Atelier Tetsu Suzuki

鈴木徹さん

最寄り駅
経堂

むかしはインク工場だったというその建物は、天井が高くて、音がよく響く。まるでもともと楽器を奏でるための空間だったようにも見える。奥には、グランドピアノの存在感を消すほどたくさんのコントラバスが並んでいた。ウッドベースとも呼ばれるこの楽器は、指で弾いたり弓を使ったりして音を鳴らす。最低音部を受け持つ弦楽器だ。鈴木徹さんは、この工房の2階でコントラバスを作っている。ちょうどよい厚みになるまでひたすら木を削り、指先の感覚を頼りに整えていく。その大きなボディに張られた弦を弾くと、濃厚で温かな音がした。

文章:吉川愛歩  写真:阿部高之  構成:鈴石真紀子

奏でる音で、いつか世界がよくなるように

鈴木さんのアトリエは、経堂と桜上水のちょうど中間くらいの場所にある。ウィンドウには鈴木さんが趣味で集めているアンティーク雑貨が飾られ、一見ギャラリーのようにも見えるが、ここがコントラバスの製作工房だ。鈴木さんは1年間に3~5台ほどのコントラバスを、このアトリエで製作している。

「1台作るのに、だいたい3~4ヶ月ほどかかります。どのくらいかかるのか測ってみたことがあるんですけど、ニスまで塗って完全に仕上げるまでに150時間かかりました。でも、それでもかなり速いほうなんですよ。一般的にはバイオリンでも200時間くらいだと言われています」

修行していたころは、ひとつ削ってはマエストロに確認して手直ししていたので、今では2日で終わるような作業にも1週間かかっていたという。そこから格段にスピードアップしているのは、作るたび道具の扱いに慣れてきていることと、思った通りに道具が動いてくれるよう、研いだり手入れしたりすることを怠っていないからだそうだ。作業台にぎっしりと並べられたノミやかんなや鉄のスクレーパーは、どれも同じように見えてしまうが、もちろんすべて違う道具。ひとつひとつを使いわけ、丁寧に削り出していくことで、あの繊細な音が生まれる。

鈴木さんがコントラバス職人を目指してイタリアのクレモナに渡ったのは、2004年のこと。国立の弦楽器製作学校に入るために2年間アルバイトをしてお金を貯め、意を決して向かった。28歳のときだった。

「コントラバスとの縁ができたのは、大学を卒業してから。もともと音楽にもそんなに興味がなかったんですけど、高校生のときレッド・ツェッペリンを聴いてすごくハマったんです。それで大学でフォークソング研究会に入って、エレキベースと出会いました」

ベースに力を注いだ3年はあっという間にすぎ、就職活動の時期がやって来たが、将来のことは一向に決まらなかった。会社で働くのはなんとなく向いていない、とだけは感じて一社も受けず、結局そのままフリーターになった。

「もう少しきちんとベースの勉強をしたいという気持ちがあったので、ジャズベーシストである鈴木淳先生のもとでコントラバスを習いはじめたんです。梅ヶ丘のご自宅まで毎週かよっていました。最初はエレキベースだったんですが、教室でコントラバスを見かけたことがあって、かっこいいなと思って」

ただ、それが職業に結びつくイメージはできなかったという。

「演奏は楽しかったけど、プロになれないなっていうのはわかっていました。技術的にもそうですが、演奏家としてのやる気も……あんまりなかった気がします。そんなときに同時多発テロが起こって。遠い国のことだけど、こんな怖いことが起こるんだって大きな衝撃を受けたんです。直感的に、もっと世の中をよくしていかないといけないんだな、って思いました。それで、自分はどうしたら世の中をよくしていけるんだろうか、って考えはじめて」

当時はマッサージチェアの営業のアルバイトをしていて、家電量販店をバイクで移動する日々。自分になにができるのか模索していたときに、ある閃きがあった。

「むかしカンボジアを旅行したとき、アンコールワットでセミの鳴き声を聴いたことがあるんです。夕暮れになると山を包み込むように一斉にセミが鳴き出すんですけど、とても虫の声とは思えない音なんですよ。現地では“鐘の音”と呼ばれているらしく、ガイドさんに聞いてはじめてセミの声だって知ったくらいです。バイクに乗って夕暮れのなかを走っているときに、ふとその声が頭のなかで鳴り響いて。そうか、ああいう音が鳴るコントラバスを作ればいいんだ、と思いました。世の中をよくするために、いい音が鳴る楽器を作ろう、って」

2年後、鈴木さんはイタリアのクレモナに旅立った。コントラバスにはじめて触れてから、6年の歳月が流れていた。

製作学校とクレモナの工房の日々

1日もあれば歩いてまわれるくらいの小さな街、イタリア・クレモナは、バイオリン職人であるストラディバリやグァルネリが暮らした場所としても有名だ。古くから弦楽器製作の地として栄え、工房だけでも180軒、楽器製作者は200人以上いるといわれている。そんな街での暮らしを目標に、鈴木さんは実家に戻り、貯金を第一優先する生活に切り替えた。

「特別に木工が好きだったわけでもないし、イタリア語が話せたわけでもないので、クレモナに行ってコントラバス職人になると言ったら親にびっくりされました。でも、自分のなかでは揺るぎがなかった。3ヶ月だけですがイタリア語の講習にもかよい、あとは行ってしまえばどうにかなるだろうと飛び込みました」

弦楽器製作学校は日本でいうところの高等専門学校で、数学や国語などの一般教養科目とともに、楽器製作のカリキュラムがある。日本をはじめ、世界各国からの留学生がいたため、困ることはほとんどなかったという。

「通学と並行して、イタリアを代表するコントラバスの製作者であるマルコノッリの工房で手伝いをはじめました。実は留学が決まったあと、新宿の伊勢丹でやっていたイタリア展に行ったんですが、そこでバイオリン製作の実演をしていた方に、今度クレモナに行くんだと話しかけたんです。そしたら、クレモナに知り合いのマエストロがいるから手紙を書いておいてあげるよと言ってくださって。それがマリコノッリだったんです。普通は工房になかなか空きがなく、未経験者は特に入れないのですが、そんな縁から手伝わせてもらえることになりました」

一般教養に阻まれ少しずつしか進まない学校の授業と違って、工房でははじめから即戦力としてあらゆることを任された。夏休みも毎日のように通い、おかげで学校の何倍ものことを吸収できた。

「暇なときは、市庁舎にあるバイオリンの展示スペースに行って、時間が許す限りバイオリンを見ていました。無料で、誰でも入れるようになっていて、ストラディバリの作品も展示してあるんです。とにかく楽器をひたすら眺めていましたね。やっぱりいいものを見るのがだいじなんじゃないかなって思って」

学校よりも工房のほうがずっと実践的で、退学を考えたこともあった。けれど、工房ではひとりのマエストロの仕事しか見られないのに対し、学校ではさまざまな考え方や経験を持つ20名もの製作者が授業を受け持ってくれる。そんな場も大切な気がして、5年間最後までかよった。

めぐりめぐって世田谷へ

4年生になってからは、弓の製作工房でも働きはじめた。大昔は本体と弓を同じ製作者が作っていたが、1700年代からそれぞれの職人が製作するようになっていったそうだ。現在もクレモナには多くの楽弓作家がいる。

「弓の技術は、クレモナの楽弓名作家であるエミリオ・ズラビエロに学びました。ズラビエロは僕にお金がないことも知っていて、安いとはいえきちんと給金を出してくれました。とにかく渡伊してからはいつもお金がなかったです。2年生だったころは、ポケットにある200ユーロが全財産だったっていう日もありましたね。でもそのときはなぜか、マルコノッリが僕の作ったバイオリンを急に棚の上から引っ張り出してきて、『これはなんだ?買うよ』って500ユーロで買ってくれたんです。そのお金のおかげでパリに行く遠足に参加できたりして、結構ぎりぎりの生活でしたね。でも、楽しかったです。覚えたことができるようになっていく過程も、すごく楽しかった」

鈴木さんはそうして修行を重ねたのち、クレモナにアトリエを持った。工房での製作をメインとしながらも、卒業した製作学校で非常勤講師をしたり、日本でもコントラバス製作の授業を持ったりするなど、教えることにも力をそそいだ。2016年には下井草にも工房を開き、日本とイタリアを往復する生活が続いた。

「下井草の物件は、友だちがその工房を出るタイミングだったので、日本にも拠点がほしいなと思って引き継いだのですが、近所で火事があって工房の下が燃えてしまったんです。誰かが2階は楽器の工房だと言ってくれたらしく、水をかけられなかったのでコントラバスは無事でしたが、ぜんぶ煤で真っ黒になっちゃって。それで世田谷代田に越したんですけど、そこが欠陥住宅だったりして途方に暮れていたとき、友だちがこの場所を見つけてくれたんです」

不動産屋に問い合わせたところ、古いけど借りてくれるならぜひ、という返事が戻ってきた。
出身大学のそばということもあり、学生時代にはすぐそばで友人たちとアパートをシェアして住んでいたこともある。この場所を見つけてくれた古くからの友だちの協力のもと、3ヶ月ほどかけてリノベーションし、2021年の春にオープンした。

「なじみがある場所でアトリエを持てるとは思っていなかったのですが、縁ですよね。経堂には個人店が多いので、近隣の方と交流できるのも嬉しくて。ここにあるアンティーク雑貨のほとんどは、経堂で古物商をしている方から買ったものなんですけど、僕が好きそうなものが入ると連絡をくれるんですよ。すずらん通りのくろねこドーナツさんにもよくコーヒーを買いに行ったり、向かいの山荘飯島さんとも仲良しです。ラーメン屋も、おいしいところがあるんですよ」

音が世界をつくる

鈴木さんのアトリエは3階建てで、1階に入ると、天井の錆びた鉄筋が目に飛び込んでくる。インク工場だったときの薬品の影響で錆びてしまったらしく、大家さんは「こんなに古いところを借りてくれる人がいると思わなかった」と言っていたそうだ。でもそれがコレクションのアンティーク雑貨や古い木で作られたコントラバスとぴったり調和していて、アトリエのシンボルにもなっている。いつかここで演奏会をひらいてみたい、と鈴木さんは言う。

製作はおもに2階で行ない、3階は木の保管場所になっている。というのも、楽器は新しい木をそのまま切り出して作ることはなく、何年か寝かせてから使うのが一般的なのだ。

「古い木材も買いますが、新しい木を買って保管しておいて時期が来たら使う、ということもしています。弦楽器も弓もとにかく素材が大切で、ズラビエロは『いい楽器を作るために大切なことの8割は材料調達だ』と言っていました」

木材は寝かせると木が酸化して細胞が硬くなり、乾燥して水分が抜けることで音が出やすくなって、いい音色で響くようになるという。また、上手な演奏家に渡すと音がさらに鳴るようになり、できたての楽器が育っていくのを感じるらしい。

「楽器は、受け継ぐことができるのがいいですよね。高いものだし、古くなるほどよいものになっていくから、捨てられたりはしないんです。ときどき知らない方から、『鈴木さんの楽器を持っています』と連絡が来て、修理することもあるんですよ。久しぶりに自分が作った楽器と再会すると、仕上げたときよりも格段に音鳴りがよくなっていてびっくりします。不思議ですけど、だから作った楽器にまたいつか会えるのもとても楽しみなんです」

現在54台ある鈴木徹製作のコントラバスは、どこで誰が所有しているのかわからなくなっているものもある。きっと鈴木さんが知らないところで、コントラバスはリレーのように受け継がれていき、それぞれの場所でだれかをしあわせにする音を奏でているのだろう。

聴いている人にも演奏している人にも邪念がなく、温かい音に包まれているその空間は、鈴木さんの言うところの「世界をよくする」はじまりの場所になっているのかもしれない。

Atelier Tetsu Suzuki
住所:東京都世田谷区船橋5-20-14
定休日:不定休
営業時間:7:00~19:00(予約制)
ホームページ:https://tetsusuzuki.com/
インスタグラム:@atelier_tetsu_suzuki_cr

 

2023/03/02

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