月見湯温泉

近藤芳之さん

最寄り駅
下高井戸

昔より数が減ってしまったといわれる銭湯だが、東京・世田谷エリアにはいまなお健在だ。なかでも下高井戸にある「月見湯温泉」は、その名の通り温泉が出ることで知られており、近隣の住民や学生たちに広く愛されている。清潔な脱衣場と洗い場、広々としたいくつもの浴槽、その中にはなんと温泉も! これだけ楽しめてたったの460円という破格の安さで入れるのだ。いまや銭湯は生活必需品から娯楽施設へ。店主の近藤芳之さんに改めて、町における銭湯の役割について伺った。

文章・構成:薮下佳代 写真:藤田二朗

地元民に愛される銭湯の存在

まだ日の高い15時30分に開店。いまかいまかと開店を待ちわびていた常連客がどっと押し寄せる。みな一番風呂に入りたいのだろう。この時間帯はやはりお年寄りが多いが、土日ともなれば小さな子どもを連れた若い家族も訪れる。24時まで営業しているのでもう少し遅い時間になれば、部活終わりの学生や仕事終わりの20〜30代の単身者もふらりと訪れるという。まさに老若男女に愛される銭湯、それが月見湯温泉なのだ。


「家にお風呂はあっても、やっぱり大きなお風呂がいいんでしょうね。土日はママ友同士でお子さん連れて銭湯入って、ごはん食べて帰るのが楽しみみたいでね。一番多いのは団塊の世代かな。子育てが終わって、夫婦2人のためにお風呂を入れるのも大変だからってうちに来てくれたり。父がやっていた時は、日大のラグビー部の寮がすぐ近くにあってお風呂がなかったもんだから、学生たちがたくさん来ていましたね。練習後だからもちろん泥だらけ。だから専用の出入り口をつくって、そこで泥を落としてもらって庭から入れるようにしていた(笑)。いまでも運動部の子たちがよく来てくれますね」

戦前からこの地で営業されていたそうだが、戦後すぐ、近藤さんの祖父母が引き継いだ。新潟から出てきたという祖父母は埼玉県・浦和で銭湯を運営。その後、東京都・中野へ出てきてからは、下高井戸、羽田、蓮沼と4軒もの銭湯を手がけ、いま残っているのは中野、蓮沼とここ下高井戸の3軒。祖父母の代から勤め人だった父が後を継ぎ、3代目となる近藤さんも同じく仕事を辞めて銭湯を継いだのは平成元年、25歳の時。自動車関係のサラリーマンからの転身だ。

「一人息子だったので、いずれは継ぐと思っていました。父によると昭和30年頃が全盛期だったみたいですね。いま世田谷で営業しているのは24軒しかないんですが、昭和30年代には150軒くらいあったそうです。下高井戸にも、うちから駅までの間にもう2軒、踏切の向こうにも1軒あったけど、いまはもううちしか残っていません。昔はね、半径250mに1軒しか建てちゃダメっていう規定があったぐらいなんですよ。桜上水にも2軒あって、松原にも1軒あってね」

銭湯は江戸時代に広がりを見せたといわれる。「町ごとに風呂あり」といわれるほど大繁盛した銭湯も、各家庭にお風呂が普及したことにより次第に減少。いまでは後継者不足の問題も重なり、東京都では昭和43年に2687軒あった銭湯が、現在では560軒ほどになっており、貴重な存在になりつつある。

いまではもう建てられないほど贅沢な造り

脱衣場へ入ると広々とした空間。浴場は天井が高く、窓からは光が差し込み、開放感たっぷり。奥には大きなモザイクタイルの富士山が存在感を放つ。天然温泉のほか、電気風呂やジェット風呂もある。サウナもあり、水風呂は天然温泉掛け流しという贅沢さ! 実はここで湧き出る源泉は16.5度の冷泉。それを沸かしているのだそう。泉質はメタケイ酸。さらに2種の鉄分が含まれる。肌を整える作用があるメタケイ酸は美肌効果があるといわれる美人の湯で、つるりとした湯上がりに。


男湯のほうが女湯よりも若干広く、藤棚のあるテラスがある。樹齢70年ほどでいまはもう咲かなくなってしまったそうだが、その下では気持ちよく涼むことができる。椿も3色植わっており、冬になると美しい花を咲かせる。

「僕が子どもの頃はいまの3倍くらい広い庭があったんですけど、設備が増えるにつれて小さくなってしまいました。藤棚も戦前からあるから大事しているんですよ。枯れるまではここを見守ってくれるんじゃないかな。女湯にはね、結構大きな池もあったんです。いまならそれを壊さないで、露天風呂にしたら良かったんですけどねぇ(笑)。うちの父が作った立派なものだったんですよ」

昭和35年に建て替えた。「いまではもう建てられない」と近藤さんが言う通り、浴室の一番上にある水色の梁は一本柱。しかも檜でできているというから驚きだ。脱衣場にある梁ももちろん檜で、フシがない美しいものを使っている。浴室の天井も木。まさに昔ながらの「宮造り」と呼ばれる、東京の銭湯を代表する建築様式だ。


さらなる改修工事を重ね、浴槽を大きく取って一層ゆったりと湯浴みが楽しめるようになった。「もうボロボロですけど」と近藤さんは謙遜するけれど、レトロさの中にも清潔感があり、毎日きちんとメンテナンスされているのがうかがえる。

東日本大震災でひびが入ってしまったが、立派なモザイクタイルは見応えがある。有田焼の窯元に焼いてもらった特注品で、1cm角の小さなタイルが何十万個も使われている。歌川広重の東海道の版画を組み合わせ、真ん中に富士山を入れて特別に描いてもらったのだという。高い天井を生かして大きな赤富士が中央にそびえ、女湯からも男湯からものぞむことができる。湯船から見上げる富士山の大きさに、思わず息を呑むことだろう。

入浴料金は、4年前からお値段据え置き

これだけの設備がありながら、東京都の銭湯の入浴料金は大人(12歳以上)460円、中人(小学生)180円、小人(未就学児)80円と一律で決まっている。“遠くの温泉より近所の銭湯”ともいえるなんとも手頃な価格で、近隣住民がうらやましい。

料金は平成26年以来、変わっていない。入浴料金は毎年「公衆浴場対策協議会」で話し合われ、東京都知事によって告示される。次は消費税が導入されるタイミングで改定が行われる予定とのこと。設備修理・改修費やメンテナンス費などに莫大な費用がかかるうえ、日々の電気代、ガス代も負担が大きい。昔は薪で湯を沸かしているところがほとんどだったが、今では排気ガスの問題で都市ガスを使用。そのため、煙突がない。銭湯の象徴ともいえる煙突はいつしか消え、住宅街にひっそりと佇んでいるのだ。

「でもね、震災があって、うちに煙突がなくてよかったなと思いましたよ。まわりには住宅が密集しているので、倒れてしまったら迷惑をかけてしまいますしね。仕事も薪よりガスのほうが楽になりました」

古き良き時代から変わりつつある銭湯だが、長く続けて行くためには仕方のないことなのだろう。銭湯の昔ながらのイメージを抱き続けているのは、実は40代以上、都市部の人に限られる。というのも、銭湯は東京や大阪など都市部に数多く存在し、地方では数そのものが少ない、まさに“昭和の遺産”なのだ。最近では銭湯になじみがない地方出身者も多く、若い人や女性の中には番台さんがいることに抵抗がある人も多い。そのため月見湯温泉でも、いまから30年以上前に、番台をやめてフロント方式に変えた。

「銭湯へ行き慣れていない方も多いので、フロント方式のほうが抵抗なく来ていただけますからね。いま小さい子どもを連れてくる親の代は、そもそも銭湯に来たことのない人が多くて。親が銭湯に入ったことがないから、マナーもわからない。そこで、小さい子とお母さんを集めて『浴育』として、銭湯の入り方を教えたりしたこともありました。『服を脱いだらちゃんと畳んで、ロッカーに入れましょう』というところから紙芝居で教えて。ほかにも懇意にしている方がきっかけで、シングルマザーのお子さんが男の子の場合、1人で入れるようにボランディアの大学生と一緒に入ったり。そうやっていちから教えることもやっていましたね」

自宅ならば親がやってあげていることも、銭湯でなら子ども一人でできるようになったりするもの。いろいろな年代の人と一緒にお風呂に入ることで、自然と社会性を身につけることができる。それが銭湯という場なのだ。

銭湯は裸のつきあいができる社交場

「昔から銭湯は“社交場”として機能していました。いろいろな年代の人がいて、そこで親しくなって。銭湯に来る人が減ってしまって一時期薄れたんだけど、それがまた復活しつつあるんじゃないかな。その昔、各家庭にお風呂が無かった時代は、銭湯は生活必需品だった。いまではどこの家にもお風呂があるから、どちらかというとリラクゼーション目的で来る娯楽的なものになりましたね」


その昔、江戸時代には1階が浴場で、2階で食べたり飲んだり、囲碁や将棋ができたりする広間つきの銭湯があったという。時には落語の寄席も設けられ、まさに生活必需品でありながら娯楽施設でもある、そんな銭湯のあり方がいま復活している。

月見湯温泉では、定休日の火曜に銭湯を開放して、『音屋の風呂屋』というライブを開催。今年で6年目だが、いまは春と冬の年に2回、今年の12月にも開催予定だという。浴槽の中がステージとなり、浴槽のへりが一列目の観客席に! こうしたライブのほか、落語やヨガなどのイベント会場として使用されたりする事例もあったりと、銭湯の可能性はまだまだ広がっていきそうだ。

「世田谷区は65歳以上の方に無料の入浴券を配布しているんですよ。それをきっかけに通ってくれる人もいて。お年寄りは1人住まいの人が多いでしょ? そうすると、お年寄り同士が仲間になって、『あの人、最近来てないけどどうしたかな?』って気にかけたり。銭湯に定期的に来ることで顔を合わせるから安否が分かる。お風呂というのはその人の生活の一部。だからこうした見守りが可能なんです」

おばあさんやおじいさん、その孫やひ孫の世代のお子さん連れなど、違う年代の人々が同じ場所に集まることはなかなかない。銭湯はそうした年代を超え、スーツや服もすべて脱いで、文字通り裸一貫のつきあいが生まれる。そうした銭湯ならではのコミュニティには、どこかあっけらかんとした明るさがある。そこに銭湯の未来を感じるのだ。

「日本人はお風呂が大好きなので、これからも銭湯がなくなることはないんじゃないかな。ここがコミュニケーションの場になれればいいですね」と話す近藤さん。銭湯はこれからさらに、コミュニティの場として機能する大事な場所になっていくだろう。末永く残っていくためにも、まずは銭湯に通うことからはじめてみたい。

月見湯温泉
住所:東京都世田谷区赤堤5-3-16
TEL:03-3321-6738(午前中のお電話はご遠慮ください)
営業時間:15:30〜24:00
定休日:火曜日

トップへもどる
Fudousan Plugin Ver.1.6.3