ニコラス精養堂
太田泰照さん
東急世田谷線の松陰神社前駅に降りると、踏切のすぐ脇に見える「ニコラス精養堂」。店の前を通るたび、ふらりと立ち寄りたくなる昔ながらのパン屋さんだ。店内には、松陰あんぱんやクリームパン、ちくわパンといった多様なパンがずらりと並び、ガラスケースにもシュークリームやショートケーキ、色とりどりのゼリーなど目移りする品揃え。豊富なラインナップにワクワクしながらも、ほっとするような安心感を覚えるのは、私だけではないような。
文章:葛山あかね 写真:阿部高之
構成:鈴石真紀子
なぜ“ニコラス”? 意外と知らない老舗の話
「ニコラス精養堂」といえば、地元の人々にとってはランドマーク的な存在だ。「ここは私のおじいさんがはじめたお店で、創業は明治36(1903)年。かれこれ122年にもなるんですね」そう話すのは三代目店主の太田泰照さんだ。

創業者である祖父・太田睦賢(ぼっけん)さんはもともと、長野県の山間にある寒村の出身。「わりと裕福な家だったみたいですけど、曾祖父が知人の連帯保証人になってしまったらしく、小学校を卒業してすぐに、東京の菓子屋“風月堂”に丁稚奉公に入ることになったんです。そこで頑張って働いて、20代の頃には青山で“精養舎”という牛乳屋さんをはじめた。ところが大正12(1923)年に関東大震災で大きな被害を受けてしまって……世田谷に来たのはその後ですね。ここなら地盤がいいだろうと店を構え、『これからはパンの時代だ』と牛乳屋からパン屋になったそうです」

牛乳屋の精養舎からパン屋の精養堂へ。まだ世田谷線など走っていない時代。もちろん太田さんが生まれるずっと前のことである。戦後のパンの配給にたずさわり、三宿の陸軍基地の御用達になったこともあり、お店は繁盛していった。コッペパンやシベリア、ドーナツなど時代とともに品数を増やし、さらに松陰神社の参道ということもあり、和菓子職人を雇い入れ、饅頭や羊羹などの和菓子も生み出した。

「おじいさんは“人間万事塞翁が馬”というのが座右の銘でね。震災がなければ松陰神社前に引っ越してくることはなかっただろうし、引っ越してこなければ牛乳屋で終わっていたかもしれない。何がわざわいして、何が功を奏すのかなんて分からないからとにかくやってみよう、と。悪くいえば、行き当たりばったり(笑)。それでもバイタリティーがあったことは間違いないですね」

では、ニコラスという名前の由来は?「おじいさんの洗礼名です。風月堂で丁稚奉公をしていたとき森永製菓の創始者である森永太一郎さんと懇意になったみたいで、そのご縁もあってイギリスから来ていた宣教師に洗礼を受けてお名前をいただいたそうです。でも最終的にはお坊さんになりましたからね。世田谷観音を建てたのは、実はうちのおじいさんです。ちょっと変わった人ですよね(笑)」
パン屋だけじゃない、別の顔
太田さんの父・米蔵さんが二代目となり、お店はますます繁栄。町のパン屋として地元の人々に愛され、パンの種類もどんどん増えていった。これまで店頭に並んだパンは優に100種類を越えるという。

食パンやクリームパンといった不動の人気を誇る大定番はもちろん、個性的なパンも数多い。たとえば、焼印が印象的な“松陰あんぱん”。中に入っているのは普通のあんこではなく、生クリームやバターを加えて仕立てた黄身あんだ。チョココロネならぬ“キャラメルコロネ”、まるでプリンをそのまま食べているかのようなおいしさの“プリンパン”。惣菜パンにいたっては、卵やトマト、ハムとともに茎わかめサラダをはさんだ“スペシャルサンド”や、コッペパンになんとメンマをたっぷりのせた“穂先メンマドッグ”まで。思わず「なにこれ?」と手にとってしまう変わり種があるのも楽しい。小さな子どもから高齢者まで、老若男女問わず多くのファンに愛される所以である。


……と、ここまでニコラス精養堂のパン屋としての話をしてきたけれど、三代目の太田さんについて語るには、同店が持つもう一つの顔を紹介しなければならない。それが国士舘大学にある学生食堂の運営だ。
「これまたおじいさんの頃の話ですが、牛乳屋時代に国士舘大学の総長である柴田徳治郎さんと知り合いになったそうです。で、うちがこっちに引っ越してきたときに世田谷キャンパスで学食をやってくれないか、と誘われて。ほら、おじいさんは何でもやってみる人でしたから(笑)、やってみようということになったんでしょうね。最初はパンの販売からはじめて、父が引き継ぐ頃には定食を提供するようになっていました」
今は世田谷と町田にある2つのキャンパスの学食を担当。メニューには鶏南蛮定食380円、生姜焼き定食400円、マヨから丼380円、カレーライス350円などなど……いずれもボリューム満点、安くておいしい。学生にとってはなくてはならない大人気の学食から、太田さんのニコラスキャリアははじまることになる。
時代劇のエキストラと学食の料理人
太田さんは生まれも育ちも世田谷だ。古き良き松陰神社通り商店街のこともよく知っている。「八百屋があって、魚屋、花屋に、床屋さんもあったな。昔は本当にサザエさんに出てくるような商店街らしい商店街でした。友達の家もあって、『中華 一番』や『櫻井精米店』とか、商売をしている家の子も多かったから、子どもだけで集まってよく遊んでいましたね」

一人っ子ということもあり、家業を継ぐ気は「ちゃんとありましたよ」確かに調理師の免許も取ったし、パンの学校にも通った。「大学卒業後は学食を手伝いながら28歳くらいまではふらふらしていましたね」と話しながら少しだけ恥ずかしそうに笑う太田さん。ふらふらですか?
「僕は歴史が好きだったんです。新撰組とか、上杉謙信、諸葛孔明……彼らの生き様に憧れていたこともあるんですけど、何よりあの格好をしてみたかった。いわばコスプレですね(笑)。大学の先輩にNHKの大河ドラマや歴史番組のエキストラのバイトがあるよと誘われて。鎧を着られるし、甲冑もつけられるっていうんで撮影スタジオに行ってみたらこれが面白くて。だから、朝から昼過ぎくらいまで学食で仕事をして、午後からはスタジオに行って収録する、みたいな生活を10年くらい続けていました。その間、本当にいろいろなコスプレをしてきたなあ」

そんな二足のわらじ生活に区切りをつけたのが28歳のころ。「エキストラの仕事は仲間もたくさんいたし楽しかったんですけど、そろそろ本気で家のこともしなくちゃいけないな」とエキストラをスパッと辞めた。もともと料理好きでもあった太田さんは、そこから学食1本に専念することになる。
「料理って面白いじゃないですか。たとえば、どこかの料理店でおいしい生姜焼きを食べたとき。その味わいを頭の中で組み立ててみるんです。肉はどんなものを使っていたか、調味料には何を使い、どんな調合をしているのかといったことを自分なりに考えて、再現してみたりしてね。うまくできたら学食で出してみて学生さんの反応を探る。みんながおいしそうに食べてくれると、やっぱりうれしくなりますよね」
あるときはからあげの下味にアレンジを加え、またあるときは焼肉弁当のタレの配合を変えてみる。そうやって試行錯誤をする日々が楽しいのだと太田さんは言っていた。

ちなみに、ニコラス精養堂で提供されるパンは職人によるものがほとんどだが、なかには太田さん発案のパンもある。先ほど紹介した“穂先メンマドッグ”はその一つだ。メンマとパンの組み合わせは珍しいけれど……
「うちのパンはクセがなくて、挟む具材や料理といった主役を引き立ててくれるのが特長です。なかでも惣菜パンはおにぎりと同じようなものだと思っていて、ご飯に合うものならパンにも合うんじゃないかと。メンマってご飯にぴったりですよね」
はい。おっしゃるとおり、これが絶妙なんです。
行列必死!ニコラスのお弁当
午前11時。店前にはぞくぞくと人が集まり、気づけば長い行列ができていた。お目当てはニコラス特製のお弁当。毎日用意される日替わり弁当や惣菜が、次から次へと飛ぶように売れていく。昼過ぎには売り切れ御免の人気ぶりである。

ニコラス精養堂のパン屋としての顔しか知らない人は、どうしてお弁当?と思うかもしれないが、学食を営む同店としては至って自然な流れである。
「お弁当をはじめたのはコロナのときです。学校の閉鎖に伴って学食の営業が停止してしまって、でもスタッフにはお給料を払ってあげたいし、何かできないかなと思って、店頭での販売をはじめたんです。学食で人気の唐揚げやソースかつ丼といったメニューはもちろん、こちらは年配の方も多いので、野菜をプラスしたり、彩りに工夫を凝らしたりしながら提供しています」


それにしても、お弁当は各種400円、からあげは5〜6個入って200円、やきそば200円という価格設定。ニコラスのパンも学食の料理も、相当安いと思っていたけれど、お弁当もこれまた安い、安すぎる。
「うちでは『商売は1日で儲ける必要はない』っていう考え方がおじいさんの頃からあって。トータルで少しだけ儲ければいいんだからガツガツすることはないと、ずっとこうした値段なんですよね。とはいえ、時代も変わったし、物価も上がったしね。コロナも収束して学食も再開したから、お弁当はもう辞めようかとも思ったんですけど、こうやってみなさんが行列して待っていてくれるのを見ると、うちを頼ってくれているんだと思うから辞められないし、値段もなかなか上げられない。私、商売は向いてないと思います(笑)」
白髭を伸ばしはじめたのは……
同店は地域とのつながりも深い。かつては学校給食用にパンを卸し、今でも世田谷区内にある保育園や小学校の学童にパンやおやつを配達している。誕生日会のときには、あんぱんまんやぐりとぐらをモチーフにしたパンをつくったり、ハロウィンにおばけ型のクッキーを用意したりと楽しい工夫が満載だ。

また、近隣にある都立高校の学園祭において。以前は、その場でハンバーガーを焼いて販売していたものの、コロナ禍以降は中止を余儀なくされてしまったとの相談を受けて「それなら」と、オリジナルの焼印入りのハンバーガーをつくって提供したり。

手間暇はかかるし、睡眠時間も減っていく。それでも「子どもたちが喜んでくれれば、それでいいかな、と」。そう話す太田さんが髭を伸ばしはじめたのは、二代目が99歳で亡くなった3年前から。以来、一度も切ったり剃ったりしてはいないが、その理由は……「こういう風貌のほうが、子どもたちが喜ぶんだよね」

取材の最後に、スタッフのお一人に聞いてみた。ニコラス精養堂の良さってなんだと思いますか? 「そうですね……」と少しだけ考えて、「子どもが一人でも買いに来れるところかな」確かに。小さい手に小銭を握りしめて「どれにしようかな」なんて迷いながらも、自分の好きなパンやケーキをワクワクしながら選んで買うことができる。こういう地元のパン屋さんて、大人になっても心にずっと温かく残っていくんだろうな。
ニコラス精養堂
住所:東京都世田谷区若林3-19-4
営業時間:8:00〜18:00
定休日:日曜・祝日
