imoco
澤畑加世子さん
世田谷駅から駒沢公園通りを南へわずか数分。ボロ市開催時には人でいっぱいになる通りに知る人ぞ知る料理とお酒のお店『imoco(イモコ)』がオープンしたのは、2023年の初秋のこと。目を引く店構えではないが、完全予約制でコースのみ、一斉スタートというルールがあるにも関わらず、さまざまな年代の食通たちで毎晩カウンターはいっぱいになる。そんな情報だけを聞けば敷居の高い店のように感じてしまうのだが、このお店を一人で切り盛りする店主、澤畑加世子さんにお会いすれば、そのイメージは一変。コース料理=緊張感のあるものという固定概念すらも、口に含んだ綿菓子のようにしゅわんと消えた。まだオープンして1年だが、毎月のように通う常連さんも多いそう。何度でも訪れたくなるその理由が知りたくて、澤畑さんに話を訊いた。
文章:内海織加 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子
料理と器とお酒を堪能するための緻密な空間づくり
小さな引き戸をスライドさせ、すぐに数段の階段を上がると、溶岩を使っているという印象的な照明に、一枚板のカウンター。違い棚には、器や日本酒の瓶がきっちりと美しく並べられ、上の段にはかわいらしい猫の置物がちょこんと鎮座していた。高さにしたらほんの数センチなのに、数段の階段を登っただけでぱぁっと視界が拓けたような不思議な感覚になる。
「暑かったですよね!」と、カウンターの内側からすばやくお水と鮮やかな紫蘇ジュースを出してくださったのは、店主の澤畑さん。カウンターの椅子に座り一口、冷たいものでほっとしていると、わずかに視線を下げるくらいで立っている澤畑さんと目が合う高さの妙に気がついた。あ、そのための数段……! おじゃまして早々に、店内には彼女の心配りが緻密に散りばめられていることを理解した。
決して広いとは言えない店内だが、なぜだか窮屈な感じはまったくなく、むしろ気持ち的にはゆったりとした心地よさがある。
「ここは6坪しかないんですけど、カウンターに8席作りたかったんです。限られた空間の中でも心地よい距離感や配置を探りたくて、いつもメジャーを持ち歩いてことあるたびに測っていました(笑)。内装は知人のデザイナーさんや内装業を営む友人に相談しながら、棚に一升瓶を並べられるように高さを測ってサイズを決めたり、グラスがいくつ並べられるかを検証したり、旦那さんの力を借りながら自分で細かく決めていきましたね。棚には雪紋と呼ばれる白い柄が特徴的な信楽焼の土鍋を置きたかったので、それを想定して棚板は少し白っぽく調整してもらったんです」
棚を見れば、確かに余計な空きなど一切なく、アイテムがぴったりと収まって気持ちがいい。席も棚も、余白があることだけが心地よさに繋がるのではなく、ちょうどよく収まることもまた、居心地の良さなのだ。
欅の一枚板で作られたカウンターは、品がありつつも木そのもののラインがそのまま生かされていて、その野性味にどきどきしてしまう。カウンターをこの色にしたのにも、彼女なりの明確な理由があった。
「以前、贈り物をきっかけに世田谷区在住の木工作家さんを知ったのですが、店の準備をしているタイミングでおじゃまできた展示会で、木のプレートに惹かれてしまって。そのプレートを置くならカウンターは墨っぽい黒がいいなと思ったんです」
確かに、黒っぽいカウンターだからこそ、木そのもののやわらかな色や質感が映え、その上に置かれたガラスや白磁の器にも見た目だけではない艶がほんのりと宿る。店内にある要素には、どれも澤畑さんの意思と美意識が注入されている。だからか、それぞれのアイテムやパーツは謙虚さもありながら、どこかスッと芯があるように感じた。
食べた後に身体が楽になるように、と料理に想いを込める
コースで出している料理の中から、特別に数品ご用意いただいた。最初に出てきたのは、前菜三品。小さな器に収まっている様がかわいらしく、あっちからこっちからと眺めてしまう。
「献立は、料理と酒と器の3つをセットにして考えています。器を起点にして料理を発想することも多いですね。だから、行き詰まったときは器屋さんに足を運ぶこともあるんです」
器も含めて目で楽しんでから料理をいただきたくなってしまうのは、茶道の作法にも通じるものがある。器で表現された季節感も含めて、料理を味わうということなのだろう。
夏野菜のトマト煮込みは、シンプルながらも野菜の旨味が印象的でじっくり味わっていると、「塩しか使っていないんです」と澤畑さん。塩は味を整えるだけでなく、素材の味を引き立てるためのものでもあると、この一品に学んだ。岩もずくとゴーヤの酢の物は、シャキシャキとした食感と口の中に響く音に驚く。土佐酢のやわらかな酸の中にほんのりとゴーヤの苦味も心地よく、味覚が目覚めていくよう。土のものと海のもの、その両方を一緒に出すのも、彼女の中にはちゃんとした狙いがあるようだ。
「どんなものをお出しするかを考える時に、いつも心掛けているのは、身体が疲れないようにということ。お腹は満たされつつも、次の日の体調がよくなっているといいなと思って。この考え方は、アルバイトから入って店長までやらせていただいた京おばんざいと韓国料理のお店『青家』の影響。“食べることは排出すること”と教えていただいて、今でもそれが献立を作るときのベースにあります。食物繊維が豊富な根菜を使うときは、海藻などの海のものも一緒に採ると腸にいいんです。五味を味わえるようにしたり、噛むことが大事なので食感が残るように調理したり。『青家』の料理や考え方が、私の料理の基盤なんです」
カウンターの内側でしじみの赤だしがお椀に注がれると、出汁のいい香りがふわりと時差で届いてほっと癒される。土鍋で炊かれたごはんは、米がしっかりと立っていて噛めば噛むほどにお米の甘味が広がってゆく。ごはんのお供として添えられたのは、手作りのちりめん山椒と牛のしぐれ煮。もちろんごはんは進むのだが、あくまでお米が主役のままでいられるような繊細な味わいには、家庭料理とはひと味違う気品を感じた。
「勤めていた『青家』が移店した後は、魚を捌けるようになりたかったのと、お酒を勉強したいという想いから神泉の創作和食のお店『ぽつらぽつら』に入って、お料理とお酒について、さらには独立のノウハウについてもここでたくさん学ばせていただきました。そして数年経って30歳になった頃にふと、自分が毎日食べたい料理ってどんなものだろうと考えていたら日本料理を学びたくなってしまって。思い切って、日本料理店『樋口』の門を叩いたんです。覚悟はしていたのですが、そこでの日々は修行そのもの。とても厳しかったのですが、勉強になることばかりの濃い期間でした。今までのやり方はすべて忘れるようにと言われて、包丁の持ち方から米の研ぎ方、出汁の取り方もすべて一から。ちりめん山椒も牛のしぐれ煮も、当時は材料や道具など準備までが私の役目で、実際に炊くのは親方や先輩。だから、その時に見て聞いて覚えたことを思い出しながら、今こうして自分が調理できているのは、嬉しいし楽しくて。今でもよく、脳内に親方の喝が聞こえてくるんですけどね(笑)」
お酒と料理を一緒に味わってこその幸せを伝えたくて
違い棚で目を引くのは、達筆な毛筆が印象的な日本酒の一升瓶。香川県の丸尾本店という酒蔵の『悦凱陣』というシリーズだ。この日本酒にすっかり魅せられ、近年は毎年のように酒蔵を訪れているという。
「悦凱陣を知ったのは5、6年前。香川の風土と水とお米で作られた力強いお酒のおいしさに感動してしまって。コクがある濃醇な味わいの中に心地よい酸味もあって、冷やでもお燗でも楽しめます。さらには、熟成させるとますますおいしくなるんですよ。新酒だったら75度のお燗にして、燗冷ましでいただくのも好きですね。酒蔵におじゃますると、おいしさの理由がよくわかります。作り手さんがその魅力やおいしさの所以をお客様に直接伝えることは難しいので、代わりにお客様にお伝えすることも私の仕事だと思っています」
お酒のこととなると、澤畑さんのギアがちょっぴり上がる。そして、キラキラと楽しそうな表情で話す様子に、彼女がどれだけお酒に恋焦がれているかが伝わってくる。日本酒は、悦凱陣の他にも常に50種類ほど。奥の棚の天井に近いところに並んでいる一升瓶は、“育てているところ”だという。
「全てではないのですが、抜栓して置いておくと熟成しておいしく育っていく日本酒ってあるんです。様子を見ながら味見をするのですが、もうちょっとだなとか、先月はあんまりだったけど今月はおいしいなとか、味が変わっていくのがおもしろくて!」
澤畑さんの日本酒への接し方は、対お酒というより対生き物という感覚に近い気がする。仕入れることは、彼女にとってはある種、作り手からバトンを受け取ったということなのかもしれない。
ここのお酒のセレクトは、日本酒に限らず、ワイン、焼酎、クラフトビールと幅広く、料理に合わせてペアリングを楽しむ方も多いのだとか。
「imocoでお出ししているような地味で滋味な料理には、お酒単体で味が立つものよりも、料理と合わせておいしさを味わっていただける食中酒が合うと思います。どのお料理もそれぞれ日本酒でもワインでも合うように考えているので、お客様一人ひとりのお好みをお聞きしながらご提案するようにしているんです。お料理とお酒がマッチした時って、“おいしい!”がダブルで来るんですよね。その幸せを味わっていただけたらいいなと思っています」
カウンター8席というキャパシティもあり、一人か二人のお客さまが多い。しかし、一斉スタートというスタイルも手伝って、もともとは面識のなかったお客さま同士がコースを食べ終える頃にはすっかり仲良くなってしまうということも少なくない。「お隣の方のお酒の説明が聞こえてくると同じものが飲みたくなることもあるようで、そういうところがきっかけで言葉を交わしはじめる方も多いですよ」と澤畑さん。お酒好きが営む店には、お酒好きが集い、お酒が人と人を繋ぐ。同じ料理を味わい、それぞれにお酒との組み合わせを楽しむひととき。いつの間にかカウンターには、ひとつのアトラクションを共に体感したような一体感が生まれる。
料理もお酒も自分でできるから、今、最高に楽しい
中目黒、神泉、神宮前など、さまざまなエリアのお店で働いてきた澤畑さんだが、はじめての自分のお店を構える場所として、世田谷を選んだのには何か理由があったのだろうか。
「親しい友人が以前このあたりに住んでいたのでよく訪れていて、松陰神社前の『ニコラス精養堂』や上町の『鹿港(ルーガン)』に立ち寄るのも楽しみでした。このエリアにはすっかり親しみも湧いていたので、お店の物件を考えた時にこの辺りがいいなと思っていたら、この物件と出会ったんです。他にも別のエリアで検討していた物件はあったのですが、お手洗いとフロアの間にスペースが欲しいなとか、カウンターがいいなとか、細かい要望が出てきたときに、それを叶えられるのはスケルトンではじめられるこの物件だなと思って。ご近所のお店の方もいい方ばかり。この1年ですっかり仲良くしていただいて、毎月楽しみに通ってくださる方もいらっしゃいます」
もともとここにあったのは、30年ほど地域で愛されていた『次郎長寿司』。現在の常連客の中には、かつてはここで寿司をつまんでいたという方もいるそう。人も料理もスタイルも全くちがうのだが、やわらかでほっと癒される雰囲気と、おいしいものを追い求める静かなストイックさみたいなものは、かつてここで営まれていた寿司屋さんとも共通するところがあるのかもしれない、と想像が膨らんだ。
最後の一品は、コースの最後に出される季節のあんみつ。冷蔵庫から取り出した長方形のバットには、寒天やあんこ、黒蜜、ブルーベリーなど、材料がぴったりと収まっていた。彼女の美意識は表に見えるところだけでなく、下準備にも染み込んでいる。
「寒天も天草から煮出して作っていますし、あんこも黒蜜もアイスクリームも全部手作りです。ちょっと面倒でも作った方がおいしいって知ってしまったので(笑)。私は、準備や下拵えが好きなんだと思います。その日の営業が楽しいものになるかどうかは、仕込みをどこまでちゃんとできているかが勝負だと、日々の営業の中で学びました。だから、仕込みが完璧に終わっていれば、よし、どんとこい! って感じで挑めるんです」
営業がはじまれば、料理の仕上げも盛り付けも、飲み物の用意もコミュニケーションも、すべて澤畑さんが行う。料理の進行を頭に置きながら、お客さまの飲み物の進みに気を配り、それぞれの好みに合わせてお酒を用意して……。それらを全部一人で担当するのはさぞ大変だろうと思ってしまうのだが、「一人でやるのが一番楽しいです! お料理もお酒も、全部やりたくなっちゃうんですよね」と満面の笑み。
「今までの修行時代、人の100倍怒られてきたので、肝が座ってしまったのかもしれません(笑)。できることを精一杯やるしかないし、慌てたってしょうがないですしね。また、一人だと全ての人のご要望に応えることは難しいことを知りました。だから、今は私が一人でできる形、やりたいスタイルでやらせていただいています。もちろん、そのうち変えていくところもあると思いますけどね。今はまだ全てにおいて満足していることは少なくて、昨日より今日、今日より明日と、ちょっとずつでも成長していきたいなと思っています」
30代前半という若さで自分の店を持ち、お酒や料理を通じて自分なりの想いや哲学を存分に表現している澤畑さん。てっきり最初から料理人を目指していたのかと思いきや、大学時代はそうではなかったと知って驚いた。
「大学時代にフードコーディネーターという職業に興味を持って、ダブルスクールで専門学校に通っていたんです。そして卒業後はフードコーディネーターの先生についてアシスタントをしていました。ありがたいことに、その時期にお世話になっていた先生方もお店に来てくださって。勤めていた飲食店のオーナーや先輩、お客さまも含めて、これまで育てていただいたみなさんが見てくださっていると思うと、毎日手を抜けませんね(笑)」
彼女は、体験してきたことの全てを栄養にして、ぐんぐん根を伸ばし、枝葉を広げてゆく。imocoは今年の9月で1周年。まだまだ進化は止まらないのだろうし、春夏秋冬をいくつも重ねゆっくり時間をかけながら、きっと、ますますおいしく熟成されていく。
imoco
住所:東京都世田谷区世田谷1-15-6
営業時間: 18:00〜22:30
定休日:不定休
※インスタグラムDMより要予約、コースのみ、一斉スタート
インスタグラム:@imoco22