特集

せたがやンソンの誘惑|VOL.2

スウェーデンの定番グラタン料理を“ヤンソンの誘惑”と呼ぶことと、世田谷由来の食材を使って料理をつくろうというテーマからはじまった、『せたがやンソンの誘惑』。第1回の麹料理研究家、おのみささんによる「塩麹料理」に続いて、第2回はキッチン☆ボルベール 竹花いち子さんの「さばみりん干しのサラダ」。

「さばのみりん干しをサラダに??」という人にも、「あれ、美味しいんだよねぇ」とその味を知る人にも必見のレシピです。今回はレシピとともに、いち子さんがオーナーシェフを務めていた世田谷ミッドタウンの名店『東京料理 タケハーナ』のエピソード、先日行われた「タケハーナ復活祭り」の模様、現在行っている料理教室のお話なども、たっぷりご紹介します。
文章:小谷 実知世 構成:加藤 将太 写真:豊島 望

料理はどこまでも自由に

竹花いち子さん。彼女について、どこからご紹介すればいいだろう。かつてはコピーライター、作詞家。しかし、その肩書きとあっさりさっぱりさよならし、料理人に転身。1993年世田谷ミッドタウンエリアでもある淡島で『東京料理 タケハーナ』をオープンする。たくさんのファンが通い詰めるこの店を約18年切り盛りするも、2011年惜しまれつつ閉店。現在は松陰神社前のコミュニティスペース「Shoinstyle」の『ちょっと習って、いっぱい食べる「いち子さんの日曜お昼ご飯会」』をはじめ、さまざまな場所で料理教室やお食事会、ケータリングなどを行う料理人だ。

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こう書くと彼女について説明できただろうか。いや、まったくそんな気はしない。どんな肩書きで何をしてきたかを連ねるよりも、彼女が発する言葉、そして彼女の手から生まれる料理ほど饒舌に彼女自身を表すものはないように思う。

『東京料理 タケハーナ』とはどのようなお店だったのだろうか。まずは、聞き慣れない言葉「東京料理」について聞いてみた。

「店をオープンした当時、東京は世界で一番、世界の食材が集まってくる場所でした。今は少し違ってきているかもしれないけれど、これほどいろいろな国のものが平行して買える都市は他にはないという空気が当時の東京にはあって。そういう食材を自由に使いたかったし、どんどん料理も変っていくだろうから、カテゴライズするのではなく、自由に変化していくというニュアンスを込めて『東京料理』としたんです」

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この言葉からも、彼女の考え方や料理がほんの少し想像できるかもしれない。
しかし、もともとは言葉を扱う仕事をしていた彼女が、世界の食材を使って料理をするのはあまり簡単でなさそうに思う。

「コピーライターを辞めて、料理を仕事にしようと決めた時、自分に3年の時間をあげたんです。そして毎週日曜日を“サンデーレストラン”と名付けて、自宅に人を招いて私がつくった料理を食べてもらって。必ず毎回違ったものをつくって、私もテーブルについて一緒に食べて、写真とメモで記録していったの。誰かのためじゃないと、料理をつくる気になれなくて。今でも一人で試作をつくることができない。だから“サンデーレストラン”は、いい発明だったと思う(笑)」

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こうして2年の時を過ごし(結局3年と決めた期間のうち1年を残して)、数々のオリジナル料理を生み出して、いよいよ『東京料理 タケハーナ』をオープンする。メニューは、ずっと変わらないレギュラーメニューと新しいメニューが毎週登場するウィークリーメニューで構成。火曜日が定休日で、その翌日の水曜日の朝になると、早起きして新メニューを考える。そして、仕入れにいって仕込みをして、18時になるとオープン。ぎりぎり間に合うか、といったタイミングだというから、つい素人心に、「毎週オリジナルメニューを生み出すなんて、思いつかずに完成しなかったら…と怖くないだろうか」などと思ってしまうが、そんな心配もいち子さんにはお構いなし。

「自分の考えたものを完成とすれば、完成しないわけはない。でも人の評価を気にしはじめた途端、“できないかも”なんて考えも出てきてしまう。私も、たとえば有名なソムリエの方が食べにくるなんて聞くと、平常心でいられないこともあったけれど(笑)。普段これが美味しいと思ってやっていることだから、いいはずだと思い直したり。意識は内側に向けないと。外側に向けてしまった途端、いろいろとややこしい。人と比較しないというのは、生きている上で重要なテーマかもしれない」

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この言葉になるほどと思う。そんな風に、いち子さんは自分が美味しいと思うものをカテゴリーも、ありがちな常識も全部取っ払って、自分の内側だけを見つめてつくってきた。だから、彼女の料理は徹底的にオリジナルだし、生まれたメニュー名を並べてみても「インド煮親子 / withジンジャー雑穀ライス」「ひじきのペペロンチーニ」「ししゃもとモッツァレラのパパド包み焼き」と、どこまでも自由なのだ。

つくるも、食べるもコミュニケーション

そんなここでしか味わえない料理を出すお店だったから、人気が出ないはずがない。オープンした途端大忙しの日々が始まる。そして、通い詰めてくれる熱狂的なファンが増え、それぞれに大好きだと言ってくれる一品があったとか。その料理を思い出すだけで浮かぶ顔があるといち子さん。そんな話をする表情を見ているだけでも、愛されていたお店なのだなということがよくわかる。

「絶妙なタイミングとか、にんまりするような言葉で美味しいって伝えてくれる人っている。料理人って、美味しかったよって伝えてもらえるのがやっぱり嬉しくて。そういう声を聞くと、次の料理を出す時に全然気合いが違ったりするんだよね。料理をつくる、食べるは掛け合い。コミュニケーション。料理人とお客様とで一緒に場をつくっている。私はそれがしたくて料理をしているんだよね。目の前で起きていること、それが私にとってすべてなんだと思う」

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惜しまれつつもタケハーナに区切りをつけたのも、そういう思いとつながっている。

「お店でお客様を待って、10万人の人に食べてもらうことよりも、この日、私のごはんを食べたいと言ってくれている人をはっきりと思い浮かべてメニューを考え、料理をすること。今はそれが楽しくて。その人の、その日の食べ物係になりたいと思う」

その言葉どおり、お祝いの日や、節目の日、ときにはお別れの会などに料理をお願いしたいという声が後を絶たない。

「誕生も、入学も。結婚も、死も。食べ物って人生の節目に関わっている。それを思うと、頑張らなくちゃいけないなって思う。高級店に行くのでなく私に頼んでくれた。その理由がなんとなくわかるから、まっすぐちゃんとやりたい。美味しいことを思いつきたい。それで、その人のことを思って考えると、やっぱりちゃんと思いつくものなんだよね」

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