パティスリー・ノリエット

永井紀之さん

最寄り駅
下高井戸

下高井戸駅のにぎやかな商店街を通り抜けると、「パティスリー・ノリエット」はあった。下高井戸の街で店を始めて25年。色とりどりの伝統的なフランス菓子を中心に、パンや焼き菓子、チョコや惣菜といったものも多数手がけ、フランスの豊かな食文化を伝える。シェフ・永井紀之さんが考える、そうした本場に近い“フランス菓子店=パティスリー”のあり方とは、ふだんの暮らしの中に “おいしさ”を届けることだった。

文章・構成:薮下佳代 写真:加瀬健太郎

暮らしを大切にする街で、食をもっと豊かに

赤と緑を基調にした店構え。静かに扉を開けると、そこにはフルーツをふんだんに使った色とりどりのケーキや焼きたての香ばしいパン、美しく並ぶチョコレートやヌガー、カラフルなマカロンといった焼き菓子に加え、パテやキッシュといったお惣菜などもあり、多種多様なフランスの食文化そのままに、あらゆる商品が並んでいた。

ケーキを買いに行くのはもちろん、パンを買いに、アイスクリームを食べに、手土産を買いに、今晩のおかずを買いに、とさまざまな使い方ができるのが「パティスリー・ノリエット」のすばらしさ。買いに行く目的はあっても、そのバラエティ豊かな商品たちを見ていると、どれにしようか、と目移りし、あれもこれもと迷う時間が何より楽しいのだ。

シェフの永井紀之さんは、6年間ものフランスでの修業を経て日本に帰国。1993年、下高井戸に「パティスリー・ノリエット」をオープン。フランス菓子のお店をやろうと考えていた永井さんの頭のなかには、やりたいお店の確固たるイメージがあった。

「店を見てもらったらわかるように、うちはすごく種類が多いから、全部作るためには、大きな厨房が必要なんですね。狭いと24時間働かないといけなくなってしまう(笑)。お店はそんなに大きくなくてもいいので、大きな厨房が必要でした」

広い厨房があれば、あれもこれも作ることができる。その可能性こそが、永井さんがやりたいお店にとって必要なものだった。

「なんでも買える、本場のフランス菓子屋がやりたかったんです。けれど、それはあくまでも自分がやりたいことで、多くの人に受け入れられるかどうかはわかりませんでした。けれど、おいしいものを作っていけば、ある一定数の人はわかってくれる。そういう人がいるところに行こうと決めました」

下高井戸の駅に近く、広さも十分な場所を紹介された。いまの場所に移転する前、20年ほどは、その場所で営業した。

「その頃の下高井戸は、いまよりももっと活気があったんです。個人商店ももっと多くて、駅前市場にももっとたくさんのお店がありました。生活するのに、こんなにいいところはないなと思いましたね。食べものが好きで、自分で料理をする人にとってはすごくいいところだなってね。こういうところでお店をやれば、普段の暮らしの中にとけ込めるんじゃないか、僕がやりたいことの価値をわかってもらえるかもしれない、そう思ったんです」

フランス菓子をやるには、まずフランス料理から

永井さんの華やかな経歴にも驚くが、もともとはシェフを目指していたということにもさらに驚いた。専門学校を卒業後、フランス料理のシェフを目指してレストランでキャリアをスタート。けれど、半年後に閉店してしまい、そこで一緒だった先輩シェフから「今後もシェフを続けていくならば、いずれお菓子を勉強しなくてはいけないから」と、オープン当時の「オーボンヴュータン」へと誘われたのだった。

大きなレストランともなればパティシエがいるというが、そうでないレストランの場合、シェフが料理もデザートもすべてを作るのだという。いつか自分のお店をやることを考えると、いまからお菓子づくりを勉強しておこうと考えた。

「オーボンヴュータン」のオーナーシェフ河田勝彦さんも、料理人からスタートし、渡仏した経験を持っていることもあり、20歳だった若きシェフの永井さんをかわいがってくれたという。2年修業した後は、また料理人に戻る予定だったが、「オーボンヴュータン」での経験が深く影響し、永井さんもお菓子の道へ進むことになる。

「先輩も河田さんも『フランス菓子をやるなら、フランス料理を知らなくてできるのか?』という考えを持っていました。『ひとつの国の食文化を深く知るならばまずは料理から。それを知らないでお菓子にはたどり着けないぞ』と。だから、フランス菓子をやるには、いつか自分も本場へ行かないといけないなという気持ちがありました。自分のなかにまずはフランス料理のベースを作って、そこから、どう自分らしさを加えていくかを考えられる。フランス料理とは何なんだ?ということを知りたかったんです」

そして渡仏し、6年もの間、パティスリーや、二つ星レストランやホテルなどでの経験を経て、28歳の時に帰国。働く先がなかなか見つからず、まずは河田さんと同じく、チョコレートの卸からはじめ、32歳の時、「パティスリー・ノリエット」を下高井戸にオープンした。

人びとの暮らしに一日中寄り添うパティスリー

永井さんはフランスへ行ってから、フランスの人びとの食に対する文化度の高さに驚いた。パティスリーでは、驚くほどいろいろなものが売っていた。朝食べる焼きたてのパン。日本では、その日の朝に買って食べる人はあまりいないが、本来は朝買って、朝食べるもの。他にも、昼のパン、食後のデザートに食べるケーキ、お茶を飲む時に食べる焼き菓子。他にも朝パンを食べる時のジャムや、夜のお惣菜にワインや食材など、パティスリーでは、食生活全般がそろうのだ。

「日本の洋菓子店といえばケーキ屋さん。ケーキは誕生日やパーティの時に買いに行くものという特別なイメージがある。けれど、本場のパティスリーは特別でもなんでもなく、日々の暮らしのなかに、当たり前にあるものでした」

そもそも、パティスリーで働く“パティシエ”とは菓子職人という意味だが、“粉や生地を扱う人”を指す言葉だという。だから、ケーキだけでなく、キッシュもパティシエが作るもの。パティシエは、甘いものだけでなく、しょっぱいものも作るし、食事全体に関わる仕事を担っているのだ。

「ケーキは“ハレの日のもの”というイメージがありますよね? でも、それを変えていきたいと思っていたし、もっと日常に、毎日の暮らしに関わりのあるものが菓子屋だと思っていたので、そういうお店にしたかった」

永井さんのそういう思いがかたちになった「パティスリー・ノリエット」は、店に入った途端、どのコーナーを見てもワクワクするほどの品ぞろえ。永井さんは「全部で何種類あるのか数えたことがない」そうだが、生菓子のショーケースのなかだけでも、常時25種類ほど入ってるという。

「種類がたくさんあるのは、作る僕らにとっても楽しいし、お客さんにとっても選択肢がたくさんあるという意味で、きっといいんじゃないかなと思っています」

作っているものはすべて、みんなに受け入れてもらいたいと思って作っているもの。なので、「オススメはどれですか?」と聞かれると困ってしまうのだという。どれを選んでもらってもいいそうなので、自分の好きなものを選ぼう。

フランスの食の奥深さは、日常にこそ溢れている

「フランスに住んでいた時、どこの街に行っても、自分の暮らす街に、自分が気にいるお菓子屋さんやパン屋さん、お肉屋さんなど、生活に必要なお店が必ず近くにあったんです。そして、それぞれみんなが、自分の好きなお店を持っていた。それってすごくしあわせなことだと思うんですよね」

たとえいいお店があったとしても、それが電車に乗って1時間もかかる場所にあったとしたら。わざわざ買いに行くのは大変だし、なかなか日常のものにはならないだろう。

自分が住んでいる身近な場所に、何を食べてもおいしくて、信頼できるお店があったなら。そして、自分が食べたことないものにもチャレンジできるような場所があったなら。それが永井さんの願うパティスリーのあり方だ。

「人って、自分で何か買う時は失敗したくないから同じものを買いがちなんです。だから味覚って広がっていかないんですね。でも、僕らみたいな仕事をしていると、食べたことないものを食べたくなる。これはもう職業病ですね(笑)。でもそうやって知らない味を体験することで、自然と味覚って広がっていくもの。でも普通の人たちはなかなかチャレンジしないんです。でも、これだけたくさんの商品があれば、たまには違うものを買ってみようかなと思ってもらえるかもしれない。そういう機会さえあれば、人の味覚はどんどん広がっていくと思うんです」

「パティスリー・ノリエット」へ、お気に入りのクロワッサンを買いに出かけたとしよう。そこで、ふと目に入った、いままで食べたこともないものにチャレンジしてみるといい。そうすることで、新しい味覚の扉が開き、気に入るかもしれない。それはとても楽しいことだと思うし、しあわせなことだとも思う。しかも、チャレンジできるリーズナブルな価格帯だから、背伸びして買わないといけないものではないのだ。少しの勇気で、未知なる体験が待っている。

こんなにもパリを感じられる場所が身近にあること。しかも、手頃な価格で味は本格派、敷居も高くない。そして、いつもと違った食の体験もできてしまう。日常にそういったお店があることはなんてしあわせなことなのだろう。下高井戸に住む人が本当にうらやましい。

パティスリー・ノリエット
住所:東京都世田谷区赤堤5-43-1
営業時間:10:00 ~ 19:00
定休日:火曜、水曜

ウェブサイト:http://www.noliette.jp/

(2019/05/28)

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