カフェ アンジェリーナ
櫻井昇さん
世田谷駅前交差点からすぐにある「カフェ アンジェリーナ」は、オープンしてから今年で28年目を迎えた。使い込まれた古いテーブルセット、明るさを抑えた落ち着いた照明、飴色になった漆喰の壁……。一歩入るとそこは、まるで映画のワンシーンに出てくるような味わいのある空間が広がっている。いまほどカフェが一般的ではなかった時代から、この地で、喫茶店として、食堂として、バーとして、サロンとして、さまざまな世代に愛されてきた。マスターの櫻井昇さんとともにその長い時を振り返る。
文章:薮下佳代 写真:志鎌康平 構成:加藤将太
27年間、ずっと店に立ち続けてきた
松陰神社前駅と上町駅に挟まれた世田谷駅。駅前は閑散としているが、世田谷通り界隈まで来るとお店がちらほらと見えてくる。世田谷交差点を渡ってすぐにある「カフェ アンジェリーナ」は、この街の代名詞的存在だ。1990年から27年もの間、さまざまな人々を迎えてきた。
「長く続けて来られたのも楽しみながらやっているからでしょうね。いい加減にやってますから(笑)」とマスターの櫻井昇さんは謙遜するけれど、11時30分の開店から深夜2時に閉店するまでずっと店に立ち続けることは並大抵のことではないだろう。「働いてるほうが楽なんですよ」と、料理もすべてマスターが手がけている。
カウンターに立ち、お客さんと談笑していても、料理のオーダーが入れば、すぐさま厨房へ。洋食をメインに、チキンカレー、ピラフ、オムライス、ハンバーグやスパゲティなどが食べられる。ボリューム満点で味も本格派。ランチに、ディナーにと注文が入る。しかも、深夜までオーダー可能とあって、仕事終わりの常連さんが夜な夜な食べに訪れたりもする。だから、夜遅くでもちゃんとごはんが食べられるようにとごはんを必ず炊いておき、定番のチキンカレーはファンが多いため、切らさないように仕込んでおくそうだ。
「メニューは開店当初からほとんど変わっていません。普通のメニューですけどね。チキンカレーは、創業当時からやっていて、レシピも変わってないんですよ。タマネギをとにかく大量にずっと炒めるのがポイントなんです。夜、時々寝ながら4時間ぐらいかけて仕込んでいます。ビーフシチューもハンバーグもじっくりと炒めたタマネギを入れることで、味が全然違ってきます」
メニューは下積み時代に身につけた料理と、いろんなところを食べ歩いて独学で考えた。まるで洋食店のように手間ひまかけて自家製で提供する。いつ行っても食べられるという安心感と、昔と変わらないメニューにほっとする。どんな時間帯でも普通に食事ができたり、コーヒーがゆっくり飲めたりするのは貴重な存在だ。
「お客さんそれぞれが、使いわけてくれるんですよ。フランスのカフェってそういう感じで、お酒を飲むこともできれば、ケーキを食べたり、コーヒーだけを飲んでもいいし、食事もできたりね。そういうふうに思うままに使ってもらえたらいいですよね。みんなすごく落ち着くと言ってくれて、長居してくれます」
サラリーマンから一転、飲食の道へ
マスターは長野県蓼科の出身で、高校を卒業してからは地元のスーパーに就職。5年ほど働いたが東京への憧れが募り、仕事を辞めて23歳の時に上京した。そこで初めて働いたのがカフェだった。
「最初にアルバイトしたのは高輪プリンスホテルの『パティオ』というカフェでした。その頃、下北沢に住んでいて、たまたま見つけた『イカール館』というアンティーク風のカフェがすごく雰囲気が良くてひとめぼれして。アルバイトを募集していたので、働きたいと飛び込みました」
15年前に閉店してしまった『イカール館』の当時の写真を見せてくれた。西洋アンティークの家具に、落ち着いた雰囲気のしつらえ。若者が多い下北沢で大人の喫茶店といった風情だった。その中に、いまのアンジェリーナの面影があるような気がしていたら、「このカフェを真似たんですよ」とマスター。なるほど、「イカール館」の佇まいは「カフェ アンジェリーナ」に引き継がれていたのだ。
「3年ぐらい働いた時、オーナーさんからこれからどうするの?と言われて、ふと考えてしまった。そしたらやっぱり自分の店がやりたいんだと。どうしたらできるのかを考えて、まずお金が必要だということで、長距離便の大型トラックに乗ることにしたんです」
大型免許を持っていたため、長距離トラックの運転手として2年間がむしゃらに働いた。けれど、思ったほどお金が貯まらなかった。時代はまさにバブルの絶頂期。好景気で物件の価格は上がる一方で、このペースでお金を貯めても、貯まった頃にはさらに高くなって手に入れることができないかもしれない。当時は銀行がいくらでもお金を貸してくれる時代。28歳の時、2500万を借金した。「思い切りましたね。若かったんでしょうね」と振り返る。
しかしながら、いい立地の物件はことごとく押さえられ、ビルが建つ前から入居者が決まっている、そんな時代だった。貸店舗自体が見つからない中、マスターの一番の条件は1階であることだった。
「世田谷区でも探しましたけど、2階や地下しか空いてなくて。『イカール館』は2階の奥にあって、誰からも目につかずかなり苦労した経験があったので、できれば1階でやりたかった。それで、たまたま空いていたのがこの物件だったんです」
下北沢には住んでいたものの、世田谷駅には一度も来たことがなかったし、ボロ市があることも知らなかった。しかし、ここで決めようと思った理由があった。
「物件があると聞いてから、この近くにあるお店に行ってみたんです。ボロ市通りにある『バーボン』は38年くらいやっていますし、惜しくも昨年まで営業していた『次郎長寿司』という老舗もありました。世田谷通りのちゃんぽん屋の『長崎』や『まつもと』、駅前の『酒の高橋』も50年くらいと、このあたりにあるお店は長く営業しているお店が多かった。こういうお店がある場所だったら、うちもやっていけるんじゃないかと思って、すぐに決めました」
ロッタちゃんとアンジェリーナ
その頃は「カフェ」はまだ高級なイメージで、フレンチスタイルのカフェができ出した頃でもあった。フランスやヨーロッパでは、食事もあり、お酒もあるような、朝から夜遅くまでやっているカフェやバルと呼ばれるものが主流。「イカール館」もまさに本場のカフェのような大人の空間で、マスターにとっての「原点」でもあった。思い描いていたカフェを無事オープンしたものの、順調とは言いがたいスタートを切ることになる。
「開店してみてびっくりしましたね。最初の日は友だちが来てくれて売り上げもすごくて、こんなに儲かっちゃっていいのかな?と舞い上がって(笑)。でも、2日目からまったくお客さんが来なかった。それでなんとかしないといけないなと思って、3カ月目に営業時間を23時から深夜2時まで延長することにしたんです。そうすれば、この辺に住んでいる人が夜遅くに帰って来たあとでも、ふらりと来れるんじゃないかと思って」
それから半年くらい経ったあと、転機がやってきた。イタリア語で「天使」を意味する女性名「アンジェリーナ」のごとく、一人の若い女性がふらりとやってきたのだ。
「19歳の女の子が突然、毎日来はじめたんですよ。この辺りに住んでいる子で、高校を中退して定時制高校に通いながら、赤坂のクラブで働いていて、その帰りに毎日お店に寄ってくれたんです。きっと大人の世界に憧れていたんでしょうね。それからは友だちも来たりしてくれて、その女の子を中心としたコミュニティがどんどんできていった。今では考えられないんですけど、当時のお店は若い人たちで大盛り上がりだったんですよ」
人が人を呼び、次第に大学生たちが集まり出した。新しいもの好きな彼らのこと、喫茶店からカフェへと移ろう時代に、アンジェリーナの存在自体が新鮮だったのかもしれない。仲間が集まり、そこへ行けば誰かに会う、そんなサロン的な場所として、昼も夜も学生たちはアンジェリーナに入り浸った。マスターも当時はまだ29歳。世代の近い店主は気安い存在でもあった。マスターが歳を取るとともにお客の世代も変わり、サラリーマンやOLなど、このあたりを生活圏にしている人たちが遊びに来てくれるようになっていった。
その頃、妻であるかおりさんとお店で出会った。最初はお客さんとして遊びに来ていたかおりさんは、他のお客さんともすぐに仲良くなり、アンジェリーナにあっという間にとけ込んでいった。2年の交際期間を経て結婚。アンジェリーナを2人で営みつつ、次第にかおりさんは自分のお店を持ちたいと思うようになり、松陰神社前で「カフェ ロッタ」を始めることに(その顛末はこちらの記事を読んでいただきたい)。夫婦で同じ店を営むのではなく、別々のカフェをそれぞれが営んでいるのはなかなか珍しいように思うけれど、かおりさんがカフェをやりたいと思った時、マスターはどう思ったのだろう。
「ここ(アンジェリーナ)ではなく自分の場所でカフェがやりたいなら応援しようって。メニューをいろいろ教えたり、何かあるたびにアドバイスしたり、ダメ出しもして。とにかく売り上げが悪くて、アンジェリーナが支える感じだったんです。最初の5年くらい赤字続きで大変でしたね」
しかし、2000年代にあったカフェブームの最中、かおりさんがいたずら描きしたラテアートが雑誌の表紙を飾り、またたく間に人気のお店になっていく。アンジェリーナとロッタ。名前も違えば、本店と支店という関係でもなく、それぞれの世界観があって別々の独立した存在でありながら、仲の良い姉妹のような不思議な関係。アンジェリーナはよき姉であり、ロッタちゃんはかわいい妹で、マスターも「ロッタちゃん」と愛しそうに呼んでいる。
30周年を迎えるまで、あと2年
「カフェ ロッタ」は現在、規模を縮小し喫茶だけの営業になってしまったが、マスターは「やりたいようにやればいい」と、かおりさんへ伝えた。それは長く続けていくためのひとつの方法なのだから。かたちを変えながらも、ロッタちゃんは変わらずにこれからも続いていく。だが、いつかアンジェリーナにもその時が訪れるのだろうか。
「いまのところは常連さんにも恵まれて、来てくれる人もたくさんいるので、このまま続けていきたいんですけどね。体力が続かなくなったら営業時間を早めるしかないのかな。いずれは深夜2時が1時になるかもしれないけれど(笑)」
開店当初の写真には真っ白い壁の初々しいアンジェリーナが写っていた。飴色に変化した壁がその時間の長さを物語っている。アンジェリーナという店名も、いまのほうがしっくりくるような気がする。時間の経過そのものが、この店の魅力になっている。そんな歳の取り方が理想じゃないだろうか。
「ある統計で、お店や会社を30年続けられる人って1万人にたった2人らしいんです。あと2年ちょっとですけど、とりあえずは30周年までは続けてみようと思っています」
開店当初から今も毎日、24時過ぎに訪れ、お酒を飲みに来る人がいるという。カウンターに座り、ボトルキープのウイスキーを楽しむそうだ。そんなふうにまるで自宅のように毎日変わらず過ごせる場所があるなんて。「世田谷でやってきてよかった」とマスターが噛みしめる28年もの間、長きにわたり愛されてきたアンジェリーナ。今日もお店にはマスターがいて、おいしいごはんを作っている。これからもそうやってずっと変わることなく続いていきますように。
カフェ アンジェリーナ
住所:東京都世田谷区世田谷1-15-12
電話番号:03-3439-8996
営業時間:11:30〜26:00
定休日:月曜
(2017/12/19)