朝日屋酒店

小澤和幸さん

最寄り駅
山下

「いらっしゃいませー!」 平日の昼間にもかかわらず、お客さんがひっきりなしにやってくる。「いつものある?」「友人との集まりがあって、この時季に美味しいやつを持っていきたくて」「酸が強めなのが好きなんだけど、おすすめは?」「エスニック料理に合う1本はありますか……」。なじみの常連客から飲食店の店主、はたまた若いカップルや、これから宴会をするのだろうか、4〜5人の大学生グループまで──。世田谷線山下駅あるいは小田急線の豪徳寺駅から徒歩7〜8分。住宅街のど真ん中という、ある意味、不便な立地だというのに、近所の人のみならず、遠方からもわざわざ“このお店”を目指してやってくる ── それが地酒専門店「朝日屋酒店」である。

文章:葛山あかね 写真:阿部高之  構成:鈴石真紀子

駅近じゃないからこそ生まれた「地酒」という強み

朝日屋酒店に並ぶのは、日本各地のおよそ100の蔵元から毎日のように届く日本酒と、50蔵元の焼酎やリキュールといった地酒ばかり。はて、ビールやワインは?「すみません、置いていないんです。かなりエッジの効いた酒屋になっているかもしれません」。そう言って笑うのは三代目店主の小澤和幸さんだ。

創業は1956年。「祖父がこの場所で八百屋を開業したのがはじまりです」。当時はまだ道路がアスファルトではなく土だった時代。下北用水が暗渠(地下に埋められた水路。現在は「ユリの木通り」になっている)になる前のことで、「雨が多いと水が上がってきて、一帯が沼地のようになったそうです。だからなのか、この辺りの土地が手に入りやすかったみたいで……(笑)」

もともとは埼玉県出身。縁あって世田谷の地に移り住んだ先々代が、近隣に商店が一つもなかったことから商売をはじめたのがこの店のルーツだ。「その後を父が引き継ぎ、野菜や果物だけではなく、ほかにも日用品などを取り揃えるミニスーパーになりました。お酒を扱うようになったのもその頃ですね」

商売を続けながらも、現会長である父の小澤祥男さんは常に店の在り方を模索したという。駅近ではない。住宅街のど真ん中で勝負するには、何かに特化したほうがいいんじゃないかと、試行錯誤を重ねた末に辿り着いたのが酒屋だった。「最初はビールやワイン、ウイスキーなんかも置いていました。よくある普通の酒屋です。でも大手スーパーなどと同じ商品を置いても仕方ないと思ったんでしょうね、父は次第に、ほかではあまり見かけない、手に入らないような日本酒や焼酎などの和酒に力を入れるようになっていったんです」

そして三代目となる小澤さんが店に入ると、その専門性はますます加速。会社員だった兄の誠さんも呼び寄せて、日本各地で造られている地酒にとことん特化していった。こうして、ほかの酒屋とは一線を画す、マニアックで充実した品揃えが、多くの地酒ファンを惹きつけ、「地酒を買うなら朝日屋さん」と言わしめる名店になったのだ。

中学時代の夢は「サラリーマン」!?

三代目というと家業を継ぐ前にほかの会社で経験を積んで……などといったイメージがあるけれど、小澤さんは大学卒業後そのまま入社。曰く「小学生のお手伝いが、そのまま酒屋になっちゃった感じ」と笑うように、物心ついたときから品出しをしたり、自転車でお酒の配達に行ったりと、当たり前のように店の手伝いをしていたという。思春期には反発して「将来の夢はサラリーマンって書いたこともあります」と言うけれど、大学生になると「配達に便利だから」と車の免許を取得し、在学中に利酒師の資格まで取ってしまったというのだから、もう、酒屋を継ぐ気はまんまんだ。

とはいえ、はじめから地酒に対して積極的だったのかというと……。あくまでも「家業だから」くらいの心持ちだったようである。入社したての22歳の若者が、かつて日本酒はおじさんの酒というイメージがあった時代に、なじもうとしたってそれはなかなか難しいのもよく分かる。

そんな小澤さんに変化が訪れたのは、酒蔵に直接足を運ぶようになってからだという。実際に、酒の造りを見せてもらい、造り手と話をするうちに地酒への興味がぐんぐんと湧いてきた。酒蔵それぞれの個性やクセ、麹や酵母による味の違い、造り手の思いや製造へのこだわりに至るまで、「知れば知るほど楽しくなって、奥深い酒の世界にどんどんはまっていきました」。

地酒はその土地の米や水を原料に、その土地の自然や気候風土の影響を受けながら醸される酒である。新潟には新潟の、兵庫なら兵庫、佐賀には佐賀それぞれの特長がありつつ、そこに造り手の個性が複雑に絡み合い、多彩な酒が造られる。ときには想像もしないような美酒が生まれるというのだから……なるほど、面白くないわけがない。

そんなのから、こんなのまで!めくるめく地酒の世界

朝日屋酒店では焼酎やリキュールは100銘柄以上、日本酒においては400銘柄と多種多様な地酒を取り揃える。

「以前、自分好みのお酒ばかりを置いたことがあるんです。そうしたら『朝日屋さんのお酒って、全部似ているよね』って言われたことがあって……それってプロとしてどうなのかと。味の好みは人それぞれ、千差万別です。それこそジャンル問わず多様な飲食店の料理人さんやマニアの方もいらっしゃいますから、今ではそうしたすべての方に対応できるようにご用意しています」

取材に訪れたのは6月上旬。店内には“夏酒”の文字が。「春には薄濁り、夏はすっきりと爽やかで飲みやすい酒、秋はひやおろし、冬は搾り立てというように、季節ごとに違う味わいを楽しむ方が増えています」と小澤さん。そして同店で圧倒的に人気なのが生原酒。「言うなれば、蔵のタンクの酒をすくって飲むのと同じ。火入れもせず、そのままの味わいが楽しめるとあって、一升瓶で買っていかれる方が多いですね」

銘柄一つ一つにどんな酒なのか、その特長を書いたポップがついているのも、酒選びに迷った人に嬉しいサービスだ。それにしてもバリエーションの多いこと!

「たとえば、日本酒といえばかつては淡麗辛口の印象があるかもしれませんが、今は旨口の酒があったり、昔は“ひねた酒”みたいに思われていた酸の高いお酒も、ワインの影響なのか、人気があるんですよ。昨今はアルコール度数を抑えた日本酒なども造られていますし」……もはや地酒はおじさんだけのものじゃない(失礼!)。若者から女性までもが、料理に合わせて気軽に楽しむことのできる、みんなのお酒なのだ。

アルバイト=未来を担う酒の造り手たち

同店にはもう一つ面白い特徴がある。それは蔵元の跡継ぎがアルバイトにくる、ということだ。「実は近くに東京農業大学があるんですよね。日本各地にある蔵元の子供たちが醸造科に通うために上京してくるんですけど、どうせアルバイトをするならコンビニよりうちで働いたほうが勉強になるぞということで(笑)、父の代から続く慣習のようになっています」

きっかけは、35年ほど前「伯楽星」という銘柄を誇る宮城県の蔵元・新澤醸造店のご子息を預かったことにあるという。「なるほどそれはいい」と多くの蔵元の中で口コミ的に広がったのか、いつしか醸造科の学生アルバイトの受け入れが定着。取引先の蔵元から直接「来年、うちの子が農大に行くからよろしく」と言われることもあれば、教授の推薦でやって来ることもあるという。

「ここに来るとリアルな酒の流れが分かるんですよね。流通の仕組みとか、需要と供給のバランス、今どんな酒が消費者に好まれているのかといった情報が手に取るように分かる。そうしたことを学んでから蔵に戻るか、何も知らずにそのまま戻るかとではその後に大きな差が出ると思うんです。できるだけスタートラインは高いほうがいいじゃないですか。僕としては、蔵元に戻ったときに即戦力になれるような人材を育てることを目標にしています。

それにね、うちとしてもラッキーなんですよ。お客様にこの子はこの酒を造っている蔵の跡取りなんですよ、と言うとみなさん親近感をもってくださる。日本酒を身近に感じてもらえるチャンスだし、手に取ってもらえる一つのきっかけにもなるから、言うなればウィンウィンの関係といったところかな」

現在は秋田県の両関酒造や、埼玉県小江戸鏡山酒造、愛知県関谷醸造、石川県の櫻田酒造、鹿児島の神酒造といった名だたる蔵元の跡継ぎ5名が在籍。来年ももう数名は決まっているというから、なんとも人気のアルバイト先である。

地酒の底上げを図る“美味しい”取り組み

酒に魅せられておよそ20年。今や地酒のプロである小澤さんは店を営む傍ら、多様なイベントも手掛けている。たとえば、毎年9月に開催されるサケカレッジ「Professional Sake College」。蔵元や酒販店、マスメディアなど各分野のスペシャリストに向けた品評会&勉強会だ。この会の特徴は東京農業大学醸造科学科の数岡孝幸教授にご協力いただき、酒の成分分析をすること。自分の味覚をそのデータと照らし合わせながら利き酒ができるという、非常に貴重な会である。そもそも、この取り組みをはじめたワケは?

「一番は僕が勉強したかったんです。お酒を飲んだときよく『香りが強い』などと言うでしょう? 正直、その香りがどれほどのものなのか、感覚的にしか伝えられなかったんですよね。その曖昧さがもどかしくて……。でも成分分析をすると香りを数値で見ることができる。香りの強弱はもちろん、どんなタイプの香りなのか、香気成分の種類までも分かるんです」。味覚という曖昧なものを、数値という目に見えるかたちへと落とし込むことで、その酒の個性を明確に掴むことができるというわけだ。

この成分分析では、香りのほかにも酸の数値や種類、旨味や甘味、苦味の成分までも分かるとか。造り手である酒蔵はもちろん、飲み手としても興味津々。今や、全国から90蔵元が参加し、200名もの業界関係者が集まる話題のイベントになっている。

また一般の飲み手に向けた『美酒名酒きき酒会』も開催。こちらは蔵元と消費者が交わるための場であり、今年5月に13回目を迎えた。参加蔵はおよそ15蔵。約50種類のお酒を飲み比べができるとあってこちらも大盛況だ。「全国には小さいながらも一生懸命に地酒を造る蔵元があり、個性豊かな美酒を醸しています。そうした酒との出会いを多くの方に楽しんでいただけたら」。こちらはどなたでも参加可能。来年もまた開催予定というから、お楽しみに。

実はお世話になっている……かもしれません

さて、店には相変わらずのお客様。接客をしながら、電話注文に対応し、倉庫で品出し、検品、配達にとみなそれぞれ忙しそうに働いている。

確かな目利きと品揃えで飲食店からの信頼も厚い。卸している店を一部教えてもらうと、下高井戸の居酒屋「たつみ」、経堂「スエヒロ」、松陰神社前にある日本料理店「松蔭鶴水」、「居酒屋蔵八」などなど、その名を聞くと、あそこもそこも!?というお店がずらり。ということは、間接的に朝日屋酒店さんにお世話になっているんだな……いつも、ありがとうございます。また小澤さんは飲食店へのコンサルティング販売も実施。依頼を受ければ、料理や店の趣向に合わせて地酒を提案してくれるというから頼もしい限りだ。

さらに「より多くのお客様に地酒の魅力を知ってほしいから」と、せたがやボロ市や豪徳寺たまにゃん祭、松陰神社参道商店街秋祭、農大マルシェなど、世田谷で開催されるお祭りやイベントにも積極的に参加している。そのときどきでおすすめの地酒を杯売りしているというから、見かけた際には、ぜひ声をかけてみてはいかがだろうか。

そうそう、店内には無料で試せる試飲コーナーも。なんと常時100種類ものお酒を用意しているというから、どんなお酒が欲しいのか、迷ったときにはまず味見をしてから、自分好みの1本を選んでもいいかもしれない。では、そろそろ私も失礼して。今日はどのお酒を楽しもうかな。

朝日屋酒店

住所:東京都世田谷区赤堤1-14-13
営業時間:10:00〜19:30
定休日: 水曜
ウェブサイト:www.asahiyasaketen.com
インスタグラム:@asahiya.saketen.setagaya

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