うろこ雲

稲村卓也さん

最寄り駅
世田谷

一年に二度、12月と1月に開催される「ボロ市」で、ひときわ賑わう世田谷駅界隈だが、普段はひっそりと静かな住宅街だ。3年前、この地にオープンした「うろこ雲」は、新鮮な魚料理を中心に、大将・稲村卓也さんによるおいしい創作和食がいただける。旬に合わせた食材を、その時々でおいしく料理する。和食では当たり前のように思えることも、実はとても難しい。大将がテキパキと仕込みをしながら教えてくれたのは“旬とは何か?”という和食の真髄ともいえることだった。

文章・構成:薮下佳代 写真:衛藤キヨコ

人通り静かな世田谷界隈で、お店を出すということ

世田谷駅前交差点から入ってすぐ、細く狭い間口の格子戸が目に入る。丸窓のブルーのガラスが印象的だ。中にはカウンターが8席、テーブル席が1席と小さな店ながら、木のぬくもりが感じられる居心地のいい空間が広がっていた。

「お店を出すならば松陰神社前もいいなと思っていたんですが、人気の街ですし物件がなかなかなくて。ちょっと離れている世田谷のほうがいいねと。国士舘大学に通っていたこともあって、もともと土地勘のある場所でしたし、『ボロ市』のスタート地点でもあるこの場所に決めました」と大将の稲村卓也さん。

新築だったため、内装は自分で手配し、何度も打ち合わせを重ねて、自分の好きなように手を入れることができた。想像していたよりも工期が大幅に遅れたが、今思えばそれによって準備期間に費やすことができた。

「全部ゼロからですから、選べる楽しみはあったけど、やることが多すぎて楽しんでる暇はなかったですね(笑)」

松陰神社前や上町ほどのにぎわいはなくとも、商店街があり、アットホームな街の雰囲気が住みやすい世田谷エリア。「静かというか閑散といってもいいくらい(笑)」と女将の恵子さん。確かに夜、明かりがついている店は数えるほどしかない。だからこそ、こうしたお店の存在が貴重なのだ。

毎日女将が書くメニューは、季節を映し出す

カウンターに座ると、ひときわ目を引く手書きのメニューは、女将が担当。「一番食べているのは私だと思うから、おいしく書きたいなと思ってます」との言葉通り、メニューを見ているだけでおなかが減ってくる。

取材でお店に伺ったのは11月の終わり頃。秋から冬にかけてメニューがちょうど切り替わる頃だった。秋から冬へ、そしてだんだんと春らしいメニューに変わっていく。季節によって食材が刻々と変わっていくのは和食ならでは。けれど、大将曰く、旬の先走りが決していいわけではなく、終わりかけのほうがいい時もあるという。

「さんまは終わりかけのほうが脂が乗ってますし、牡蠣も始まりよりも終わりかけのほうが見入りがよかったりクリーミーだったりするんですよ。和食の世界では新物を重宝がるんですが、それが好きじゃなくて。実は終わりかけのほうがおいしいんだよっていうのをもっと伝えていきたいですね」

おいしい肴にはやはり日本酒を合わせたい。日本酒もなくなり次第、新しいお酒が入る。産地は偏らないように、東京では出回っていないものを極力仕入れるようにしている。名称もラベルもユニークなものが数多くそろっており、あれこれ試さずにはいられない。肴に合わせて、ぜひ大将におすすめを聞いてほしい。

魚は鹿児島から空輸で。新鮮なものはもちろん、時には変わった魚も

「うろこ雲」の売りは新鮮な魚たち。実は、鹿児島県志布志市のとある鮮魚店から魚を仕入れているという。

「三軒茶屋にある『田はら』という居酒屋で働いていた時からお願いしていた鮮魚店で、独立する時に紹介してもらいました。魚がやたらとうまくて。鮮度がいいのはもちろんなんですが、ここの魚は一味違うぞと気付いて。朝獲れたての魚を、魚屋さんのお父さんが宅急便の集荷がくるまでに急いで下処理をして出荷してくれているんです。白身2種と赤身1種とリクエストしつつ、魚種はおまかせしています」

夜中に電話でやりとりし、朝、仕入れた獲れたての魚が次の日の夕方には届く。時々、見たことも食べたこともない魚が送られてくることもあって、どう調理していいものか頭を悩ませることもあるのだとか。でも、イキのいい魚が届くたび、鹿児島のお父さんの愛を感じるという。そしてもうひとつ、お母さんが鹿児島のお花を一緒にいれてくれていて、この日は小さなつぼみをつけた山茶花が入っていた。

「向こうは東京より暖かいから手に入らないようなものが入っているんです。春になれば菜の花がいっぱい届くんですよ」と女将さん。いただいた花は花瓶に生け、カウンターを彩る。まさに鹿児島から届くのは季節そのものなのだ。

この日、見せてもらった「アズキハタ」は数あるハタのなかでも最高ランクのもの。透明感があって、身が飴色に輝いていたらおいしい証拠とのことで、頭を落とした時の身の色で判断する。

「人と違って、魚は見た目が大事なんです。鮮度も大事ですけど、新鮮だからいいっていうわけでもない。さっきおろしたアズキハタは、今日より明日の方がおいしくなります。魚によっておいしいタイミングって違うんです。毎日魚を出す前に一切れ食べると『おや?』と思うことがある。大きい魚ほど顕著ですね」

そんな大将が手がける刺身の盛り合わせは何はなくともオーダー必至だ。お刺身が出てくるまで少々時間がかかるため、まず、白身の昆布締めが煎り酒とともに出てくるのが何とも心憎い。それをつまみ、ちびちびと日本酒をいただきながら、刺身をじっくり待つ。二人で食べる時は一人前、一人で食べる時は半人前で頼むと数を調整してくれる。

この日の赤身は秋太郎(バショウカジキ)、白身はハタ、皮付きの白身が真鯛、〆サバ、地タコ、アオリイカにカンパチまで! そのどれもが唸るおいしさ。一口ずつじっくり味わい、跡形もなく消えていくのが名残惜しいほど。

また、大鍋ではこれでもか! と鍋にあふれかえる利尻昆布でとった出汁はすべてのメニューに使われる。何も塩分を加えない出汁のまま味見をさせていただいた。自宅では出せない芳醇な香りと贅沢な旨味の塊がスーッと鼻腔を通る時、あぁ日本人でよかったと心底思うことだろう。

その出汁が入った「こだわりベーコンのポテトサラダ」はマヨネーズも自家製でしっとりとした仕上がりに。合わせるのはカリカリと焼き上げた自家製ベーコン。ファンが多いのも納得の一品だ。

こちらも人気の「国産牛の牛モツ煮込み」には長野県の辛味噌「唐辛(とっから)」をつけるとさらに美味に。

「桜エビのかき揚げ」は、特大の桜エビがぷりっと揚がり、その甘みがなんともたまらない。「うろこ雲」の大人気メニューなのだとか。そのどれもが抜群に日本酒に合うため、いくらでも盃を重ねてしまうことだろう。

女将と大将、互いがなくてはならないベストパートナー

取材をしている最中も手を休めることなく、料理を作り続ける大将。その集中力と手際の良さに惚れ惚れする。料理人こそ、まさに天職のように思えるけれど、料理の道へ進んだのは“挫折”がきっかけだった。

学生時代はハードコアパンクに夢中になり、音楽で生計を立てていこうと思っていた。けれど、20歳を過ぎてはたと気がついた。これでは食っていけないと。スーツは着たくなかったし、満員電車にも乗りたくなかった。料理人だったらいいのではと気軽な気持ちで、友だちと一緒に行った飲み屋のグループ社員になった。配属先は下北沢の和食店。それから和食一筋で13年が経つ。

「みそ汁も、お湯に味噌を溶かして作るんだと思ってたぐらい知識がなく、おにぎりも握ったことがなかった。たまたま配属されたのが和食だったんです。料理を作るのは初めてだったので毎日ついていくだけで大変でした。でも、食べるのは好きだったから、ずっと続けてこられたんです」

夢も希望もなく、パンクから挫折して料理人の道へ。しかし、何かを生み出そうとする“ものづくり”への情熱の向け方は音楽をやっていた頃と同じように思えた。

実は、2人の馴れ初めも、そんな和食の修業時代、女将がやっているバーにお客さんとして通っていたことがきっかけだった。23歳の頃、毎日クタクタになるまで働いていた若き大将は仕事終わりに、女将が立つバーへと足繁く通った。

「くやしいほど毎日しごかれてましたね。そんな時バーの近くを通りがかって何だか楽しそうにお酒を飲んでるのが気になって。一人で入る勇気がなかったので友だちと一緒に飲みに行って、それから通いました」

25歳で結婚、その後、7年間は転職を繰り返し、修業期間を支えてくれたのはほかならぬ女将だった。独立できるタイミングがきても、「もう一軒行ったら? 引き出しは多いほどいいから」とアドバイスしたのも女将だ。

「実は、焼き鳥屋に行っていたこともあったんです。でも火の前に張り付いていないとおいしい焼き鳥は作れないとわかって、刺身をやりながら焼き鳥はできないな、と。焼き鳥へ寄り道してたぶん、和食の勘はにぶっていた。だからもう一軒修業に行ってよかったと思いました。さすが女将だなと。マネージャーというよりは僕のボス。経験値が違います」

もうひとつ、女将らしいエピソードがある。バーに通っている頃、カウンターでお酒を飲みながら「だし巻き卵がうまく焼けない」とぼやく大将に「焼けるまで店に来るな」と言ったというのだ。

「『飲んでる場合じゃない、練習しろ』と言われました(笑)。普通のバーだったら『大変だね、一杯飲んでいきなよ』って優しく声をかけてくれるかもしれないけど『来るな』ですよ(笑)」

厳しくも愛のある言葉に驚きつつも、早く飲みにいきたいからと猛練習に励んだという大将。うまく焼けただし巻き卵を持ってバーを訪れたそうだ。女将もその頃を思い出し、「おいしかったですよ」と照れ笑い。

お子さんがまだ小さいため、女将が店に立つのは金曜の夜だけだが、予約時に「女将はいるのかい?」と聞く常連客がいるほど、女将のやわらかい物腰にファンが多い。一番の理解者であり、パートナーがいつもそばにいるのはなんと心強いことだろう。まずは大将と女将、2人がいる金曜日にぜひ出かけてみてほしい。

うろこ雲
 
住所:東京都世田谷区世田谷1-15-12
電話番号:03-6338-3935
営業時間:17:00〜24:00
定休日:日曜、祝日の月曜

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