音空花店

川瀬涼子さん

最寄り駅
経堂

経堂の駅から歩いて10分弱。賑やかな農大通り商店街を抜けきった先の路地裏に、ひっそりと、でも不思議な存在感を放つ花屋がある。今年の2月にオープンした「音空花店」だ。 懐かしさを覚える古い建物だが、一歩入れば、耳に飛び込んでくるのはロックミュージック。シックな内装に個性的な花が艶っぽく映え、かっこいいというワードがよく似合う。てっきり男性が営む店かと思いきや、店主は川瀬涼子さん。彼女の好きなものだけを詰め込んだ、というこのお店について、お話をうかがった。

文章:内海織加 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

下町っぽい雰囲気が残る裏通りに〝ひっそり〟佇んでいたい

「音空花店」があるのは、経堂の中でも静かな空気が流れる裏通り。車の通りも多くはなく、下町のような空気が漂うこの通りに、錆びを纏った店の看板や鉢植えの植物がよく似合う。店主の川瀬さんにお話をうかがおうと店の中におじゃますると、引き戸越しに通りを眺めていた彼女が、かわいらしく、ふふふ、と笑った。


「ここね、小学生がよく通るんですけど、店先に出てる鉢植えからグミの実を取っていくの。まさに、今、一粒取ってった子がいて(笑)おいしい実が生ってることを子どもはちゃんと知ってるのよね。ここの店名は、小学生でもわかる漢字にしようって思って付けたんです。その想いとは関係ないかもしれませんが、子どもたちもよく遊びに来てくれます。この街って、そういう長閑な下町っぽい空気もありつつ、どこか上品さもある気がして。そのミックスされた感じが心地いいんです」

20年近くお住まいも経堂エリアという川瀬さん。この街のことは肌感覚でよく知っているし、なにかあっても歩いて帰れたほうがいいからと、お店の場所はこの街と決めていたのだそう。そして、ちょうどタイミングよく出会ったのが、当時、雑貨屋さんの倉庫として使われていたこの物件だった。

「こんなに人通りのない場所に? と家族や友人からは心配されたんですけど、お店は〝ひっそり〟やりたくて。もちろん、たくさんの方に来ていただきたい気持ちはあるんですよ。でも、私がお客さんとして好んで行く店には、〝ひっそり〟と佇む穏やかさみたいなものがあって。そういう空気が自分のお店にも出せたらいいなぁ、って思っていたんです」

経堂は、歩いてみると通りごとに個性的な空気感を持つ不思議な街だ。ある通りは飲食店がずらりと並び、ある通りは昔ながらの商店が軒を連ね、一本裏通りに入れば商店街の賑やかさは嘘のように穏やかな空気が流れる。そういう通りの空気というものは、流れる時間によって自然と出来てくるのか、それともお店や行き交う人たちが作り上げるものなのか。どちらにせよ、「音空花店」は、オープンしてまだ一年も経っていないにも関わらず、ずっと前からそこにあったみたいに、通りにすっかり馴染んでいる。

ところで、「音空花店」をオープンするまでは、デザインや写真、映像美術など、花とはちがうジャンルで活躍されていた川瀬さん。彼女は、なぜ花屋をやりたいと思ったのだろう。

「私、中学生くらいから部屋にお花を欠かしたことがないんですけど、昔からお花自体が特別好きだったというわけではなくて。ある日、何気なく部屋に花を飾ったら、見慣れた部屋がいつもとちがう空間のように感じて、それが当時の私にはとても衝撃的なことだったんですね。こんなに変わるんだ!って。それ以来、お花で空間の印象を変えることや空間を演出することに興味を持つようになって、花屋をやることにずっと憧れを抱いていたんです」

川瀬さんが、お客さまに持ち帰って欲しいのは、お花そのものというより、お花一輪で空気が変わる、その楽しさだ。

音楽と映画とお花と。店内には大好きなものを詰め込んで

お店に入ると、聴こえてきたのは意外にもロックミュージック。外から入った時のイメージのギャップ、そして、お花にロックという組み合わせのギャップに、(いい意味で!)完全にやられてしまった。


「ここは、自分の好きなものだけを詰め込んだお店にしたいと思っていて。その中で欠かせなかったのは、音楽。店内には、大好きなロックをガンガンかけたくて。だから、店名にも『音』の文字を入れたんです」

確かに店内には、額装されたレコードジャケットがさり気なく飾られていたり、CDジャケットがカウンターに置かれていたり。川瀬さんの音楽好きをところどころに感じてしまう。そして、それと並んで存在感を放つのが、大きな映画のポスターやE.T.のオーナメント。映画も、彼女がこの空間に詰め込みたかった〝好きなもの〟のひとつだ。

「もともと映画が大好きで、創作のインスピレーションをもらうことも多いですね。特に意識をしているわけではないんですけど、不思議と植物の出てくるシーンは記憶に残りやすくて。だから、店内には、お花の出てくる映画のポスターを飾りたいと思っていたんです。今まで飾ったのは、『E.T.』や『サイレント・ランニング』、『ミツバチのささやき』のワンシーン。ジェイムズ・ホエール監督の『フランケンシュタイン』にも、お花が出てくる切なくて美しいシーンがあるんです」


ここでは、音楽も映画もお花も、どれも彼女の大好きなものとしてフラットに存在して、コミュニケーションの中で心地よく繋がっていく。そして、ダークグレーの壁と所々に吊られた錆びたチェーンという、一見男性的な内装に、お花の華やかさや可憐さが一段と際立って見える空間演出も、ある映画から影響を受けていると川瀬さん。

「子どもの頃、『マッドマックス』を観たときに、その世界観にすっかり魅せられてしまったんです。ハードなイメージの中にレーシーな衣装が出てきたりして、それがとっても素敵に思えて。かわいい!って感じてしまったんです。このお店の中にも、そういう硬質なものを置いているのは、その影響が大きいのかもしれません」

『マッドマックス』にかわいいを見出してしまう川瀬さんの感性は、お花のセレクトにも垣間見れる。


「お花を選ぶときの基準は、自分がときめくかどうか。お花屋さんで自分のためのお花を選ぶみたいに、市場でお花を選びます。使いやすいかどうかとか、売りやすいかどうか、みたいなことでは選ばないんです。ネイティブフラワーも好きだし、菊も好きだし。小花も好きですよ。色っぽいお花が好きですね。個性的なお花が多いって言われますけど、全部かわいい!っていう基準でセレクトしています」

お花は主役ではなく、想いを伝えたり空間を演出するための手段

「音空花店」は、昼間の顔と夕暮れからの顔がある。昼間は、通りにすっかり馴染んで、存在感はあえて出さないが、日が暮れると、オレンジの照明が屋内を明るく照らすから、店内は舞台のステージのように際立ち、花たちもスポットライトを浴びる。

「オープン当初は、日が暮れてからの方がお客さんが多かったんです。店内が照らされて、お店だっていうのがわかりやすかったのもあるでしょうね。夜は、外から見るとバーみたいって言われることも多くて、常連さんからは、夜はお酒飲めるようにしてほしいとか、コーヒーも販売するようにしたらとか、リクエストをいただくんですけど、花屋だから寒いですよって(笑)」

そんなバーのような雰囲気も手伝ってか、内装もシックで男性的なクールさがあるからか、この店には男性客も多く訪れるのだとか。

「もともと『男性がやっているような花屋にしたい』って思っていて、内装を手伝っていただいた尊敬する美術デザイナーさんにも、オーダーとしてそう伝えていたんです。だからかな、 男性のお客さんも入りやすいみたいで、よく来てくださる方やフラッと入ってこられる方もたくさんいらっしゃいます。でも、男性って、花を買い慣れていない方が多いから、大事な贈り物の花束をオーダーしてくださる時なんかはちょっと大変(笑)どういう花束にしたいかが具体的じゃないことが多いから、そういう時は贈りたいお相手のことを根掘り葉掘りお聞きするんです。どういう理由で贈るのかはもちろん、好きなものとか、普段の服装とか、とにかく細かく。花束って、お花が主役ではないと思うんです。贈りたいのは、〝気持ち〟ですから」

川瀬さんが大事にしているのは、単なる素敵なお花の組み合わせや造形としての美しさではなく、伝えたいことを伝えるためのベストな花束であること。お花は、あくまで手段のひとつ、ということなのだろう。

「花屋をやりはじめてから、お花っていろいろなシチュエーションで贈りたくなるものなんだなぁ、っていうのを改めて感じているんです。おめでたいお祝いごとはもちろんですが、悲しいことがあった人にも贈りたくなる。わたし、お花って、いわゆる〝消えもの〟なのもいいなって思うんですよ。そのひと時、期間限定で寄り添ってくれたり、うれしい気持ちにさせてくれたり。それが、お花のよさだなぁって」


「音空花店」は、お花屋さんではあるけれど、お花を売っているという感覚とは、少しだけちがうような気がする。想いを伝えるためのお花だったり、心を慰めるためのお花だったり、テンションを上げるためのお花だったり。「こうしたい、こんな気分になりたい」という要望に、お花で手を差し伸べてくれる。そんな印象。

「店名に入っている『空』という1文字は、毎日ひとつとして同じものが存在しない空と人それぞれの人生をイメージして入れたんです」

と川瀬さん。まさに、「音空花店」というお店の存在や川瀬さんが選ぶお花は、一人ひとりの人生という〝物語〟にさりげなく登場して、その一瞬一瞬のシーンに彩りを添えてくれるはず。店内に飾られている映画のワンシーンみたいに。

音空花店
 
住所:東京都世田谷区経堂5-29-1
営業時間::13:00~18:00
定休日:月曜、火曜

ウェブサイト:otosora-hanaten.com

Instagram:@otosorahanaten

(2018/11/27)

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