トロッコ

矢代なぎさん

最寄り駅
上町

上町駅前にある「城山通り商店会」を進んだ角地に、お菓子と喫茶のお店「トロッコ」が開店したのは今年5月のこと。店に並ぶのはグラノーラやマフィン、クッキーなどの焼き菓子と、静岡県にある有名ロースター「IFNi COFFEE」のコーヒーが飲めるという。「特別ではないけれど、毎日安心して食べられるお菓子」を提供する店主の矢代なぎさんに、開店の経緯と上町という街の魅力について話を聞いた。

文章:薮下佳代 写真:田尾沙織 構成:加藤将太

閑静な場所で、始めたかった

その親しみのある名前と居心地の良さで、ご近所の老若男女が通う人気店になりつつある「トロッコ」。店内には、おいしそうに焼き上がったマフィンや、瓶に入ったクッキーが並ぶ。取材中、お客さんがふらりと入ってきた。

「お店という感覚というよりは、ここは私の作業場なんです。その一角でお菓子を売っているという感じで。卸でいろいろ作っているので、その作業ありきのお店だから、変な意味でお客さんを優先していないというか」

以前は別の作業場で、焼き菓子の卸やケータリングなど、食にまつわる仕事をしていたというなぎさん。しかし、そこを出ることになり、急遽、お菓子づくりができる場所を探すことになった。オーブンやキッチンなどが置ける作業場を探しているうちに、その一角でお店を出してもいいかもしれない。そう思うようになっていた。


物件探しにあたって、何よりもまず条件に出したのは、「自宅から40分圏内であること」だった。出不精で家が好きだというなぎさんは、遠いと通えなくなることを心配して自宅から通える範囲で探していたが、なかなか希望する沿線では物件が見つからず、世田谷線まで広げることで希望の物件にめぐり合えた。

「ここが決め手になったのは『角』という立地。元々美容室だったそうで、あの屋根と入り口の扉が、喫茶店っぽいような雰囲気もあって。ひとりで見渡せるちょうどいい広さだし、あとはなんといっても明るいこと。天窓から自然光がさんさんと入ってくる。東向きなので、午前中はとても気持ちがいいんです」

そしてもう一つの条件、それは「閑静な場所であること」だった。お店をやるにあたっては不利なようにも思える条件だが、そこは「基本的には一人でやろうと思っているので、無理なくほどよいペースでできる丁度いい場所が理想的でした」という、なぎさんらしい理由がある。閑静でありつつも、人が暮らしている街だからこそ、生活感もあってふらっと寄ってくれるお客さんもいる。いまはまだ地元の人が多いようだが、世田谷線をめぐりながら遊びに来てくれる人たちも増えてきた。

「世田谷線にある有名店の中間地点にあるから、はしごしてくれるお客さんも多くて。AMIカレー(Indian Canteen AMI)さんとか、松陰神社前のお店だとか、山下にも宮の坂にも有名なお店がたくさんある中で、その間にぽつんとウチがあって、いいバランスなのかなって」

オープン前までは、世田谷線沿線にはほとんど来たことがなかったという、なぎさん。小田急線、京王線にも住んだことがないから、位置関係がよくわかっていなかった。

「お客さんにここから豪徳寺まで歩いて10分程度で行けるというのを教えてもらってびっくりして。だから、このあたりのことは何でもお客さんに聞くことにしています。ホームセンターの場所とかも(笑)」

知らない土地でお店を始めたことによって、自分にいままでなかった地図が広がった。お客さんとの会話が自然と始まる感じもどこか下町っぽさもありつつ、そこはやはり、なぎさんの人懐っこいキャラクターも大いに影響しているように思う。

「ここに来てくれる人たちはみんな、本当に人がいい方ばかりで。いろんなことを教えてくれるし、新参者の私にもすごく良くしてくれて。人に恵まれてると思います。ありがたいです」

私にとっては“ふつう”のお菓子

実は「トロッコ」で出しているお菓子は、すべてヴィーガンで出来るだけオーガニックな素材を使用している。「ヴィーガン」とは、乳製品や卵などの動物性の食材を使用していないもののこと。けれど、その説明はほとんどなく、レジ前に置いてある紙に「乳製品、たまご不使用。あんしんして食べられるシンプルな毎日のおやつです」と書いてあるのみ。その理由は、ヴィーガンかどうかよりも、まずはおいしく食べてほしいからだ。

「もともと実家が食に対して考えてくれていて、ケミカルなものは避けて、できるだけ自然なものを食べたほうがいいよと教えられました。少しずつ市販のお菓子やパンも食べたりするようになったけれど、ずっと食べ続けたいと思うものではなかった。肉とか魚も大好きなんですけど、自分の体調に合うか合わないかということを考えたら、どんどん食べる機会が減って、自然と沢山は食べなくなりました。もちろん、旬だからさんまの塩焼き食べたいなとか、疲れたから豚肉ちょっと食べようかなという時もありますけど、それは体と相談で。自分がどういうものを作って、お客さんに届けていこうかと考えた時、やっぱり私は何も添加されていないもの、自然のものを生かして作りたくて、ヴィーガンという選択肢に一番興味を惹かれたんですよね」

ベジタリアンの多い海外では、ヴィーガンの食材やカフェなども多く、日本ではまだまだ一般的ではないように思うけれど、なぎさんにとっては特別でもなんでもなく、あくまでも“ふつう”のもの。

「以前、ヴィーガンのカフェで働いていたので、特別なものと感じることはなかったですね。もともとの食生活もそんなですし。私にとってヴィーガンは、ちょうどいいバランスだったんです。体にしっくりきた。おいしいケーキもたくさんあるから食べたりもするんですけど、そういうお菓子はどこでも買えるから、私がやらなくてもいいし、毎日食べておいしいと思えるものを自分で作りたいなって。私はジャンクなおいしさも知ってる分、どんな人にも食べて満足してもらえるようなお菓子にしたいんです」

「ヴィーガンは特別じゃない」と繰り返し話す、なぎさん。その証拠に、ヴィーガンと知らず、買ってくれるお客さんも多いという。

「知らずに買ってくれて、リピートしてくれている人もいますし、知ってリピートしてくれる人もヴィーガンだからって目指してくれる人もいます。もちろん聞かれたらお答えしたりもしますけど、あえて説明したりはしてなくて。『ヴィーガンだから』とは見てほしくないというか、変な色をつけずに食べてもらえたらなって」


どんどん消費して、オーガニックの値段が下がればいい

マフィンやブラウニー、パウンドケーキなどの焼き菓子が中心で、暑い時期は、コーヒーゼリーなど冷たい甘味も食べられるという。クッキーも1枚80円からと子どもでも買える値段にしており、グラノーラは量り売りもしている。

「この辺りはお子さん連れのお母さんが多いから、意外とシビアな方も多くて、『高いからいいもの』ではなくて、ちゃんと値段も見合ってるかどうかを重視するというか。私もそういうものを買いたいですもん(笑)」

ただ、マフィンは400円と、少々値が張る。「もう少し安くしたいんですけど、どうしても高くなっちゃうんですよね」となぎさん。聞けば、材料に「フラックスシード」を使っているという。フラックスシードといえば、亜麻仁油の種のこと。亜麻仁油はオメガ3脂肪酸を含み、体に良いといわれる油だが、加熱してしまうとその栄養素は飛んでしまう。けれど、フラックスシードを粉にして使うと、加熱しても栄養素は消えづらいのだとか。また、フラックスシードは種なので、いま話題のチアシードなどと同じく水分につけておくとゼリー状になり、卵と砂糖を泡立てて加えたようなマフィンらしいふんわり感が出るのだそうだ。お客さんは「トロッコ」のおいしいマフィンを食べることで、知らず知らずのうちにスーパーフードで栄養を摂っていたことになる。

「でもいいんですよ、そんなこと気づかなくても。みんなが元気になって、食べておいしいって思ってくれれば、それでいいんです」


グラノーラには砂糖は入っていないものもある。甘みはメープルシロップやアガベシロップを使い、米粉を使ってグルテンフリーで焼いている。フルーツやナッツなどの栄養価が高い食材のほかに、キヌアやカカオニブ、マカなどの栄養価が高いスーパーフードも入っている。

「スーパーフードやオーガニック食材を使うとなると、どうしても値段が高くなってしまうんです。それが申し訳ない。日常で買えるものを目指してるから、なるべく抑えめにと考えているんですけど。『オーガニックは高い』っていう刷り込みってどうしてもありますよね。でも、それってオーガニックなものをみんながどんどん消費すれば解決すること。流通しないから値段が上がって、一個一個にかかるコストがどうしても高くなる。そうじゃなくて、気づかないうちに、どんどん消費させてあげれば、ものは回っていくし生産者は必要だと思ってもっと作るし、そうすれば値段は下がっていくはず。そういうことのひとつのきっかけになったらいいなって思いますね」

気持ちいい関係を保つために

静岡にある有名ロースターの「IFNi COFFEE」との“フレンドショップ”という位置づけは、ただの卸先と卸の関係だけではなさそうだ。

「IFNi COFFEEの松葉さんとは、ヴィーガンのカフェで働いていた時に知り合って。東京にも卸先はあるんですけど、全ラインナップが買えるのは静岡の焙煎所しかないんですよ。『東京店はないんですか?』と聞かれることも結構あったらしくて、それで私がお店をオープンすることになった時、お店にIFNi COFFEEの豆を常時置いて、商品もフルラインナップを置こうという話になりました。私も無名なので、IFNi COFFEEが全種類買えるっていうことで人を引きつける最初のとっかかりになるかなと思って、すごくありがたかったし、IFNi COFFEEにとっても、東京にそういう場が持てることで、お互いにいいねと。“フレンドショップ”にしたのは支店じゃなくて、お互い協力し合って延ばしていこうっていう関係性にしたかったから。支店にしちゃうと上下関係もできちゃうし、売り上げも気にしたりしちゃうし、友達なのにそういうことで気まずくなりたくないし、ずっとイーブンでいようということで。つまり、この関係性が気持ちいいからですね。なんにせよ、IFNi COFFEEはおいしい。本当においしいからこそ、私は信頼してやらせてもらっています」


こうして、おいしいコーヒーとお菓子という、このうえなくシンプルで、それでいて最高な組み合わせが、「トロッコ」で実現したわけだ。

常連のおじいちゃんは、オートミールのクッキーを10枚とアイスコーヒーをオーダー。「毎日ヒマだからここでお茶飲んで、この後カラオケ行って。クッキーはその差し入れにね」とうれしそうな顔。「いつもはここでビールを飲んでるんだけど、いま病院の先生からダメと言われて、今日はコーヒーで我慢してるんです」となぎさんも笑う。


スーパーフードが入っているとか、オーガニックだとか関係なく、おいしいから買ってくれる。普通で当たり前においしい。そんなふうに食べられるお菓子だからこそ、おじいちゃんの日々の暮らしの中にとけ込んでいる。何もそれは特別なものじゃなく、“ふつう”なんだということを教えてくれた。

おかしと喫茶トロッコ
住所:東京都世田谷区世田谷3-7-1
電話番号:03-5799-7499
営業時間:11:00〜18:00頃
定休日:火曜、水曜、隔週月曜
Instagram:@torocco371

Tumbler:torocco371.tumblr.com/

 
(2017/09/26)

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