くらしのものとこどものものとコーヒー This___

石谷唯起子さん

最寄り駅
松陰神社前

世田谷通りから松陰神社までまっすぐに伸びている商店街。お肉屋さんやお魚屋さん、八百屋さんと、昔から変わらない看板を掲げた店が連なる、懐かしさのある道だ。散歩のついでに店主と話し込んでいるおばあちゃんや、自転車のまま店先で買い物しているお母さんと子ども。犬、小学生、ベビーカー。商店街のいつもの風景。そんな通りかかる人たちがふらりとコーヒーを飲んでいけるような空間にしたいと、石谷唯起子さんはこの街にセレクトショップ「This___」をひらいた。

文章:吉川愛歩 写真:黒坂明美 構成:鈴石真紀子

集めているのはインスピレーションを感じた手仕事のもの

This___に一歩入ると、ラベンダーのような柔らかい香りが漂ってくる。石谷さんがプロデュースする家庭用洗剤のブランド「Atelier Muguet」に使っている、天然エッセンシャルオイルの香りだ。その香りを纏いながら、ちいさなピアスや、人が集うときに使いたい大きい皿や、つるりと磨かれた木工の作品を眺める。大きなガラス扉と店奥の窓から射す光が、棚に並ぶ品々を照らしている。色数が少なくてどこか男性的、機械ではけっしてつくれない人の手の温度を感じられる品物が好き、と、石谷さんは言う。

「実家が商店街沿いにあったので、商店街にいると賑やかで落ちつくんですよね。毎日同じ時間に通りかかる人、ご近所の人、旅行でこの商店街を目指して来てくださる方もいて、人の流れを感じられる。ひさしぶりだねって言い合ったり、よちよちしていたお子さんの成長を見ることができたり。結婚して大阪から出てきたばかりのときは、知り合いがほとんどいなくて不安も多かったけど、商店街でただすれ違うだけだった人たちとも、お店をはじめたことで話ができるようになって。自分の好きなものを並べているので、それを好きって言ってくれる感覚の近い人との出会いが多いのも嬉しいところです」

洗練されたものが並んでいるのに妙な敷居の高さを感じないのは、このひらかれた空間と石谷さんの朗らかさのせいだろう。「魚屋さんに『今日はいいのある?』って覗きに来るような感覚で入れるお店でありたい」と言うから、石谷さんの周りに人が集まってくるのもわかる。人だけじゃない。店に置かれた数々の品も、物がこの店に置かれたがっているのではと思うような縁でやってきている。

「作品との出会いには、本当にご縁があるなあって感じることが多いんですよ。たとえば以前、シェアオフィスで『acopotteryの花器をつくってる作家さんがすごく好き』って話をしたら、その人は友だちだよって言われて。そのあとお会いできることになって、今ではThis___の象徴的な作品になっています。家族とニュージーランドに旅行することになったときも、旅行前に偶然ニュージーランド在住の方と出会って、現地でさまざまな作家さんの作品を紹介いただいて。その後、お店でニュージーランド展をすることになったのですが、そうしたらお客さまでもあるスタイリストさんから、ニュージーランドで作品撮りをして写真集をつくったと聞いて、その写真集も展示させていただけることになったり。自分は薄っぺらくて何にもないんだけど、周りにいる方々のおかげでいろんなものに出会えています」

石谷さんはそんなふうに謙遜するが、おそらくはバイタリティーに富んだ彼女の行動力が生んだもの。販売よりも、周りにある素敵なものを展示して知らない人に紹介したかった、という気持ちでお店をはじめたと言うから、彼女がひとめ惚れした作品をつうじて人の輪が広がっていくのは、必然なのかもしれない。

思ったことをそのまま形にしたい

そのフットワークの軽さについて石谷さんは、「知りたい、見たい、行きたいと思うと、いてもたってもいられなくて」と、笑って話す。「失敗するかどうかは、やってみないとわからないし、やってみて失敗だったなって思ったらやめればいいかなって。やる前からどうなるか不安ってぐずぐずしているのは苦手で、“今”っていうタイミングをだいじに動きたいんです」

This___の店舗が見つかったときも二度目の出産直後で、半年以上は開店準備に着手できず放置したままだったそうだ。でも「この場所だって思った」から、準備ができたらお店をひらけばいい、と、すぐに契約した。また、「自分がほしかったから」という理由で、以前からつながりのあった「OBSCURA COFEE ROASTERS」でコーヒーの淹れ方を学び、店でハンドドリップのコーヒーを提供できるようにした。This___は、石谷さんの好奇心がまるごと詰まったお店といえる。

グラフィックデザイナーの石谷さんが、お店をひらこうと考えたのは、自分の好きなことやアイディアをそのまま形にしたり、自分の周りにいる素敵な作家やクリエイターの作品をたくさんの人に知ってほしかったりしたからだと言う。「デザイナーの仕事はやりがいもあって楽しいのですが、たくさんの人が関わるので自分以外の意見に左右されることも多くて。最終的に自分がいいと思ったのは違う案に落ち着くこともありました。だからお店のことは自分に正直でいたいんです」

つながる人の輪が素敵なものと出会わせてくれる

はじめて自分の感覚だけを頼りにつくったのは、家庭用洗剤のブランド「Atelier Muguet」。手荒れがひどくて長年悩んでいたことから、洗剤をつくってみたいと思い立ったらしい。自分がほしいからつくる、やりたいからやる、と、石谷さんはどこまでもピュアだ。「と言っても、いったい何からしたらいいのか全然わからなくて、とにかく時間がかかりました。デザインの仕事をしながらだったし、出産もあったからというのもありますが、いいなと思うポンプボトルとめぐり会えずに探しまわったり。形が気に入っても、外国製のポンプだとすぐ壊れちゃったり。それに、今は無添加の洗剤って薬局でも売っているようなものになったけれど、当時は全然参考になるものがなくて、何もかもいちから考えなくてはならなくて、たいへんでした」

アロマセラピストである友人から石鹸づくりの基礎を学び、石鹸工場を探し、つくりたい商品について伝えながら試行錯誤を繰り返して、商品化できたのは8年後だったというから、その粘り強さに驚く。石鹸と同じようにシンプルな素材だけでつくった無添加の洗剤は、食器用や洗濯用とラインアップがさまざまあるほか、香りへの問い合わせも多く、7種類のハーブをブレンドしたエッセンシャルオイルも販売。香りだけでも楽しむことができるようにした。現在では伊勢丹新宿店で取り扱ってもらえるなど、上々の評判だ。

昔から信頼してくれているクライアントの声に応えるべく、今もグラフィックデザイナーとしての仕事を続けてはいるが、新規の仕事はとっていない。自分で手を動かすよりもディレクターとしてデザイナーを使うことが多くなり、昔よりは意見を通せるようになったことで、ストレスは減った。また、デザイナーとしてシェアオフィス「The Forum 世田谷」に入居していることも、いい出会いの機会につながっているそうだ。


「ウエディングのプロデュースをするという仕事が来たときも、パーティー会場として『The Forum 世田谷』をお借りしました。会場装花をどうしようか悩んでいたら、シェアオフィスでいっしょに働いている方が、『ふたつの月』の平松さんを紹介してくださって、あっ、この人がいい! って。シェアオフィスもお店と同じで、何となく感覚が近い人がここを見つけて入ってくる感じがするので、今後もだいじにしたい場です」

四季の移り変わりが感じられる広い庭と、イベントがひらける大きな会場を兼ね備えたシェアオフィス「The Forum 世田谷」でも、ワークショップをひらくことがある。「ワークショップの内容は、どれも自分がやりたいと思ったものばかりです。楽しそうだからみんなも来ないかな? というスタンスでThis___店内でもワークショップをいろいろ企画しています。This___で最近すぐ予約がいっぱいになってしまうのは、紙事さんの文字のお稽古。”This___”というお店のロゴは、紙事さんに書いていただいたんですよ。デザイナーだから本当は自分で書きたかったのですが、紙事さんの文字に魅了されてしまってお願いしました」


ママや子どもの生活を彩る品物

プライベートでは7歳と2歳の母親でもある石谷さん。デザイナーの仕事、お店の切り盛り、母親業と、日々めまぐるしい生活を送っているであろうことは容易に想像できる。「フリーランスなので、時間は自分で調整できるんですけど、お母さんとしては本当にできないことだらけです。仕事をしているママはきっと、朝の限られた時間に夕飯の支度までして出かけるんでしょうけど、全然できてない。お迎えに行って、買い物に行って、そこからつくったりするので夜も遅いしむちゃくちゃ。二人目を生んだときは休む余裕が全然なくて、退院した翌日にシェアオフィスで仕事してたらさすがに驚かれました……」

そうやって明るく笑うから、全然たいへんそうに見えないのが石谷さんの素敵なところだ。むしろ楽しんで過ごしていることがしみじみ伝わってくる。最近、その石谷さんを助けてくれるのは、小学一年生になった長女だそうだ。「ひとりでできるようになったことが増えて、すごく助けられています。平日バタバタしているぶん、休みの日はできるだけ子どもたちと過ごすようにはしていますが、仕事が入ってしまうことも。そんなときは夫やママ友にいつも助けてもらっています。公園に行ったり、子どもたちの友だち家族と遊んだり。上の子が小さいときにはアート展のようなインプットできる場所へも、子どもを連れて行っていたんですが、つきあわせるのがだんだん難しくなってきて。自分の用事は平日の隙間時間でするようになりました」

知り合いがほとんどいなかった東京に、今では石谷さんのプライベートを助けてくれるママ友もたくさんできた。仕事でどうしても帰れないときには、お迎えのサポートをしてもらうこともある。店名に“くらしのものとこどものものとコーヒー”という副題がついているとおり、This___に来るお客さんにもママが多く、子どもたちが大きくなってからも長く使ってもらえる商品を提案していきたい、というのも石谷さんの思いのひとつだ。


そして石谷さんにはもうひとり、強力なパートナーがいる。This___でともに働いている“ももちゃん”だ。「わたしの夫の兄のお嫁さんなので、年下だけどお義姉さんという関係です。お店をはじめるとき、ちょうどももちゃんも前職を辞めた時期で、手伝ってもらうことになりました。接客が本当にじょうずで、彼女のファンの常連さまもいらっしゃるんですよ」

This___オリジナルの子ども服やエプロン、クッションなどは、縫いものが得意なももちゃんが縫っている。洋服をつくる学校にかよっていた彼女自身も、自分が勉強してきたことが店で役立っていることに楽しさを感じていると言う。「まさか自分の何かが活かせるとは思わなかったので、本当にありがたい出会いです。ゆきさんの、好きなものを見つけたときの行動力や、細やかな気配りにも学ぶところが多くて。それにこの街にはいい人が多くて、どのお客さんと話していてもおもしろい。昔からこの土地に住んでいるおばあちゃんが、何十年も前の街のようすを教えてくれたりもするんですよ」

石谷さんのまわりに流れる風に巻き込まれるようにして集まった手仕事のものは、今日もここから誰かの手に渡っていく。つくった人や作品との出会いを石谷さんに聞きながら、まるで旅のおみやげをもらうみたいに、買い物をした。

くらしのものとこどものものとコーヒー This___
 
住所:世田谷区世田谷4-2-15
営業時間:12:30~18:00
定休日:水曜、日曜

ウェブサイト:https://www.this-is.jp/
Instagram:@this___tokyo

(2018/12/18)

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