
Tamahoko
清水みのりさん
淡いグレーが印象的な扉を開けて店内に足を踏み入れると、そこにはなんとも心地良く、落ち着いた空間が広がった。賑やかな商店街から1本裏手にあるだけなのに妙に静かで、ここにいると心が和らいでいくような、ここだけ時間がゆっくり流れているような、そんな感覚に満たされる──松陰神社前駅から徒歩3分。2023年9月にオープンした「Tamahoko」を訪れたときのことだ。それにしても、ここはカフェ? キッチンスタジオ? それとも……。オーナーである料理家の清水みのりさんにお話をうかがった。
文章:葛山あかね 写真:阿部高之 構成:鈴石真紀子
目指したのは「発酵蔵」のような場所
もともと清水さんは20年にわたり、世田谷にある自宅で発酵料理教室を行ってきた。天然酵母でつくるパンをはじめ、自然栽培の米ぬかでつくるぬか漬け、手づくり玄米味噌や空気中に浮遊している野生麹菌で仕込む発酵調味料、それらを使った多彩な料理にいたるまで! ご自身の経験を伴った理論的かつ本格的なやり方を、誰でも手軽に実践できるようにと教えてくれるその料理教室はものすごい人気ぶりで、生徒数はのべ8000人を越えているとか。
結婚を機に世田谷線沿線に引っ越してきたという清水さん。とはいえ、祖父母が下北沢で和菓子屋さんを営んでいたということもあって、世田谷区や松陰神社前周辺も幾度となく訪れ、なじみのある場所だった。
「松陰神社前には昔から好きなお店がたくさんあります。今は残念ながら閉店してしまいましたけど、大阪寿司の名店『美の輪寿司』やおでん種がおいしい『おがわ屋』にはよく通いました。セレクトショップの『This_』もおしゃれで大好きなお店の一つです。コンパクトながらも、人とのつながりをきちんと感じられる商店街があったり、松陰神社に向かっての空氣の抜け方も心地良く感じていて。もし、私がお店をやるなら松陰神社前がいいな、と漠然と思っていたんです」
そんな清水さんに転機が訪れたのは、今から3年前。書籍(『調味料を変えるだけ!身体が喜ぶ発酵調味料メソッド』方丈社刊)を出版したタイミングで、料理教室へのお問い合わせも多くなり、「さらに多くの方々に私たちと共存・共栄する菌のことを広めていきたいと感じるようになったことで、新しい場所でスタジオ&お店をはじめようと思いました」
「わりと流れに身を任せるタイプ」と自己分析する清水さんですが、やると決めたらとことん突き詰める人らしい。その徹底ぶりはまず内装から。たとえば趣のあるグレーの壁や天井は漆喰に麻炭を混ぜ、水の代わりに自身が培養した発酵エキスを加えたものを左官さんに塗ってもらい、菌(有用微生物)を最初から住まわせているという。漆喰壁は昔ながらの伝統的な技法。そこに炭や発酵エキスを混ぜたのは?「炭ってね、菌とすごく相性がいいので、こういう施工にしています」
目指したのは発酵蔵のような場所。醤油や味噌をつくる昔ながらの蔵には多種多様な菌が棲み着き、それらが醤油や味噌を味わい深く醸すことはもとより、「天然の空気清浄機のような働きもしてくれるんですよ」と清水さん。店に入った瞬間に感じた空気感や心地良さはそのおかげなのだろうか……。よく見ると床も天井も360度ぐるりと炭入りの漆喰に囲まれている。目には見えないけれど配管という配管も「オーガニックペイント(食べられるペンキ)に炭パウダーと発酵エキスを加えて自分で塗りました」というから驚きだ。
「腸内環境を思い浮かべていただけたら分かりやすいと思うんですが、腸内には善玉菌と悪玉菌、日和見菌がいて、善玉菌が優位になると腸内環境が整って体も心も健康になるんです。空間もそれと同じ。善玉菌など良い菌が優位になるような状況をつくってあげると、空気中にいる菌たちは喜ぶし、私たち人間にとってもいい環境になる。少しでもお客様にいい空気を吸っていただきたくて」
不思議なことに、ここでは食べ物にカビが生えにくく、ホコリもあまり出ないためか、エアコンのフィルターも汚れにくいという。来店された人からは「当日はよく眠れる」「すっきりとした気分になる」との声も聞こえてくるそう。見えない菌のおかげだろうか。もちろん料理をしていても、その力を感じることができるとか。
「ここで発酵料理をつくると、発酵のしかたがすごいんです。このコンブチャ(別名「紅茶キノコ」と呼ばれる発酵飲料。シュワシュワしておいしい!/写真上)なんて、普通なら仕込んでから発酵するまでに少なくとも1週間はかかるのに、ここでは1日くらいで発酵するようになりました」
コントロールのきかない菌の世界に魅せられて
清水さんが発酵に興味を持ち始めたのは9歳の頃。「料理上手な叔母と一緒にヨーグルトづくりをしたとき、液体だった牛乳が乳酸菌によって固まることを体験」し、目には見えない、触れることもできない“菌”というものの存在にときめいた。その後、社会人になり大手企業で働いていた頃に出合ったパン教室をきっかけに、天然酵母のパンづくりを通して、菌の世界に本格的にのめり込むことになる。
「同じ材料を使って、同じレシピでパンをつくっても焼き上がりが毎回違うんです。なんでだろう? 面白い!とはまってしまって(笑)。菌は生き物。人間のコントロールが効かない世界であり、分からないことがとにかく楽しくて」。結局、会社を退職。パン職人への道を突き進むとともに、発酵への造詣をぐんと深めていくことになる。
もともと自然療法を取り入れていた祖父母の影響を受けて育ったという清水さん。「ネットなどがない時代から、祖母が味噌や甘酒をつくっているのを見てきた」こともあり、発酵の世界に飛び込むのは自然の成り行きだったのかもしれない。それまで「虚弱体質で病院ばかり行っていた」のに、菌の仕事をするようになってからは「ほとんど行くことはない」という。自家製発酵調味料をつくり、さらに自分がおいしいと感じる、きちんとつくられた本物の調味料を使うようになったところ、詳しくは先述の書籍に譲るが、「義父の病気が改善されたり、夫の花粉症が軽減したり」と家族にも嬉しい変化が表れた。
そうした様子が、料理教室の生徒さんの口コミやSNSなどにより少しずつ広がり、本の出版からTamahokoのオープンへと、それこそ流れるように決まっていったのだ。
ちなみに店名「Tamahoko」は祖母の名前“玉穂子”に由来するとか。「私はおばあちゃん子だったんです。小さい頃から好きなものごとや趣味が似ていて、いろんなことを教わってきました。店名を考えていたとき、ふと、そうだ!と思いついたのがこの名前。玉=菌(有用微生物)には丸い形のものが多い、穂=生命力を表す、という意味もあるので、ぴったり!と思ったんです」
腸内細菌を見れば、その人の食習慣や性格まで分かる!?
同店を訪れる人は「あれ?もうこんな時間」というように、たいてい長居になるという。菌たちがつくり出す居心地の良さはもちろん、清水さんの人柄をはじめ、発酵や菌、腸内環境にまつわる知識の豊富さによる楽しい会話もその要因ではなかろうか、と密かに思う。実は清水さんは菌検査解説員、通称“菌カウンセラー”の肩書きをお持ちの菌のスペシャリストでもある。腸内フローラ検査の結果を読み解き、自分の腸に棲んでいる菌の種類やバランスを元に、その人の抱える問題に寄り添い、食生活や生活環境を整えるアドバイスをくれるのだ。
「一人一人、お持ちの菌はみんな違うんですよ。菌を見るとその人の健康状態はもちろん、どんなタイプの仕事をされているのか、怒りっぽいのか、穏やかなのか、といった性格まで見てとれるんです」。え、性格まで?「はい。私たちは腸内細菌によって操られているといってもいいくらい。怒りっぽいのは性格だと思っているでしょうけれど、怒りっぽくなるような菌をたくさんお持ちなんですよね。その性格を変えたかったら、怒りっぽい菌が出ないような食べ方に切り替えるアプローチが有効です」
「たとえば、糖質を分解して良い物質を出してくれる菌をお持ちの方が糖質制限をしていたり、良かれと思って食べていたものが実は、自分の腸内細菌のバランスを崩しているということもよくある話です」。なるほど。聞けば聞くほど奥深く、面白い菌の世界。みなさんが長居をしてしまう気持ちがよく分かる……。
腸が喜ぶ発酵料理レッスン、カフェ&ランチ
お話を聞いている間にいい匂いが漂ってきた。清水さんが手がける料理は腸が喜ぶことをメインに考えられている。「腸が喜ぶということは、人間にとっても嬉しいこと。腸内環境が整うことで、体だけでなく心も健康になりますから」。
毎月行われる発酵料理教室では甘酒やコンブチャ、味噌などさまざまなレッスンを開催。その日、披露してくれたのは自然栽培の生ぬかでつくった“究極のぬか漬け”だ。10年もののぬか床から出てきたのは大根やきゅうりといったおなじみの食材から、アボカドやこんにゃく、りんごなど、これもぬか漬けに?と思うような食材まで。これが絶妙においしい。お茶請けにもおかずにも、お酒のアテにもなりそうな味わいだ。
「私は、このぬか床だけをそのままご飯にのせて食べちゃいます。そう言うとみなさん驚かれるんですけど、一度やってみると分かりますよ、クセになるほどおいしいんです」という清水さんの言葉に興味津々。ちょっとだけぬか床を試食させていただくと……!!!少しだけフルーティーで、チーズような風味がした。ぬか床っておいしいものなんだな……。
ランチに提供されるメニューにも発酵の知恵と技がぎゅぎゅっと凝縮されている。この日、いただいたのは味噌づくしランチ。オーガニックの玄米味噌をのせたおにぎりや、自家製ビーガンヤンニョム(辛み味噌)で調味した焼き厚揚げ、野生麹菌の調味料をまぶした根菜に、コクのあるケチャップのような味わいの自家製トマト味噌で和えた一品や、玉ねぎ麹のみで味つけした人参のビーガンスープまで。
カフェでは、季節ごとに旬の食材を使った自家製グルテンフリースイーツとドリンクのセットを提供。なかでも奇跡の無農薬りんごを使ってつくる「アップルコブラー」は人気メニューだ(夏は別メニューを提供)。ボリュームはあるけれど、白砂糖は使わず甘さ控えめ、小麦も不使用のためか、食べた後にまったくもたれることなく、すっきりとした食べ心地になるのが、清水さんの料理やデザートの魅力である。
店内には世界で唯一、野生麹菌でつくる塩麹や玉ねぎ麹、醤油麹など自家製発酵調味料や糀茶を販売。これらは地球環境を考えて繰り返し使える瓶に、シールではなく紙のラベルを輪ゴムで留めている。「シールのラベルをはがすときに、きれいな水を使用するのに違和感があって……水を大切にしたいという希望をデザイナーの紙事さんが叶えてくれました」
また清水さんが「これは!」と納得した腸に良い厳選商品も数多く取り揃えている。いずれも私たちの体と心にとっていいものであることはもちろん、商品の一つ一つにつくり手の思いや物語が込められたものばかり。レッスンやカフェ、ランチはいずれも予約制だが、物販は店がオープンしている14時から購入可能。ぜひ、のぞいてみてほしい。
さて、冒頭の「ここはカフェなのか、キッチンスタジオなのか……」という疑問について清水さんは明確に応えてくれた。「ここは人と菌をつなぐ場です」──見えないからこそ、普段は忘れがちな、でも、私たちにとって非常に大切な意味をもつ“菌”という存在に、改めて向き合うことができる。Tamahokoはそんな場所だ。
tamahoko
住所:東京都世田谷区若林4-27-14 ブランテイル1階
営業時間: lesson 10:00〜13:00/cafe 14:00〜17:30 いずれも要予約
インスタグラム:@ta_ma_hoko
※定休日はインスタグラムをご確認ください