糸と針

サイチカさん

最寄り駅
松陰神社前

見ているだけで心もあたたかになる、セーターや手袋などのニット。この季節ならではの着こなしとして、身につけるのを楽しみにしているお気に入りの1着を、今年もクローゼットから出した方も多いのではないだろうか。コロナ禍でおうち時間の大切さが見直され、家でできる趣味として再び注目を集める「編みもの」だが、センスの良い毛糸や道具を手に取って楽しめるお店が、世田谷のちょうど真ん中、松陰神社前駅すぐにある。数々の編みものの著作を持つ人気作家のサイチカさんが営むこのお店は、名前もずばり「糸と針」どんなお店なのか、覗いてみよう。

文章:立石 郁 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

触って、作って「私だけの特別」を楽しむお店

東急世田谷線、松陰神社前駅から徒歩1分。線路沿いにあって、カフェやアトリエが長屋造りの建物に入居している「松陰PLAT」2階入ってすぐのスペースに、サイチカさんのお店「針と糸」がある。まず、目に飛び込んできたのは、伝統的に使われてきたクラシックな紡ぎ車。その奥の棚には、沢山の種類の毛糸が天井まで高く積まれていて、ちょっとしたアトリエのような、お店のような、何か手に取ってみたくなるワクワクする雰囲気が広がっている。

ここでアトリエ兼ショップをオープンしたのは、2019年の秋。

「お店を始めたばかりの時はソファとテーブルしか置いていなくて、まるで居間のような空間でワークショップをしていました(笑)。だけど、すぐにコロナが流行ってしまって。その間しばらくは、オンラインで毛糸を通販して、主にアトリエとして使うことが多くなりました。最近は、ようやく人を集めてニットのワークショップをしたりと、お店としても教室としても少しずつ、ここを開けるようになりました」

文化服装学院を卒業後、アパレルでニットの企画に携わり、その後、作家として作品展や数々の人気の編みもの本を作ってきた。サイチカさんのニットは草木などの自然なモチーフや、遺跡から出てきた土器や陶片のような、太い毛糸を生かした立体的な表現が印象的だ。その編み柄を、洗練されたパターンに落とし込んだ「美しいのに人懐こい」ニットはたちまち評判を呼び、現在では韓国語版が刊行されるなど、海外でも人気を集めている。

この日は、特別に羊の原毛を冒頭の紡ぎ車で少しずつ毛糸にする「紡ぎ」に挑戦させていただいた。

まずは、サイチカさんが手慣れた雰囲気でお手本を。

車輪を止めないようにリズミカルに足で押しながら、手もとは原毛の玉をちょうどいい太さや速さで巻き取ることで、毛糸になっていく様子は、見ているととても心地よい。だが、初めてやってみると力加減を一定に保つのはなかなか大変。私の作った毛糸は、引っ張る力が強すぎて、ぎゅっとカールが強くなってしまい、毛糸と言うよりは、凧糸のような形に…。

「初めてでこれぐらい出来るなら、すぐ上達するよ〜!」と優しく励ましてくれるサイチカさん。

普段何気なく着ているニットも、昔からこうして純粋な毛から紡いで毛糸になり、それが人の手で編まれてニットになっているのだと知ると、とてもドラマチック。自分で作ることの特別さを感じることができるひとときだった。

「手編みのセーターとの出会いは、子供の頃。母は編みもの教室に通ったり、普段から刺しゅうをするなど、手芸が好きな人でした。姉と私にお揃いのセーターを編んでくれて。『私のためのセーターだ!』と嬉しくて自慢で、良く着ていたのを覚えていますね」

「学生時代にニットとデザインを学んだことで、より深くニットに興味を抱くようになりました。世界中の伝統的な編みものから島精機などのハイテクなニットマシンまで、本当に奥が深くてテキスタイルも糸も技術も広すぎて、学びも楽しく興味が尽きませんでした。卒業後、憧れのデザイナーズブランドに就職しましたが、流行、消費というものに違和感があって。娘が産まれたことで、より身近な人のために、もっと心地よく着てもらいたいと思うようになり、ニットの手編みを始めました」

刺激を受けたアーティストとの仕事、土の匂いに惹かれて

サイチカさんは、作家活動と並行して、旦那さまである櫻衣(SAQULAI,Inc)のファッションデザイナーである櫻井利彦さんのパートナーとして、舞台衣装などのニットディレクターも務めている。

サイチカさん自身のために作っていた原毛のニットを見て、声をかけて下さったスタイリストさんとのご縁に生命が宿るような体験があったと言う。

「普段は、彼の工房と私の工房は別々で、それぞれの分野、それぞれの独立した仕事をしています。けれど、衣装としてのニットを必要とされた時には、ディレクターと製作スタッフとして、彼の工房に馳せ参じる…そんな感じです。彼が衣装の世界に入るきっかけは、アーティストMISIAさんの2001年のMV製作の時でした。その後もニットを含め、たくさんの衣装を作らせていただきました。当時は彼も私も、ただ好きなものを作っていた何者でもなかった頃でしたので、第一線で活躍する方々との仕事はとても興味深く、プロの現場で刺激を受け、多くのことを学びました。今でも、衣装のニット作りは手芸とはまた違う、一期一会のセッションのような貴重な時間。作図に囚われない自由さがあり、クリエイトチームとのものづくりも大好きです」

手芸の世界に入ったのは、2010年のこと。書籍の編集者から声を掛けられ、初めてのニット本「ニットバッグ レシピ」を刊行。以来、サイチカさんのニットは手芸ファンからの人気を集め、その後も数々の書籍を発売している。

「本を作る時は、1つの物語を綴るように、現実と空想を行き来しながらたくさんのスワッチ(試作の編み地)を編み散らかすところからスタートします。それは例えば実在する人ではなく、彫刻家の舟越桂さんの塑像からインスピレーションを受けて、1冊のパターンブックを作ったこともあります。『この人に似合うセーターを編んであげたい』そんな風にセーターのデザインを考えるのは楽しい作業です。先日、インド占星術を見てもらったら、今の仕事は天職だと(笑)。私も最近になって、そうかも!と感じるようになりました。セーターをデザインしたり、編んだりすることで、私がある。いつの間にか、私ではなく、セーター自身に意思があってどんどんご縁を広げていく感じがします。編んでくださった方々が楽しんでくれているのが嬉しいです」

ニットを通じて、ものづくりを共有する喜びを伝えたい

そう、ちょうどその「場所」という言葉で気になっていたのが、この松陰PLATというオープンなスペースで、ニットのワークショップもできるお店があるということ。編みものの、お家で黙々とするイメージと少しギャップもあるように思えて、気になった。

「面白い場所ですよね。50歳になってお店とアトリエを持ちたいと物件を探しはじめました。ターミナル駅に近いと家賃が高すぎたり、いかにもオフィスのような閉塞的な場所は苦手で、心地よい場所を探していたのですが、なかなかマッチしませんでした。そんな時、松陰PLATの2階奥にあるカフェのタビラコさんでお茶をしていた時に、今のお店の場所がテナントを募集していると聞いて。すぐ大家さんに連絡をして、それからもう1週間後には契約をしました。最近は、同じ大家さんが運営している、近くにあるキッチン付きのレンタルスペースを借りて、コトコトと糸を染めるワークショップを開いたりして、この場所を楽しんでいます」

手芸のための書籍の仕事を始めたことで、何か変化などはありましたか?と伺ったところ、「私の本を読んでくれた方が、編み上がったらインスタグラムなどで『出来たよ!』って、国内外の方も写真とコメントを送ってくれるようになって。それがとても嬉しいし、新しい展開だと思いました」と教えてくれた。

「編みもので書籍を作るって、無人島で小瓶に手紙を書くような作業だなと思っていたので。直接会うことができなくても、分かち合えることが嬉しいですね。私のニットが、その人の好みやセンスで、自由に羽ばたいて欲しいです。『考える』って楽しいんで、創意工夫を大いにしてもらえたらいいなと思っています」

自然も違和感も敬意を持つことが、ものづくりのヒント

「歳を重ねるにつれ、土の匂いや大地のエネルギーを感じに向かっている気がしています。編んでいて楽しいのは、やっぱりウールですね」とサイチカさん。

「羊と人の暮らしは、とても長い歴史があります。紀元前3千年紀、アッシリアという国の遺跡にも、ウールの衣を着た石のレリーフが遺っているそうです。人類はより肌触りが良くて、染色に適した白い毛の羊を交配しながら作り出しました。スペインメリノなどに代表されるように、羊の種類も1000以上もあるそうです。どんどん、土に近いものに惹かれています。書籍や服、Webの仕事、そしてこの『針と糸』という場所で、いろんな人と繋がったり心が震えたり、喜んだり悲しんだり。ニットを作ることが、自分の存在証明みたいなものなんだと思います」

「学生の頃の友達に会うと『好きなものが変わらないね!』って言われるんです(笑)」とサイチカさんは不思議そうに、でも腑に落ちたようにくすくすと笑っていたのが印象的だった。

「モノがこれだけたくさんあるのに、敢えて『作ること』を届ける、ということについて考え込んでしまうことも多いですが、私は誰かが美しいと思うタネみたいなものが世の中に落ちればいいなと思って。美しいものを生み出すことができたら、そしてそれが誰かの楽しみや日々の潤いになるのなら、一生懸命作り出していきたいなと思っています。仕事を続けることで、種まきしながら歩んでいくのを辞めちゃいけないんだろうな、と考えています」

都会の中にぽっかりと迷い込んでしまったような心地よいお店と、サイチカさんのものづくり。なにかの「美しいものごと」のタネを見つけに、お店に行ってサイチカさんにまた会いたい、と感じた冬のひとときだった。

糸と針
住所:東京都世田谷区世田谷4-13-20 松陰PLAT 2-1
営業時間:13:00〜18:00
定休日:当面の間は不定期営業
ウェブサイト:https://saichikaknit.stores.jp/
インスタグラム:@shop_ito_hari

※営業日はインスタグラムをご確認ください。

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