蕎麦シカモア
小川亮さん
東急世田谷線上町駅から徒歩1分ほどの『蕎麦シカモア』は、わかりやすい世田谷通り沿いにありながら、白いビルから階段を降りたところにある隠れ家のようなお店だ。その空間と料理のいたるところには、店主・小川亮さんのやりたかったことが凝縮されている。念願叶ってオープンできた自分の蕎麦屋だからこそ、お店のいたる部分に自分らしさを。いわゆる蕎麦屋らしからぬアプローチ、そこには蕎麦とかけ離れた分野から飛び込んだ小川さんの歩んできた道が深く関わっていたのだった。
文章・構成:加藤 将太 写真:池田 宏
音楽業界から蕎麦の世界へ
転職というものは大きく4つにわかれる。長く身を置いていた業界の中で同じ職種、または違う職種に就くというパターン。もう2つは今とは異なる業界に移り、同じ職種、あるいは異なる職種に転身するというパターンだ。なかでも異業界・異職種への転職は経験値ゼロだからこそ、事業をはじめる人、転職者を受け入れる企業のどちらにとってもチャレンジング。活躍はその人のポテンシャルと意欲次第といっても過言ではない。東急世田谷線上町駅が最寄りの『蕎麦シカモア』店主・小川亮さんも、まったく接点のない分野から蕎麦屋に転身したのだった。
「12年ほど音楽業界で働いていました。最初はレコーディングコーディネーターという、レコーディングスタジオとかスタジオミュージシャンをブッキングする仕事をやっていました。最後はトイズファクトリーというレコード会社に勤めて、それが2010年くらいまでになります。音楽業界は時代の流れとともに変化して、今後の身の振り方を考えなきゃと痛感したのはHMV渋谷店の撤退が決め手でした。勤務していたレコード会社が渋谷にあるので、HMV渋谷店のニュースが報じられると社内が深刻な雰囲気になっていて。もちろん音楽はなくならないけど、レコード会社の機能は変わっていくんだろうなと思いました。レコード会社に勤め続けても職として潰しがききませんし、自分の生い立ちを見つめ直すなかで、客商売をやってみようと思い始めたんです」
小川さんは新潟県長岡市出身。お祖母様が地元で小料理屋を営んでいた姿を幼少期から見ていたことから、何気なく将来は同じようなことをやるのだろうと思っていた。現在は小川さんのお母様が経営を引き継いだというが、時代の流れの影響で業態はなんと雀荘に(!)。いずれにしても自身に客商売のルーツがなければ、その選択肢は出なかった。ところで、なぜ蕎麦屋をはじめようと思い立ったのだろうか。
「20代後半から先輩に蕎麦屋に連れて行ってもらうことが多くなって、蕎麦屋で呑む大人の雰囲気が楽しくなってきたんです。レコード会社の最後にJUN SKY WALKER(S)の制作を担当していましたが、ジュンスカはお金を払ってライブに来てくれるファンに対して、ライブを通じて感動を届ける素晴らしい表現者なんですね。商売も同じだと思います。僕が作ったものに反応してもらってお金をいただくというシンプルな世界に、意識を高く持って挑戦したかった。だから商売の手段だけでなく、日本文化としても深く蕎麦を勉強しました」
最短距離で蕎麦を打つために
小川さんはレコード会社を退職後、趣味の蕎麦を生業にするために、市ヶ谷の名店『大川や』の門を叩いて修業期間に入った。修業が始まるまでは蕎麦関連の文献を図書館で読み漁り、気になる蕎麦屋にひたすら足を運ぶ毎日。遠方では広島県豊平町にあった蕎麦界のリビングレジェンドとされる高橋邦弘さんのお店『達磨雪花山』まで、夜行バスに揺られて匠の味を研究しに行ったという。
「ジュンスカのグッズを制作しているデザイナーさんの幼なじみの旦那さんが『大川や』のご主人だったんです。タイミングよく人手を探していたので、修業させていただけることになりました。『大川や』は僕も以前に行ったことがある繁盛店だったので、かなり鍛えられました。高貴な方が住むエリアにあるお店なのでコース料理も用意していて、いいものを知っているお客様も多いので、技術が高まる以外に見聞が広がりました」
『大川や』に入門した当初は体力的に過酷だったと小川さんは振り返る。レコード会社時代は出社時間が自由だったが、『大川や』では朝8時に厨房で働き始め、終電近くの時間帯に帰宅という毎日の繰り返し。念願だった蕎麦屋での勤務は想像以上に拘束時間が長く、立ち仕事に慣れるまでに時間もかかった。2週間で3キロほど体重も落ち、家に帰宅しても夕飯を食べる元気がなく、とにかく翌日に備えるために床に就いたという。
「『大川や』には何人も先輩がいて、蕎麦打ちまで辿り着けませんでした。蕎麦打ち以外の仕事は全部経験しましたが、33歳から修業を始めた僕としては、できるだけ早く蕎麦打ちに移りたいという焦りもあったんです。蕎麦打ちには体力が必要ですから。そう悩んでいるところに、知人経由で繋がっていた豪徳寺の『あめこや』ご夫妻から社員を採用しようと思っているという話をいただいて。賄いの蕎麦を打ちながら勉強できるということで、『あめこや』に移りました」
やりたいことを貫くということ
4年に及ぶ修業期間を終えて、いざ独立。待ち望んだ自身の蕎麦屋を構える場所に選んだのは世田谷通り沿いの上町。『あめこや』のある豪徳寺と同じ世田谷ミッドタウンだ。
「最初は三軒茶屋で物件を探していました。三茶には7,8年住んでいたので土地勘もありましたし、知人の飲食店も近くにあるからいいなということで半年ほど物件探しを粘ったんですが、やはり人気のエリアだから希望に見合う物件が見つからなくて。それから広範囲で世田谷を調べていくなかで、この物件を知りました。『あめこや』に通うときに世田谷通りを通っていましたが、上町駅から降り立ったことはありませんでした」
建物自体は2007年に完成したものだが、『蕎麦シカモア』が営業している地下の物件は2012年まで何も入居していない状態だった。しかも当時は地上からの入口部分に隣のビルのフラワーショップ『HANACHO(ハナチョウ)』が花を置いたりしていたため、地下の存在はほぼ知られていなかった。小川さんが飲食店の仲間たちに上町への出店を相談すると、その99%に反対されたのだとか。
「この物件を内見してやめた人が身内に何人かいて、『よくあそこでやりますね』といった声がありました。それでも僕は『やってみなきゃわからない』と思いましたし、仲間内のひとりだけは『直感でいいと思ったらやればいい』と言ってくれて。それからレコード会社にいた自分なりのマーケットリサーチとして、時間帯別でどんな人たちが世田谷通りを歩いているのかを調べました。上町が、花屋さんが繁盛している街だとわかったのは大きかったですね。衣食住プラスアルファの要素として花を買う。それは経済力や心に余裕がある人が住んでいるんじゃないかなと。僕も花や緑が好きなので、なんだかいい街だなと思えてきたんです。物件も白い外観がいい感じで、地下でも天井が高くて、地上に面したところに窓があるという点も気に入りました」
『蕎麦シカモア』はその名のとおりに蕎麦屋だけれども、一品料理もお酒も小川さんが厳選したラインナップを揃えている。さらに空間にも小川さんの個性が打ち出されていて、壁面には趣味であるサーフィンの映像が投影されている。
「蕎麦の修業を20年やっていた方のお店は、いわゆるザ・蕎麦屋になると思いますが、そういった方たちに真っ向勝負を挑んでも勝てないので、自分が生きてきた過程を盛り込もうと、やりたいことを貫いています。それと僕は日本酒が大好きなので、お酒と一緒に味わえる締めの蕎麦をやりたかったんですね。今はメニューも増えてきて、『締めの蕎麦までたどり着けない』と冗談っぽく話してくださるお客様もいますが、僕としては蕎麦屋だから蕎麦を食べてもらわないと不機嫌になることはありません(笑)。もちろん蕎麦を食べていただきたいけど、いい状態で味わっていただきたいので」
自分の生きてきた道を示す「シカモア」という言葉
ひとりを除いた周囲の反対を押し退けてオープンした『蕎麦シカモア』は、2016年4月からオープン4年目に突入。上町といえば、中華まんの『鹿港(ルーガン)』やベトナム料理屋の『サイゴン』などの人気店が有名だが、地道に常連客を増やしてきた『蕎麦シカモア』も今や上町を代表するお店のひとつだ。
「世田谷通りの並びにある『セキハナレ』に川久保さんという料理の大先輩がいるんですね。川久保さんはオープン当初から来てくださっていて、『セキハナレ』が出店を決める際にシカモアの存在も大きかったということをお客様に言ってくださっていたみたいで、それはすごく嬉しかったです。ウチの1ヶ月後にオープンした『工芸喜頓』の石原文子さんもご家族で来てくださって、作家さんを連れてきてくださることもあります。僕は『工芸喜頓』で器を買うためにお店を頑張っているところもあるかもしれません。というのも器を眺めながら、『こんな料理をつくりたいな』とインスパイアされることもあるんですね。僕は広島県福山市にある『惣堂窯』の掛谷康樹さんがつくる練り上げの器が大好きで、『海老とパクチーの水餃子 蕎麦つゆ仕立て』は掛谷さんの器に似合う料理としてつくりました。近所に刺激を受けられるお店があるって最高ですよ」
上町には『世田谷ボロ市』のように400年以上も地域に根ざした文化がある。言い換えれば、変わらない良さが魅力のひとつなのだ。そんな古き良き街に『蕎麦シカモア』『セキハナレ』『工芸喜頓』『fridge setagaya』のような、店主の感性がファンを獲得するお店が増えてきているのは近年の上町の様相だろう。小川さんはその流れを捉えたうえで、上町でお店を続けることに対して思うことがあるという。
「上町には芸術系のミュージシャン、建築家、その他クリエイティブ系など、手に職を持っている方が多くて、そういった方たちとお店で出会う印象がありますね。近くの弦巻通りの『Indian canteen AMI』に食事に行っても、本屋さん、メガネの仕入れなどを生業にする自営業の人たちが集まっていて、それぞれの会話が楽しいんです。個人的には『私は●●で生活しています』というわかりやすい方が多いエリアだと思うので、自分なりに『私はこういう風に生きています』と伝えられるような店主じゃないと、そういったお客様が離れていってしまうんじゃないかなと思うんです」
小川さんの生きてきた道、それは『蕎麦シカモア』という店名によく表われている。
「アメリカを男3人で旅したときに、シカモアという温泉に行ったんですね。アメリカで硫黄の香りがしっかりした温泉に浸かって、やっぱり自分は日本人なんだなと感じる不思議な体験をしたんです。しばらくして店の名前が全然決まらないときに、ふとシカモアの意味を調べてみると、西洋楓というギターやバイオリンのボディに使われる木材だとわかったんです。僕は音楽業界にいましたし、妻も昔バイオリンをやっていて音大出身なので、音楽の匂いもして面白いなと思いました。決め手は“sycamore”のスペルを見たとき。偶然にも、『あめこや』(amecoya)のアルファベットが全部入っていたんですよ。シカモア以外に僕を表せる言葉はありませんでした」
ちなみにお客さんから店名の由来を聞かれると、かなり忙しいときは「西洋楓という音楽に縁のある言葉なんです。昔は僕も音楽業界にいたので」とさらっと答えるショートバージョン、程よく忙しいときは、そこにシカモア温泉のエピソードを添えたミドルバージョン、そして余裕があるときは、『あめこや』のアルファベットを盛り込んだフルバージョンを用意しているのだとか。小川さんはあなたにどのバージョンで答えるのか。蕎麦とお酒とともに楽しんでほしい。
蕎麦 Sycamore
住所:東京都世田谷区世田谷3-3-1 B1
営業時間:17:00~23:00、日曜17:00~22:00
定休日:月曜、火曜
ウェブサイト:http://soba-sycamore.jp/
(2016/07/11)