっている。
「年齢が若いっていうだけで、なにをするにも信用がないんですよ。信用がないと商売できないじゃないですか。じゃあなにを担保にお客さんは商品を買ってくれるかっていうと、まずは人として信頼してもらえることだと思ったんで、自分が担保になるしかないと。なので最初はしゃべって、自分の人柄を見せて、お客さんに来てもらおうと思って。それで、ずっとしゃべってます」
混み合う時間帯は、行列が出来ることもしばしば。老若男女問わず立ち寄りやすいお店なのは、ほかにもいくつか工夫がある。まず、誰の目にも真っ先に入ってくるのが元気いっぱいの手書きポップだ。ひとつひとつの野菜に、味はもちろん、食べ方や鮮度の良さを伝える言葉が詰まっている。ポップを書いているのは千晴さんだ。
「野菜の陳列や接客をしながら、一日中、ポップを書いているかもしれません。自分が売り場にいなくても、野菜のおいしさをお客さんにちゃんと伝えたいし、そうじゃないと買ってもらえないので。実際に食べたり、農家さんにおすすめの食べ方を聞いたりして、魅力をしっかり伝えられるようにしています」(千晴さん)
取材中も、サラサラとポップを書く千晴さん。平野さんが、「千晴ちゃんは、絵がうまかったので声をかけた」と話していたことに納得!
ポップを書きながら、千晴さんから意外な言葉がもれた。
「私、とにかく毎日すごく焦ってるんです。1秒でも早く野菜が売れてほしい、1秒1秒鮮度が落ちていってるって思ったら、もう焦ってしまって…。それで必死で売ってるんですよ。焦りすぎかな(笑)」
値段のつけ方にも、平野さんにはこだわりがある。安さだけを追求しないことだ。
「『三方よし(さんぽうよし)』ということです。売り手よし、買い手よし、世間よし。つまり、農家さんも、お客さんも、僕も、みんな満足できる値段はいくらだろうってすごく考えます。最初は、高く売れるなら高く売れたほうがいいと思ってたんですよ。その方が農家さんもうれしいじゃないですか。でも、高い野菜を毎日買える人って限られてしまいますよね。野菜は消費材ですから。いくらなら、みんながいい値段と思ってくれるか。価格設定がうまくいってこそ、八百屋を継続することができると思っています」
世田谷の中で、一次、二次、三次の産業を完結させたい
今後の展望をうかがうと、目前に3店舗目のオープンが迫っているという。上馬店、山下店で販売している野菜を使ったフルーツスタンド「九百屋」だ。スムージーやフルーツサンドを販売する。
「店を出してからの問題点として、売れ残った野菜のロスがありました。なので、そこを解決するために加工もやろうと。場所は豪徳寺の駅のすぐ近く。7月中旬オープンです!」
野菜を売る八百屋、その野菜を使った加工品店とくれば、お店で売る野菜も、ゆくゆくは自分たちの手で作りたいという。
「世田谷の中で、一次、二次、三次の産業を自社で全部完結させたいと思っているんです。これですごく儲かるとかではないんですが…。すべての産業を世田谷のなかで完結させるっていうのが肝だと思っています。できたら絶対おもしろいと思う。今期中にそこまでやりたいですね」
じつは、八百屋を営んでいても、野菜がどんなふうに作られているか詳しくはわからない人が多いという。八百屋はとにかく忙しい!朝4時に市場に行き、夜までお店に立つのだから、知る時間がないのだ。平野さんは、生産まで行うことで、自社内の働く環境を変えていきたいと思っている。
「ある日はずっと接客して、ある日は畑で一日中農作業に励む。そしたら、野菜の作り方も、おすすめの食べ方も分かってくる。それを接客のときに活かすことができたら、お客さんの担保にもなる。こんなふうに、全部つながっていくんじゃないかなって思っているんです。って言っても、まぁ、気合いですよ。どこまでできるかわからない。でも、やるぜー!!!みたいな(笑)。起業したときから、ずっとそんなテンションで、その結果いまがあるんです。僕、べつに、世田谷産の野菜をみんなに食べてもらって、農家さんを幸せにしたいとか…そういうのあんまないです。やるぜー!っていう気持ちがあって、実行していく過程で、みんなよくなったらいいなって。それだけです」
いまは、二人のほかに心強いスタッフも増えた。その一人は、なんと16歳の青年。山下駅前でマルシェを開いていたときに手伝ってくれたスタッフの息子さんだという。定時制の農業高校に通いながら、昼間は旬世で働く。仕事の感想を聞いてみると、「楽しいです!」と、ニコッと笑いながら答えてくれた。
休日は、ツーリングに行ったり、キャンプをしたり、いつだってアクティブな平野さん。千晴さんも、軽トラでドライブをしたり、ハンドルを好きなデザインに改造したりと、なんとも八百屋さんらしい趣味を教えてくれた。
世田谷に生まれたばかりの八百屋さん。これからの進化が楽しみだ。
旬世 上馬店
住所:世田谷区上町5-38-10
営業時間:12:00〜19:00(水曜のみ10:00〜19:00)
定休日:日曜、祝日
旬世 山下店
住所:世田谷区宮の坂2-26-31
定休日:水曜、祝日
営業時間:11:00〜19:00
※上馬店は2019年に閉店。現在は豪徳寺、若林に新店舗オープン。
(2018/06/19)