特集
KONCOSと歩く世田谷ボロ市
世田谷の街に430年以上も続く「世田谷ボロ市」。世田谷線沿線が最も賑わう地域の代表的なイベントを、世田谷ミッドタウン在住の音楽ユニット、KONCOSの古川太一と佐藤寛が歩く。古着や古道具などを扱う露店に飲食店、そしてボロ市名物まで堪能。街と旅をテーマに活動してきたKONCOSからボロ市の楽しさが見えてくる。
文章・構成:加藤将太 写真:山川哲矢
一切演出されていない世田谷の伝統行事
KONCOSの二人は大学3年生の頃から世田谷ミッドタウンで暮らしているという。惜しくも解散した前身バンドのriddim saunter時代からリハーサルスタジオは下北沢。太一さんは途中、世田谷区外に引っ越したこともあるそうだが、ここ4年は世田谷ミッドタウンに住まいが定着。一方で、寛さんは世田谷ミッドタウンひと筋。普段の生活とバンド活動の拠点ともなっている世田谷の街は、KONCOSにとって故郷の帯広に次ぐホームタウンなのかもしれない。そんな二人のボロ市歴は…
「実ははじめてなんですよね。しょっちゅう世田谷通りを通っているのに、ボロ市には行ったことがなくて」(太一)
「僕は今回が2回目で、前に行ったのは2015年の1月15日ですね。10年以上も世田谷に住んでいるのに、それまで行くきっかけがなかったというか。ちょうど植物にハマっていた時期で多肉植物をいくつか買いました」(寛)
KONCOSとボロ市を散策したのは2015年12月15日。平日の午前10時前後にもかかわらず大変な賑わいを見せるのがボロ市だ。期間中は世田谷線が増発され、世田谷駅前からボロ市を目指す人たちの姿が絶えない。ボロ市の開催エリアにたどり着くと、早くも沢山の人たちで溢れかえっていた。
ボロ市は世田谷一丁目の通称“ボロ市通り”と世田谷通りを中心に開催されている。世田谷駅から南に伸びる通りの入口に差し掛かると、もうそこはボロ市エリア。通りの端から端まで、その土地で商売を営んでいる飲食店、物販のお店などがそれぞれの軒先で露店を出している。
骨董、古着など様々な商品が扱われる中でも特に目立つのは飲食店だ。KONCOSの二人は創業70年『大ひらや』の甘酒に舌鼓を打ちながら、ムートンやラム革の手袋が複数のお店で叩き売りされている混沌とした光景に驚いて、さっそくボロ市の洗礼を浴びていた。
少し歩いてメインのボロ市通りに入ると、スムーズに歩けない程の人集りに。ボロ市通りはその名のとおりにボロ市のシンボルだ。通りの中心には大きな横断幕とくす玉が配され、露店の振り幅はエリア内で最も大きい。行列をなす漬物屋、年季の入った法被や着物、おびただしい数のこけし、ベルトなどの専門店、鉄砲の薬莢まで扱うミリタリーショップといった具合に混沌を極めている。
そんなボロ市のある種の何でもあり感には演出された感じが一切なく、地域のイベントとして長く深く根付いてきたことを物語っている。校外学習に繰り出している小学生の集団を見かけたり、小学校・中学校の鼓笛隊が演奏しながら行進したりと、地域の老若男女が関わっている様子にも、ボロ市が世田谷の古き良き伝統行事として受け継がれていることが表れていた。