ネイルの小部屋 カタンコトン

瀬口香織さん

最寄り駅
上町

スマホを操作するとき、キッチンに立つとき、愛しい者に触れるときも、視界の隅には自分の手指がある。体のなかでいちばん目にするパーツだし、おいしいとかキレイとか、嬉しいとか幸せさえも、日々の営みや心の有り様を支えているのってじつは指なのかも……。そんなことを思ったのは「ネイルの小部屋 カタンコトン」で描いていただいた温かなネイルアートと、オーナーのカオリさんの“ネイルは心の安定剤です”という言葉のせいかもしれない。

文章・構成:粟田佳織 写真:松永光希

眺めているだけでホッとする、絵本のようなほっこりネイル

上町駅からほど近く、世田谷通り沿いに建つ古いビルの2階奥に「ネイルの小部屋 カタンコトン」はある。築60年になろうというビルは独特の構造で、建物の中に入るとなぜか1枚ドアがあり、初めての人は少しとまどいそう。でもその1枚がなんだか「どこでもドア」のように世田谷通りの喧騒を遮断し、入口までの空間のレトロな雰囲気にすんなりなじませてくれる。
小さなプレートを掲げたドアをノックすると「こんにちは」とカオリさんが迎えてくれた。

「最初は松陰神社前でスタートしたんです。でも少しずつ方向性が確立して、それを生かした雰囲気のお店にしたいと思い、5年ほど前にここへ引っ越してきました。イメージは『フィンランドの女の子がパリに来て暮らす部屋』です」

青い壁紙、ぬくもりのある木製のファニチャー、小物の一つひとつに到るまで「カタンコトン らしさ」にこだわって選び抜いたと言うとおり、どこを切り取っても映えることまちがい無し、本当にパリの小さなアパルトマンにいるような気分だ。カオリさんが展開するネイルアートの世界観に調和している。

「眺めているだけでホッとする、絵本のようなほっこりネイルにこだわっています。昔から柔らかくてかわいいモノが好きでネイルもそんな雰囲気を求めたのですが、私が始めた10年くらい前はキラキラ系が主流でほっこりデザインはなかなかなかったんです。だったら自分でジャンルを作ろうと。それと当時行っていたサロンは、忙しいからか『どれにしますか』『決まりましたか』とネイリストの方の圧が強めでちょっと萎縮しちゃうことが多く(笑)。だからいろいろ相談できて、ゆっくり考えて決められるお店にしたいと思ったんです」

季節の草花、愛らしいいきもの、温かな色遣い。1センチ四方ほどの爪をキャンバスに見立て、手描きでていねいに施すアートはラメやストーン全盛のネイル界で異彩を放つ。でもこうしたほっこりテイストを求めていた人は多かったようで関西や四国から足を運ぶお客さんもいるという。ひとりに対しオフも入れると2時間半~3時間じっくりと向き合うため多くても1日3人が限度。予約はすぐに埋まってしまう。

「ていねいな施術を心がけていることと、初めての方の場合は好みやライフスタイルなどいろいろ伺いながらになるし、常連さんだとついお話がはずむので時間は多めに使いますね。お客様が飽きたり疲れたりされないよう工夫して、お友達の家に遊びにきた気分になってもらえればいいなと思っています」

インテリアはほどよい日常感を携え、終わりかけに出してくれる飲み物やお菓子はチョイスもタイミングも絶妙だ。なによりネイル独特の、1対1で向き合い、ともすれば気まずさを伴いがちな時間の長さを感じることなく、本当に友人宅を訪れたときのような心地よさに包まれる。こうしたホスピタリティは前職であるCA(キャビンアテンダント)時代に培ったという。

憧れのCAになり、がむしゃらに働いた10年間

熊本で生まれたカオリさんは中学生の頃、CAを目指していた同級生の影響で自分も意識するようになった。

「飛行機に乗ったこともなかったのに、スチュワーデスマガジンという雑誌を読み始め、そこに載っているCAさんたちが眩しくて、眩しくて。憧れを抱くようになりました。大学生の頃、北京への研修旅行で初めて飛行機に乗った際、実際に働くCAさんを間近で見て、やっぱりこの仕事がしたい! と強く思ったのです」

大学3年になるとCAの専門学校へ通い始め、英会話をはじめマナーレッスンや企業研究、スピーチなど採用試験を受けるための勉強に励んだ。

「それなのに私が卒業する年は、国内の主要航空会社は軒並み新卒採用無し。グランドスタッフとして採用され、福岡空港で勤務しました。そして翌年、採用試験を受けたのですが、最終試験までいって不合格。当時は年齢制限が23歳だったので最初で最後だと思って臨んだので……かなり落ち込みました。ところが半年後に再び募集があり、しかも年齢制限が24歳になっていたんです。『神様、ありがとうございます!』と万全の準備で挑み、晴れて合格できました」

上京して念願のCAとしての仕事をスタート。覚悟はしていたものの想像を超えるハードな日々だったという。CAといえば憧れの職業に挙げられることも多く、華やかに見えるものの本来は保安要員。大勢の乗客の安心や安全を守る使命感・責任感が重圧になることはなかったのだろうか。

「不安や重圧は勉強して知識を蓄え、備えることで払拭するしかありません。エマージェンシーの知識のリマインドや次の日に乗務する飛行機についての知識確認は必ずやっていましたし、マナー検定、ソムリエ、接遇、中国語会話などの勉強もずっと続けました。採用試験のときもそうでしたが、好きなことのための努力ってまったく苦ではないんです」

そうして10年間、がむしゃらに仕事を続け、結婚を機に退職した。
「やりきったという思いでした。CAになれたことは大きな自信となり今も私を支えています。一生懸命努力を重ねることの大切さを教えてくれました」

結婚後、ずっと住んでいた大田区から世田谷に転居してきた。都内に住んでいたもののCA時代はフライトばかりで東京での土地勘はほぼない状態だったそう。

「夫はもともと世田谷に住んでいて、初めてのデートは桜の季節。北沢緑道の桜並木を歩き、豪徳寺から世田谷線に乗りました。『何、この電車!』って、2両編成のかわいい路面電車に感動。松陰神社前で降りて商店街を歩くと、カフェの本の表紙で見ていつか行きたいと思っていた『カフェロッタ』があって。もう世田谷が素敵過ぎて、その時点でこの人と結婚したいって思いました(笑)」

趣味のつもりで始めたネイルアートが仕事に

しばらくは仕事もせずのんびりするつもりでいたが、半年もすると働きたくなった。ちょうど世田谷線でアテンダントを募集していることを知り、契約社員として乗務することに。アナウンスも接客もお手のものだ。飛行機に比べクレームの少なさに驚きつつ、大好きな世田谷線で働けることは楽しかった。

一方で習い事としてネイルのスクールにも通い出した。結婚式の際に施してもらったネイルがかなりとんがっていたことから、自分ならもっとこうしたいという思いがふくれあがっていたのだ。仕事にするつもりはなく、自分のために好きなネイルをしようという思いだった。

「でも2年間スクールで学び、卒業後の店舗研修を終えた頃、次は週イチで大阪の学校に通いたいと夫に相談したら、そのお金でお店をやったほうがいいんじゃない? と言われ、そうか……やっていいのか。いいんだ、やりたい! と(笑)。開業することにしました」

早速物件探しから始め、松陰神社前の新築物件を見つけて契約。赤い壁紙の内装は映画『アメリ』のイメージだ。アイテムを揃えたり、1日10個を目標にデザインを考えたりしながらコツコツと準備を続け、2015年1月31日「ネイルの小部屋 カタンコトン」はオープンした。

「だれにも知られずひっそりとオープンしました(笑)。『カタンコトン』の名前は夫が考えてくれました。世田谷線っぽくてかわいいなと。お店のコンセプトはもちろん絵本のようなほっこりネイルです。ふとした瞬間に目に入る指先で日頃がんばっている人たちの心を和らげたい、そんな思いを込めました」

とはいえ名もなきサロンにすぐにお客様が集まるわけもなく、友達や知人がたまに訪れるくらい。カオリさんはデザインを描き溜めたり、講習会に出向いたり、時間があったときはロッタでお茶したりと、当初は大好きな松陰神社商店街に自分のお店ができたことの喜びを噛みしめていた。

だが3ヶ月、4ヶ月経っても大きな変化がないことでさすがに不安に。そのうちほかのサロンが気になり、あせる気持ちも生まれてきた。何かを考えなければいけない。
でも、カタンコトン のいちばんの売りである「ほっこりネイル」というテイストは絶対に変えたくたかった。

「私がめざすネイルを求める人は絶対にいるはずだ、知ってさえもらえればきっと来てくださる、すぐに結果はでなくても誰か見つけてくれる、そう自分に言い聞かせ、できることからやっていこうと思ったんです。まずは手作りのチラシを作ってポスティング。そしてブログに加えインスタグラムも始めました。ネイルのことだけではなく、カフェやスイーツ、お花のこと、世田谷の街のことなどを、写真にもこだわりカタンコトンの世界観が出るよう一生懸命考えて毎日アップしました」

ブログとインスタは今も続けている。当時のブログには、ほかにはないほっこりネイルの魅力を伝えようと、試行錯誤するひたむさが映し出されていた。

そんな努力が実ったのか、半年を過ぎた頃からいくつかのキュレーションサイトにとりあげてもらえるようになり、訪れる人が少しずつ増えてきた。

「こんなネイルを待っていたという声を多くいただき、リピーターのお客様も増えました。ネイルサロンは今本当にたくさんあって、どのお店にもそれぞれの魅力があると思います。私は私らしく、手描きにこだわった温かみのあるデザインを発信していこうと、改めて思いました。お客様と向き合うなかでカタンコトンらしさがどんどん確立していったのです」


ネイルは心の安定剤です

オープンして8年目に入った。学び始めた頃は人の真似をして練習をしていたが、真似で習得できるのは技術だけだ。カオリさんがめざす柔らかなほっこりネイルは当時だれもやっておらず、自分で切り拓いていくしかない。本を見たり、街を歩いたり、つねにアンテナを張り目に映るすべてのものをデザインのヒントにするという。人気のお店になった今もそれは続けている。

「旅行やお買い物に行っても、インスピレーションを感じるとすぐに写真に撮って「デザインのたね」のファイルに入れています。素敵なモチーフやパタンを思いついたらノートに記したり。最近はほっこりテイストも定着してきて、ほかにもやっているサロンができたみたいなんです。私のデザインに似たネイルをネットで目にすることがあると嬉しくなります。真似されるってすごいことですよね。一生懸命やってきたことがむくわれた気持ちになります」


メイクやファッションに比べると、ネイルアートには特別感や贅沢感を抱く人も少なくない。マナーや身だしなみというよりは「飾るもの」という印象だ。でもカオリさんは、ネイルは心の安定剤だと言う。

「何をしていても指先は目に入ります。そんなところはほかにないですよね。顔だって鏡をみないと見えないし。疲れたりいやなことがあったりしてもふと目にする指先が綺麗だと、気持ちが上がるんです。人差し指に猫がいたり、親指に花が咲いていたり、好きな色がのっていたりするだけでちょっとだけフっとなる、自分の味方みたいなもの。だから贅沢としてではなく日常のなかに取り入れてほしいです。きっとハッピーをもたらしますから」

お話には「一生懸命」とか「努力」というワードが多く散りばめられている。ありふれた表現だけれど、実際にCA試験を受けるときも業務に携わっているときも、そしてカタンコトンを軌道に乗せるまでも、カオリさんはコツコツ努力を重ねてきた。一生懸命に。真正面から正攻法で夢を叶えたのだ。努力できるってすごいことなんだと改めて感じる。

プライベートでは2年前に家族に迎え入れたジャックラッセルテリアのコナちゃんに夫婦で夢中になっているそう。今はコナちゃんの散歩が帰宅後の日課だ。

「初デートで訪れて大好きになった世田谷の街で今、お仕事ができていることがとても幸せです。最近、アクセサリーのクリエイションを始めました。お客様の声をヒントに、ネイルチップのピアスやリングを作って展開していく予定です。それからネイルスクールやサロンのブランディングなどもやっていきたいですね。これからもカタンコトンを通して、地域やお客様にたくさんの幸せを届けたいと思っています」


ネイルの小部屋 カタンコトン
 
住所:東京都世田谷区世田谷1-22-5 山一ビル 2A-3号室
営業時間:10:00~20:00
定休日:日曜、月曜
ウェブサイト
ブログ
Instagram:@katankotonnail

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