あきまささん

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駒沢大学

世間的に上質な街とされる駒沢は、適度な緑と閑静な住宅街と気の利いたお店が良いバランスで構成されている。ところが駒沢で育った人や長く暮らす人にとっては、そのパブリックイメージは一部でしかないという。地域の人にとっての駒沢という街、その魅力を駒沢出身のあきまささんが少年時代の思い出とともに紹介してくれた。

文章・構成:加藤 将太 写真:鳥居 洋介

駒沢ってどんな街?

駒沢と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。おそらく駒沢公園を真っ先に思い浮かべ、その周りにある高級住宅や気の利いた飲食店を連想する人が少なくないのではないかと思う。語弊があるかもしれないが、駒沢の外で暮らす人たちにとって、駒沢という街とは、「お洒落で上流な街」という声が多いのかもしれない。そんな気高いイメージがある一方で、駒沢が地元という人は育った街にどんな印象を抱いているのだろうか。現在は三軒茶屋で暮らしながら上馬のサイクルショップで店長を務める、駒沢出身のあきまささんの場合はこうだ。

「僕の生まれは静岡なんですけど、物心つく前から駒沢で暮らすようになって、駒沢にある小学校と中学校に通っていました。小さい頃はこの街しか知らなかったので、東京は全部“こんな感じ”なんだろうなと思っていたんです」

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東急田園都市線で駒沢大学駅から渋谷までたった7分で行けることを知って、自分の地元も都会の中心にあると思い込んでいた。ところが一人暮らしをはじめたことで、慣れ親しんだ街はちょっと変わったエリアなのかもしれないと自覚する。東京のいろいろな街に足を運ぶようになって、実は駒沢の一部が属する世田谷区(駒沢は場所によっては目黒区に属することも)は23区の最も西側にあって、どこか東京らしくない一面を持っていることに気付いた。

「“こんな感じ”というのは、都会の雰囲気の中にもゆったりとしたローカル感が入り混ざっているんです。一人暮らしをするために世田谷を離れてから、品川区や豊島区で暮らしていた時期もあるんですけど、僕には合わなかったんですね。結婚してから奥さんと相談した上で世田谷に戻りたくなって、今は三軒茶屋に暮らしています。職場のサイクルショップがある上馬は自転車ですぐ行けますし、駒沢の実家もすぐの距離にある。なにより、やっぱり僕には世田谷のスローな雰囲気が合っているなと思います。ちなみに住まいを三茶に選んだのは、実家に近すぎるのが恥ずかしかったからです(笑)。地元といい間合いを保ちたかったというか」

お母さんのお弁当代わりはここだった

あきまささんが暮らす三軒茶屋は、せたがやンソンが定義する世田谷ミッドタウンではないけれども、今回は駒沢をよく知る地元民として、あきまささんに「東京なのに東京らしくない世田谷ローカル」を案内してもらった。まずは幼少期の思い出として色濃く残っている駒沢のシンボル的パン屋、「パオン昭月」へ。

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「パオン昭月」は昨年11月に特集した「世田谷パンタスティック! -世田谷ミッドタウン パン屋マップ-」でも取り上げた駒沢の老舗パン屋。街の人たちにとってごく当たり前の存在で親しみやすく、とにかくパンの種類が豊富で毎日来ても飽きることがない。その上、朝7時からオープンしているので、朝は出社前のサラリーマンや早出のタクシードライバー、夕方には子ども連れのお母さんなど様々な客層に人気がある。味はもちろんのこと、交差点に面したお店の歴史を感じさせる佇まいは世田谷ミッドタウンに欠かせない風景だ。

「幼稚園でお母さんがお弁当をつくらないときは、必ずと言っていいほど『パオン昭月』のパンでした。三食パンが大好きで、アンパンマンとドラえもんの顔をしたパンもよく食べていましたね。ここのパンは懐かしい味だけど、どれを食べても美味しくて、ずっと通い続けている友達も多いですね。お店の方が職場の自転車屋の常連さんで、今日はカレーパンをサービスしてくれました(笑)」

これは余談だけれども、「パオン昭月」の斜め向かいには「庭の花束」というお花屋さんがある。ここも高校生の頃のあきまささんにとって欠かせないお店なのだとか。

「この花屋さんは店員さんが可愛い女性ばかりで、高校の頃に友達と盛り上がってましたね。今日久々にお店の前を通りましたけど、やっぱり可愛い店員さんがいました(笑)」

忘れられない誕生日ケーキ

子どもの頃の誕生日はいつも「喫茶・洋菓子 LARE(ラルー)」のケーキが楽しみだった。「喫茶・洋菓子 LARE(ラルー)」も昨年「せたがやンソン」で紹介したお店。経営するのは2世帯4人の磯部さんファミリーだ。昭和32年、茅場町にて「ラルー洋菓子店」として創業され、昭和39年から駒沢に移転。年季の入った外観から店内に入ると、246号線の喧騒をよそに、香ばしいコーヒーの香りと昭和の懐かしい雰囲気が広がっている。

「『ラルー』も『パオン昭月』と同じで、僕の子どもの頃から外観の雰囲気が変わっていないお店ですね。実は自分で『ラルー』に買い物に行ったのは今日がはじめてなんです。お店の奥に喫茶スペースがあるのも最近知りましたし、マスター(磯部潔さん)とも今日はじめてお話しました」

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誕生日ケーキといえばホールケーキだけれども、幾つもカットケーキを食べるのがあきまささんの誕生日の決まりだったという。たしかに豪華な雰囲気のホールケーキも嬉しいけれども、箱を開けて複数のカットケーキが目に入り込んでくるとワクワクする。

「ケーキ以外では、緑のグラデーションのゼリーが好きでした。母親にいつもリクエストしていたんですけど、たしか『ラルー』にあったはずなんです。マスターも『ありましたねー、そんなの』と言ってくれましたけど、どうやらもうつくっていないみたいで。それとも、僕に話を合わせてくれたのかな…(笑)」

生まれてから高校生までの思い出が詰まった場所へ

懐かしい思い出の場所、最後は実家から徒歩数秒の距離にある「駒沢緑泉公園」へ。自転車を降りてベンチに腰掛けるあきまささん。「パオン昭月」でサービスしてもらったカレーパンを食べながら、一番と言っても過言ではない思い出が詰まった場所について語ってくれた。

「小さい頃はほぼ毎日何かしらここで遊んでいましたね。それこそ幼稚園、小学校のときは週6ペースくらいだったと思います。中学・高校生になったら学校帰りにここで友達と立ち寄って話し込んだり、スケボーで遊んだりしていました。昔はこんなに綺麗な公園じゃなかったんですよ。このベンチがあるエリアは夏になると噴水が出て子どもが水遊びを楽しんで、地域の盆踊りで賑わっていました。公園の裏にあるスイミングスクールの「ドルフィン」は小学校時代に通っていました」

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「駒沢緑泉公園」に向かう前、隣町の桜新町にも立ち寄った。魚市場のように活気のある「神田屋」、お米の販売だけでなく、おにぎりもつくる「三田精米店」など、駒沢から少し足を伸ばしたエリアにも元気のある個人店が立ち並ぶ。

「東京では意外かもしれないですけど、家業を親の代から継いでいるお店が多いのも、この辺りの特徴なんですよ。そういうところからも、駒沢を含めた世田谷は不思議な街なんだなと気付けるようになりました。人に『地元はどこですか?』と聞かれると、駒沢、駒沢を知らない場合は世田谷と答えているんですけど、駒沢と世田谷に上質なブランドイメージを持っている人からは、高級な意味で『いいとこ住んでますね』と言われるんです。僕は『そんなことないのにな』といつも違和感を感じていて、時間さえあれば行きたい個人店と場所が沢山ありますし、街を練り歩けば、きっとパブリックイメージとのギャップを感じてもらえると思います」

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今振り返ると、少年時代の思い出を狭い世界の中で過ごしてきた。子どもの頃、何も特別に感じていなかった街だけど、大人になってはじめてわかったことがある。僕の地元は個性にあふれる素敵な街だった。

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