ketoku
松岡悠さん
「ketoku」は、三軒茶屋にあるビストロの名店「uguisu」で10年修行して独立した松岡さんが営む飲食店だ。小田急線「豪徳寺」駅と世田谷線「山下」駅からそれぞれ徒歩1分の場所にある。「uguisu」と同じように、商店街ではなく住宅街の入り口に位置するため、駅近なのに落ち着きがある、のどかなところだ。料理もビストロかと思いきや、和から洋、中華まで何でもアリ。そんなお店づくりについて伺った。
文章・構成:小松﨑裕夏 写真:松村隆史
新しいカタチの街の居酒屋
大きなガラスの引き戸の入り口や白いタイルの壁、天井から吊るされたスワッグ。開放的で心地いい空間はまるでカフェやビストロのよう。しかし、メニューを見た途端、その認識は揺らぐだろう。
メニューは4つに分かれており、「つめたい」「あたたかい」「デザート」と並列して「すぐでる」があるのだ。一つひとつのメニューは、「ふわとろサーモンとズッキーニのビュレ、ほおずき」のようなビストロ系から、「比内地鶏のとりわさとアボカド、わさびの花」などの和、「フライドポテト アンチョビハーブ味」の洋、「豚足とアニスシードの豚まん」の中華などさまざま。
飲みものも然り。自然派ワインやクラフトビールの他に、赤星(サッポロラガービール)や焼酎、日本酒、サワーなど幅広く扱っている。
「お店のコンセプトは“街の居酒屋”なんです。僕が憧れているのは松陰神社前で30年以上続く『まつもと』さん。14名くらい入れば満席の小さなお店で、60過ぎたおじさんが1人でやっている。決して雑誌に載っているような今どきの店ではないけど、老若男女、さまざまな常連さんがいつもカウンターにいる。最終的にはあんな存在になりたいんですよね。『今日はketokuにしちゃおうか』みたいな、特別ではなく日常にある存在」
目指すのは、グルメな人が通うお店ではなく、居酒屋のように敷居が低く、誰でも気軽に入れるお店。そのために料理や飲みものはカテゴリーにこだわらず、あえていろいろと出しているのだ。
一方内装は、いわゆる居酒屋からは程遠い。入り口に赤提灯も無ければ暖簾もかかっていない。
「僕が居酒屋に魅力を感じるのは、居酒屋の店構えそのものではなく、誰でも気軽に入れるおおらかさ。それなのに暖簾や赤提灯をつけると、ただのデザイン上の模倣になってしまう気がしたので避けました。白やベージュをベースに、意図や主張が少ない雰囲気に仕上げ、客層の間口を広げました」
お客さんとの連帯感が生まれる仕掛け
松岡さんは、確かな熱意を抱いて飲食店の道に進んだわけではない。大学を中退し、これからどうやって生きていこうかとぼんやり考えていたとき、できそうだなと思ったのが、当時やっていた創作居酒屋でのバイトだった。
「楽しかったしやりがいを感じたので、飲食店なら続けられるかなと思いました。それに、自分がどこかに所属して働く自信がまったくなかったので、小さな飲食店なら、将来ひとりで働けてちょうどいいな、と。今思うと、なめたスタンスで恥ずかしいです(笑)」
修業先として「uguisu」を選んだのも、家の近くにたまたまあったから。どんなお店かよく理解もしないまま、2人でやっている小さなお店だし、大人の交流場みたいな雰囲気に惹かれて門を叩いた。それから10年勤務し、「ketoku」をオープンする。
昔抱いたイメージ通り、基本一人で切り盛りしているが、忙しくなると手がまわらなくなることも。そこで、飲みものは冷蔵ショーケースに入れ、近くにグラスと栓抜きを用意。セルフで取って注ぐこともできるようにした。ガラスにはお酒の説明を記したマスキングテープを貼り、お客さんが店主に聞かなくても選べるよう工夫している。
「お客さんに参加してもらうことで、連帯感が生まれたらいいなと思っています。初めてのお客さんでも、僕や他のお客さんと話しやすくなればいいなと」
実はこのスタイル、松岡さんがよく行く中華料理屋さんでやり始めたことだそう。
「おじさんが一人でやっているので、ビールの栓を開けるだけだし、お手伝いくらいの感じでやったんです。勝手にショーケースをガーッと開けて、『これもらいます』、と。そしたらまわりのお客さんにびっくりされて。話しかけられたり、真似するお客さんが出てきたり。それが面白くて。僕からすると手間が省けるし、注文を待つ間の変な空気がなくなると考え、自分の店でも採り入れてみました」
安くておいしいものを気軽に楽しんでもらいたい
さすが「uguisu」で修行したとあり、料理はどれもおいしい。メニューにはなじみの料理もあるが、意外な食材を組み合わせているのが特徴だ。例えば「豚なんこつのビール煮 クスクス仕立て」や「梅味のたまごと新じゃが、鯖の生ハム、バジルマヨネーズ」など。
「目新しいけど、僕の中ではしっくりくる組み合わせです。定番料理になれるような、親しみのある味わいをイメージして作っています」
素材は普通に手に入るものを使うのがモットーだ。
「素材の値が張ると、その分お店で出す料理の値段も高くなってしまう。そうじゃなく、安くておいしいものを出したいんですよね。どこ産の誰々さんが作ったものなど、ブランドとしての素材のアピールはこの店に合わない、というのもあります。目指すのはやっぱり、気軽に入れる居酒屋なので」
食材の仕入れ方にはこだわりを持っている。ほとんどを豪徳寺周辺にある店で入手しているのだ。例えば、野菜は主に店から歩いて1分の八百屋「旬世」で購入。
「一所懸命やっているのが伝わってくるので、応援したくなるんです。たまたま近所にあったけど、これもご縁だなと感じています」
魚は近所のお店で。ほぼ毎日豊洲から仕入れてくれるため、鮮度がいいのだ。基本、使いたいものを注文するが、ときどき「これも買っていってよ」とお願いされることも。
「お付きあいを大事にしたいので買っちゃいます(笑)。正直、初めは予定外だし、使ったことのない食材だから戸惑うこともありました。だけど、すぐに何とかメニューとして出せないかと考えることが面白くて、楽しめるようになりました」
ワインのほとんどは、世田谷区下馬にある酒屋「野崎商店」で。松岡さん自身はあまりワインに詳しくないため、「uguisu」にいたときからお世話になっているこの店にセレクトを依頼している。東ヨーロッパのモルドバ共和国のワインの輸入業者をしている、近所に住む常連さんから仕入れることもあるそう。
器の一部は、近所の器店「うつわのわ田」で揃えた。
「お金を払うならこの人がいい、という感じです。そうすれば相手もちゃんとやっていけるし、僕も気持ちよく買える。それが自分にとって腑に落ちるやり方なんですよね」
松岡さんの飄々とした口調とは裏腹に、同じ地域で店を営む人々への熱いエールを感じた。
子育てに携わるために、自宅から近い場所を選んだ
物件を探すにあたり重視したのが、世田谷駅近くにある自宅から近いことだ。5歳と2歳の子どものお父さんである松岡さん。共働きであり、下の子から手が離れるまでは子育てや家事に関わりたいという強い気持ちがあった。
「通勤時間にかかる時間を子育てや家事にまわせるよう、そして、家族がいつでも食べに来られるようにしたかったんです。引っ越しをせずに自宅を起点にしたのは、世田谷駅周辺が住みやすくて気に入っているから。区役所や図書館、公園もあり、子育てに向いていると思います。それに、松陰神社前駅の商店街がとてもいい雰囲気なんです。よく家族でご飯を食べに出かけています」
また、一人で営業すると決めていたので、以前勤めていた三軒茶屋や人通りの多い商店街など、スピード感を求められる立地は避けた。「uguisu」に勤め、商店街でなくとも、住宅街の入り口なら家に帰る前の人が立ち寄ってくれると実感したので、住宅街の入り口に絞って探した。そして1年後、ようやく出会ったのがこの物件だ。
「豪徳寺にはあまり来たことがなかったけれど、昔ながらの小さな個人経営のお店が多く、のんびりした空気が気に入りました。それに、若い店主の新しいお店もある。真面目な仕事を続ければ、通い続けてもらえるのではないかと感じ、ここに決めました」
週に1回ほど、奥さんとお子さんが夕食を食べにお店にやって来る。時間帯は営業時間内で、お客さんと同席させる。
「大人がお酒を飲みながらどうしているかを知ったり、家の外でご飯を食べるときのマナーを学んでくれたりしたらいいな、と思っています」
松岡さん家族が店に来る影響か、子連れのお客さんもだんだん増えた。もちろん大歓迎だ。居酒屋のような存在でありたいからメニューはお酒に合う料理のみ。子ども用はないため、辛さを抑えて対応している。
つい先日も、生後3、4か月の赤ちゃんを抱えたお母さんが一人で遅くに来店したとか。
「こんな時間に? と、一瞬、断ろうと思ったけれどそのままにしました。育児の息抜きがしたい気持ちは分かるし、こういうこともあるのかなと」
松岡さんはどこまでもニュートラルだ。何があっても動じず、受け入れてくれる感じがする。何かの枠にとらわれず、いいと思ったことは取り入れる。自分ひとりで無理せず、お客さんにもちょっと頼り、一緒にお店を作っていく。そしてそれを決して押しつけない。この空間の居心地のよさは、そういうものからも成り立っているのだろう。
ketoku
住所:東京都世田谷区宮坂2-26-4 豪徳寺コーポラス1F
電話番号:03-6413-7569
営業時間:17:00〜24:00(LO 23:30)
定休日:日曜、祝日
Instagram:@ketoku1810ketoku
Facebook:@ketoku1810ketoku
(2019/06/25)