マルショウ アリク
廣岡好和さん
松陰神社商店街にオープンして2年目を迎える『マルショウ アリク』。名物の牡蛎をおばんざいとお酒とともに味わうお店は、古き良き商店街に軒を連ねながら、ときには店を飛び出してイベントを企画するなどして、街に賑わいを添える。店主の廣岡好和さんはなぜ街を盛り上げようとするのか。そこには幼い頃からの憧れが深く関わっていた。
文章・構成:加藤 将太 写真:仁志 しおり
築地の仲買から酒場の店主へ
松陰神社前商店街を南に下り、前回の「はたらくひと」で取り上げた石井利佳さんが店長を勤める『nostos books』の脇に目をやると、10軒ほどの店舗が連なるアーケードが伸びている。古びた大きなトタン板が印象的なその入口に『nostos books』とともに位置するのが『マルショウ アリク』だ。
『マルショウ アリク』は牡蛎をメインに季節の鮮魚と野菜の一品料理を愉しむ居酒屋だ。店内はシンプルなコの字型カウンター。そこで料理と酒をふるまうのが店主の廣岡好和さん(通称ヨッシーさん)である。店長の木村勲武さんとともにこの街ではじめた自身のお店は、今年の4月でオープン2周年を迎える。
居酒屋ながら、常に軒先で野菜を販売したり、定期的に松陰神社商店街を舞台に「松陰神社通りのみの市」を開催したり、ときにはヨッシーさんがカウンターの外でアコースティックギターの弾き語りをふらっとはじめたりと、居酒屋プラスアルファの側面を打ち出して、お客さんと街を楽しませてきた。そんな少し異色な居酒屋のオープンは、ヨッシーさん曰く、予期せぬ形で決まっていったのだという。
「『アリク』を始める前は築地市場内にある仲買の会社に勤めていたんですよ。仲買といってもいろいろですが、たとえば量で、箱買い・バラ買いするのでは値段が違ったり、付き合いのあるところには特別な魚や希少部位が出てきたり、毎日フリマのような感覚でした。接客から飲食業界に興味を持って続けてきたので、自分よりもうんと長く料理に没頭している人には敵わなくて。その人たちに負けない武器が、築地に通い続けることで見つかるんじゃないかということで、そもそもは魚種や使い方、計算の仕方などを知りたかったけど、築地での一番の収穫は、築地の商いは個々の信頼によって成立するんだと気付けたことですね。築地はひとつの単位でなく、小商いの集合で、信用商売の最たる場だな、と今も仕入れに行きながら学ぶことが多いです」
とりあえずの気持ちが本気に
自称・サービスサイボーグだったホテルマン時代にはじまり、その後は様々な飲食店で働いてきたヨッシーさん。飲食店のキャリアは増える中、白金(旧)、渋谷の『アダン』などに勤務後、店長を任せられた店舗で挫折を味わった。今振り返ると、自分の能力不足を痛感したことが今に至るすべてのきっかけに。引き続き飲食の世界に身を置きながらも、一度接客と料理から離れて、自分を泳がせるための時間を求めようと、自身のキャリアを見つめ直した。
「仕事として専門的な観点から魚を扱ってきたことが一度もなかったんです。加えて、勤務時間はずっと昼夜問わずという不規則な生活で、それを朝方へと一気にシフトさせたかった。いつかは独立して自分自身の店をオープンさせたかったけど、そのタイミングは築地市場が豊洲移転のゴタゴタに見舞われる経験をしてからにしようと決めて、それまでは築地に体を預けるつもりだったんですよ。でも、仲買の会社に勤めて半年のまだ間もない時期に、転機が訪れてしまったっていう」
実は、ヨッシーさんは以前に松陰神社前に住んでいた。まだ夜も明けない時間から築地で働き、昼間以降の時間を作れるようになってくると、暮らす街の人たちとの交流も生まれてきた。そんな中、仲間たちと松陰神社商店街に何か賑わいをもたらしたいという話になり、商店街を舞台に子ども向けに何かイベントを企画することに。
「『アリク』をはじめる直前に、今の『松陰神社通りのみの市』みたいなものをやったんです。『STUDY』の裏にある空き地とSTUDY、『ノストス』(nostos books)と『どんからり』、その4つの場所でワークショップとイベントを企画して。当時の自分はお店を持っていなかったから空き地から発信していって、それが何かに発展していけばいいんじゃないかなと思っていました。2,3年前、商店街に特殊な空気があったんですよ。ノストスができて、街がソワソワする感じがあったというか。少なくともウチらの間では、何かをやらなきゃという気持ちにさせられて」
イベントの開催にあたって、ご近所一軒一軒に挨拶まわり。当時は花屋だった『アリク』の物件の大家さんにも挨拶したときに、花屋さんが閉店することを聞いた。それだけでなく、大家さんは「もしよかったら、お店をやってくれないかしら?」とヨッシーさんに声を掛けたのだった。
「大家さんがなぜおれにそう言ったのかというと、大雪が降ったときにスコップを貸してもらったことを憶えてくれていたみたいで。そのときは築地に勤めて半年くらいだったから「まだ辞められない、今じゃない」と思ったけど、イベントを企画した仲間たちに、「いずれやるなら、リハーサルだと思ってやってみなよ」とけしかけられたんです。その無責任な言葉が大きかったのかもしれない(笑)。そこから事業計画書をつくって銀行にお金を借りに行ったりしたら、うまく進んで、気持ちが完全に傾いてしまって」
気持ちが固まると、申し訳ない気持ちを抱えながら仲買の会社に心境の変化を伝えに。牡蛎をはじめ、魚介類のいろはを教えてくれたからこそ、その恩返しの気持ちで、材料のほとんどは前職で仕入れている。
「いわゆる大衆居酒屋を個人がやるのはかなり難しいと思うんです。あの不特定感は大手だからこそ成せること。既に数多くあるし、その中で戦っていくには何かに鋭く特化したものがないと生き残っていけなくて。おれは自分の職歴のとおりにいろいろなものに触れてきたから、その“いろいろ”で生きていこうと思っていたんです。でも、お客さんに『この店は何ですか?』と聞かれたときに、コの字カウンターの居酒屋じゃない特徴を答えられないとダメだと思った。その武器に当てはまったのが、築地で修行して見つかった牡蛎なんです」
誰にでも開かれた公園に
『アリク』は全国様々な産地の牡蛎を扱っている以上、料理として牡蛎の可能性を追求していく。その一方で、街と関わっていくにつれて、ヨッシーさんの中でお店として目指すビジョンが定まってきた。
「この店を公園にしていきたい。居酒屋なのに誰にも開かれていて、老若男女問わずに足を運んでくれる場所に。ここは酒場だけど、店の一歩外は商店街だから子どもたちや近所の人たちとふれあうし、いい野菜を知っているからそれを売りもする。店の中でも、場合によってはワインの持ち込みOKというルールがあります。その人が持ち込む理由は家でひとり飲みしたくないから、みんなで楽しみたいんですよね。お店に飾ってある花が気になれば、アレンジしてくれた『ふたつの月』の平松朋子さんを教えたくなる。実際に、平松さんのお花の教室に通うようになった人も、贈りものとしてお花を依頼した人もいるんですよ。そんなことが積み重なって、辿り着いた答えが公園なんです」
たとえば、『アリク』では年始に軒先で餅つきを開催する。その理由はヨッシーさんが餅つきを好きで、つきたての餅の美味しさを味わってもらいたいから。餅をふるまうそばでは、常連客が獅子舞になって踊る。それを見た子どもが泣く姿を、商店街を行き来する人たちが微笑ましく見守る。そんなふうに、『アリク』のやり方で商店街の風景をつくっている。
「商売である以上はお金のやりとりが存在するけど、おれはこの街のファンだから、本質的な部分で価値の交換をしていきながら、街の公園を目指したいんです。ちなみに20歳のときに考えた架空のお店の名前がネバーランドなんですよ(笑)。だから“園”というニュアンスは自分としても違和感がなくて」
思い返えせば、街に対して何かやりたいという気持ちが飛び火して、一緒に『アリク』を切り盛りする木村さんと出会う縁につながっていった。木村さんは料理を作ったことはあっても、素材となる野菜を作ったことがなかった。だから農場に勤めながら食を学んだ。ヨッシーさんは飲食業を一旦離れて築地で修行。それぞれ将来に飲食店をやる上で勉強する感覚が似ていたから、『アリク』に木村さんを誘った。「イサムくん(木村さん)がいなければ結果は出ていなかった」と語るように、ヨッシーさんは人との縁を『アリク』に生かそうとしている。その取り組みのひとつが、店内で行われている展示だ。
「お客さんに『メキシコとキューバで撮ってきた写真を見てよ』と言われて、「せっかくいいものなんだから、よかったらウチで展示しようよ」ということで展示に発展したんです。何かを探しに行っているというよりは、ここに来てくれたお客さんとのコミュニケーションの延長線上かな。だから精力的ではないけど今後も展示はやっていきます」
公私混同の場所への憧れ
どこまでも熱をもって、街と自身の商売について語ってくれるヨッシーさん。この続きは是非『アリク』のカウンター越しに、お酒を片手に牡蛎とおばんざいを味わいながら聞いてほしい。最後に、商店街で商いをするひとりとして、街の魅力を語ってくれた。
「おれは故郷が千葉のベッドタウンだから、両親も移住者だから家族として郷愁感がなくて。人と街がふれあっている場所に憧れがあって、いつかそういう場所に身を置きたかったんです。一昨年の6月まで松陰神社に住んで、今では自分の店を持つようになって、誰かに『ここをベースに生きろ』と言われている気がする。この街の良さは今も変わらず、自分にとっては“公私混同の場所”ですね。商売をしながら子どもが挨拶してくれたり、近所の人たちと会話できたりするのをすごく望んでいて、人生の再スタート地点として職住の環境を近づけたかった。たとえるならばジャイアンの家というか(笑)。2階に住みながら1階で商売をやるような感覚で街に溶けたいと思っていたんです。今はその憧れが、当たり前の景色になっている。この街は誰かが倒れていたら、助けてくれる人ばかりだと思いますよ。それほどに公私の隔たりがなくて」
店名の『アリク』を漢字に表すと“歩(あり)く”。お店が一歩ずつたしかな足どりで進んできたように、これからもきっと縁の中から円を広げ、街の園をつくっていくのだろう。それがこの街への恩返しにもなると信じて。
マルショウ アリク
住所:東京都世田谷区世田谷4-2-12
※2022年に移転
〈移転先〉
住所:東京都世田谷区若林5-34-9
営業時間:12:00〜20:00
定休日:月曜、隔週火曜
Facebook:@marushouariku
Instagram:@ariku2014
(2016/02/10)