PLAIN STOCK

橋本幸江さん

最寄り駅
上町

影が印象的な店だ。平日の朝いちばん、店に入ると、ぼんやりとオレンジ色の光を放つ照明がささやかに灯りをともし、壁に影のもようを作っている。どこかで大切に使い込まれたキャビネットやテーブルには、手馴染みのよさそうな器がならび、ひとつひとつ見てまわっているうちに、時間が経つのを忘れてしまった。オーナーの橋本幸江さんが選んだ品物たちは、また別のだれかに大切にしてもらえるよう静かに待っている。喜多見から上町に移転してきて1年、PLAIN STOCKの今を見せてもらった。

文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子

品物を、絵のようなバランスで飾る

教会のような三角屋根の、むかしは芸術家のアトリエだったスペースに、去年PLAIN STOCKが越してきた。オーナーの橋本さんがさまざまな場所から集めてきたものは、まるでむかしから親しかったみたいに肩を並べているが、店の中央にあったダイニングセットについて聞いてみると、テーブルは日本のもの、ベンチはフランス製だというから驚いた。世界中でつくられたものがぴったりと、橋本さんの店でおちあう。

どこを切り取っても絵画のよう、とスタッフが言うと、「子どものころ油絵を習っていたので、絵は描くのも見るのも好きなんですよ」と橋本さん。

「子どものころから美術館が好きで、もっとちいさいころは色鉛筆をグラデーションに並べたり、保育園では折り紙の並ぶ棚を眺めていたりするような子だったので、親が絵を習わせてくれたんじゃなかったかな。むかしから色調の異なるものが並ぶと違和感があって、色同士がけんかしていない感覚が好きだったんだと思います」

小学生になると、DIYも積極的にはじめた。近所のホームセンターに出入りするようになり、長いときには2〜3時間もの間、時間を忘れて回遊していたという。

「家のタンスを塗り替えたり、自転車も親が赤いのを買ってきちゃって嫌だったからマスキングテープで養生して白くしたり、そんなことばっかりしていました。両親ともにインテリアにはまったく興味がないのですが、だめって言われたことはないんです。今度は何をするのかしら、何を考えているのかしら、って思われていた気がします」

勉強机を買ってもらうタイミングでは、新しいものに気持ちが動かず、「これがほしい!」と、祖母宅で見つけた古い机をもらってきたそうだ。古いものへの興味も、物心ついたころからあった。

そんな橋本さんの軌跡は、お店からもじゅうぶんに感じられる。仕入れた古いジャケットは袖を切ってジレに直し、棚は塗装を剥がしたり塗ったり修繕したり。古いものは何かと手を加えて販売しているので、店は月の半分しか開けず、クローズドの日を作業にあてている。

手入れされた古道具は、また新しい命をもらう。最近入ってきたという煙草屋のガラス棚も、店に並べてまもなく買い手がついたので、これから新しい家具と入れ替える予定だ。

「営業時間内には、搬入や搬出をしないようにしています。お客さまには常にその日の自分ができるベストな状態を見ていただきたいし、それが店を運営するうえでの最低限のマナーかな、とも思っているんです。せっかく来ていただくので、自分が納得できる場を提供したくて。もしかしたらその一度きりになるかもしれませんし。大切なご縁を無駄にしたくないんです。自宅に商品を置いたときをイメージしながら、わくわくして品物を選んでいただけたらうれしいなと思っています」

やりたいことを見つけるまでの道のり

小学生のころからDIYをたしなみ、ファッションやインテリア雑誌を見ていた橋本さんだが、実はここまでの道が平坦だったわけではない。ファッションが好きで服飾の学校に進んだものの、そこでは自分の居場所を見出せなかったという。

「なんでしょうね。決まった授業に気持ちをのせていくのが難しかったんでしょうね。ジャンルを間違えてしまった感じもあります。基礎知識や技術よりも、自由なクリエイティブが学びたかった。そこが高校生の自分にはわかっていなかったですね。どんどん足が遠のいてしまって、2年のころからサボるようになりました。このまま学校にいてもなって思って2年生でやめてしまいました」

学校を辞めたあと、1年間は学生時代からしていた派遣の仕事で生活費を稼いだ。何ごとにも臨機応変に対応できる橋本さんはどの派遣先でも重宝され、半月でひと月分の給料が稼げたという。それで月の半分は遊びに使い、お金を貯めてはハワイに行ったり東京で買い物したりと自由を満喫していた。

「そんなとき、東京の大手セレクトショップの2店舗目が関西にできていたことを知ったんです。今までに見たことのないような空間で、陳列の仕方や商品セレクトのセンスに衝撃を受けて……。東京に行くたびに素敵だなと思っていたお店も同じ系列だったことを知り、履歴書を送ろうと決めました」

その後は、店舗スタッフとして働きバイヤーやコーディネーターを経て、のちにコンセプターとしてブランドの立ち上げに関わるなど、多くのことを学んだという。

「好きなことって勝手に情報が入ってきて記憶しちゃっているので、勉強しているつもりはないんですよね。先輩の仕事を見て、自分はこうしたいなって思ったり考えたり、独学で培っていった部分も大きかったです。ルールやセオリーを押しつけられることもなくて、わりと自由に楽しく仕事させてもらいました。結局は自分が好きか嫌いかしかないので、自分の感覚に頼ってやっていくのがいちばんかなと」

忙しくも充実した日々が過ぎていき、多くのことを学んだが、会社の方針が変わったり、尊敬していた先輩が退職したりという環境の変化もあって、以前から誘われていた会社に転職。しかしそれまでとはまったく異なる環境で働くなかで新たな気づきがあり、ふたたび退職を決めた。失業保険をもらいながら、自宅のリノベーションをする日々を送っていた。

「リノベーションしながら、自分がやりたいこと、進みたい道について考えた、大事な時間になりました。それまで住んでいたのは、DIYがしたかったので、もともとペンキ塗ったり自由にしていいよ、という古いアパートだったんです。でも、海外出張中に東日本大震災がおこり、帰国するまでのあいだ家が壊れていないか心配で……。それを機にマンションに引っ越そうかなと思うようになりました。もっと好きな空間づくりがしたいな、という気持ちも高まって物件を探し、今の自宅に出会ったんです。玄関のタイルを張り替えたり扉の色を塗ったり、そんなことに精を出していたら、その間にコロナ禍がはじまって失業保険の期間が終わって、さあ、何しよう、みたいな」

自分に嘘をつかない商品集め

あらためて何がしたいか考えてみると、「自分が集めてきたものを見せる場所がほしい」と気づいた。それがPLAIN STOCKのはじまりだ。

「家にもたくさんの古道具などを飾っていましたが、スペースが足りなくなって。自分の好きなものや、価値観を誰かと共有できる場所がほしい、そんな仕事がしたいと思ったこともあって、店舗を探しはじめたんです。家から自転車で行ける距離で、路面店で、条件に合う場所……。それでネットで探していたら、喜多見の物件が出てきたんですね。喜多見になど行ったこともなかったしご縁もなかったんですけど、なんかここよさそう、ってもうインスピレーション。見に行った次の日に契約しました」

8畳ほどのちいさな空間は、橋本さんがあちこちで仕入れたものですぐにいっぱいになった。カウンターを作り、壁を塗り、自由に空間を作れたことが嬉しかったという。

「自分がお店をやるなんてまったく考えていなかったんですけど、働きたいと思うところがなくて、じゃあ好きなことしようかなって。失敗するかも、っていう想像はまったくしてなかったんですよね。友だちにも、喜多見?どこそれ、とか言われましたけど、ここなら商品が売れるかな、いっぱいお客さんが来るかなとかそういうことより、自分が楽しくしあわせに生活できるだけのお金が手に入ればそれでいいわけで、まあ、そのくらいならなんとかなるっしょ、みたいな」

橋本さんはそんなふうに笑ったが、少しまじめな顔をして、「自分が心惹かれたものをまじめに届けていたら、必ずそれに反応してくれる人はいると思っています」と言った。

選ぶ品物は、すべて橋本さんの直感だ。仕入れに行くと、これはよく売れるとか流行ってきていると勧められることもあるが、気持ちが動かないものは置かないと決めている。

「オープンしたてのころは、リサイクルショップなのねとか、古いのになんでこんなに高いのっていうふうに言う人もいましたが、それはその人の価値観。いろんな人がいるから、ここが好き、こういうのがいいなって思ってくれる人に刺さればいい。自分がいいなと思わないものは、人にいいよって勧められないし、自分に嘘はつきたくない」

好きな場所、好きな空間

この物件との出会いは、喜多見の店をオープンして2年が過ぎたころだ。彫刻家の向井良吉氏(向井潤吉氏の弟)のアトリエだったというこの場所は、長いあいだHOUSE OF FER TRAVAILのオーナー・森川さんの倉庫として使われていた。ボロ市のときは解放して「ボロ市マルシェ」を開催していて、橋本さんも洋服のポップアップストアとして参加してみないかと声をかけられたという。

「出店したいけど、車を持ってないので荷物運ぶの手伝ってくれるならやりたいです! って言ったら、森川さんが喜多見の店まで荷物を取りにきてくれたんですね。そのとき店を見て、家賃いくらなの、なんて話になって。荷物を運び入れたのが、当時倉庫として使っていたこの場所で。ここ使う? って」

とんとん拍子に話が進み、喜多見の店を閉めて移転した。倍の広さで、天井の高さも倍。喜多見の店にはとうてい入りきらなくなっていたものも、ここでならゆったり出せた。

「考えてみたら、むかしは上町に住んでいて、この街が好きだった。この場所のことももちろんずっと知っていたし、条件もぜんぶ満たしていて。天井が高くて上から光が入るのとか、すごくいいなって気に入っています」

そんなこの店のなかでも橋本さんのおすすめは、開店当初から仕入れ続けている照明だ。広々とした空間にかかる漏斗ランプや、糸巻きを使った照明は空間を彩るのに欠かせないアイテムになっている。それから目をひくのが値札。これまでも自分で書いていたが、今年に入り以前から習いたかった紙事さんのお稽古に通い、さらに自分の書きたいかたちで文字が書けるようになったという。

「こんな感じがいい、と思っていても、なかなかうまく書けなかったんですよね。でも習いはじめてみて、自分の好きなかたちが捉えられるようになってきました。剥がさないでって言ってくださるお客さんもいるくらい」

橋本さんはほかに、個別にスタイリングやインテリアのアドバイスなども請け負う仕事もしている。リノベーションの相談を引き受けることもあり、家主の代わりに施工会社と話したり、間取りのアドバイスをしたりするそうだ。

「子どものころから不動産屋さんのチラシが好きで、間取りを書き換えたり、この家ならどこにどの家具を置くかな、なんて考えたりするのも好きだったんですよね。お店をはじめてから、自分が当たり前にしてきたことや好きなことが誰かの役に立ち、仕事になるということに気づかされました。当たり前のようで当たり前じゃないから、本当にありがたいことです。自分にとっては好きなことも、誰かにとっては苦痛なことってたくさんありますし、人はその部分を補い合って生きているんだなって」

いつかはもっともっと広いお店を、自然いっぱいのところでひらいてみたい。橋本さんは今、そんな夢も追いかけているという。

「これまでも、気づけば願ったことは叶ってきたから、きっとそのうちどこか遠くで、お店をひらいていると思います。このお店は宣伝をあんまりしていないんですけど、インスタで見つけてくれた人がわざわざ遠くから来てくれたり、店のなかを2時間ほどかけてすみずみまで見てくださる方がいたり。これからもそういう人たちにゆっくり見ていただけるような居心地のいい空間を作っていけたらなと思っています。新しいものばかりたくさん生み出されていく世の中ですが、経年変化でしか生み出させない味わい深さがありますし、今の技術では作り出せないものもある。古道具や古着は、一度お役目を終えたものかもしれませんが、また新たな命を吹き込むことで、次の持ち主にお届けする、そんな場所でありたいなと思っています」

橋本さんの夢は大きい。でもきっとまた、いちばんいいタイミングでチャンスがめぐってきて、来た電車に自然と乗るように、いつか新しい夢を叶えていくんだろう。もう少し世田谷にいてほしいけれども。そう思いながら、三角屋根を見送った。

PLAIN STOCK
住所:東京都世田谷区世田谷1-20-10
インスタグラム:@plainstock.001
※営業時間、定休日はインスタグラムをご確認ください

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