麺屋かまし

湊文武さん

最寄り駅
松陰神社前

創業から7年目、今年2月に約半年の休業から待望の復活を果たした麺屋かまし。店主・湊文武さんの出身地である岩手の名物「じゃじゃ麺」から着想した看板メニューのオリジナルのまぜそばは、近隣の住民のみならず、わざわざ訪れるファンをも魅了して止まない。明るいキャラクターと屈託のない笑顔で、飲食店を営むこと、そしてこの街への熱い想いを話してくれた。

文章・構成:伊藤佐和子 写真:田畑早織

「人のため」になる仕事がしたかった

世田谷通りから世田谷区役所方面へ曲がってすぐの場所にある「麺屋かまし」(以下、かまし)は、昼休みという限られた時間のなかで、入れるかわからないながらもつい目指さずにはいられない場所だ。店名の由来になっている「かまし麺」の「かます」とは、岩手の言葉で「かき混ぜる」ということ。タマネギ・ニンジン・ピーマンなど7種類の野菜と国産鶏ひき肉を、鰹と椎茸の出汁でじっくりと煮込んだオリジナルレシピの肉味噌が麺の上を覆い、そのてっぺんに乗せられた卵を思いっきり混ぜていただく。かましを始める前に2年ほど営んでいた、ご飯が食べられる居酒屋の「ぶっかけ屋」で人気だった、「肉みそぶっかけ」から着想したオリジナルメニューが元になっている。

「『じゃじゃ麺』は食べ終えたら器に茹で汁を注ぎ、調味料で整えてスープにするところが無駄がなくて好きなんだけど、実際のところ味はそこまで美味しいとは思えなくて(笑)。どうせだったら自分が食べたい味を作ろうと思って考案しました。ピーマンが入っているのはピーマンが美味いからっていうよりも、ピーマンが嫌いな子どもにこっそり食べさせたかったというイタズラ心。ぶっかけ屋のときから子供連れで来てくれるお客さんが多かったので、『ピーマン嫌い』っていう子どもに『え、全部食べたじゃん!』ってツッコミたかったの(笑)」

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顔を崩してニヤリと笑う湊さんは、かましの他にも松陰神社通り商店街と農大近くの世田谷区桜に2店舗を構える串カラ揚げのお店「どんからり」を経営している。経営者でありながらかましの店頭に一人で立ち、時々はどんからりにも出勤する多忙な日々だが、いつからこの道を歩み始めたのだろうか。意外にも高校卒業後にまず叩いた扉は、自衛隊だった。

「中学生の頃くらいから漠然と『人の役に立ちたい』という想いがあって、災害が起きたときなどに真っ先に現場で人助けができる自衛隊に進もうと決めていて。でも、高校生になってから将来のことを考えるなかで、親父に『人のためにならない仕事はない』と言われてから、視野や自分の世界が広がって、飲食かファッション関係の専門学校に行きたいと思うようになった。将来は古着屋兼カフェをやりたいなんて思っていたりして」

自衛隊へ入隊、任期満了後に満を持して東京へ

東京への進学資金を得るために、卒業後はまず働く必要があり、そこで再び自衛隊を目指すことに決めたという。2年で任期を満了し、一度きりの人生だから、やりたいと思ったことをちゃんと追いかけたくて、予定通りに東京を目指した。

「ハタチで上京した当時に最初に住んだのは西太子堂で、玄関がなくて扉を開けたらいきなり部屋がある4畳の小さな部屋。土地勘はなかったけれど、『三軒茶屋』という地名がなんとなく優しく聞こえて。部屋探しは聖蹟桜ケ丘に住んでいた地元の友達が付き添ってくれたんだけど、一軒目に内見したその部屋を友達が勝手に『ここにします』って決めちゃったの(笑)。でも、田舎から出てきた俺にとっては丁度いい街で、とても気に入って暮らしていたよ。松陰神社前方面や世田谷の内側方面に行くことはほとんどなくて、外車に乗っている人が多いハイソな街なんだろうなと思っていた(笑)」

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そして、その後の人生に影響を与えるお好み焼き店でバイトしながら、アパレル企業への就職を目指し勉強した。就職活動中にとある企業から『バイトから始めてみないか』と誘われ、卒業前にショップ店員としてファッション業界に入ることとなるが、理想と現実のギャップにより、自身の過去最短記録の一週間で退社にいたる。

「そのあと、友だちの紹介で代官山のカフェで働くことになったんだけど、その時の店長がマルショウ アリクの店主の廣岡くん(よっさん)だったの。よっさんとは14年前からの付き合いだね(笑)。専門学校卒業後にもう一度アパレルの仕事をすることになるんだけど、その時は人にも恵まれていい経験をさせてもらったよ。ライフスタイルも会社のブランディングの一環として大事だってわかっていたから、お客さんに『どこでランチを食べるんですか?』とか聞かれると、本当は自分で作ったお弁当を裏の階段で食べたりしていたのに、小洒落たカフェを紹介してみたり」

本当の自分と店に立つ自分がどんどん乖離していく気がして、少しずつ窮屈になってきた湊さんは、思い切って会社を辞めることにした。飲食店で働いていた時代を振り返ってみると、お客さんとの接し方も自分自身の働いている姿も、すべて等身大でいられたように思えた。

「今、お客さんも含めて今の自分とつながっている人たちは不思議と飲食の仕事や店を通して出会った人たちばかりで。自分自身に嘘をつかないでいられるからこそ、ちゃんとしたつながりが生まれたんだろうと思う。実はかましは昨年から半年くらい休業して今年の2月に営業を再開したのだけど、正直お客さんが来てくれるだろうかって不安だった。でも、蓋を開けてみたらみんな『待ってた』って言ってくれて、辞められないな、って」

等身大の自分で生きていく

大げさなことではなく、『食べる』ということは生きることで、飲食店を営むことは人の人生に関わることだ。ぶっかけ屋時代から、お客さん同士をふいにつなげたり、常連さん同士が結婚するきっかけになったり、この場所に『人』が集まり、交わる場所であることを実感するエピソードがたくさんある。

「7年店をやっていると、最初の頃に小学生だった子供も、大学生になるんだよね。テレビで紹介された時期に冷やかしまじりで来ていた小学生の集団が居て、待っている間もずっとゲームをしていたんだけど、いざ飯が用意されてもなかなか食べない。『ここはご飯を食べる場所なんだから食べなさい』って怒ったら、ドキッとしたのか素直に食べだしたんだけど、その中のひとりの子がその後もお母さんとだったり、中学、高校に上がっても部活帰りに寄ってくれたり、ずっと来てくれていて。ついこの間にもう大学生になったと聞いてさすがに感慨深くなった。あとで話してみたら、その子も俺が怒ったときのことをずっと覚えていたのだって」

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前述したように、湊さんは「どんからり」という串カラ揚げ店も経営している。昼のランチタイムでも大人気な唐揚げは、ぶっかけ屋時代の看板メニューのひとつ。開業するときには唐揚げ専門店にすることもよぎったけれど、大手のビジネスに対抗しても敵わないし、それならばと個性を伸ばしていきたいと思った。

「ご飯を食べるにも何をするにも、今までにないこと、面白いことがしたかったんだよね。『串カラ揚げ』なんて聞いたことなかったし。それから松陰神社前も桜も、子供が家族と来られる店にしたかった。極端な話だけど、子供が好きなメニューなら、お好み焼きでもハンバークでも用意すればいいと思うくらい、そういう空間を作るということを大事にしたくて。それって、単純に自分が家族と行きたいからで、すべては『自分のため』がスタート地点。自分が行きたい、食べてみたい、驚きたい、だから美味しい物を作りたい。少し前に病気になって食事制限があるときに、自分が食べたいから、食べられるように動物性油脂をほとんど使わないラーメンを開発したり(笑)」

『動物性油脂をほとんど使わないラーメン』とは、2月の復活時から登場した中華そばだ。生姜をはじめとした野菜やスパイスとごま油をベースにしており、さっぱりとした醤油味だがしばらくのあいだ香りや味わいが印象深く残る。『自分が食べたいから』という素直な気持ちから開発してしまう熱量は、物事において根本的かつ何より大切な原動力なのだと思う。そして、かまし麺のルーツであるじゃじゃ麺や、店で使われている南蛮醤油、山牛蒡のもろみ漬け、ビールや日本酒、カウンターに置いてある南部鉄瓶など、いたるところに岩手や地元・遠野の物を発見する。

「地元に貢献したいという想いもあるけど、それ以前に地元には美味しいものが多いということを離れてから再発見して。たまたまなんだけど、ビールを作っているのが先輩、漬物は後輩、お米はおふくろの友だちにお願いしてて、そうやって全部がつながっていった。離れた場所で俺が扱うことで地元には仕事が発生するし、東京には味が広がるし、自分も地元も潤うし、いいことしかないなあって。俺はそうやって集めて紹介する役をやればいいと気づいて、楽な方へと自然な波に乗っかっていっただけというか(笑)。店の看板はあえて逆さ文字にしているんだけど、これは岩手遠野で盛んな版画を模していて。2店舗目、3店舗目と新しく出店するときは、看板は正体にして、ハンコを押しているイメージにしていきたいんだよね」

ほどよく自立した地域を創っていきたい

冗談ともつかない言い方を交えながら、未来の話をたくさんしてくれる湊さんは、そうやって朗らかにいることが、ここ松陰神社前という地域のなかで目立って何かの活動をしているわけではないけれど、キーとなる人のひとりと感じさせられる所以なのかもしれない。ここ数年のあいだににわかに起こっている松陰神社前ブームを、商店街とはすこし離れた場所から見守り、こう分析している。

「類は友を呼んでる感じというか、それぞれのお店の人たちが自然体だから横の繫がりも強い。『街がよくなれば人が来る。街に人が集まれば、自分たちの店にも自然と流れがやってくる』って信じて動いてる。慈善事業のつもりなんかないし、皆が自分のために動けば商店街が動きだすんだよね。4年前に商店街でどんからりを始めた時にはまだまだ弱かった横のつながりも変化していき、一人ではできないことも、志が同じ仲間がいる今ならできる。まだまだスタートラインで、これから面白くなっていきます、松陰神社商店街!」

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松陰神社前地域に住んでいたこともあり、住民同士のつかず離れずな距離感がちょうどよくて、『東京』のイメージとは違ったこの地域が大好きだという。『おすそ分け文化なんて地元のような田舎だけだと思った』と驚きながら、この街でこれからも店を続け、暮らして行きたいと願っている。とはいえ、湊さんならきっとただ単に『イマ』を続けていこうだなんて、思っていないはずだ。

「やりたいことがいっぱいあって、それを実現していくのが大変なくらい。岩手のジビエ料理だったり、南部鉄器を使ったお茶屋さんだったり、年をとってじいさんばあさんになったら、奥さんとお好み焼き屋さんでもやるかと言って。それらのことは自分ひとりで出来ないことだし、人として産まれてきた以上、やっぱり人とつながって生きていきたい。それが飲食店をやっている何よりの理由なんだよね。とはいえ本当はビジネスのことをしっかり考えないといけないから、店に立ってる場合じゃないんだけどね(笑)」

湊さんは思い描く未来の中に、『チームでの仕事』から派生して、村のような場所を作りたいとも語る。専門性の高い仕事をする人たちが集まり、自立して営む地域のイメージを『村』という言葉に置き換えているが、遠い理想郷のようでもあるけれど、『自治』の構造は本来はすごくシンプルなことなのだろう。ともあれ、まずは難しいことを抜きにして、思いっきりかましたかまし麺を〆のスープの一滴も残さず、味わい尽くしてほしい。

麺屋かまし
住所:世田谷区世田谷4-6-1 高橋ビル102
営業時間:11:30〜15:00
定休日:日曜、不定休あり
Facebook:@kamashi.sakura
 
※現在松陰神社前店は閉店。世田谷区桜は営業中。
(2016/05/23)

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