AHIRU
石井久美子さん
商店街がもうすぐ終わる、というところにアヒルの絵が見えた。小さな戸建ての一階からは、甘い香りが漂っている。ガラス戸を覗くと、アンティークの棚の上でお菓子が整列していた。日曜日にしかひらかないこのパティスリーは「AHIRU」という名前で、月曜と火曜は立ち呑みのスナックとして営業している。お菓子と立ち呑み。遠く離れた世界観のように思えるものが自然なかたちでひとつになっているのは、オーナーの石井久美子さんのキャラクターにある。その人柄を中心にして生まれる出会いやきっかけを取材した。
文章:吉川愛歩 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子
週に一度のお菓子屋さんと週に二回の立ち呑み屋
日曜日。悪天候の中でも、石井久美子さんの焼くお菓子を求める人たちが、AHIRUの前で待っていた。いちばんに売り切れてしまうのは、旬のフルーツを使ったタルト。取材した9月中旬は、大ぶりに切ったいちじくがのったタルトと、ぶどうが山のように盛りつけられたタルトが並んでいた。その季節にしか食べられない、特別なメニューである。瓶入りのコーヒーゼリーや定番のスコーン、ブラウニーなども出揃うと、いよいよ開店だ。
「居酒屋で言うと、定番のものはグランドメニューで、季節のものは黒板に手書きしてあるおすすめのもの。定番のお菓子を楽しみにしてくださっている方もいるので、そこもだいじにしながら、仕入れ状況を見て旬を感じるメニューも作ります。秋は、モンブランやナッツを入れたスコーンなども考えています」
週に一度しか営業しないのは、ひとりきりでの仕込みが大変だからだと言う。たった一日開けるだけでも、12~13種類のお菓子を一挙に並べるとなると休みはほぼない。もう一日開けようとすると完全に無休になってしまうので、オープン当初からこのスタイルを貫いている。
「もっと効率よく作れる方法とか、工程を減らすやり方もあるとは思います。でもそれをするなら、わたしがお菓子屋さんをやる意味もなくなるかなって。やるからには手を抜かないで、納得できるお菓子を売りたい。そうなると、やっぱり一日しか開けられないんです」
かわりに、というわけではないが、月曜と火曜は立ち呑みのスナックとして営業している。売れ残ったお菓子を売るという名目がありつつも、石井さんが「完全なるわたしの趣味」と言うとおり、自分も楽しむのが目的だ。お酒が好きな石井さんが食べたいおつまみを出し、その日に来たメンバーが即興演奏のように場の雰囲気を作っていく。近隣に住んでいる人、近くでお店を経営している人、会社と家の間で途中下車して来る人、この店に来るために小田急線に乗る人、さまざまな人たちがここで出会い、縁をつないでいる。
「くる人やくる時間帯によって、店の雰囲気はがらりと変わります。少人数で話すこともあれば、全員で話したりもして。8時くらいになると、誰かがお腹すいたーって言い出して、みんなで締めのうどんを食べたりもしますよ。大家族みたいにご飯を炊いたり麺を茹でたりしてどんと出し、それぞれ取り分けてもらっています。そんなふうだから、お客さん同士がここで出会って、友だちになったりどこかに出かけたりした話を聞くと本当に嬉しいんです。わたし自身もここでたくさんの方と出会えたし、助けてもらうことも多いんですよ」
やりたい気持ちが支えたもの
そんな石井さんがお菓子作りをはじめたのは、まだ幼いころ。母親が料理好きだったこともあり、自然と料理に興味が沸いた。図書館でレシピをノートに写したり、母親と一緒に何か作ったりと、生活の中に料理がしっかりと定着していた。
そのうち、自分はものを作ることが好きだと気づき、高校を卒業したら製菓の専門学校に行きたいと考えるようになったそうだ。
「でも、高校が進学校だったので、大学に行くのが当たり前の世界でした。もちろん親にも反対され、しぶしぶ大学に行くことになったのですが、普通の大学にはなんの魅力も感じなくて。結局なにかもの作りに関わることをと思って、服飾専門の大学に行きました。なんとなくアパレル業界には向いていないな……と思いながら就職活動の時期を迎えて、どうしようか悩んでいたころ、交通事故にあってしまったんです。それで就職活動に完全に乗り遅れてしまいました」
全治一ヶ月の怪我がやっと治って退院すると、すでに行きたい会社を選べるような状況ではなかったという。なんとか就職はできたものの、ただ給料がよかったという理由だけで選んだ会社はすぐに嫌になり、あっという間に辞めた。
「やっぱりお菓子の仕事がしたいという気持ちが忘れられなくて、派遣で働きながら製菓の専門学校に行くことにしました。やっとお菓子のことが勉強できる、というのも嬉しかったし、お菓子のことが好きな人たちが集う場所でもあったから、有名店の食べ歩きをしたり、情報交換したりできたのもすごくよかったです」
ところが、専門学校卒業を控えて改めて就職活動をしたところ、まったく内定がとれなかった。
「本当に、手当たり次第にたくさんエントリーしましたが、全然ダメでした。実務経験がないというのが理由です。販売員を数年経験して下積みをしないと製造に入れない、という会社もありました。そんなときにひとつだけ引っかかったのが、お菓子教室のアシスタントという仕事でした。自分が求めているタイプでない系統のお菓子だったのですが、とりあえず実績を積むためにとそこで働くことにしたんです」
しかし、大御所の先生が営むお菓子教室の運営は、予想以上に大変だった。先生との折り合いがつかずにアシスタントはすぐに辞めてしまい、石井さんは入って一ヶ月ですべての運営をひとりで担うことになってしまう。
「できないことだらけでしたが、とにかくお教室をまわさないといけないので、毎日必死でした。生徒さんの管理に材料の準備、発注……。お昼ごはんを食べる時間もないし、言うことがコロコロ変わる先生との間でいろんなトラブルもあって、何度も辞めようと思いました。でも、ここで辞めたら何にもならないと奮い立たせて、結局3年半働きましたね。最後に辞めると決めたのも、そうしたかったというよりは、もう体力の限界でした」
いつか自分でお店をやりたい。そんな夢を持ちながらも、また派遣に戻った。
AHIRUのはじまり
AHIRUのはじまりはいつかと聞かれたら、恐らくこのときだろう。派遣に戻った石井さんに「お菓子を店に卸してみないか」と、コーヒーショップのオーナーが声をかけてくれ、近所にオープンしたその店ではじめて自分で作ったお菓子を売ったのだ。何度も試作して意見をもらい、やっと完成したブラウニーとビスコッティだった。
「平日は働いていたので、週末にお菓子を作って月曜の出社前にコーヒーショップに置いてくる。そんな生活をしていましたね。そのうちそのコーヒーショップの店舗が増えて、お菓子もたくさん置かせていただけるようになりました。そんなときにオーナーから『何かアイコンになるようなロゴがあった方が、石井さんのお菓子だってわかるからいいと思うよ』とアドバイスをもらって、センスのある友人にロゴを作ってもらったんです。それが今のお店のロゴになっているアヒルのマークなんですよ」
お菓子作りをするスペースも手狭になり、知人の経営するキッチンを借りて、本格的に製造することになった。いつかお店をやりたいと言いながらも、派遣を辞めてお菓子製造一本で生きていく勇気はなく、なんとなく物件を眺めるだけの日々が続いた。
そんな石井さんが大きく舵を切ったのは、離婚したからだった。
「離婚を切り出された同じ時期に、派遣の仕事も切られてしまい、突然どん底状態になってしまったんです。もうこれは店をやるしかないなと思って、真剣に物件探しをはじめました。もともと下高井戸や笹塚のあたりで探していたんですけど、ちょうどここが空いて。え? 祖師谷って何線だっけ? っていう感じで、まったく土地勘がない街でしたが、来てみたらすごくいい場所で。見にきたその日にすぐ申し込みました」
縁もゆかりもない、友だちのひとりもいない土地でスタートを切った石井さんは、ここでお菓子屋と立ち呑みスナックをすることに決めた。
「お菓子屋さんと飲み屋さんはまったく別の店です。お酒に合うお菓子を作っているわけでもありません。ただ、お菓子屋を週に一日しか開けられないので、売れ残ってしまったものをどうするかという問題があって。月曜と火曜は立ち呑み屋として開けながら、売れ残ったお菓子も売ろうと考えたんです。月曜火曜ってわりと他のお店は休みだったりするので、美容師さんとか、お店をやっている人が来られる店になればいいなっていうのもあって。ひとりだし、街に合わなかったまた変えればいいわけで、とりあえずやってみようとはじめました」
もちろんそのスタンスは多くの人に受け入れられた。石井さんの目論見通り、立ち飲みの日は平日に飲みたい人たちにとって格好の場となり、日曜は日曜で、石井さんのストイックな考え方で作られたクオリティーの高い味が評判を呼んだ。
「お店のことは、インスタグラムで発信するようにがんばっています。立ち呑みの方はメニューを出し、お菓子の方は『今こんな感じで残っているよ~』と途中経過をストーリーズにあげたり。みなさんそれを見てきてくださっているので、発信しがいもあって嬉しいです」
半径3キロ圏内の新しい仲間
オープンから一年が経ったころ、コロナ禍になり飲食店を取り巻く環境はかなり変化したが、ようやくそれも元に戻ろうとしている。
「店が開けられなくて困ったこともあったし、ひとりで考え込んで鬱々としてしまった日もありましたが、よかったこともたくさんありました。たとえば、コロナ禍にどうやって営業しようか相談して、ご近所のごはん屋 ヒバリさんとなかよくさせてもらったり、SISTER MARKETさんにお喋りに行ったり、豪徳寺のnienteさんが空気入れサービスを店の前でしてくれたり。このあたりってひとりでお店をやっていらっしゃる方がとても多いので、仲間がたくさんいてすごく心強いんです」
ひとりぼっちで乗り込んだ街は、今や知り合いだらけだ。
「常連さんとも連絡取り合うようになりましたね。砧互助会っていうのを作ったりして、仕込みの日にも元気にやってるー? って生存確認に寄ってくれるんです。ふらっとどこかに飲みに行っても近所の店主とばったり会ったり、この界隈の人たちに出会えて楽しいんですよ」
そんな石井さんがこれから進めていきたいことは、他の人にも店を使ってもらうことだと言う。
「自分もむかしキッチンを借りて助けてもらったし、何より自分で作ったものを誰かに売ることができるって、本当に嬉しいことだから、やりたいなっていう人の力になりたくて。今は月に一度程度ですが、誰かがキッチンを切り盛りするイベントデーを設けています。その日はわたしもお客さんとしてただ飲んで食べているだけ。この間はピタサンドの会で、9月はキンパデーだったんですけど、みんなすごく真剣だし、気合いも入っているんです。その熱意にこちらもすごく刺激をもらっています」
自分で作ったお菓子をはじめて選んでもらえたとき、きっと石井さんは飛び上がるほど喜んだのだろう。そのわくわくをまた誰かが味わえるようにと手を広げるさまは、あまりにもやさしい循環だ。人と人とのきっかけづくりの場にしたいと話す石井さんがつないだご縁は、もしかしたらこれからいろんなところで花咲くのかもしれない。
AHIRU
住所:東京都世田谷区砧5-16-12
定休日:水曜〜土曜
営業時間:お菓子販売12:00~売り切れ次第終了(日曜)/スナック16:00~22:00(月曜、火曜)
Instagram:@ahiru.snack