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あの人のせたがやンソン|しまおまほ

世田谷ミッドタウンエリアに縁のある人が、その街を案内する『あの人のせたがやンソン』。第1回目に登場するのは豪徳寺で育ってきた作家、しまおまほさんです。
しまおさんが案内してくれたのは豪徳寺商店街を南に抜けて、世田谷線の踏切がある交差点を左に曲がったところからはじまる通り。実はここ、何の変哲もない道だけれども、数年後に行われる区画整理の対象となっている地域なのです。いつかは通りの右側に並ぶ建物が取り壊され、環状7号線から一本の道路が伸びるのだそう。
近い将来に無くなってしまうこの場所を舞台に、しまおさんが幼少期の思い出を振り返ってくれました。

写真:永峰 拓也

初めてキスをしたのは『なおい』の店の前だった。と、言っても夢の中の話。相手はシブがき隊のモッくんだ。なおいの前で緊張のあまり直立不動になったわたしのオデコにモッくんの唇が優しく触れた瞬間を憶えている。

正直、せっかくのキスが真っ昼間の『なおい』の前だなんてムードないなあなんて思ったけれど、いつもの景色の場所で、という所がなんともリアルで夢から覚めたその日は一日中頭がポーッとしたままだった。あれから、『なおい』の店先を通るたびにモッくんの顔が浮かぶ。あの夢を見たのはたしか、中1の時。

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それよりも前、わたしが小学校低学年だったころ、『なおい』は観賞魚ではなく小鳥が専門の店だった。店の入り口には看板娘(?)のおしゃべりが得意な九官鳥がいて、下校の時間になると小学生が鳥カゴの周りをぐるりと取り囲み、何かしゃべらせようと口々に話しかけていた。わたしも時々その輪に加わったが、九官鳥のおしゃべりは一度も見ることはできなかった。

なおいの隣には看板のマスコットキャラクターがいつもこちらへ向かって丁寧なお辞儀をしている『小僧寿し』、さらにその隣には同級生のフミちゃんのお家が営む魚屋さんがあった。

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初めての社会科見学はフミちゃんのお店だった。フミちゃんのお父さんとわたしの母は小学校で同級生。反対側にあるビリヤード『太陽』は昔から独特の匂いを漂わせている。「匂い」とは雰囲気のことではない。前を通ると本当に匂う。まさに、ノスタルジックという言葉を現したような匂いが鼻をツンとさす。夜になるとやわらかな明かりを灯す磨りガラスの向こうからビリヤードの音が聞こえて、まるで思い出の中を歩いているようだ。

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踏切の近くの『丸長』。出前に走るお兄ちゃんを見つけると子どもだったわたしたちはみんなでヤジを飛ばした。

「お兄ちゃんのばかー!」「まるちょー!」

お兄ちゃんはいつもニコニコしながらわたしたちの罵詈雑言の中をスクーターで駆け抜けた。そして、今も忙しそうに店から出たり入ったりしている。わたしと母が家を空ける時、父は決まって「よし、今日は『丸長』だな」と言う。留守番中の父はここのラーメンを夕食にするのが楽しみらしい。わたしは父の縄張りを荒らすような気がしてしまって、今回の取材で食べるまで、『丸長』に入ったことがなかった。『丸長』の斜め前には駄菓子屋さんがあって、その横に止まる幼稚園バスに乗り幼なじみのリエちゃんと幼稚園へ通った。

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一緒に住んでいたおばあちゃんが昔あの場所にはお豆腐屋さんがあったのよとか、あの角の家には怖い犬がいてね・・・とか、よくそんな話をしていた。あのころのわたしにとってはどこか別の場所の昔話みたいに聞こえていたけれど、歳を重ねて気付けば自分が同じように豪徳寺のことを思い出し、それを誰かに伝えたくてたまらない。他人にとっては30年前、豪徳寺の100円ローソンの場所に何があったのかなんてどうでもいいのだろうけど、そこにはガソリンスタンドがあって同級生のニヘイさんのお父さんが働いていたということがわたしにとってはとても大切なことだ。

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そう、わたしはこの通りを30年以上歩いている。きっとこの先も主のような顔をしてそこらをウロウロして、自分の家族や近所の子どもに「『なおい』の隣は『小僧寿し』があってね・・」なんて話しているのだろう。

しまおまほ
1978年生まれ、豪徳寺で育つ。多摩美術大学芸術学部卒業。ファッション誌やカルチャー誌にマンガやエッセイを発表。著書は最新作『マイ・リトル・世田谷』をはじめ、『ガールフレンド』『まほちゃんの家』など。両親は写真家の島尾伸三と潮田登久子、祖父母は作家の島尾敏雄・島尾ミホ。2015年に待望の第1子を出産した。

 

しまおまほ ウェブサイト

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