カフェロッタ

桜井かおり

最寄り駅
松陰神社前

2017年2月20日、松陰神社通り商店街にひとつの節目が訪れた。16回目のオープン記念日のちょうど1ヶ月前に、カフェロッタが一時的な閉店を迎えたのである。しばらくのクロージング期間が明けると、カフェロッタはカフェではなく、営業時間とメニューを絞った喫茶店に。地域を越えて日本各地にファンを持つ、長らく愛されてきた存在なのに、なぜ営業規模を小さくすることを決めたのか。オーナーの桜井かおりさんが、お店の歴史を振り返りながら、その経緯とこれからを話してくれた。

文章・構成:加藤将太 写真:山本あゆみ

ヤキモチから生まれた「カフェロッタ」

新旧さまざまなお店が軒を連ねる松陰神社通り商店街。これまでに紹介した「MERCI BAKE」、「nostos books」、「STUDY」といった若いお店に、「おがわ屋」のような老舗が混じり合う街並みはまさに独特で、理想的な商店街のひとつとされている。そんな依然として注目される松陰神社通り商店街で、大きな節目を迎えたお店がある。桜井かおりさんがオーナーを務める「カフェロッタ」だ。

「『カフェロッタ』がオープンしたのは2001年3月22日で、当時のこの商店街は今とは随分と違いましたね。「おがわ屋」さん、おじさんがやっているケーキ屋さん、古い魚屋さん、ブティック、和菓子屋さんとかもあって、ロッタのこの物件も以前は、おじいちゃんとおばあちゃんがやっていたお弁当屋さんで、お二人のお住まいを兼ねていたんですよ。今はきれいに舗装されている道路も当時は砂利道でしたし」



「カフェロッタ」を始める前、桜井さんは「カドリーブラウン」というテディベアの専門店で働いていて、その前は代官山で「クリスマスカンパニー」の店長をしていた。当時住んでいた街は世田谷ミッドタウンの上町エリア。この辺りの住まい歴はベテランだ。その頃からよく飲みに行っていたお店が、「カフェ アンジェリーナ」だった。

「私の夫が経営するお店ですね(笑)。アンジェリーナに飲みに行くようになって。そこでマスターである夫に出会って、私が32歳のときに夫と結婚しました。私は結婚した人のカフェを手伝いたいという想いでケーキ学校に2つも通って、アンジェリーナを手伝いながら、定休日には少人数規模でワークショップをやったりしていました。作ったケーキをみんなで食べて、お茶をするという。カフェオーナーと結婚した私にとって、アンジェリーナは夫の連れ子みたいな感じだったんです。長男が生まれたのに、子育てよりもアンジェリーナちゃんを優先するものだから、アンジェリーナちゃんにヤキモチを焼いてしまったという(笑)。だから私は『私も自分のお店がほしい!』と思うようになったんですね」

夫の昇さんも桜井さんの想いに賛成して、生活圏に近いエリアで物件探しをスタート。身近な場所に絞ったのは、長男と次男の子育てを優先したかったから。長男は4歳で保育園がやっと決まった時期、次男はまだ生後6ヶ月で首もすわらない状態だった。最初は下北沢で物件を探したものの、家賃が高くて早々に別のエリアへ。新たなターゲットに置いたのが松陰神社通り商店街だった。

「アンジェリーナのお客さんから、『あんな人もいない商店街でお店をやったらだめよ』と止められたくらいに当時の松陰神社前は閑散としていました。でも、私と主人は通りを一本裏に入れば住宅街になる商店街をすごく気に入っていたんですね。それに、私は住宅地に喫茶店を作りたかったんです。地域の人たちが通えるような、『いらっしゃいませ』ではなく、フランスの何気ない『ボンジュール』のように『こんにちは』と気さくに挨拶ができるお店を」

いたずら描きしたラテアートが雑誌の表紙に

お店のイメージとしてあったのは、アンジェリーナの妹という関係性と、テディベアの買い付けのときに訪れたイギリスのティールームの雰囲気。そんなこだわりを聞くと、信頼する内装デザイナーが関わっているのかと思いきや、なんと大工さんと桜井さんの二人三脚でお店を作ったのだとか。ヨーロッパとは無縁の大工さんに桜井さんのイメージを話してもなかなか伝わらず、ケンカしたのは今となっては良き思い出。それにしても、赤子を抱えたまま毎日のように工事現場に通って、よくも喫茶店を始めたものだなと思う。

「割と、直感に従って生きてきましたから(笑)」と桜井さんは平然と語る。ところで、優雅な響きのアンジェリーナに対して、ロッタは元気で可愛らしい妹という印象を受けるが、このチャーミングなネーミングにはどんな由来があるのだろうか。

「妊娠中って、お腹の中の赤ちゃんにあだ名を付けるじゃないですか。それと同じで、一応お店に名前を付けようとなって。『アンジェリーナの妹だから、ロッタとかいいね』となって、ロッタと呼び始めたら馴染んでいったんですね。この愛嬌のある名前のおかげで、プライベートでお客様に会ったりすると、私を「ロッタちゃん」とか「ロッタママ」と呼んでくださるので、よかったなと思いますね。

2001年3月22日、「カフェロッタ」は晴れてオープンを迎えるが、しばらくは軌道に乗らなかった。どんなに苦境であっても、桜井さんは育児をしなければならないからアルバイトスタッフを雇わなければお店を回していけない。「当時はスタッフの人数が今より多かったかもしれない」と振り返るが、人件費はかかる一方で、営業すればするほど赤字になる。そんなときに昇さんが声をかけた。

「夫に『店を閉める覚悟と勇気を持ちなさい』って言われたんです。その一言がすごく悔しくて、そこから気持ちを引き締め直しました。幸いにも、今までの流れが変わる二つのきっかけにも恵まれたんですね。ひとつはメニューの変更。喫茶店だったロッタのメニューは、コーヒーとパンメニューと何種類かのケーキだったんです。お客様に『ご飯ないの?』と聞かれては帰られてしまって。アンジェリーナではご飯メニューを出しているから、夫にカレーを教えてもらったりして、メニューを増やしていきました。もうひとつが一番大きかったですね。『TOKYOカフェ』(エンターブレイン・2004年3月発行)という本で、ウチのカプチーノの写真が表紙に使われたんです」



今やラテアートは珍しくないけれども、当時は存在しなかったもの。『TOKYOカフェ』の取材で、桜井さんは「カプチーノを作ってほしい」とリクエストされて、泡に簡単な顔をさっと描いてみた。そのはじめてやったいたずら描きの写真が、まさか表紙に採用されることになるとは。出版社から送られてきた掲載誌を手に取って衝撃を受けたという。作った本人からすれば、泡立ちも悪ければ顔も滲んでいたけど、ラテの泡に描いてある顔というのが新鮮だったから表紙に使われたのだろう。それ以来、ラテアート目当ての来店客が殺到して、「カフェロッタ」は、いわゆる“カメラ女子”の聖地とされるまでの大人気店になっていく。

桜井かおりがあってこそ

人気が高まるにつれて、「支店を出しませんか?」という引き合いが増えてきた。さまざまな方面からビジネス拡大の提案を受けるが、桜井さんは頑なに断り続けた。その理由には、シンプルで強い想いが込められていた。

「『カフェロッタ』は桜井かおりがあってこそのお店ですから。実は、2010年3月22日に『2e Lotta』(ドゥーズィ エムロッタ)という焼き菓子専門店を松陰神社通り商店街にオープンしたことがあるんです。でも、3年間でお店を閉めることになってしまって。有り難いことに売上は良かったけど、肝心なロッタに私が居ない時間が増えて運営が疎かになってしまって。それもあって、新しいお店を作って利益を出せたとしても、私の想いが伝わらなければ意味がないと思ったので、支店を作る気持ちはありませんでした」



「カフェロッタ」を経営していくにあたって、目標に掲げたのは10年続けるということ。物事を継続するのは本当にエネルギーを費やすことだし、お店を続けるとなると維持していくための利益は欠かせない。それでも、利益ばかりを追求して、ファンを裏切るようなことは絶対にできない。サービス、料理、空間など、さまざまなクオリティのバランスを考えて、常に「カフェロッタ」を更新していかなければならなかった。

「カフェを10年続けるのって本当に大変なんです。10年目は、お店をやりながら私個人としては旅行会社からパリツアーを企画する仕事を引き受けることができたし、とにかくロッタが人気になっていくことが嬉しかった。10周年のお祝いに、サプライズで歴代のスタッフがここに集まって、パーティーを開いてくれたんです。私は何も知らずにお店に呼ばれて、2階に上がったらみんなが居て、もう号泣するほどに感動してしまって。そこで『ここはみんなが帰ってくる場所だから閉めたりしないで』と言ってくれて、その言葉を胸に、次は15年頑張ってみようと決めました。その15周年が去年の3月22日だったんですね」

今こそ基本に戻ろう

節目の15周年を迎えても、変わらずお店を閉めるというイメージはなかった。ところが、16年目に向かい始めてから、今までに感じたことのないジレンマを抱えるようになってきた。当たり前のように上り下りしてきたお店の階段を、1日に何度も往復するのがつらくなってきて、素敵な仕事を続けられていると実感する一方で、はじめて体力的な不安と直面する。

「53歳にもなれば仕方ないですし、私と夫の両親も高齢になってきて。4人とも80歳くらいになっても健在なんだけど、「きっといつか大変なときが訪れるね」と夫と話すようになりました。そのときにスタッフを雇っていて、急に親を看ないといけないから店を閉めるということはできないじゃないですか」



去年の8月のこと。桜井さんのお母さんが足を手術して、そのときに病院とお店を行き来するのが想像以上に大変だった。昇さんと話してきた「いつか大変なとき」が目の前に迫ってきているように感じた。桜井さんも自身の体力の衰えを嫌でも感じるようになって、お店を閉める方法も考えはじめたという。変わらず賑わっている状態で閉店するのは、桜井さんの美学としては受け入れられる判断だったけど、それを思い直す出来事が訪れた。去年の秋頃のことだ。

「規模を縮小していこうと思い直したんです。それは、私の中に「もうちょっと働きたいな」という想いと、「この空間が大好きなんだ」という気持ちを確認することができたから。じゃあ、私に何ができるんだろうと考えているところに、友人たちが「かおりさんがいない日にロッタに行ったんだよ」、「明日はかおりさん、いますか?」と連絡してくれて。私に会いに来たいと言ってくれる人たちの言葉から、どんな想いでお店を作ったのかを思い出したんですね。私は、私が毎日いる喫茶店をやりたかったんだって。ずっとこの仕事をできるわけじゃないから、今こそ基本に戻ろうって決めたんですね」

今の私だからできることを

2016年12月1日、原点回帰への想いを赤裸々に自身のインスタグラムに綴った。2017年2月20日をもってカフェロッタが営業規模を縮小するという情報は、みるみるうちに広がって、それからは毎日のように全国からお客さんが訪れた。人気に火が点いた2004年と違うのは、そこに“せつなさ”を感じることだった。

「お客様が『最後の思い出づくりに来ました』、『地方から来ました』と声をかけてくださって。それでも、まだ営業形態が変わることを知らないお客様が沢山いらっしゃると思うし、喫茶店として営業再開してから「オムライス、なくなったんだ…」と寂しがられることに私が耐えられるのか。これからはケーキも今ほど焼けないだろうし、1階だけで営業していきます。喫茶店に戻すことで、スタッフの雇用をやめることも決めました。スタッフたちには今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、私の想いを最優先させてもらいました。私がお店に立つことを心から楽しんで、それでもお客様が来なければ私に魅力がないということだから、それはそれで、潔くお店を閉められるかもしれないですし」

50代になって迎えた新しいことへのチャレンジ。これから自分にできることをカタチにしていくなかで、桜井さんは「伝える」ことがポイントになってくると考えている。

「お店の経営、レシピ、子育てとか、私のこれまでを伝え残していきたいですね。人前で話したり、執筆したりする機会があったら嬉しいな。もうひとつ、ロッタを一人で切り盛りしながら、誰かにこの場所を貸すことに興味があって。たとえば、美味しいケーキ、コーヒーを作る若者がいて、資金不足で自分のお店を持てていなかったとしたら、ここをその子たちに利用してもらうことできっかけを作ってあげたい。それは今の私だからできることだと思うんです。たまには、時々やっていた「夜ロッタ」みたいに深夜営業もしてみたいな。ロッタちゃんも、この空間が活かされることを望んでいるはずだから」

過去を振り返ることも大切だけど、ただ昔に浸るのだけではなくて、自分が歩んできた道を未来につなげていきたい。15年以上の経験を得て、もう一度、喫茶店へ。桜井さんとロッタちゃん、二人の新しい旅がはじまろうとしている。「ボン・ボヤージュ!」と声をかけて、その旅路を見守っていきたいと思う。


カフェロッタ
住所:東京都世田谷区世田谷4-2-12
Instagram:@kaorilotta
 
※2021年、建物の老朽化により閉店。

 
(2017/02/28)

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