ミャンカー
倉井哲哉さん・中新井綾さん
東急田園都市線「駒沢大学」駅前にはチェーン店が多く、昔に比べると個人経営の店が少なくなってしまった。けれど、駅からほんの少し逸れるだけで住宅街へと入り、その細い道沿いには小さな飲食店がちらほら。駅からたったの1分とは思えないほど静かな場所に、小さなワインバー「ミャンカー」はあった。そこには店主の倉井哲哉さんと中新井綾さんがまとう雰囲気そのままに、小さく温かな、居心地のいい空間が広がっていた。
文章・構成:薮下佳代 写真:加瀬健太郎
自然派ワインと日本酒、どちらの魅力も伝えたい
昼間、店の前を通るとかわいい一軒家のよう。夜になると明かりが灯り、小さな店内には常連さんが毎日のように詰めかける。2010年5月にオープンして、もうすぐ9年目。店内にはいたるところに猫のモチーフがちりばめられ、沖縄の古語で「猫」を意味する「ミャンカー」という音の響きがなんともかわいい。自然派ワインと野菜をふんだんに使ったメニューで、ご近所さんたちに愛される小さなワインバーだ。
自然派ワインとは、極力自然に負荷をかけずに有機で育てられたぶどうを使い、醸造方法も天然酵母を使ったり、酸化防止剤などの添加物を使わず、ぶどう本来のおいしさを引き出したワインのこと。通常のワインとは違い手間暇もかかる製法ゆえ、生産量もわずか。しかしながら作り手はヨーロッパを中心に世界的にも年々増え、その味わいの個性や作り手の思いなどに共感し、日本でも飲める場所がだんだんと増えてきた。
店主の倉井さんも、自然派ワインの魅力にハマった一人。いまから10年以上前、当時住んでいた世田谷区下馬に「野崎商店」という酒屋があり、そこで初めて自然派ワインを飲んで以来、毎週末開催されていた角打ちに通うように。もともとはワインよりもハードリカーの方が好きだったという倉井さん。たくさん飲んでも自然派ワインを飲んだ次の日は全然違うことに気がついた。そうして毎日飲めるおいしい自然派ワインにどんどんとのめり込んでいった。
「野崎さんのところで飲んでいたら、次に三軒茶屋に『uguisu』さんができて。家も近かったから、毎日のように飲みに行っていたんです。当時はオーナーが一人でやっているワインバーだったんですが、近所の人が毎晩のように集まって、2〜3日店に行かないと心配されるぐらい、常連さんたちばかりで。まさに自然派ワインブームのさきがけ。『野崎商店』と『uguisu』で飲んでいた自然派ワインが僕のベースですね」
「ミャンカー」で飲める自然派ワインは、フランス、イタリアが主で、ドイツ、オーストリア、オーストラリア、チェコ、アメリカ、日本といった世界中の自然派ワインが楽しめる。
そしてもう一つユニークなのが、同じ醸造酒である日本酒も飲めることだ。
「もともとお店をやる時から、日本酒をやりたいと思っていたんです。けれど当時は、自然派ワインと日本酒が一緒に飲める店というのはまずなかった。いまは普通になりましたけど、あるタイミングからうちも日本酒をいれるようになって。自然派ワインがだんだんと値段が上がってしまったことで、毎日のように来てくれる常連さんたちのお会計が上がってしまった。そこで、日本酒ならもう少し安く出せるなと考えて。ワインが好きな人は同じ醸造酒としての日本酒の魅力にも触れてほしいし、日本酒が好きな人には自然派ワインのおいしさを感じてもらえたら。両方とも置いてあるお店は他にあっても、きちんと説明できるお店は少ないんじゃないかな」
急行が停まらない駅がよかった
倉井さんは元々、デパートに勤務する会社員だった。2006年、33歳の頃に仕事を辞めた。飲食はまったくの未経験。けれど、ずっと接客をしてきたから、飲食業もできるだろうと考えた。「野崎商店」や「uguisu」との出会いもあり、店をやるなら自然派ワインでいこうと決めていた。
「デパートには12年くらい勤めていました。バブル崩壊後からずっと景気が悪くて、ひたすら下降路線。退職勧告も続いていて、この先ずっとできる仕事ではないのかもしれないと思って。会社にずっといるリスクと、起業するリスクを考えた時、どちらもあまり変わらないんじゃないかなって思ったんですよね。飲食業をやろうと思ったのは、もともと飲み食いが好きだったから。素人が一人で始めるなら、物販でやっていくのは難しいだろうなと。飲食だと日銭が入ってくるし、自分一人が食べていく分には何とかなるだろうという気持ちで始めることにしたんです」
会社員時代にお金を貯め、居酒屋やビストロ、ワインショップなどで4年ほど働いた。その間にソムリエの資格も取った。物件を探し始めた時の条件は、「急行が停まらない駅」だった。
「二人とも世田谷生まれなんです。僕は用賀、彼女が下馬。一人暮らしの間もずっと三軒茶屋に住んでいたこともあって、田園都市線か東横線で探していました。探していた条件は急行が停まらない駅で、駅から近いこと。もし急行が停まる駅ならば、駅から遠いこと。池尻、駒沢大学、桜新町、用賀、都立大学、祐天寺あたりで、豪徳寺も見に行きましたね。その条件にしたのは、もちろん家賃のこともありましたが、人があまりに多くないエリアのほうがいいなと思ったんです。当初は一人でやろうと思っていたので。物件は30軒以上見たんですがピンとくる場所がなかなかなくて。駒沢はどんなエリアなのか全然知らなかったんですが、この物件を見た時、ピンときて即決でしたね」
お客さんは常連さんが多く、駒沢界隈の徒歩圏内に住んでいる方が多いという。自然派ワインを扱っているお店が限られていることもあり、自然派ワインが飲みたい人は途中下車して寄ってくれたりすることも。
「うちは常連さんで成り立っている店なので、お客さんが飲みたいものがあるといえば仕入れることもあります。最近はレモンサワーが飲みたいというお客さんのために焼酎も置いているんですよ」
お酒に合う、野菜中心のメニュー
倉井さんがサービスと経営、中新井さんは料理を担当する。自然派ワインは倉井さんと中新井さんとで相談しながら決める。中新井さんは、ファッション業界から雑誌、デザインの仕事を経て、次第に食に興味が湧き、オープン当初から厨房に立つ。パンやピザ生地も手作りで、メニューの数も多いが、「一人でできる範囲で」やっているという。
「最初は、趣味で作るぐらいだったんです。お店をオープンするとなった時、お肉を焼いたり、お魚の料理を出すのは自信がなくて。趣味で野菜を育てていた時期があって、採れすぎた野菜をどうするかを考えたりしていたので、野菜のほうが身近だったんですよね。それで、結果的に野菜を中心にしたメニューになりました。うちはこの辺では遅めの閉店時間で、24時ラストオーダーなんです。特別な日に来るお店というよりは、男性も女性も仕事帰りにふらりと来てくださる方が多いので、野菜がメインでいいのかなって思うようになりました。週に何度も来てくれる方もいらっしゃるので、疲れない味、というのは意識しています。油が強すぎたり、塩が強すぎないように。とはいえ、お酒には合わせたいので、そのバランスですね」(中新井さん)
黒板メニューには、野菜を使った一品メニューが豊富にある。取材時には、山菜が多く、萱草(かんぞう)やふきのとう、筍といった、春らしいメニューがたくさん。味つけはシンプルなものが多く、ワインでも日本酒でも合わせられるのが、「ミャンカー」ならでは。好きなお酒と組み合わせて食べてみるのがオススメだ。
たとえば、「神亀酒粕入りいちじくバター」は、これだけ食べにくる人もいるぐらいの人気メニュー。もともとは熱燗に合わせて作ったものだが冷酒でもワインでもOK。さわやかな神亀の酒粕をそのまま使い、発酵バターと半々に混ぜ、いちじくを中に練りこんだディップのような感覚。ちびちびと舐めながら食べたり、デザートとして食べる人も。酒粕が入ることで、軽い口どけになりさっぱりいただける。お酒は「奈良萬」の純米酒を合わせて。旨味があり、味の濃いものにもよく合うので燗でもおいしいそうだ。
この日の「お野菜のプレート」は季節の野菜を使った日替わり6種類。単品でもオーダー可能で、6種を盛り合わせたプレートはなんとも色鮮やか。一人で食べるお客さんもいるほどの人気メニューだ。中でも珍しいのが、セロリアック(根セロリ)のサラダで歯ごたえが抜群。長野から送られてきたという採れたての萱草は茹でて、オリーブオイルとおかかで和えたもの。このプレートには、フランス・ブルゴーニュの「シャルドネ」を合わせて。
オープン当初から人気の定番メニュー「しらすと九条ねぎの自家製つまみピザ」は止まらないおいしさ。イタリア・トスカーナの「オレンジワイン」と合わせて。昔ながらの製法で作られた白ワインで色がきれいなオレンジ色。渋みと旨味がこっくりと味わえる。野菜料理はもちろん、豚や鳥、あん肝などにも抜群に合うという。旨味の塊のようなワインだった。
住宅街の中にある、大人のための“飲み屋”
「ミャンカー」で飲める日本酒は大きく分けて2タイプ。生酒でフレッシュ、かつジューシーなタイプ。もうひとつは旨味がたっぷりで、お燗で飲みたいタイプ。この2つは両極端のように思えるけれど、倉井さんの好きな日本酒なのだとか。
「うちは辛口すっきりというのが少ないですね。個性があって、味がしっかりしたものが多い。フレッシュ系でフルーティな日本酒は、ワインの延長線上で飲んでほしいですね。しっかり油を使ったメニューやお肉系は日本酒のお燗が得意分野。たとえば、エゾ鹿のソーセージは赤ワインと抜群に合うんですけど、日本酒のお燗に合わせてもいいんですよ。僕は白ワインは冷酒で、赤ワインは燗酒だとよく言うんですが、赤ワインに合うものはお燗でもおいしいんです」
食べたいメニューに合わせて、倉井さんにいろいろ相談するといいだろう。あるいは、飲みたいものを尋ねてみても。その時々で自由に、ワインも日本酒もどちらも飲めるのは、「ミャンカー」だからこその楽しみ方だ。たとえば、お客さんから「優しいもの」「元気になるもの」「春っぽいもの」など、味ではなくイメージで伝えられることも多いという。そうした希望を聞き、想像力を膨らませながら、倉井さんは提案する。
「たとえば、優しいものが飲みたいということは、きっと疲れているということ。ワインだったらアルコール度数がそんなに高くなくて、酸もそんなに強くなくて、何も考えずにすっと飲めるようなものをお勧めしますし、ワインじゃなくて、日本酒のぬる燗のほうをお勧めする場合もあります。春っぽいものは、春の日本酒がいろいろありますし、ワインの場合は、フレッシュな白ワインを勧めたり。お店というのはお客さんが作るものなので、そうしたオーダーをいかに拾って期待に添ったいい提案ができるかだと思っています」
たとえワインや日本酒に詳しくなくても、その時に飲みたいものをイメージで伝えることならばできそうだ。そういうオーダーが通るお店はいいお店に違いない。
「たとえば、『甘くないもの』『酸っぱくないもの』『シラーが嫌いです』というようなネガティブなオーダーではなくて、『シャルドネが好き』というふうに好きな味や飲みたい味でオーダーを聞けたら、こちらからも提案しやすいですね」
カウンターがあるため、一人でふらりと来る人が多いそう。メニューも一人で食べられるちょうどよい量でリーズナブルなため、一人で2〜3品は食べられるようにと考えられている。
「うちは飲み屋なんです」と倉井さん。ワインバーでもなく、ビストロでもなく、飲み屋。その気軽さは、ふらりと立ち寄る場所としてふさわしい気がする。仕事帰りに途中下車して寄ってみようか。そんなふうに思える店がある毎日は、日々の帰り道もきっと楽しくなることだろう。
ミャンカー
住所:東京都世田谷区駒沢1-4-7
営業時間:18:00〜24:00(フード22:00 LO)
定休日:火曜、第1・3・5水曜
Facebook:@miankah
Instagram:@miankah_komazawa
Twitter:@miankah
(2019/04/25)