上町しぜんの国保育園

青山誠さん

最寄り駅
上町

朝、「上町しぜんの国保育園」にはさまざまな子どもたちが登園してくる。大きなぬいぐるみを抱えてくる子、プリンセスのドレスを着てくる子、カマキリを捕まえてくる子、段ボール箱を持ってくる子……。それぞれの子どもが持ち寄った“したい”が、この保育園の一日をつくる。「大人は子どもの邪魔をしないのがいちばん」というのは、園長・青山誠さんの言葉だ。大人が子どもを動かすのではなく、大人は子どもに動かされる。そんな一風変わった保育園の原点は、青山さんの生い立ちにあった。

文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

「できない」より「どうしたらできる?」を考える

認可保育園である「上町しぜんの国保育園」が上町駅近くにできたのは、およそ3年前のこと。社会福祉法人東香会が新設した5つ目の保育園で、開園当初から青山誠さんが園長を務めている。
エントランスを入ると、外からはよく見えなかった園庭を見渡すことができた。

「保育園って、建てるときにいろいろ決まりごとがあるんです。園庭に植える木は高いのが何本、低いのが何本って本数まで細かく約束があって。何にしようかなって考えたとき、子どもたちが木登りしたり、実がなって楽しめるものがいいなと思って、梅とさるすべりと、ゴムの木を選んでもらいました。梅の実は収穫して梅シロップを作ったり、今年は梅干しもやったのかな。さるすべりは初めて木登りする子が挑戦しやすくて、向こうのゴムの木は上級者向け。雨でも、外が好きな子は園庭に出てますね」

取材に伺った日は快晴で、ようやく歩けるくらいの小さな子からひとりで木に登れる大きな子まで、ごちゃ混ぜになって外で遊んでいた。園庭に続く扉はいつも開かれていて、いつでも好きなように出入りできるという。
そのうち、「いちばん大きい子」と名づけられた5、6歳の子が集められたかと思ったら、みんなで園庭を横切っていった。今日は駒沢にあるはらっぱプレーパークまで歩いて遠足に行くのだそうだ。

「年齢やクラスで活動を分けることは少ないんですけど、5歳児である“いちばん大きい子”と4歳の“2番目に大きい子”にだけは、そういう時間を作っています。特にいちばん大きい子たちにはミーティングという話し合いの時間を設け、一日一回は顔を合わせて何か決めごとをしたり気持ちをシェアしたり。遠足も、大人から誘うこともあるけれど、このミーティングで誰かからどこかに行きたいという話が出るときもあります」

今日の遠足は数日前に決まったため、お昼ごはんはキッチンスタッフがプレーパークまで「ウーバー」するらしい。子どもがやりたいと提案してきたことを否定するのではなく、どうやったら実現できるのか考えるのが大人の仕事、と青山さんは言う。

「ご家庭にお弁当を頼むとなると急には難しいし、でもそんな理由で遠足に行けなくなるのはつまんないでしょ。だったらそれを保育園側で何とかできないか考えたらいいですよね」

子どもたちにほとんど制約がないのも、この保育園の大きな特徴だ。二階建ての園舎には0歳から6歳までが在籍する5つの縦割りクラスがあるものの、子どもたちは園を一軒の大きな家のように捉えているので、どこで何をするのも自由。大きい子が小さい子と遊んでいる姿があったかと思えば、ロッカーの陰に隠れるようにしてひとりで絵を描いている子もいる。何人かの子どもたちは木で家を建てたいと思いつき、保育者と一緒に設計図を考えていた。

「大人が子どもに合わせるので、まあ振りまわされます。でも子どもたちはこの方が楽しいし、実は働いている大人にとっても楽しいんです」

子どもが居心地のいい空間

お昼ごはんの時間になると、子どもたちはちゃぶ台のまわりに集まってきて、おひつからごはんをよそったり、お皿を並べたりしはじめた。みんなの分をよそう子、自分の分を準備する子、誰かが運んでくれるのを待っている子、ここでも子どもたちの動きはさまざまだ。
その、まるで大家族のような風景は、青山さんが子どものころに見ていた景色に似ているという。

「うちは布団屋だったので、夕食どきになると布団屋の職人やパートの人たちが集まって、15人くらいでちゃぶ台を囲んでいました。とにかく賑やかな食卓だったんですが、実はこの“雑多”な空間って、人をとても安心させてくれるんです。保育園でも、たとえば同年齢を一室に集めちゃった方が大人は楽なんですけど、“みんな同じ”という条件のなかにいると、同じことができない子はとても目立つし、みんなと同じにしないとって緊張してしまう。誰が何をしているか一見わからないくらいが、人が生きる環境にはちょうどいいんです」

それは、青山さん自身が幼心に感じてきたことなのかもしれない。青山さんは子どものころ、たくさんの困りごとを抱えていた子だったという。

「生まれたときから身体がとても小さくて、忘れ物ばっかりしていた子どもでした。『青山の忘れ物は月に80個』とかクラスだよりにも書かれたし、ランドセルも何度もなくしちゃって。2回くらいは出てこなくて近所のお兄ちゃんからもらったかなあ……。通学路で気になるものを見つけちゃうと、学校なんてすっかり忘れて、いつまででも観察しちゃうような子でした。自分は人と同じようにできないんだってことに気づいたのは、小学3年生くらいのときかな。僕は学校が好きだったけど、通信簿には『青山がいると授業が進まない』って書かれたりして、学校は僕のことを好きじゃないんだなって」

しかし、そのことを母親に怒られたことはなかった。「誠は大器晩成型だから」とか「あんたは生きてればいいわよ」と言われて、温かく見守ってもらっていたという。

それに青山家では、学校のことよりも布団屋の手伝いをするのが優先だった。朝は開店準備をしてからでないと学校に行けず、放課後は校門前で待つ母の車に乗り、一緒に布団の配達をしなくてはならない。勉強のことは言われなくても、手伝いを怠ると怒られた。

「商売をしていない家への憧れもありましたよ。商店街の子どもたちはみんな親が忙しいので、おやつなんて用意してもらえないんです。店のレジからもらった10円玉でよっちゃんイカを買って、みんなで団地の階段の踊り場で食べたりして。でも、それがすごく気楽な環境ではありましたね。大人の目がないから、くだらないことばかりやっていられる余裕があって。大人にあれこれ言われずに過ごせる時間って、子どもにとってかけがえないんです」

そうしていたずらばかりしていた少年はその後読書と出会い、文学を研究する文芸学科に進んだ。そのころは、保育士はもちろん子どもに関わる仕事に就くとは思ってもみなかったという。青山さんが進路を決めたのは、大学卒業を間近に控えた1月のこと。働きたい気持ちになれず、就職活動の時期が終わっても何を決められないまま迎えた4年生の冬だった。

流れ着いた先の出会い

その日は祖母に言われて、養護施設で行う餅つきの手伝いにしぶしぶ向かっていた。それが、青山さんが初めて大人として子どもに接した日だ。複雑な家庭環境で育った子どものなかには、一日限りのボランティアで行った青山さんにぶっきらぼうな言葉をぶつけてくる子もいたという。そんななかに、忘れられない出会いがあった。

「行事が終わってそろそろ帰ろうとしていたとき、10歳くらいの女の子が突然マフラーをくれたんです。リボンがかかっていて、きれいにラッピングされた新品のものだったので、『これ、どうしたの?』と聞くと、お父さんが送ってきたんだけど、嘘のプレゼントだからいらないんだ、と言ったんです。それで受け取っちゃったんですが……、なんだか使うに使えなくて。机の上に置いてあるのをしばらく見て過ごしていたんですね。そんなときふと学生課に寄ったら、ちょうど幼稚園の求人募集が出ていて。そこに就職することにしたんです」

子どもに関わる仕事に就こう、と意気込んで決めたわけではなかったが、何かが心に引っかかった瞬間だった。青山さんはその4月、地元の横浜を離れ、愛知県豊橋市にある幼稚園で先生になった。

「そこは武蔵野美術大学の教授が創立した幼稚園で、自由を大切にしている園でした。免許もないし、どんな仕事か全然わからなかったけど、初日に子どもたちと散歩に行ったとき、『わー、ラッキーだなー!』って思いました。だって同級生はみんなスーツ着て、満員電車で働きに行っているんですよ。僕だけが学校をサボった日みたいに、裏山で子どもたちと遊んで。これでお金がもらえるのかー、ラッキーじゃん、って。実は今もその気分はあんまり変わっていないんです」

一年目から担任を持ち、好きにやっていいと任された楽しい環境だったが、保育の勉強もしたことがないなかでの実践には、それなりに壁があった。

「いちばん呆れられたのはあれですかね。子どもと鬼ごっこをしていたら喉渇いたねって話になって、園の軽トラでその子と一緒にコーラを買いに行ったんです。帰ってきたら園長が『何してるの……』って絶句してましたね。今考えると信じられないんですけど、何がダメなのかすらわかってなかった。それから、ある子どもたちがよくケンカしていたので、毎回止めに入っていたら、『青山がケンカを止めるから幼稚園がつまんなくなった』ってその子に言われて、そうか、子どもってそういうことで毎日が楽しくなくなっちゃうのか……って気づいたり。子どもって、大人って、なんだろうと考えながら過ごしました」

たくさんのことを学びながら大きくなった子どもたちを見送るうち、任されることも増えていった。しかし同時に、そこで天狗になってしまう自分に恐れを感じたという。横浜に帰ることにしたのは、6年が過ぎたころだった。

「それで横浜のとある保育園で働きはじめたんですけど……、方針の違いってこんなに大きいのかと身に染みた一年でした。その園では、子どもを一部屋に集めて体操したり英語を勉強させたりしなくちゃならないんですね。でも、子どもが静かに言うことを聞くわけもないので、先生たちが子どもを怒鳴ったり怒ったりするんです。一日で辞めたいと思いましたね。子どもも嫌だろうけど、自分もすごく嫌な気持ちで。それでも年度内は責任を持って続けなくてはとがんばっていたとき、『りんごの木』という認可外の保育施設と出会ったんです」

人と人が作る、これからの保育園

「りんごの木」での仕事は、文学を愛していた青山さんにとって大きな転機となった。
「りんごの木には出版部があり、保育士向けの書籍を出版していたり、ホームページで代表の柴田愛子さんをはじめとして、同僚たちが外に向かっていろんなことを表現していました。それで僕もだんだんと保育についての文章を書くようになりました。保育のことを文章できちんと書いたのはそれが初めてだったんですけど、やってみたらとても楽しかったんです。そのうち保育雑誌や親子雑誌に寄稿する仕事をするようになって。自分のなかに“執筆”と“保育”というふたつの柱が作れたことに、今でも感謝しています」

それ以外にもイベントやワークショップなど、さまざまな企画もした。講演にも飛びまわり、保育士仲間や後輩と会を設けて保育士の育成にも力を注いだ。

「今、園長という立場に就いたのも、これからの人たちと保育のあり方を考えていきたかったからです。前職ではどちらかというと先輩方から学ぶ機会が多かったのですが、今は若い世代の人たちと一緒に保育しながら、自分がこれから何を学べるのか見てみたいという気持ちが強くあります。それから以前の職場のときは、何かと『認可外だから自由にできるんだよね』と、よく言われたんですよね。制度に縛られてないから何でもできるんでしょ、って。それがいつも悔しくて。でも、僕たちはいかに子どもを見て、自分がどう振る舞うかを大切にしているだけ。そこに保育のすべてがあって、認可外だから自由にできるわけじゃないし、認可だから制度に縛られて不自由なわけでもない。豊かな保育をしている園は、認可・認可外を問わず星の数ほどあります。だから上町しぜんの国のような認可保育園という環境で何ができるのかやってみたい、という思いがありました」

その願い通り、青山さんの希望する保育方針は、今の上町しぜんの国保育園でも大いに活かされている。それは子どもたちがのびのびできるだけでなく、大人も“自分がやりたいことをやる”保育園だ。

「保育者は、子どもとこんなことしてみたい、というのをそれぞれ持ち寄っています。畑仕事がしたい保育者は子どもたちと野菜を育てたり、ダンスが得意な保育者は子どもたちと踊っています。保育者だって何もみんなで同じことをしなくていいし、子どもたちも好きなところに寄っていけばいいんです。また、保護者は仕事をしていてみんな忙しいんですけど、バスケ部とかフットサルチームを作ったり、ワークショップや上映会をひらいたり、それぞれの方がしたいことをしています。係だからとか父母会だから義務でしぶしぶやるっていうんじゃなく、この指止まれ方式で、やりたい人がやりたいことを呼びかけてやっていく、みたいな間柄でいたいんです。毎日顔を合わせる仲だし、保護者と保育者だって気持ちでつながったつきあいができたらいいですよね」

コロナ禍でイベント関係は抑え気味だが、本来は自由参加で夕飯を持ち寄って食べる「いどばた」という会が月に一度あったり、大人なら誰でも参加できる「大人なナイト」というセミナーを企画するなど、保育園という場を保護者にも地域にも開いている。

「いどばたは、お迎えついでに夕飯をどこかで買ってきて、みんなで食べながら話したり、余興があったりする賑やかな会です。大人なナイトのセミナーにはいろんな方に登壇していただいていて、写真家の繁延あづささんが長崎県での狩猟生活について話してくださったり、在来種や伝統野菜を扱う八百屋のwarmerwarmerさんが野菜について語ってくださったり。地域の中学校の先生をお呼びして、教育についてお聞きしたこともありました。保育園ってクローズな場ではなくて、みんなでここを使っていけたらいいと思うんですよね。最近だと“保育園で買い物ができたら楽だよね”っていう声から、イエローページセタガヤの尾辻さんが保育園に来てくれて、野菜を販売してくださっているんですが、そういうことも“難しいからやめる”じゃなく“どうやったらできるだろう”って考えていきたい。やってみて違ったらやめればいいんですよ。でも、やる前からあれこれ言ってやらないのはつまんないでしょ」

保育園が一軒のおうちみたいだと感じたのは、そうして人と人との関係が育まれている場所だからなのかもしれない。いろんな壁を取り払ってしまえば、大人同士だって無邪気に手をつなぐことができるのだ。そんな大きな家族に包まれて、子どもたちは今日も自分らしく生きている。

上町しぜんの国保育園
住所:東京都世田谷区世田谷2-10-10
電話:03-3420-4169

 

(2021/10/26)

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